傷ついて四葉のクローバーになる
八月朔 凛
1章 喪っても泥を被っても生きていくしか無い
1話 西部戦線は異状なし
レヴァン帝国の西部地方にあるズッヒャーハイト村郊外。
西部戦線司令は、塹壕の中に建てられたものであり、宿舎を兼ねている。
暗い蛸壺のような宿舎内では、今夜行われる作戦で盛り上がっていた。
その隅で、寂しくパンを食べながら、帰りの支度をしている青年がいる。
青年の名前は、ミカエラ=レア。
ミカエラの容姿は、薄黄緑色の髪色に赤い瞳と、周囲の青髪に黄色い瞳の集団の中では、かなり目立つ方だ。
しかも色が白くて少女ようなに美しく儚い顔立ちだ。
おそらく世間一般が想像する軍人とはかけ離れてる。
しかし、その襟には少佐の階級を表す逆三角形のブローチと中央に蛇のマークと『gift』と書かれた、特殊部隊にだけつけるのを許されたブローチをつけている。
「少佐!あと30分で作戦開始です! ご準備を!」
話しかけてきた少尉の甲高い大声に軍独特の語尾を上げるような喋り方に、ミカエラは一瞬、目を大きく見開くと「 了解。いつもありがとう」と、だけ言った。
心の中では、自分の罪を象徴する『少佐』と呼ばれることに覚えていた。
ミカエラはそのことを悟られないように必死に笑顔を浮かべようとするが、幼い頃に表情筋を損傷したせいか、どうも上手く笑えない。
そんなことをやっているうちに、少尉は目の前から消えていた。
外に出ると月が白く輝き、大地を照らしていた。戦場のど真ん中にいるとは思えないほど美しい光景だった。
「ショーサ! お疲れ様です。これが終わったら一旦基地に帰れますね!
ゲロ&クソ、スペシャル昇天盛りみてぇな、ここともしばらくのお別れですね!
うわぁ……寂しいけど、2度とここに戻りたくないなあ」
いつの間にか横にいた少年の名前はレオンハルト。彼はミカエラの副官を担当している。
レオンハルトは人工的なミントグリーン色のショートヘアをなびかせ、晴れ晴れとした声で言う。
レオンハルトの胸にも、真新しい
ついでにミカエラがレオンハルトを副官に選んだ理由は、稀有な能力以外は、死んだ弟に似てるという私的なものだ。
レオンハルトは容姿からノリ、そして何よりも弟と同じ18歳だ。
きっと弟が生きていたらレオンハルトのようになっていたのだろう。
「レオンハルト……1つ聞きたいだけど……
何故わざわざアマデウスの特徴の緑系の髪色に染めたの?
……それじゃあ誤解されやすいよ?元の色の水色の方が、綺麗だったのに……」
ミカエラは、周辺国で差別されている少数民族のアマデウス人だ。
散々理不尽な差別を受けてきた側のミカエラにとって、わざと誤解されるようなことをするレオンハルトの行為が不思議に思えた。
「え、そうなんですか?なんでって……ショーサみたいになりたかったから!少しでもショーサに近づきたくて!ショウサ!見てください!かっこいいでしょ!」
レオンハルトは、一欠片の悪意さえ持ってない純粋な目をキラキラと輝かせながらそう言う。
「……突然暴力を振るわれたり、やっていない行為を捏造されて陰口を言われるよ?それでもいいの?ダメだよ。もっと自分のことをもっと大切にして」
部下がボロボロになる姿は公私共に見たくない。ミカエラはそうなって欲しくないと、優しく諭す。
「暴力を振るわれたらショーサのように強く……かっこよくなれますか?なれるなら喜んで!」
ミカエラは、レオンハルトの差別に対する無知無関心さや、それをすぐ実行に移してしまう力に正直少しイラッとした。
しかし、それと同時に、レオンハルトの自分を慕ってくれる気持ちを尊重したかった。
ミカエラは一瞬、目を伏せてから、再びレオンハルトを見つめると、優しげな声でゆっくこう言った。
「なれないよ。これとそれとはまた別。
それに悪意は無いことは分かるけど、染め直した方がいいかもね。このままだとお互い嫌な気持ちになってしまうからね 」
ミカエラは続けてレオンハルトを傷つけないようにこう言う。
「色々なことにおいて、知らなかったや、自分は関係ない……だけでは済まされないこともあるからね。様々な出来事に関心を持って、きちんと学びながら生きてね」
レオンハルトは、話が終わると少し落ち込んだ様子を見せる。
「すみません。考えや行動が軽率過ぎましたね。帰ったら元の色に染めます」
そしてすぐにレオンハルトは気まづかったのか話題を変えた。
「あの……ショーサは、帰ったら彼女さんがいらしゃるんですよね?
