第15話 雨降りの日に……
5月ももう時期終わる。紫陽花の花が見られるようになるこの季節。
思いもしない雨が降ることはよくある。
電車を降りて、アパートまでの道のりを歩いていると、ぽつりぽつりと空から水滴が落ちてくる。
「ああ、やっぱり降ってきちゃった」
買い物しようかどうか迷った、見上げる空、雲行きが怪しいから出来るだけ早く帰った方がいいと思っていたけど、アパートに辿り着くまで空は待ってくれなかったみたいだ。
次第に雨は強さを増してくる。
乾いて白っぽかったアスファルトが、見る見るうちに黒く塗りつぶされていく。
「やばいなぁ、傘持ってこない日に限ってこれだよ」
速足で歩いて早くアパートに着こうとしたが、着いた頃には制服はすっかり濡れていた。
それどころかブラまで湿っぽい。
「クシュン!」
早く着替えないと。
制服脱ぎ捨て、ハンガーに掛けて乾かす。
そうしているうちになんだか寒くなって来た。
もうシャワーを浴びちゃおう。
ブラもパンティーもその場に脱ぎ捨て、シャワーを浴びた。
冷えた体に温かいお湯が心地いい。
ふっとした瞬間ぐらっと視界が揺れた。
今朝起きた時から少し熱ぽかった。学校にいた時はそんなに気にならなかったけど、ゾクゾクと寒気がする。
「なんかやばそう……」
スエットに着替えて髪を乾かしていると、もうグラグラと目の前が揺れ出してきた。
体が異常に重く感じてくる。何とか布団を敷いて横になると今度はゾクゾクが体の震えに変わって来た。
もしかしてほんとにやばいかもしれない。
頭がガンガンとし始めて来た。
寒い、いや寒い訳じゃないけど体が震えている。
「はぁ~、死ぬのかなぁ……。別に私なんてこの世から消えてしまえばいいんだ。ようやく消えられるのかなぁ……」
それからの意識はなかった。
気が付くとうっすらと黒い影が見える。
何だろう大きな影の様なもの。
次第にぼやけた視界がはっきりとしてくる。
私の横であぐらをかいてうつらうつらとしている……山田さん。
手を出してそっと山田さんの体に触れさせた。
本当に山田さんだ、夢なんかじゃない。
そのとたん温かい気持ちと安心感がして、なんだか分からないけど涙が溢れて来た。
「起きていたのか……」
そっと山田さんが私の顔を見つめている。
「何泣いてんだ」
「分かんないよぉ」
勝手に涙が出てきているんだから。
私の額に手を添えて「んー良く分からないなぁ」
今度は自分のおでこを私のおでこにくっつけた。
ドキンっと胸が高鳴る。
かえって熱が上がりそう。
「やっぱまだ熱ありそうだな。体温計壊れていたから明日買ってくるよ」
「うん」コリとうなずいた。
「なんか飲むか? それとも腹減ってないか?」
「あ、そうだ夕食の支度……」
「馬鹿だなぁ、こんなに具合悪いのにそんな心配すんなよ」
「ごめん」
ゆっくりと体を起こした。体中がきしむように痛い。
今何時なんだろう……。箪笥の上にある時計を見ると午前2時だった。
「山田さん、大丈夫? もう2時だよ、自分のところで休んだら」
「ああ、でも繭をほっとけないだろ。かえって心配で眠れねぇよ」
「お布団一つしかないから」
「いいって、そんなに寒くないし、ここで横になっている分には大丈夫だ」
カップにスポーツ飲料を入れて渡してくれた。
ゆっくりと飲むと、喉に沁みて痛い。ゴホゴホと咳が出てくる。
「無理しないで少しづつ飲め」
「うん、ありがとう」
ふと、私が今着ているものが違う事に気が付いた。
「あのぉ……山田さん。もしかして着替えさせてくれたの?」
「ええ、っと。ま、まぁな。汗かいていたから、でも見てないから。見ない様にしてやったから……ごめん」
「何謝ってるの? こっちこそありがとう。別に気にしなくたっていいよ。山田さんだもん」
