従者な俺とパワハラ令嬢のすれ違い逃亡記

由岐

第1話 俺とお嬢様の日常

 貴族令嬢の従者、レオン・ラントの朝は早い。


 先生から貰っていた薬が、とうとう切れた。

 どうにかして一刻も早く眠らなければ、明日に響く。

 頭ではそう理解していても、身体が言うことを聞いてくれないのだから困ったものだ。

 結局俺は一睡も出来ないまま、エルファリア邸は朝を迎えてしまう。

 陽が昇りきる前に身支度を済ませ。

 目の下のクマを隠す為、女でもないのに化粧をしてごまかして。

 胃の痛みが激しいものだから、何も食べる気になれない。

 睡眠薬も鎮痛薬もストック切れ。今日の寝不足の原因である『彼女』の為に寿命を削っている感が物凄い。

 だが、こうして衣食住を提供してもらえているのも『彼女』のお陰でもある。偶然出会ったとはいえ、戦争孤児だった俺を拾ってくれと侯爵様に頼み込んでくれた恩がある。

 ……けれども最近は、その恩人である『彼女』が怨人おんじんに変わりつつあるのだが。




「ラスティーナお嬢様、起床の時刻です」


 俺の主人であり、恩人であり、幼い頃から共にこの屋敷で育ってきた幼馴染でもある、ラスティーナ様。

 彼女が横たわるベッドは、俺の使っている物の三倍はあろうかというサイズ。おまけに天蓋までついた、いかにもなお嬢様仕様のベッド。そこに向けて、俺が開けたカーテンの奥から朝日が差し込んでいく。


「うぅん……あと、少しだけぇ……」

「情け無い声を出さないで下さい、お嬢様。ほら、今日はご友人とお茶会があるのでしょう?」


 光から逃げるように、お嬢様は窓に背を向けて丸まった。

 子供の頃から朝に弱い彼女……ラスティーナは、こうして毎朝俺が起こしに来なければ目覚めない。彼女が勝手に一人で起きてきたところなんて、俺が拾われた十五年前から一度だって見たことが無かった。

 本当に寝たいのは俺の方だというのに……というか、こうなった原因を辿ればお前のせいなんですが?

 ……と、本音を暴露出来ればどれだけ気が楽になることか。

 このラスティーナという少女は、自分が貴族のお姫様であるという特権を振りかざしまくる。良くも悪くも、「このあたしがそうと決めたからそうなのよ!」的な自分至上主義で生きる子なのだ。

 それだけ傍若無人に振る舞っている分、自分の間違いを指摘されると泣き出すし、機嫌が直ったらそのお返しとばかりに無茶な要求を押し通そうとしてくる。

 結局そういった時に駆り出されるのは、幼馴染の俺ばかり。

 彼女の機嫌をとるのも、その要求に応えるのも、常に俺の仕事だった。


「アミシア家のお屋敷は王都の反対側ですから、早く支度をしなければ約束の時間に間に合いませんよ? いつもより早く起こして、と私に頼んだのはお嬢様ではありませんか」

「…………むぅ。それはそうだけどぉ……」


 まともに返事をしているから、もうしっかりと目は覚めているらしい。

 俺は散らかった本を棚に戻しつつ、更にお嬢様を説得していく。


「お茶会にはとびきりの茶葉を持参して、カタリナ嬢を喜ばせるのだとおっしゃっていたのは嘘ですか? 今日の為にわざわざ用意させた、大事な品でしょう?」

「……そう、よね。カタリナの為に、あなたに現地まで買い付けに行かせたのだもの」


 そうそう。

 貴方に『早く帰って来ないと減給するからね!』とか言われて、大急ぎで馬を飛ばして、寝る間も惜しんで買ってきた高級茶ですよ。

 万が一、それを無駄にされようものなら……うっぷ。想像しただけで吐き気がしてきた……。

 とにかく、その高級茶はカタリナというお嬢様仲間の慰問の品として買って来たものなのだ。確か、長年可愛がっていた愛犬が急死したとかで。

 こういう気遣いが出来るのは素晴らしいと思いはするものの、その気持ちが俺に向くことは一切無いのが辛さの境地。

 着替えと風呂の世話以外は全て俺がやっているというのに、感謝の一つも無いのは……精神的に、かなり来る。

 午後にでも侯爵様──つまりはラスティーナの父──に頼んで、しばらく休暇を貰えないか頼み込んでみようかな。流石に身体も限界に近いし……。




 *



 ようやくベッドから脱出したラスティーナを連れて、寝室を出る。

 その後は廊下で待機していたメイド達に任せ、彼女の着替えをお願いした。

 そこからはトントン拍子で朝食まで済み、馬車に乗ってカタリナ嬢の待つアミシア家の屋敷までお嬢様をお連れするだけだ。今日は他の予定は無いので、お茶会の間は少しだけ気を抜けるだろうか。


「待たせたわね、レオン。馬車の準備は出来ているかしら?」


 完璧なメイクと麗しい空色のドレスに身を包んだラスティーナは、見た目だけなら最高の貴族令嬢だった。

 俺を屋敷に引き取った翌年に亡くなった奥様によく似た、絹のように滑らかな純白の髪。それを後頭部でハーフアップにして纏め上げ、例のカタリナ嬢から贈られた薔薇の髪飾りがよく似合っていた。

 そんな彼女の従者として俺もお供をするので、それなりにきちんとした衣服を着用している。流石に貴族のお坊ちゃんには劣るが、ラスティーナが見た目に厳しい性格なので、髪の手入れも怠っていない。


「ええ、いつでも出発可能です」

「当然のことだけれど、お茶会に遅刻するようなことがあってはならないわよ?」

「それは勿論にございます」


 こういう余計なやり取りをしている暇があるなら、さっさと馬車に乗れば良いのに。

 ちなみにこの令嬢、朝から風呂に入らないと気が済まない。なので着替える前、メイドに身体を洗ってもらうところから始めなければならないのだが……もっと早起きすれば良いのに。マジで。

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