ウチは妹しかいないから宿舎に帰っても1人なんです。ですから、今度遊びに来てください」
レオンハルトは、いつも持っている不自然なほど汚れていないうさぎのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。
レオンハルトの言葉を聞くと、ミカエラは目を大きく見開いてから俯くと、耳と頬を林檎のように紅く染める。
「ただの同居人だよ」
「シヨーサ! 表上軍規で恋愛禁止だからって、同居人設定はもうそろそろ無理があることを覚えておいてください!
そもそも、話す内容大体大まかに別けると、ソフィーさんか仕事の二つしか無いんですよ!もう疎い人しかそれは通じませんよ!」
レオンハルトは何故か不機嫌そうな顔になり腕を組み
「というか、ショーサはいい人なのに……そんな話しかしないから、周りの人にいい人って伝わらなくて何を考えてるか分からないとか言われるんですよ!」
レオンハルトは後半になると、悔しそうな顔を浮かべ、早口で言った。
その姿がなんとも可愛らしい。
「僕は優しくないよ。ただの人殺しだよ。この階級だって、天まで届く程の遺骸の上にあるんだから……
でも、君がそう言ってくれて嬉しいな。ありがとう」
すると、レオンハルトは少しモジモジとし始めた。
「レオンハルト。トイレなら先に行っておいた方がいいよ」
「いや、さっき連れションで済ませました……その……ショーサはウチのことをどう思っているんですか?」
ミカエラは驚いたように目を見開いた。
「頼りになる後輩だよ。いつもありがとう」
真顔でいうと気持ちが伝わらないじゃないかと思って、目を細めて口角を上げる。
上手く笑えてるだけだろうか。
するとレオンハルトが一瞬、悲しげな顔になってから、小さな声で何か呟いた。
「おい!ミカ!レオンハルト!もうそろそろ出発するぞ!準備は済ませたか?」
ちょうどその時、隊長であるアンドリューの低い叫び声が聞こえた。
声が聞こえた方を見ると、いつも通りの仏頂面で煙草をふかしている。
それからアンドリューは、濃紺色の短髪を風になびかせ、蜂蜜色の鋭い瞳でミカエラを睨みながらこちらに来た。
もしかして、なにかやらかしたか?
