43.読者を喜ばせ驚かせつつ、「感想は要らな」くなる香
やがて「常夏」と「篝火」がほぼ同時に出された。
正直、この二つをわざわざ分ける理由が梛には見当たらなかった。雰囲気の関係で分けただけにしては、「篝火」はあまりにも短い。以前だったら、前の巻の最後に治まってしまうくらいである。
「それにしても『常夏』は意地が悪いですわね」
松野は眉をひそめる。
「源氏はまあ相変わらず…… ここでは内大臣家の姫君達のお話よね。女御の君は素晴らしいのだけど、前の『絵合』の巻で源氏の養女の梅壺女御に負けているし、あの『少女』で若君と筒井筒の仲の姫はそのせいで東宮への入内もさせることができないし」
「そしてあの姫ですか」
「そう、あの姫よ」
梛はうなづいた。新しくここで出てくる「あの姫」というのは、内大臣の若い頃の落とし胤である。育ちが悪いので、上流の家の中では笑い者にしかならない、という役割である。
梛も田舎者に関してはこの時代の貴族である以上、見下す傾向がある。だがここで彼女が気に掛かったのは、この姫君が早口だということだった。
「香さんは、自分のその癖を知っているのかしら」
「ご存じではあるでしょう。あれだけ凄かったなら」
松野は即座に答える。彼女に直接出会ったのはたった一度である。だがそれでも松野の心には強く印象に残っている。
「きっと小さな頃から周りから言われ続けてきたのではないでしょうか?」
そうだとは梛も思う。彼女自身も、ゆっくりとした話し方の方が良いとは思っているらしい。
だが良いと思ったところで、それをそのまま実行できる訳ではないのだろう。いくら気に掛けたとしても、心がそれ以上に弾んでしまった時、まとめることも追いつかず、ひたすら言葉を繰り出すことしかできないのかもしれない。
――私は小さな頃から……
いつか香は文に書いてきたことがある。周囲に言われるまでもなく、彼女自身が一番それを気に病んでいたのではなかろうか。
「自虐的ね」
外腹の姫が、姉である弘徽殿女御のもとに参上する際に送った文とその返歌の辺りで、梛はそう結論づけた。
自分は宮中では笑い者なのではないか―― 香は自嘲気味にそう書いている様にも思えた。
実際にどうなのかは判らないが、当人がそう信じている様な。そしてまた、何処かでその自分を笑っている、かもしれない相手に対しての皮肉の様な――
*
それでも、次に来た「野分」には久しぶりに梛は好感を持った。
真面目で知られている若君の話だからだろう。「少女」で書かれた彼の姿は父である源氏の若い頃より爽やかである。
「私でしたら、実際に背の君にするならこの若君の方がいいですわ。紫の上を実際に目の当たりにしたのに、けしからん心を起こさないですし」
「源氏にこらえ性が無かった、とも言えるし、その自分の過去を顧みて息子が変な気を起こすのじゃないか、と考えたというのが嫌ね」
「それに比べると、若君はその後あちこちで色んな女君を目の当たりにするのに、それぞれの人々を素晴らしいと思っても、それだけだし」
「それに玉鬘に言い寄る源氏を見て『嫌だ』と思う辺りは好感が持てますね」
「明石の姫君とはどのくらいまで近付いて良かったのかしら。きょうだいとして仲良くさせようとはしていた様だけど、実際に目の当たりにすることは無かった、ってことかしら。『一昨年ぐらいまでは偶然にもちらっと姿を見た』とあるし」
「……何か、考えてみれば嫌な家庭ですねえ…… 確かに高貴も高貴な家なのでしょうし、六条院は広いですから、実際に女君達が顔を合わせる機会は無いのでしょうが、それでも妻達を同じ敷地内に住まわせて、息子には気だてはともかく美しくない妻を母代わりにし、妹たる姫君とも姿を見られる訳でもなし」
*
そして続く「行幸」「藤袴」では、源氏は玉鬘に尚侍としての宮仕えを勧める。その前に、と身分をはっきりさせ、裳着の儀を行った。
「結局宮仕えなのね。香さんはあれだけ『うつほ』に不満を持っていたのだから、もう少しひねった展開にするかと思っていたのだけど」
梛はそう思いながら読み、やはり出てくる末摘花や早口の姫君の扱いにため息をつく。
「末摘花の君も、『蓬生』で少し報われたかと思ったのにね」
「『みっともない者は表に出るな』ですか?」
そういうことだろう、と梛も思う。
実際定子皇后のもとに出仕し、羽振りの良かった頃は梛自身、その様にして行動が皆と違う者を嘲笑ったものだ。
だがひとたびその場から遠のくと、それはあまりにも人として惨いのではないだろうか。そう感じなくもない。
「それにしても、『行幸』と『藤袴』の間が少し空きすぎている様な気がしますが」
