45食目 漆黒の翼

 私がそれに気が付いたのは、ノエルと一緒に刺激的なムスペル料理の昼食を食べ終えた帰り道のことだった。消え入りそうな、小さな悲鳴のような声に振り向くと、それは体に見合わない小さな籠に押し込められていた。

 手のひらくらいの大きさの籠の中から私を見つめていたのは、真っ黒な小鳥だった。羽も足も目の色さえ、すべてが闇より深い黒だ。露店の天幕から無造作に吊るされた紐が、頼りなく小鳥の収まる籠を揺らしている。

 私はふらふらとその小鳥の前に吸い寄せられ、じっと視線を交わした。


「お嬢ちゃん、こいつを買わないかい? 安くしとくよ」


 褐色の肌色が特徴的な小太りの中年男性はこの店の商人だろうか。声を掛けられてようやくこの小鳥が商品なのだと気が付いた。装飾品や衣服、怪しげな置物や香辛料まであることからどうやらここは雑貨店らしい。


「あっ……いえ、私はあまり持ち合わせがなくて……」


 何だろう、この鳥……どこかで見たことがある気がする。


「レティシア様、この鳥が気になるのですか? 随分珍しい色をしていますね」


 真っ黒で艶やかな羽色をしたつぶらな瞳の小鳥は、弱々しく鳴いた。訴えかけるような眼差しでこちらを覗く。


「お兄さん、お目が高いですねぇ。黒い羽の鳥なんて見たことないでしょう、黒影鷲コクヨウシュウしかその羽色を持たないと言われてる呪われた黒い羽! これは珍品ですよぉ」


 黒影鷲……そうよ、思い出したわ! ディオンの屋敷でこの小さな鳥を見掛けたんだわ。


 塔にいる時に本で読んだことがあるが、この世界で黒い羽を持つ鳥類は存在しないのだ。唯一、黒影鷲のみが黒い羽を有しているらしい。しかしこの小さな鳥は、私の知る人型の黒影鷲ではなく可愛らしい如何にも人畜無害そうな小鳥なのだった。


「おじ様、この鳥は黒影鷲なのですか?」

「そんなわけないだろう、あいつらは人型だしもう国の兵やらに駆逐されたって話しだ。だからこそ、この鳥は珍しいんだ。どうだ? 買うか?」


 買うか、と言われても私は先を急ぐし動物を買うお金もない。それに無責任に命を売買したくもない。村で家畜を飼うのとここで動物を買うのとではわけが違う。


―――でも……このまま閉じ込められてるのは可哀想。


 可哀想という感情だけで、生き物の命を買うことなんて出来ない。しかし弱りきった様子のこの小鳥を見過ごせるほどの非情さも持ち合わせてはいない。

 私が意を決して口を開くよりも先にノエルが遮るように口を開いた。


「店の主人、この鳥はどこで手に入れたのですか?」

「えっ? そ、そりゃあその辺を飛んでたから捕まえて……」


 ノエルの質問に商人は目を泳がせて困惑していて、見るからに怪しい挙動だ。


「ということは、密猟で手に入れた粗悪品をこのような高値で売っている、と」


 ノエルが値切ってる―――!?


 しかし私はすぐに察した。ノエルは値切っているわけではない、この小鳥を買うのではなく手放させるつもりだ。この威圧感、鋭い眼孔、ノエルは本気だ。


「この鳥は随分と弱々しいですね。どこか怪我をしているのか病を患っているのか。それにこの様子だと餌も与えていないのでしょう。ご存知ですか? イグドラシル聖王国では資源を適切に管理するため無断で猟をすることは禁止されているのです。それに、こんなに珍しい生き物を国に報告もせず売り捌くことも、許されてるとは思えませんが……ねぇ」


 商人は返す言葉もないようで、周りから向けられる視線を気にしたり悔しそうに視線を俯かせるだけだった。やがて、ノエルの責め立てに堪えられなくなったのか小鳥の入った籠を取ると、無造作に私に押し付けてきた。


「も、もも持ってけ! そんな不吉で気味の悪い鳥なんかこっちから捨ててやる! くそ、あんたら覚えとけよ!」


 早口にそう告げると、私達を追い払うように手を振った。


「さぁレティシア様、行きましょう」

「あっ……し、失礼しました」


 ノエルに優しく誘導されつつ、籠を手にして私達はその場を離れた。


 どうしよう、無銭で品物を奪ってしまった。


 後ろを振り返るが商店は人混みも相まって既に見えなくなっていた。


「ノエル……私、泥棒をしてしまったの?」

「何を仰るのです。この鳥は気前のいい商人から譲り受けたのです、無銭だろうと気になさらないでください」


 とてもそうとは思えないのだけど……もうどうしようもないわよね。


 あの様子では今更返したとしても受け取ってくれないだろう。


「ありがとう、ノエル。この子を助けてくれて」

「私はあの男の発言が気に入らなかっただけです。黒が呪われた色だと言われるのは存外、不愉快なことでした」


 そういえば、ノエルの髪も黒色……自分のことでなくとも悪く言われるのは嫌よね。多少は慣れたけど、私も自分の太った外見を他人にとやかく言われるのはいい気持ちではないもの。