ミカエラは怒られると思って身を縮めてると、アンドリューは白い手袋をつけた大きな手でわしゃわしゃと雑にミカエラの頭を撫でた。
手袋からは ふわりと煙草の香りがする。
「アンドリュー中佐……僕はもう19歳ですよ?」
「あぁ……この前誕生日だったな。
祝えなくてすまない……おめでとう。
このまま年齢を更新しつづけてくれ」
それからアンドリューはぶっきらぼうな低い声で 「さっさと支度しろ」と、だけ言った。
ミカエラは頬を赤く染めたまま、左耳につけていた月のイヤリングを大切そうに鞄の内ポケットにしまった。
ブーゼ歴1871年。
今から15年も前のことである。
隣国アルキュミア王国がこの国レヴァン帝国へ軍を率いて、侵略を開始したことが、この戦争の全ての始まりだった。
帝都や国境に近い街は、烈火に包まれ、天まで届きそうな程、死体の山が積み重ねられ、その土地には何も残らなかった。
レヴァン帝国は、諸外国から神秘と魔法の国と呼ばれいる。
その理由は、国民の約85%を占めてる青髪に黄色の瞳が特徴のレヴァン人が異能力を持っていることに起因している。
能力といっても水を操れるという超人的なものから、歌唱力や聴覚が優れているという、周りから見れば、ごく普通に見えるものまで、ピンからキリであり、能力の強さや性質、そして発動させる際に必要な詠唱の有無によって、職業や結婚相手を決めたりする人が多い。
この国にとっては、能力は切っても切り離せないほど、文化や社会的に根付いている。
また戦闘や喧嘩など自分の持っている能力で戦う為、武器などはあまり発展せず、多くの人は能力以外で使うのは、槍剣などの原始的な武器や、性能が悪い古銃だけである。
逆に隣国アルキュミア王国は、錬金術、科学と産業の国と呼ばれており、近年産業革命が起きた結果、様々な物が開発、製造されている。
また、金髪碧眼のアルキュミア人は能力をほとんどの人が持ってない。
しかし、武器の性能が非常良く、自軍に送るものから、輸出用まで銃器を含めた様々な武器を製造している。
戦争が絶えない現在、その売上は凄まじいらしく、ここら辺の国の中で最も経済が栄えている。
明朝、レモンを加えたマロウブルーのような朝焼けがレヴァン帝国軍とアルキュミア王国軍を包み込むように照らす。
しかし、美しいその景色とは反する硝煙と、吐き気を催す程強烈な、人間が焼ける臭いと血の匂いが漂う。
正直、匂いが鼻をくすぐる度に吐瀉物を吐きそうになる。
顔中が泥と煤で黒くなったミカエラは、ゆっくりと空を見上げ「勝った……」とだけ呟いてから咳をした。
「ショーサ何とか作戦成功ですね……」
斜め後ろで、レオンハルトは同じく顔を黒くして、息を切らしながらヘロヘロと座った。
辺りには戦場の景観……いや、外で見る光景として、あまりにも不自然で不気味な光景が広がってる。
そう、辺り一面テディベアが大量に折り重なって散らばっていた。
多くのテディベアは手足がもがれていたり、顔面が潰れてたりとショッキングな姿だ。
「不思議ですよね。人の形だと罪悪感や憐憫……グロテスクで見たくないなぁって気持ちを抱くのに、ぬいぐるみになった途端、そんな気持ちがまるで泡のように消えてしまうのですから」
レオンハルトは目を伏せ、目の前に転がっていた、顔面の一部が潰れている
これらは全て、レオンハルトの能力である『遺体をぬいぐるみにする』によってぬいぐるみになった、アルキュミア、レヴァンの兵士である。
手足がちぎれたテディベアの傍には、オールバックの若い男性が、笑顔で家族らしき人と共に写っている写真が数枚落ちている。
ミカエラはその写真の近くにあった、ドッグタグを拾って見てみると
『
と、遺体になった彼ついての情報が書かれてる。
レオンハルトは、それを見ながら湿った声で「うちもいつかこうなるのかな」と、呟いた。
「大丈夫だよ、きっと……」