「ふぅ」と山田さんは壁に背中を押し付けて
「まぁ、ゆっくりと休め。今日はずっといてやるから」
「ありがとう」
私の部屋は山田さんの所と比べると、半分くらいしかない。
大家さんから聞いた話なんだけど、設計ミスだったらしい。仕方なく物置にしてたんだけど、もったいないから格安のワンルームに改装したんだけど、この狭さはやっぱり借り手がつかなかったらしい。そこに私が入って来たから大家さんは喜んでいた。
布団を敷くと部屋いっぱいになる。
でも私一人だったらそれでも十分だ。
それに、ほとんど山田さんの部屋にいることの方が多いから、私のこの部屋はただ寝るだけの部屋になっている。
「山田さん」
「ん、なんだ」
「なんだか出会った時と逆になっちゃったね」
「ああ、そうだな。なんか物凄く懐かしく感じるよ」
「私も……」
「もう休みな繭」
「そうする。納戸に毛布あるからそれ使って」
「ああ、分かった」
傍に誰かいてくれるこの温かさ。それが山田さんだからなのかな。物凄く安心できた。スーと私はまた眠りに落ちていく。
……繭、繭
誰かが私を呼んでいる。
元気だったか繭。私の頭を愛おしくなでてくれている人。
お父さん……。
ほら今年も庭の紫陽花が綺麗に咲いたよ。
雨に濡れる紫陽花の花はしっとりとした、その淡い色を目に焼き付かせてくれた。
「私はこの紫陽花の
「そうかぁ、お母さんが一番好きな花だったんだ」
そのお母さんは、私が幼いころに病気で亡くなっていた。
私の記憶にあるお母さんの姿は、写真立てにあるあの写真の中のお母さんしかない。
綺麗で優しそうな面影のお母さん。
その姿を見ながら私とお父さんは、ずっと二人で暮らしてきた。
ある日、私たち二人の仲に新しいお母さんがやって来た。
綺麗な人だった。
でも私はその人には馴染めなかった。
いつしかその反動は私に向けられるようになった。お父さんの知らないところで……。
じっと耐えていた。泣くもんかと心に決めていた。
それでもお父さんには、いつも私は笑顔を見せようと頑張っていた。
そんなお父さんが突如事故で亡くなった。
ちょうど今頃だろう。火葬場の花壇に咲いていた紫陽花が今も目に浮かんでくる。
その日を境に新しいお母さんは私に対して、暴力を振るうようになってきた。浴びらせる嫌味と罵声。
いつしか知らない男の人が家の中に出入りするようになっていた。
その男の人とあの人は籍を入れ、私は二人から疎外された。
ただそれだけならまだよかったのかもしれない。
名義上親権者となった父は、私の体を求めた。
抵抗しても母は何もしなかった。
もうどうでもよくなった……。あの時本気で死のうと思った。私なんかいても、いなくても誰も悲しまない。
だったらその存在を消せばいい。でも……死ねなかった。
気が付けば私は家を出て街の中でさまよっていた。
そんなとき、私はある男の人に拾われ、3か月間その人の所で暮らした。
優しさ、温かさは感じなかった。ただ、食べるものと寝るところが確保できたくらいだった。
私は毎晩のようにその男の人に抱かれた。
ううん、その人だけじゃなかった。それでも、ここから逃げれば行く先もない。食べるものも、住む所もないんだから。
だけどもう限界だった。その男が買ってくれた下着や服を持てるだけ持って、その男の所をこっそり出て行った。
そんなある日、私は街中を歩いているところを補導された。
義理の両親からは捜索願いは出ていなかった。
けれど、学校の担任が、心配して警察に相談をしていたらしい。
一時施設に身を置くことになった私の所に、一人の弁護士が訪れた。
亡くなったお父さんとお母さんからの贈り物を届けに……。
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