第93話 リセット ACT4

ああなんだかムシャクシャする。


目の前にあるステーキをナイフとフォークで切り分け、バンズに挟みガブリとかぶりついた。

ステーキの香ばしい肉の風味と、バンズに着いたソースマスタードの刺激が口に広がる。


「う、うまいですねぇ先輩」

「ああ、うめぇなぁ。でもすげぇボリュームだ」


「何言ってるんですか私のと比べたら、そんなんでもないじゃないですか」

「お前のと比べるな。お前のは特別ボリューミーだ」

「そうですかぁ、これくらいならペロリですよ」


そう言えば、先輩が中井さんを泣かせたって噂を訊いた時、部長と一緒に行ったファミレスで食べたハンバーグランチ。あれもペロリといっちゃったんだよねぇ。私ムシャクシャすると物凄く食欲刺激されるみたい。


ゴクリと飲み込んで、アイスティを後追いで呑む。口の中がさっぱりとしてくる。

「先輩」

目線を外の景色に向け、人が歩き流れていく様をずっと目にしながら思わず口にした。


「なんだ」


「先輩は……私の事どう思っているんですか?」


咀嚼していた口の中の物をごくりと飲み込んで

「どうって」


「……好きか、嫌いかですよ」


「なんだよいきなり」

「いきなりじゃいけないですか?」


先輩も、目線を上げ、外の景色を映しいれていた。

先輩とは一度きりだったけど、肌を触れ合わせた事実がある。

そのことを先輩はどの程度意識しているんだろう。


しばらく先輩は人の流れる様を眺めながら「分からねぇ」と呟いた。


「分からないって。どういう事なんですか」

「だから分かんねぇんだよ」


その言葉はまるで空気の様に、ただ透明な感じにしか感じない様な言葉だった。


「なぁ水瀬、俺さぁ。お前にしたら関係ねぇことなんだけど、俺が昔付き合っていた彼女が亡くなったことは知っているよな」

「ええ、知っています。先輩が学生時代に付き合っていたと言う人ですよね」


「ああ、友香って言うんだけど、彼奴とは5年間の空白の時間があったんだ。でも、友香とまた出会った時俺は彼奴を、彼奴が俺を、お互いに受け入れられねぇと思っていたんだ。絶対にどんな事情があるにせよ拒絶するもんだと決めつけていた。でもよう、実際に出会った時、俺はそんなことこれっぽっちも感じなかった。それは友香も同じだったと思う」


「それと私の質問はどう関係してくるんですか?」


「だからさぁ、分かんねぇだよ。友香を本当の意味で今失ってから、俺は友香と離れていた空白の時間て言うのが。人を好きになるて言う事が、俺にとってどれだけの事なのかさえも今の俺には分かんねぇんだ。ただ一つ言えていたことはお互いに、どんなに離れていたにせよ。本当の意味で俺たちは拒絶出来なかったという事だった。それが好きと言うか愛と言うのかそう言う言葉で表していいんだろうか。その気持ちが形として俺はつかみ取れねぇんだよ」