ミカエラはそう言いながら、数枚の写真を拾うと、その間から一枚の紙が出てきた。
その紙を拾い、裏を見ると幼い丸い文字で
『おとうさんえ、おしごとがんばってね。おとうさん大すきだよ。エミリーより 』
と、書かれていた。
おそらく、彼はこの手紙を見て、目を覆いたくなる日々の生きる糧にしていたのだろう。そして必ず生きて帰るぞと、希望を持っていきていたのだろう。
ミカエラはそっと写真と手紙を大事そうに遺体の上置くと、どうかあの世で幸せになってくださいと、手を合わせて祈った。
どこを見渡しても、
しかし、そのすぐ近くには極東だと『
ミカエラはその景色に思わず見蕩れてしまい、疲れと緊張から解かれたことも相まってその場に崩れるように座りこんだ。
「嗚呼、綺麗……もう疲れた……何もかも嫌だ……ずっと見ていたい……戻る前に少しだけ休憩するか」
ミカエラは静かな声で言ったあと直ぐに激しく咳き込む。
「レアショーサ……いや、ミカエラさん!大丈夫ですか?! 」
レオンハルトは隣に座ると、心配そうに顔を覗き込む。
ミカエラは、心配かけまいと目を細めて息を止めて無理に口角を上げる。
しかし、顔半分の肉が引っ張られるような感覚と、息苦しさを覚え、逆に変な表情になりながら、また咳き込んでしまった。
「大丈夫だよ。疲れると咳をしやすいだけ……はは、緊張の糸が解れたのかな?」
ミカエラは静かな声で言うと目をつぶり「軍人なのにこんなで……男らしくなくて情けない」と呟いた。
「そんなことないですよ! 先程の作戦も少佐が敵をバタバタとなぎ倒してくれたおかげで成功したのですよ! 人間だから疲れるのも当たり前ですし、咳が出るくらいで情けないなんて……それだったら僕の方が……」
レオンハルトの言葉を聞くと、ミカエラは目をつぶったまま、口を少しへの字に曲げた。
作戦が成功したのは嬉しいが、改めて人に自分の成果言われると、廃油と泥が混ざったような、複雑な気分になる。自分の成果を褒めて貰えて嬉しいが、敵をバタバタとなぎ倒す。
それは敵とはいえ、人の未来を……人生を奪ったという意味なのだから。
「……ショーサ! お疲れのところすみません。なんか変な気配がしませんか?」
ミカエラは目を見開き、レオンハルトも勢いよく立ち上がった。
辺りには人影どころか何も無い。
気のせいだったか……と思った瞬間、突然地面から、大量の流木共に黒い水が勢いよくこちらへ流れてきた。
「……水の能力だ……」
水が襲う数秒前に、本能的に太い木の上にレオンハルトと共に登る。
少し落ち着いてから下を見下ろすと、
「すばしっこくて困るよぉ。まあ、これくらい避けられなければ少佐の地位にはふさわしくないけど……ねぇ?」
「何を企んでいる……?軍への反逆か?それとも僕自身への何かからか?軍への反逆ならば受けて立とう」
ミカエラが冷たく、光がない目で青年を見下すと、安全を確保してから、木から飛び降りた。
ミカエラがパチンと左手の指を鳴らすと、火花は指の上で踊る。
次の瞬間、大きな炎の玉になり、青年目掛けて疾風迅雷の勢いで飛んでいく。
「ぶっぶーどちらも不正解でぇーす! ボクはアルキュミア兵でねぇ……さっきのは、借りてた姿なんですよぉ。ざんねぇんですねぇ〜 」
すると青年の姿は、金髪碧眼のショートボブの少年へ姿を変える。
着てた軍服も、帝国の新緑色の軍服から、王国の黒い軍服へ変わっている。
そして半円形のバリアで自分の周辺を囲い、ミカエラの能力を止めた。
「ショーサ!飛び降りて!あの野郎とやる気ですか?!わざわざショーサが手を汚す必要はないんじゃないですか?!クソはさっさと情報部に渡しましょう! 」
レオンハルトも木から飛び降りると、驚いたような面倒くさそうな表情でミカエラを見つめながら言う。
「こういう汚れ仕事は、僕がやらないと………情報部に渡したとしてもそれまでに被害が出るから……ね?……大丈夫。最低限の力でやるから 」
