02 私の天使

002


私の寒々しい屋敷に小さくて愛らしい天使がやってきた



―― 彼女を見つけた日の僥倖を私は生涯忘れないだろう






(今日も彼女を泣かせてしまった……。何がいけないのだろうか)


屋敷の若き主 サフィールは、なかなか心を開いてくれない愛しい人を思って悩ましげに息をついた


深い森の奥にひっそりと建てられたこの屋敷には家主であるサフィールと数名の使用人と一緒に住んでいる

かつて王家専属の魔術師であったサフィールは、反派閥に陥れられ被った冤罪で牢に入れられ一年ほど拘束されていた

その疑いが晴れた後、うんざりしていた城務めを辞めここに引きこもった


今の仕事は、王宮魔術師の名誉顧問のようなもので、送られてくる書類の添削や定期試験等の問題作成を行っている

ごくたまに王宮に仕える魔術師らの相談窓口もしているがそれも書面でのやり取りのため、ほとんど机と向かい合う生活を送っていた

完全な隠居生活で気楽だが、世と関わる事を殆どやめ感慨のない虚しい日々を過ごしていた


その日も彼は日課としていた屋敷の前の除雪作業をしていた

一日中机に張り付いて普段体を動かさない為、いい気晴らしになるのでほぼ毎日欠かさないようにしていた

執事のドルドには雪かきなど主がすることではないからやめてくれと言われているが、彼の心配性は今に始まったことではないので無視していた


屋敷の周りの道を確保できたのでそろそろ戻ろうかとした時、雪面にどさりと何か重いものが落ちた音がした

木々や屋根から雪が落ちたのかと思ったがそれにしては音が大きい

野生の鳥獣の可能性を考え恐る恐る音のしたらしき方に向かった


(·····人だ)


子どもか?

小さな人が倒れていた


突然動いて魔術や呪術を掛けて襲ってくるかもしれないと警戒しながら近づいていく

半径50cmほどまで近づいてみたが、その人はぴくりとも動かない


(死んでいるなよ。面倒だから)


自分の領地で死体など見たくもないし処理したくもない


「なあ、大丈夫か? 」

声を掛けるが返事もなくやはり動く気配もない

警戒を解かずにその人の傍らに膝をついた


太陽を思わせるゴールドブラウンの艶のある長い髪

異邦の国を思わせる大きめで少しくたびれた薄茶色の服

顔は雪に埋もれているのと長い髪のせいで見えず、華奢な背格好から男女の区別はつかない


手を伸ばし小さな人の顔にかかっていた髪をそっと払い、指先で邪魔な雪を掻いて退け、口元に手をやろうとして言葉を失った


(美しい……)


恍惚として息をついた

覗き込んだかんばせは、まさに小さな天使だった

整った可憐な顔は、崇高さと清楚さを併せ持ち、触れれば危うい様な儚さを醸し出している

長いまつ毛に縁取られた目は閉じられ、苦しげに眉を寄せており、透き通るような白色の柔らかそうな肌は寒さからかやや青ざめていた

一瞬にして目に入った小さな人の可憐で蠱惑的な容姿にサフィールは思わず唾を飲んだ


〈ん……edpikpif……〉


気を失っているらしいその人はサフィールにはわからない言葉で吐息まじりのうわ言を漏らした

まだ幼さの残る声色だ

しかしその小さな声はサフィールの胸にとてつもなく甘美な痺れをもたらした


(ほうけている場合ではない。とにかく早く中へ)

サフィールは壊れてしまいそうなほど華奢なその人を慎重に抱き上げた


(女の子だ)

痩せてはいるが女性らしい曲線や柔らかい感触がある

大事に抱えながらサフィールは屋敷へと戻った




**********




屋敷へ入ると執事がタオルを持って待っていた

優秀な執事は窓から主人の様子を見ていたのだろう

サフィールは一番広い客間を開けるように命じ、彼女を運び込んだ


彼女を寝かせたベッドの端に座り一息つく

(気を失っているだけのように見えるが……)

タオルで雪で濡れた髪や顔を拭いてやりながら彼女の様子を間近で確認するが応急処置しか知らないサフィールは彼女を安静にしてやるしかない


後ろでその一連の様子を気味の悪いものを見るように監視している執事のドルドに向き直る

彼に屋敷で保護する伝えると、気でも狂ったのかといった形相で正気なのかと問われた


「サフィール様、その、私も差別的な事は申し上げたくはございません。

ですが、どうして御館様とあろう方が、宵の民などを保護されるのです?

よろしければ私が売りに出します」

「宵の民? 売るだと?」


サフィールは執事のドルドの言葉があまりにも辛辣でなおかつ予想外の内容だったので軽く耳を疑った



―― 宵の民


【宵の民】は【影の一族】であるサフィールたちの住まう世界の住人であるとは別の裏の世界に住む野蛮な一族の事を指す

野蛮な、というのは彼らが獣のようないかつく四角く張った顔立ちをしている為にそう評される

彼らはたまにこちらの世界に迷い込んでしまうが大体が奴隷として肉体労働に利用され虐げられる存在であった


「ドルド、この人が宵の民に見えるのか?