「ノエルの髪はとっても綺麗だわ。時々、見惚れてしまうことがあるくらいだもの」

「そ、そうですか。そのように思っていただけて光栄です」


 私は恐らく喜んだ様子のノエルと並んで歩く。小鳥の入った籠を人から見えないよう両手で胸に抱え、あまり振動を与えないよう気を付けた。割れ物や熟れた果実を抱き締めるように、大切に。


 それにしても、この小鳥は何故この辺りを飛んでいたのかしら。ディオンの屋敷からは随分遠い場所だし、あの時の小鳥とは違う子なのかしら。


 そうして、あれこれと考えているうちに宿屋に着いてしまった。


「ねぇノエル、この子どうしたらいいのかしら。私、生き物はお世話したことないのだけど……」

「ご心配には及びません。このノエルにお任せください。鳥の世話など、子供の世話より容易です」


 そうは言っても、すべてをノエルに任せるわけにはいかない。こうなったのは私の責任なのだから。私が足を止めてこの小鳥を興味深く見つめていなければ……そうしていなければ。


―――この子、死んでいたかもしれない。


 私は、全身に鳥肌が立つのがわかった。物好きな人が優しく世話をしてくれたかもしれないが、あの様子では衰弱死する未来しか見えなかった。不気味で、不吉で、恐れられるこの小さな鳥は、あの場所にいて幸せになれただろうか。

 私は胸を締め付けられながら、ノエルと共に宿泊する部屋へと戻った。窓や扉が閉まっていることを確認して、籠をテーブルの上に置く。


「えっと、この子何を食べるのかしら」

「鳥は木の実や昆虫を食べることが多いですから、余っている乾燥果実を与えてみましょう。水はこの器に……」


 ノエルは荷物から余っていた果実をテーブルに置き、森で汲んだ水が入った水筒から手持ちの器へ水を少しだけ注いでくれた。


「準備は出来たわね、籠を開けてもいいかしら?」

「はい。もし攻撃された場合は叩き落としてもよろしいですか?」

「だ、駄目よ。身を守るだけにしてね」


 私はノエルの危なっかしい発言に釘を刺し、いよいよ籠のつまみに手を掛ける。


 もし本当に攻撃されたら……いいえ。この子は黒影鷲と羽の色はそっくりだけど、それだけ。きっと大丈夫。大丈夫。


 粗雑な籠の扉を恐る恐る開くが、小鳥はじっとしていて動く気配がない。警戒しているのだろうか、それとも弱り果てて動くことも出来ないのかと不安になる。


「ほら、ご飯よ。これはね、とっても美味しい乾燥果実よ。食べてみて」


 小鳥に人の言葉が理解出来るとは思っていないが、優しく語りかけながら乾燥果実を摘まんで目の前に置いてやる。すると、恐る恐ると果実をつっつき、ちまちまと食べ始めた。


 か、可愛い……。


 安全で美味しい食べ物だとわかったのか、小鳥は次々に乾燥果実を啄んでいく。愛らしいほど丸い体をぷるぷると震わせて食事をする様子に胸がきゅっとして堪らなくなる。


「レティシア様、この鳥はいかがなさるおつもりですか?」


 小鳥が器に入った水に近づき、中に入ると水を浴びながら飲んでいる。艶やかな黒い羽は水を弾き、光を含んで輝いていた。


「元気になったら自然に返してあげたいけど、この辺りだとまた変な人に捕まるかもしれないわね……どこか安全な場所に放して―――」


 この小鳥の処遇をどうするか考えあぐねていると、小鳥は満足したのかその漆黒の翼を広げてバタバタと部屋を飛び始めた。


「きゃっ!」


 目の前を横切ったり天井付近をぐるぐると縦横無尽に飛び回るので、ぶつからないように身を低くして避ける。


 一先ず、元気になったみたいで良かったわ。


 一頻り飛び回ると、小鳥は緩やかに私の肩へと着陸した。私のことは警戒していないのだろうか。頬に小鳥の体が触れると、私は今まで感じたことのない高揚感にも似た気持ちがぐんぐんと立ち上がってくる。