「でも、ショーサがやる必要はないじゃないですか!それだったら僕が……」
ミカエラは目を細めてからレオンハルトの話を遮った。
「レオンハルト!今のところ、敵は何の能力か分からない。そしてサーベルでは力不足……それは分かってるでしょ?だからね、戦闘出来る能力を持ってる僕がやるしかないんだよ 」
「大丈夫。きっと大丈夫……」
ミカエラは無表情で小さく震えた声で自分に言い聞かせるように言うと、目をつぶり一呼吸する。
肺に糸のようなピンと張ったような冷たい空気をいっぱいに満たしてから、ゆっくりと目を開けた。
そして左手を勢いよく上げる。
一瞬、突然空間から火花が散り、地面から津波のように火が地面を這い青年を囲んだ。
ミカエラの能力は炎を操る能力。
戦でも日常生活でも幅広く活躍ができ、多くの人が喉から手が出るほど欲しい能力の一つだ。
しかし、ミカエラにとってはこの力は忌まわしく、そして恐ろしく感じており戦闘以外は使わないようにしている。
「残念。少佐はもっと頭が良い奴だと思ったのに……やはり、士官学校で首席は嘘だったの?」
青年は、一番最初に現れた時の姿に戻り、手を上げるような仕草をすると、何も無かった空間から大量の水が滝のように出てきて炎を消した。
そして青年は困ってるミカエラを見ると、鼻をほじりながら、ゲラゲラと笑った。
「相性が悪過ぎる……何の能力だ?」
「何でもありの能力だよ」
容姿や声を変える異能力は、度々見てきたが、能力自体を変えられる能力には今まで出会ったこと無い。
どう対応するべきか、瞬時で考える。
そして一呼吸すると、素早く退却の合図をする。
無闇矢鱈に攻撃しても、おそらく上手く躱されるだけだ。
こんなところで死ぬわけにはいかない。
大変不本意だが、一旦退却することに決めた。
「そう来ると思った! レア少佐。君の考えは単純だねぇ……君の脳は小便と下痢気味クソしか詰まってないみたいで、かわいそうだね〜!僕が躾てやるよ」
「あ、そうだ!いいこと思いついちゃった!」
青年は笑顔でそう言うと、次の瞬間黄緑色髪の青年に変わる。
その顔はミカエラの顔だった。
ミカエラは、驚愕と嫌悪感と少しの恐怖でサーベルを落としかけた。
「うわぁぁぁ……ショーサが二人人……!! 」
レオンハルトは青年とミカエラを交互に見て、驚いた表情を浮べてから、何故か興奮したような甲高い声をあげた。
「ふざけるのも大概にして……不愉快だからやめて欲しいね」
ミカエラは軽く睨みつけ、低く心底嫌そうな声で言う。
青年はミカエラの顔になっている前髪で隠れた左部分を指しながら、不気味にニタリと笑いながら言う。
「辞めるわけないじゃないか。だってこれは弱み……そのものじゃないか
ミカエラ=レア。お前は自分自身の顔を包帯で隠してるのはこの顔半分にある火傷跡がトラウマを刺激するから、そしてなによりもその姿が醜いから嫌いで仕方がないんだろぉ? 」
「それがどうした? 」
ミカエラはなんとか平常に保った声でそう言うと、自分と同じ声と姿になっている青年を精一杯睨み続けた。
正直青年が言ってることは正しかったが、それを認めたくなかった。
青年は、ミカエラには出来ない笑みを浮かべたまま「おいおいそんな目で見るなよ 」
と、言いながら、顔半分の包帯を取ると見せびらかすように見せる。
そこには美しい顔半分とは異なり、醜怪で目を背けたくなるような火傷跡が露わになる。
「おい、レオンハルト! 見せてやるよ!お前の大好きな上司が、どれだけ醜い化け物なのかを」
レオンハルトは「知っとるよ」と、低い声で呟くと急に目を大きく見開き、親の仇或のように青年を睨みつける。
数年間よく一緒にいたが、いつもふわふわとしてる彼がこのように激怒した姿は、一度も見たこと無かった。
「少佐の姿で汚ぇ言葉を喋られるとムカつきんさんな!それに人の嫌なところや弱点を狙うところほんっっとに人間のクズじゃのぉ!おい、早う死ね!
