第58話 遠からずも俺の傍にいろ ACT6

準備よし!

さて出かけるとするか。


ドアを閉め鍵をかける時、本当に先生の所に行ってもいいんだろうかと言う思いが湧き出て来た。


鍵を閉めようとする手が一瞬止まった。


それでも思い直し、私はアパートを後にした。


手ぶらではいけない。駅前の商店街で何か手土産でもと思い、お店を遠目にしながらゆっくりと街の中を歩いた。

これと言って何か浮かんでくるものはなかったけど、ふと先生、イチゴのショートケーキ好きなんだって、言っていたのを思い出した。


駅に隣接するデパートの中に行けば何かあるかと思ったけど、どうせなら、前からちょっと気になっていたケーキ屋さんに行ってみようと思った。


こんなことでもないと行くこともためらってしまう。だから今日は特別に行くことにした。


ショーケースに綺麗に並べられているケーキ。

まるでショーケースの中が華やかな別世界のように感じる。


イチゴのショートケーキ目当てだったけど、あまりの綺麗さに他のケーキにどうしても目が行ってしまう。

そして気が付いた。ショーケースの中にイチゴのショートケーキが見当たらないことを。


店員さんに

「済みません。イチゴのショートケーキはありますか?」と、聞いてみる。

それを訊いた店員さんが「少々お待ちください」言い、後ろの方に確認を取りに行った。


「お客様、済みませんあと7・8分くらいお待ちいただけますか? それくらいで出来上がるそうですけど」


「はい、大丈夫です」

「何個ご用意いたしましょうか?」


あ、そうだどれくらいがいいのかなぁ。先生の分だけじゃないだろうし。こういうふうに手土産なんか買う事もなかった私は、どれくらいの数が必要なのかもわからず困惑してしまう。


「お土産ですか?」と、店員さんがにこやかに訊いてくれた。

「そうなんですけど、何個くらいがいいんでしょうか?」

思わず訊いてしまった。


「そうですねぇ、ご家族とかの人数が分かれば、それに合わせての方がいいんですけど、分からなければ無難なところ、3個か4個くらいがいいのではないでしょうか。あくまでも参考ですけどね」


にっこり微笑む、その笑顔がお店の可愛らしい制服と合わさり、とても可憐な印象が私を和ませてくれた。

いいなぁ、こんな感じの所で私も働いてみたいなぁ。

そんな衝動をも感じさせてくれた。


「それじゃ、4個で」

「はい、かしこまりました」まるでお人形さんがお相手してくれているように可愛い。


水瀬さんのコスプレ衣装とは違う何だろう。ここだから映える衣装なんだと思う。


まだ少し、時間がある。

歩道に面した大きなウインドに目をやり、ぼんやりと行き交う人の流れを見ていた。


そこにまるでスローモーションの様に私の目に飛び込んできた二人の姿。


浩太さんと水瀬さんだった。

まだここら辺にいたんだ。


浩太さんが、多分甥っ子さんへの誕生日プレゼントだと思う手さげ袋を片手に持ち。肩を触れ合わせるように楽しそうに。ううん、なんだかとても幸せな感じが、私の方にも感じられるような雰囲気で歩いていた。


お似合いだよね。浩太さんと水瀬さん。


それによかったね。

少しづつでも、何かを取り戻しつつある浩太さんのその姿を見て、私の想いはまた一つ剥がれ落ちた。


それでいいんだよ。

……そうそれで。


「客様お待たせいたしました」


お店を出た時もう二人の姿は街の中に消えていた。


駅で路線図を見ながら、乗る電車のホームに立つ。

ゴー、カタンカタン。ホームに入線する電車の小気味よい音と、ふわっと舞う風が私の気持ちを包み込んだ。


車内は意外と空いていた。

椅子に座りながら、いきなり行って大丈夫だろうか? という不安がよぎり始めた。


電話の一本くらい入れておくべきだったんじゃないのか? 先生だって予定があるかもしれないし。

でも担任がくれたメモには、電話番号は書かれていなかった。


確か、私の前のスマホ。あれには鷺宮先生の電話番号登録してあったんだけど、今は持ってきていない。


流れる車窓を目にしながら私は、次の駅が降りる駅であることを確認して減速する電車と共に席を立った


初めて来る駅。そして町。


どことなく静かな商店街が駅の正面から延びていて、すぐに住宅街に繋がっているような感じの町だ。


日差しが今日は強く感じる。


今朝、浩太さんと話したなぁ。もうじき夏だって。ううん、私はもう夏だよって言い返したんだよね。

本当に日差しは、もう夏の日差しを感じさせるほど、強く、そして、痛い。……刺す光の肌の痛みよりも、心の中の痛みの方が増していた。


駅から歩いてさほどの距離でもない。そこに目的の家はあった。


箱型の2階建てのモダンな家。シルバーっぽい外壁に玄関のドアの幅に合わせ、黒の帯が描かれていた。


柵の向こうに見える庭には、色とりどりの花たちが咲き誇り、通りすがる人たちの目を楽しませてくれているんだろう。


門扉の前で私の足は止まった。


鷺宮さぎのみやと書かれた表札の横にあるインターフォン。

それを押せば私が来たことを、この家の中にいる人に伝えることが出来る。


でも私の体は動かなかった。


まだ迷っている。本当に来ても良かったのかと。

鷺宮先生に会ってもいいのかと……。


今ならまだ間に合う。会わないで帰ることだって出来る。

もしかしたら、その方がいいのかもしれない。

だんだんと私の思惑は、会う事の意味を失いかけていた。


やっぱり……。と、思いかけていた時。

玄関の扉が開いた。


「もしかして、梨積さん?」

その声に私は視線を玄関の方へと向けた。


鷺宮先生。


「梨積さん、繭ちゃんよね」

門扉の前で立ちすくみながら、コクリとうなずいた。

先生は私の所に来て、しっかりと抱きしめた。


「本当に繭ちゃんだ。来てくれたんだ、嬉しいよ」

「先生、ごめんなさい。何も連絡してなくて」

「ううん、いいの。こうして来てくれたから、それで十分だから」

嬉しさの余る先生の声は潤んだ声に変っていた。


「さぁ、入って、外は熱いでしょう」

私を家の中に招いてくれた。


私の体から離れた先生の姿を見た時、前のあの姿から大分変っているのを感じた。


あの長く艶やかな黒い髪は短く切りそろえられ、体全体が以前より痩せていた。なんだか一回り、小さくなったような感じがした。



やっぱり、体……悪いんだ。

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