「さ、さらさら……つやつや……ふんわり……」


 私の脳内はすっかりこの愛らしい小動物のことでいっぱいになる。


「ノエル、この子すごく肌触りがいいわ。少し触ってみて?」

「は、はい……」


 ノエルはあまり気乗りしないようだったが、ゆっくりと人差し指を小鳥の背中に這わせる。その瞬間、小鳥は甲高い声を上げて私の肩から飛び立ち、ノエルも驚いたと思うとすぐに窓へと向かい窓を開け放つ。


「ど、どうしたの―――あっ!」


 小鳥は外の気配を察してすぐに広い空の向こうへ飛び立ってしまった。

 余りにも一瞬のことで、ただただ小鳥の飛んでいった空を窓から見上げることしか出来なかった。


「行っちゃった……」


 小鳥に触れた途端、ノエルは驚いた様子で体を引いていたので何かあったのだろうとは思う。小鳥の鳴き声に驚くほど彼の精神は軟弱ではないことは知っている。だから、余程のことだろうと察しが付いた。


「レティシア様! お体の具合は大丈夫ですか!?」

「えっ?」


 ノエルは焦った様子で私の肩を掴んだ。掴んだと言っても、優しく確認するように触れただけだ。手のひらの暖かさを感じると、そこにばかり意識が集中して心臓が高鳴った。


「あ、あの……ノエル……」

「はっ……も、申し訳ありません」


 ノエルは私の肩から手を放すと、目線を落としてしまう。


「気にしないで。でも、本当にどうしたの?」

「はい……実は私があの小鳥に触った時、奇妙な感覚を覚えまして……」

「奇妙な感覚?」

「はい。恐らくあの感覚は、魔力を奪われていたのだと思われます。私も初めてのことなので憶測に過ぎませんが」


 あの小鳥が魔力を奪った……?


「そんなことが出来るの?」


 今の私達の生活は魔力によって支えられ、それは夜を照らす明かりから調理の熱源など様々なことに使われている。道具や魔石に魔力を込めることで使用出来るものが多いが、それはあくまでも魔力保持者が魔力を与えるものだ。


「私も魔力を吸い取るというのは聞いたことがありません。もしそんなことが出来るなら……世の中は混乱してしまいます」


 私は勿論だが、ノエルさえも驚きを隠せないほどの事態に直面してしまった。

 あの小鳥が魔力を奪えるなら、他にもそういった生き物や道具だって存在するかもしれない。


 大変な事態だわ……もし人間同士で力の奪い合いになれば国力の逆転も出来るし、最悪の場合は戦争だって……!


 戦争はもう数百年以上起こっていない。それは我が国の圧倒的な国力によって統制されているからだ。歴史に残らない小競り合いはあっただろうが、平和な世界だ。その平和が崩されるかもしれない。


「申し訳ありません、判断を誤りました。あれは捕まえて籠に……いえ、抹殺すべきだったかもしれません」

「誰にでも間違いはあるわ。それより、急いでさっきの小鳥を追い掛けましょう!」


 扉に駆け出す私の言葉にノエルは難しい顔をして立ち尽くす。


「レティシア様、お言葉ですが……どこへ行ったのかもわからない鳥を探すのは容易ではありません。あれは得体が知れぬ危険な鳥ですし、我々は先を急がなくてはなりません」


 ノエルが言うことは正しい。私は何よりも父上に―――聖王に会わなくてはならないのだ。そうしなければ私の、私達の平和はない。


「わかっているわ。それに私には魔力も腕力もないし、出来ることなんてないかもしれない。でも……危険なら放っておけない! 私は、貴方と過ごす時間が好きだから……この世界が好きだから、それを脅かす危険因子を放置なんて出来ない!」


 追われる身のくせに、何を言っているのだと自分でも思う。無力なこの手で守れるものなんてないかもしれない。それでも、今やれる最善のことをやりたい。

 傲慢な私の態度にノエルは少し困った顔をして扉に近づいた。


「レティシア様はお人好しですね。世界平和に興味はありませんが、私はレティシア様の執事です。すべて貴方様のご意志のままに」


 ノエルは扉の取っ手を握る私の手に自分の手を重ね、慈愛に満ちた優しい微笑みで見つめてくる。至近距離で見つめられると、まるで猟師に狙われる獲物になったようだった。獲物と私の違う所があるとすれば、今にも心臓を射抜かれてしまいそうなのに、早くなるその鼓動が心地よかったことだろう。


「お人好しだなんて、私は皆に優しいわけじゃないわ」


 獲物の強がりは猟師には通用しない。彼は僅かに笑うと、重ねた手を深く絡めた。


「私はそんな貴方様を敬愛しております。誰よりも―――」


 私は恥ずかしいような耐え難い気持ちになり、添えられた手の温もりを振り払うように慌てて扉を開いた。小鳥を探す手懸かりもないまま、私達は足早に歩を進めたのだった。

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