こがいにムカつくのほんっっとに久しぶりじゃ!ムカつかしてくれんさってありがとの…おかげで躊躇のう殺せる……! 」
ドスが効いた低い声で方言を捲し立てながら、レオンハルトはサーベルの持ち手がギチギチ鳴るまで握りしめる。
「まあ、サーベルやらあんたに効く思うとらんのじゃけど……
それでも1センチ、1ミリでも傷つけたいくらいに、ウチはあんたが憎うて大っ嫌いじゃ……じゃけぇ死ね」
それからレオンハルトは、凄まじい機動力で青年の後頭部に向かって銀色の刃を振りかざす。
銀の刃は、青年が被っていた帽子と、軍服の一部を縦に破けさせる。
「あっ、レオンハルト!馬鹿!煽られて、一時の感情で命を捨てようとするな!」
ミカエラがそう叫んだ刹那、数発の発砲音が響いた。レオンハルトが近づいたところを狙ったようだった。
ミカエラは反射的に屈んだが、やはり数発かすったらしい。右腕にジーンとした鈍い痛みと、激しい痛みが交互に襲い、少量だが、生暖かい感覚が肌を這うように伝う。
前を見るとレオンハルトが胸の辺りから血を流し倒れていた。
「人の弱点狙うなんて卑怯?……はははは、弱点があったらそこを狙うのが当たり前だろぉ?
お前は甘いんだよ!その考えも!行動も全て!わざわざ見え透いた罠に引っかかるお前の方が馬鹿なんだよぉ」
青年はミカエラの顔のまま、酷く醜悪な笑顔を浮かべ、馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「恋や愛ってくだらないよねぇ。こうやって人の判断力を含めて、何もかも盲目になってしまうからぇ」
青年はそう早口で興奮したように言うと、短機関銃を構えたまま、ミカエラ達を軽蔑と哀れみを含んだ瞳で見つめた。
「レオンハルト !レオンハルト !しっかりして!」
ミカエラがレオンハルトの傍で叫ぶと、レオンハルトは金色の目をうっすらと開ける。そして、蚊の鳴く声で「どうやら……心臓は撃たれなかったようです……」と言い、青白い顔で、無理やり笑ったようなくしゃくしゃとした表情でミカエラを見た。
「ウチのことは……気……しないでください……大丈夫です……ハヤ……ソイ……ヲ……託し……ス……ああ……ミカ……そんな……カオシナイデ……」
レオンハルトは、最後の方は途切れ途切れそう言うと、大量に鮮血を吐いた。
その苦しそうな姿を見て、ミカエラは胸が苦しくなり、ギュッと自分自身の腕を握る。
「最初からこうすれば良かったな。やっぱり精神的に削る作戦よりも物理的にやるが効率だね……ボクったらあったま悪いなぁ……」
青年は笑いながら、自分の頭を軽くコツンと殴るような仕草をすると、銃の引き金に指を入れ直す。そしてレオンハルトからミカエラへ銃口の向きを変えた。
ミカエラは腰を低くしながら、青年を酷く軽蔑を含んだ目で無言で睨みつけた。
それから、指を鳴らすと、火花が指の上でパチパチパチと踊り狂う。
「あら〜怖い顔〜! 大切な後輩くん死んじゃたね〜!可哀想だねぇ! 一緒に逝かせてあげるねぇ!」
青年は嘲笑うように言うと、銃の引き金を躊躇なく引く。
青年は次で仕留められるだろうと思ったのか気が少し緩んだように見えた。
ミカエラはその瞬間、弾の軌道を避けつつ、腕を上げる仕草をする。
あっと言う前に青年の足元には、高熱の炎がメラメラと勢いよく燃え上がている。
青年はそれを消す為に、姿を変えようとするが、そうはさせないと、ミカエラは追い討ちをかけるように素早く攻撃を続けた。
しばらくすると、青年はもうボロボロの姿で立ち尽くすだけの存在になっていた。
新品のようだった服も服も靴も、黒く煤けて穴が空いてる。サラサラの髪の毛も少し焦げて縮れてる。それなのに何故か面白そうに笑ってる。
次の瞬間、煙幕で目の前が見えなくなる。数秒後には視界は開けたものの、青年の姿はそこには無かった。
「ゲボッ……逃げられた……ってレオンハルト大丈夫? 」
近くで横たわってるレオンハルトを揺さぶるが、反応がない。