松野が不意に問いかけてきた。
「間?」
よく見てみると、半年ほどの期間が空いている。
「玉鬘の裳着は二月末ですよね。で、次が藤袴の咲く時期で、しかも玉鬘も若君も喪服を着ています。……ということは、亡くなったのは内大臣の母君ということですよね」
そう言えば、と梛も二つの巻を見比べてみる。確かに玉鬘の一連の話の中では少し不自然な程に時間が空いている。
「約半年。三条の宮の亡くなった記述は無いんですよ。避けたのでしょうか」
それには梛も答えに迷った。
書こうと思えばこの間の出来事も書けただろう。三条の宮の死去と、それに伴う服喪の期間に源氏が色々考えたりする位なら、香は軽く書けたのではないだろうか。
それとも、あえて書かなかったのだろうか。
*
そんな二人は次の「真木柱」でひっくり返る羽目となった。
「やられた!」
「真木柱」の冒頭で二人はそう叫んだ。
「……まさかこういう展開になるとは……」
「香さまのことだから、単純に玉鬘の君を尚侍から女御に出世、という形にはしないとは思いましたが……」
「しかも『輝く日の宮』と違って、決定的なその部分はぼかして、いきなり事実があったその後から入るのだもの。……そうね、書かない、ってことで鋭くなることもあるのね……」
ううむ、と梛はうめいた。彼女は「うつほ」を強く意識していた。それより面白い話を、美しい場面を、と渇望していたはずだ。
「おそらく、皆私達の様にひっくり返るわよ。そしてあのひとは、そんな私達の様子を想像して大喜び…… そんな感じがするわ」
梛はそう言うと、草子をひらひらと振った。
「現にこの草子にも、香さんは大して文を付けて来なかったわ」
「そう言えば、最近梛さまへのお文の量がずいぶん減りましたね」
そうなのだ。この玉鬘の求婚話にかかってから、草子につけて来る文には香自身の物語製作に関しての説明、自作への感想や次の巻の内容などが全く書かれなくなったのだ。
飛び跳ねる様なあの書きぶりも少なくなっていた。
「物語の方は、まず現物を読め、ということかもしれないし、説明無しでともかく驚かせてやろう、ってことかもしれないし……」
そして「真木柱」の続きを読み合う。
「途中で玉鬘の尚侍が帝と語り合う場面があるというのも、『うつほ』のそれを意識している様な気もするし…… 言い出せばきりは無いでしょうけど」
「帝と尚侍の語り合いの後、仲忠の母の尚侍も玉鬘も夫の居る家に戻ったり行ったりしている訳ですが、態度が微妙に違いますわね」
最終的には玉鬘も何とか右大将の家に馴染み、残されていた男の子達は可愛がられている様に書かれている。
「考えてみれば、兼雅も右大将でしたわね」
「うつほ」の尚侍の夫、藤原兼雅もこの時点では右大将だった。あえてその地位の男をぶつけてきたと見ることもできる。
「さて、いつもの読者の皆様は果たしてどう見ることのやら。求婚話はここまでだ、ということらしいし」
その位は香も短くなった文の中に書いてきたのだ。
*
さすがに皆、この顛末には驚いた。
だが「うつほ」との類似性を指摘した中には、この事態を予想していた者も居た。物語好き達の目は誤魔化せない。
彼女達はかつて「夕顔」と和泉式部の日記には格別口を挟んで来なかった。だが「うつほ」との相似にはそれなりに反応があった。前者にはあえて手を出さなかったと言える。違う性質のものだ、と肌で感じていたのだろう。
香はそれらの感想に対し、もう何の感慨も引き起こされない様だった。草子と感想をまとめた文に対し、こう書いてくるばかりであった。
*
「来年には『藤裏葉』の続きを書こうと思っています。長い長い物語になると思います。
六条院で一つ、大きな出来事を起こそうと思います。たった一つです。でもとても大きな出来事です。
そのせいで、栄華を誇る源氏の周りの全ての歯車が狂うのです。
正直、私もまだそれによって皆が幸福になるのか不幸になるのもさっぱり判りません。
ただ言えるのは、私の中で彼等が勝手に動き出しているということです。あの先の時間を進めたがっているということなのです。
ところで梛さま、今までずっと物語好きの方々に回して下さってありがとうございました。
次の巻もぜひ梛さまには読んでいただきたいのですが、皆様からの感想はもう充分です。梛さまが好きで回すのは構いませんが、私の元に感想は返して下さらないで結構です。
皆様にも今までどうもありがとうございましたとお伝え下さい」
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