こんなにかわいくて美しい人を?」

「サフィール様……?」


ドルドは目をひん剥いて唖然としており、稀に見る驚きと呆れに満ちていた

メイドにも少女を見せたが、醜い宵の民に間違いないと言いきられた


どうやら私以外の人には別の生き物に見えているようだ

私には、物語にでも出てくるような可愛らしい姫に見えるのだが……


ドルドには絶対に売りにはださないと言いつけて世話を任せることにした

世話をするのは嫌だと顔に書いていたメイドに、体を清拭するように命ずる

宵の民にももちろん男女の体の違いはあり、メイドにそれを確認させる為だった

メイドの女性は雌であると断言した


「御館様、これを世話しなければなりませんか?

どうしてもですが?」


そのメイドは、静かにそう零した。嫌悪感に満ちた顔を隠そうともしないで

あまりの言い様に、サフィールは悲しくなった


「貴女が見なければドルドと私がみる

貴女にはそうだな、いい働き口を探しておくよ」


「……っ、わかりました」


脅したつもりはないが保護した少女はしばらくこの屋敷にいるのだから使用人達には少女の存在を受け入れて貰い、その世話は誰かがしてもらわねばならない

サフィールは王宮魔術師として現役は引退したが、在籍は王宮にまだある為何かと仕事に手を焼くこともある

身の回りの事に気をやりたくてもできないこともある為使用人を雇っているのだ

仕事として許容できないのなら主人である身としては屋敷にいてもらっても困るだけだ

メイドは怯み歪めた顔でぎこちなく頷いた

「貴女が難しい事は私がするよ」

「そんな御館様にこの野蛮な、」

「その、野蛮なという形容はいちいち言わなければ気が済まないか?」

「いいえ……でも」

「貴女達がどう思っていても構わないが、私の前ではやめてくれ」


そう言って顔を不機嫌に歪めたサフィールにメイドは哀れみの眼差しを向けていた

その視線はこの人頭がおかしくなっちゃったんじゃないかしらと言いたげで少し不愉快だった


***



―― 翌日


夜も開けない頃、目が覚めた彼女は傍に座っていたメイドを見て悲鳴を上げた

ドルドより彼女が目覚めた事の報告を受けたサフィールは慌てて部屋に駆けつけた

部屋に入るとメイドやドルドは遠巻きにして、持て余すように少女を見つめていた

檻の中の動物に向けられるような視線を集中的に受けている彼女は縮こまり酷く怯えていた


〈な、また化け物?来ないで·····っ!〉

「落ち着いて、大丈夫だよ。可愛い人」


ぶるぶると戦慄いて掛布を握りしめてた彼女は、大きくて澄んだ目を真っ赤にしてぼろぼろと涙を零している

サフィールが近づきベッドの端に座ると、彼女は掛布をぐいぐい限界まで引っ張り、隠れるように口元を覆った


〈やだ、何話してるの、怖い〉

「びっくりしているんだね。かわいそうに」

「御館様、ああなんと嘆かわしい·····」

後ろから落とされたドルドの呟きは怯えた彼女への哀れみではなく、主人の宵の民に対する態度を哀れんでのものだ


「喉が乾いていないか?お腹空いていない?

ほら、水を飲んで落ち着こうね」

サフィールは宥めるような優しげな声色を心がけながら、ベッドの脇のサイドテーブルに用意された水差しから水を汲み彼女にカップを差し出した


〈これ、水·····?変なもの入ってないよね〉

彼女はしばらくじっと見つめた後、何かつぶやきながら震える両手で怖々とコップを取り警戒を込めた眼差しで覗き込んだ


「大丈夫、大丈夫だよ。ゆっくりお飲み」

コップの縁を口に触れさせたもののなかなか飲もうとしない

暫く静観していたが、口から離してやめてしまった


「貸してごらん」

コップを取り上げると、それだけで大げさにびくりと体を震わせる

状況が飲み込めず混乱しているであろう彼女を思って気の毒になった


何をしても怯えて……


サフィールは水をひと口、口に含んだ

ただの生ぬるい常温の水だ


「ほら、大丈夫」

そうして毒味をすると、疑心は晴れたのかそろそろとコップを受け取り水を飲んでくれたので、ほっと胸をなでおろした

水すら飲んでもらえなければ、どうしようもない

コップの半分ほど飲んだ彼女は震えた手でサイドテーブルにそれを戻した


「御館様、何かお召し上がりになるでしょうか。少し甘くしたパン粥はいかがでしょう?」

「確かにそれなら食べてもらえそうだ。任せる」


彼女はベッドのヘッドボードにぴったり背中を付けて足を抱え縮こまっている

その頬は大量に零した涙で濡れていた

今はまだ怯えきっているが、これから慣れくれるといい


(彼女の涙はどんな味だろう? 舐めてみたい)

怯える表情もかわいくていじらしくて、サフィールは彼女への興味がますます高まった

このとき呑気で楽天的なことを考えていたサフィールは、彼女の目には周囲の人全てが化け物に見えているなど夢にも思っていなかった


―― ただ見慣れない人々に怯えているだけなのだと


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