「おい、お前ら帰るぞ」
煙で気づかなかったのか、近くにいたアンドリューが仏頂面で腕を組みながらそう言う。
「アノニマス中佐?! 」
先程のこともあり、ミカエラは本物か確認する為に、敢えてアンドリューが口癖のように「呼ぶな」と、言っている彼の苗字を呼ぶ。
「あ゛あ゛あ゛? 苗字で呼ぶなって、いつも言ってるだろ。何度も言わせるな……次、苗字呼んだら、配給無しな」
アンドリューはかなり不機嫌そうにそう言ってから、舌打ちをした。
どうやら目の前にいるのは本物のアンドリューのようで安心した。それと同時に力が抜けるのを感じた。
「すみません……アンドリュー中佐。さっき味方を騙った敵がいたので、確認の為に呼びました
あ、聞いてください!レオンハルトが被弾して動かないんです……今すぐ病院に運ばないと……」
「……その必要は無い」
その声と同時に銃声が響き、足に激痛が走りその場に崩れる。そして間一髪入れずに、再び銃声が響き、腕が動かなくなる。
「これでもう能力使えないねぇなぁ?」
アンドリューだったら、絶対しないような表情と口調でそう言う。
「確認したのは偉いねぇ……でも、甘い。信頼してる上官でも急に現れた時はすぐに信頼してはいけないよ〜」
喋り方から考察するに先程の青年だ。ミカエラはしくじったと思った。
「これで君の物語は終わり。予想より呆気なかったね。最期に残す言葉は?」
嗚呼、自分の人生もここまでなのか……
「……アンドリューさんや、他の仲間達は無事ですか?」
「ああ、アイツなら今頃お前らを探してるよ。他の人間も元気だ」
その言葉と同時に、何発かの銃声が響き、生ぬるく鉄臭い血飛沫が頬にべたりと張り付く。
薄れゆく意識の中、痛みと共に昔の記憶が走馬灯のように蘇る。
どれも泣きそうな程懐かしく、二度と戻らない幸せだった日々。
ミカエラは、もう死が近いことを強く実感した。
ふと、戦場に行く前に大切な人と交わした『生きて帰ってきてね』という約束を思い出した。
そうだ……生きねばならない。
どんなことがあろうとも。決して死んではいけない。生きるのだ。
ミカエラは、もう一度立ち上がろうと体を無理やり動かそうとするが、もう限界を迎えているのか、身体は力が入らない。
まるで泥沼に落ちた紙のように溶ける感覚を覚え、足は糸が切られたマリオネットのように動かない。
瞼も勝手に下がって視界も灰色に霞んで見えなくなり、酸素さえ肺に詰め込もうとしても、喉あたりで止まり息苦しい。
それなのに、頭だけはしっかりしているらしく、色々な感情が一気に溢れ出してきた。
ああ、やっぱり本当は、死にたくない!死にたくない……死ぬんだったら、もう一度あの子の顔が見たい。
……なんでこんなよく分からない得体の知れない能力者に……殺されなきゃいけないんだ……
……そして何よりも……自分が居なくなると……あの子……は……本当に……独りぼっち……に……なってしまう……
……そんなのあまりにも!あまりにも……!ぼく……は……まだ……しねない……あのこをのこしては……
彼女の太陽のような眩しい笑顔と同時に、自分が死んだ後、ひとりぼっちの彼女の姿が脳内に浮かぶ。
きっと、彼女は自分が死んだら、後を追うだろう。それを想像すると、胸は撃たれていないはずなのに、苦しくぎゅっと締め付けられる感覚を覚えた。
しかし、徐々にそれすらも感じられなくなくなってきた。
瞼を閉じる瞬間、ミカエラは動かない口角と表情筋を無理やり動かし、笑ったような表情を浮かべると
「ごめんね……そふぃー。やくそく……うち……かえれそうにないやァ……」
そう掠れた声で呟くと、ピジョンブラッドの双眸からガラスのような一筋の涙を流した。
涙は冷たい肌を伝い、血に濡れた大地を濡らした。
そして、そのことに気づく人はしばらくいなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます