七十五 怪談蒐集
私が摺り師をしておりましたころ、版元でもあった書物屋の主人から、一人娘の様子がおかしいと話を持ちかけられましたのは、娘が子供時分から私に懐いていたからでございます。
刷りたての黄表紙なども隠れて読んでいた娘で、年頃になってもおりを見てやってきては、親には言えないようなことも私にはよく話してくれていました。
主人に言われて、そう言えば近ごろ顔を見せないな、などと思いながら娘の様子を聞いてみましたら、怪異な話に凝っているとのことでしたので、
「若い娘ならそんな話を好んでもおかしくはありますまい。どこぞのくだらない男に夢中になるよりはよほどいいように思います」
と答えましたら、そうしたものを読み耽るばかりではなく、そんな怪談奇談を葭簀張りの小屋で語って聞かせる噺家だか講釈師だかに入れあげて通い詰めるようになったとのことでした。
「まあ、役者にのぼせ上がるのとたいして変わりはありますまい」
と、これも笑って答えましたら、娘はその噺家だか講釈師だかについていって話の種も取りにいくようになり、これにはさすがに意見をしたら、今度はそんな語り者なんぞにはついていかずに、己であちこち怪異譚を求めるようになったそうでございます。
母親や女中がどれほど目を光らせていても気がつくと娘はどこかへ行ってしまって、日が暮れてから帰ってくることもあるようでした。
そのうち、辺りを見回して、
「誰かいる」
と、怯えた様子で言い出すようになりましたが、誰が何度確かめてもそんな者の影もありません。でも、そのうち娘はまったく外に出なくなったばかりか、朝、なかなか寝床から出てこなくなったそうで、ようよう母親が聞き出したところによりますと、夜毎、寝ている間に誰かが胸に乗って首を絞めると言ったそうです。
身体の具合が悪いのではないかと心配して医者にも見せたそうですが、どこといって悪いところはなかったということでしたけれど、もしや心に何か思うことがあって、それがこのように表れているのやもしれぬ、という話になって、それで私に心の内を聞いてもらおうということになたったそうです。
他のことはいいからすぐに来てくれと言われてまいります途中で、ふと、
「怪談ばかり蒐集しているうちに、鬼にでも魅入られたのやもしれぬ……」
とこぼした主人に私は何も答えず、娘の病床にまいりますと、私たちに向けて伸ばした娘の右手の手首から先が見えなくなっております。なくなっているというよりも、たった今、まさにその手が何かに強く引かれているように見えましたので、私はとっさに反対側に回って娘の左の腕を掴んでこちらに強く引きましたが、それでもまだ向こうへ引き込まれて娘の右腕は肘の辺りまで見えなくなりました。
私はすぐに娘の身体を抱き寄せると、その右腕を伝ってなくなっている肘から先を手首まで探って掴みました。もちろん、掴んだ私の腕も見えなくなりましたけれども、もっと先まで、掌から指の一本一本に至るまで私の指をからませればよかったのかもしれません。
私が力一杯こちらに引きましたら、急に力が抜けたように娘の身体は私とともに倒れ込みました。
そんなことがあって娘は憑き物が落ちたのか、以前のような笑顔を見せるようにはなりましたけれど、娘の右手の指は、すべてなくなっております。
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