「また、戻りますか……前の先輩に。生身の女性を拒む先輩にまた戻りたいと思っているんですか」


「さぁな、でも……それはもうねぇんじゃないかなぁ。……多分な」

私の顔を見つめた。その顔はとても優しい顔をしていた。


「はぁ、私んの存在って何なんでしょうね」


「……、俺にとって水瀬は水瀬だ。今はそうとしか言えねぇ」


「そうですか。でも先輩にとって繭ちゃんは特別な存在の位置にいるという事でいいんですか」

「繭かぁ、特別な位置って言うのは、お前が求めた答えと同じ事を意味しているのか?」

「それは私からはそうだとは言えません」

正直にそうだという事を言いたくない。


「……今は、今お前に返したのと同じ答えだ」


物凄く歯切れが悪い。どうしてこうスパッと出来ないんだろう。この人は。

確かに元カノさんが亡くなったばかりだからと言えば、その心情を察する事も出来るけど、私が描く線。糸の軌跡はまだ霧の中に包まれている感じがする。

ぼっそり私は先輩に聞こえない様に言ってやった。


「浮気しちゃうぞ」


それが今の私たちの関係に、何かを意味するものでもないことくらい、私は知っている。


それから3日後、社内コンテストの結果が発表された。



「システム部門最優秀賞 上村達也うえむらたつや

作品概略説明。

既存コアベースにAI予測構築ベースを組み合わせた、予測ビジネス戦略の構築システム。あらゆる事態に対し、AIが学習した条件を考査させ、最高値と最低値のアベレージを均等化させ、最も安全な回避方法を予測提案する提案型基幹システムの初期ベース……

「奨励賞……」



なかった。


私の名前、水瀬愛理の「み」の字もなかった。


そっと私の肩に手が添えられた。

振り向けば私の後ろに先輩の姿があった。


「残念だったな」

「うん、でも仕方ないですよ。この最優秀賞を取った上村さんて長野さんのチームの方ですよね」

「ああ、そうだな。彼奴意外とこういう感じの事、先行的に提案していたからな」

「そうなんですか、やっぱり敵わないなぁ。私なんてまだまだだっていう事なんですね」

「そうでもねぇと思うぜ。俺は」

「……先輩」

 まったく本当に先輩は優しい。優しすぎるよ。なんだか泣けてきちゃう。


「あ、そうだ水瀬、部長が呼んでいたぞ。ああ、でも何でか分かんねぇけど屋上で待っているって言ってたな。最近部長屋上好きだよな」

苦笑いしながら先輩はオフィスに戻った。


屋上に行ってみると部長が金網フェンスのコンクリートで出来た固定脚の所に座ってスマホで電話をしていた。なんだかとても楽しそうに会話している感じだった。多分相手はアメリカ支社の誰かじゃないのかなぁ。悠長な英語が音楽の様に流れるように聞こえていたから。


ふと私の姿を見つけると「See you later.またあとで」と通話を切った。


「来たねぇ水瀬さん」いかにも待っていたよって言うのが感じられるように、にこやかに私に言った。


部長の呼び出し、何か良くない事での呼び出しかとも思っていたけど、そう言う訳でもないらしい。あの表情は業務中と言うよりは友達としてのマリナさんの表情だったからだ。


ビル風が、マリナさんのその長い金髪の髪をたなびかせた。


綺麗だ。透き通るような白い肌にすっと整った目鼻にブルーの瞳がまるでフェアリーの様に見える。今にでも翼が生えて、空に私を誘ってくれそうなそんな雰囲気が彼女を包み込んでいた。


「どうしたの? そんなに私を見つめちゃって」

「あ、え、ええええッと。相変わらず綺麗だなぁって」


「あら、嬉しいじゃない水瀬さんの様な若い子にそう言われると嬉しいわよ。でももう30過ぎているおばさんだけどね」


「マリナさんはもしかしてエルフじゃないんですか?」

「エルフ? ああ、フェアリーの一種だったかしら」


「エルフは年を取るのが物凄く遅いんですよねぇ。だからいつまでも若いままでいられるんですよ」


「それは私がまだあなたと同じくらいで通用するってことかしら」

「十分通用しますよ」


「そっかぁありがとうね。でもさぁそれなのに、私のささやきに感じもしない浩太はどんなもんかしらねぇ。まったくもう!!」


「あははは、それ分かります。先輩そうなんですよねぇ。私にもそうなんですもの」


「はぁ私達、浩太にとっては似た者同士っていう事かしら」

「かもしれませんね」

「あの野郎め!」と言いながらも、先輩の話をするマリナさんの表情は嬉しそうだ。


「ところでご用件って何でしょうか?」


「社内コンテストの結果見た?」

「なははは、見ました。惨敗でした」


「うふふ、そうね惨敗だったね。でもごめんねぇ、水瀬さんを落選させたの私なの」


「えっ! それってどういう事なんですか?」


「本当はあなた大賞候補に挙がっていたのよ。でもね私が却下しちゃった」

「それって……マリナさんの嫌がらせ……ですか?」


「そうかもね……」

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