第58話 リリアの後悔

 リリアはタマナの元へと向かいながらギリッと歯をくいしばる。その胸中は自身への怒りでいっぱいだった。油断した、などということは言い訳にならない。そもそもリリア自身が言ったことなのだ。村の人全てを疑っているということは。その中にはもちろんのことながらローワも含まれていたというのに。それなのにこのタイミングでタマナを一人にしてしまったのはリリアのミスだ。


(気付いてなかった? いや……違う。私はわかってたはずだ。昨日すでに犯人と出会ってしまっていたんだから)


 昨日犯人が殺し損ねたのは誰か、それはタマナだ。それを阻止したのは誰か、リリアだ。ならばもう一度狙って来る可能性については考慮してしかるべきだったのだ。


(まだ動かないと思ってたなんて言い訳にもならない。いつ狙われてもおかしくない状況だったのに)


 どれほど悔やんだ所で現実は変えられない。そのことをリリアは嫌というほど知っている。だからこそ急ぐ。全力で走る。そしてタマナのいるはずである倉庫にたどり着いた所で異変に気付く。


「気配がない?」


 警戒しながら部屋の中を覗くと、しかしそこには誰の姿もない。残っているのはまだ温かい紅茶とお菓子だけだ。


「そんな……まさかもう、いや違う。まだ見つけられるはず」


 リリアは必死に頭を働かせる。どれほど心を落ち着けようとしても焦りは消えない。仲間をさらわれて平静でいられるほどリリアも達観しているわけではないのだ。

 焦れば焦るほど心の余裕は無くなっていく。


「違う! ここで諦められるはずがない!」


 心を覆いつくそうとする弱さをリリアは自分を叱咤することで吹き飛ばす。


「あの人なら……姉さんならこんな所で諦めるはずがない!」


 リリアが思い出すのは前世の姉の姿。宗司だった頃のこと。姉は強かった。何よりも諦めなかった。ならばリリアも同じ姉として諦めるわけにはいかないのだ。


「嘆くだけなら、止まるだけならバカにだってできるのよ! 私はハルトの姉として、諦めるわけにはいかないの!」


 リリアは周囲の状況を観察する。倉庫の中に在るのは割れたカップと食べかけのお菓子だけ。ポットの中の紅茶はまだ熱い。それはつまり、この場を去ってからそれほど時間が経っていないということだ。


「この場で殺していないということはどこか別の場所で殺そうとしているということ。それは村の中ではないはず。この場所から森に向かうなら……一番近いのは東の方の森」


 そう目安をつけたリリアはローワの家を飛び出し森の方へと向かう。しかし簡単に森と言っても広大だ。むやみに探していても見つからないだろう。だからこそリリアはもう手段は選ばない。

 リリアは村の中を歩く村人を無理やり捕まえる。


「な、なんだあんたいきなり」

「黙って私の言うことに答えなさい」

「ひっ」


 リリアの剣幕に村人は怯えたように押し黙る。その姿にちょっと手荒過ぎたかもしれないと若干反省するリリアだが時間がないので仕方ないと諦める。


「村長の姿を見てない?」

「村長? なんであんたが村長を探して——」

「いいから黙って質問にだけ答えなさい。見たの、見てないの?」

「そ、村長ならさっきあっちの方に……女の子を連れて」

「……そう。ありがとう」


 村人の目を見て、そこにある怯えから嘘は吐いていないという風にリリアは判断する。そ簡単に礼だけ告げて走り去ったリリアは村人の指さした方向へと走る。


「一応ローワさんの家から剣だけは持ってきたけど……さて、森の中で振り回すことを考えたらこれよりもナイフの方がよかったかな」


 ついいつもの癖で剣を選んでしまったリリアだが、もしローワが昨日出会ったのと同じ人物だというのであれば、剣での戦いは不利を強いられるかもしれない。それもいまタマナは敵の手にあるというのだから。


「今度は……必ず」


 剣を握る手に力を込めるリリア。そのまま走り続けてしばらくして、リリアは前を走るローワの姿を見つける。その傍らにはタマナの姿もある。


「見つけた!」

「っ! もう追い付いてきたか!」

「ローワさん! タマナさんを返してください!」

「くくく、やはり追って来たか!」


 リリアは一気にスピードを上げてローワの正面へと降り立ち、ローワに剣を向ける。


「思った以上に早かったじゃないか。もう少し時間がかかるかと思っていたんだが……やはりアンジーは失敗したか」

「どうして私に……私達にあんなことを?」

「どうして……とはこれはまたおかしなことを聞くね。もうわかっているんだろう?」

「やはりあなたが……殺人犯なんですね」

「半分正解、といったところかな」

「半分?」

「しかしその意味を君が知る必要はない……ここで死ぬのだから。あぁ、安心したまえ。タマナ君はまだ殺さない。彼女にはまだ用があるらしいからね」

「……私が素直に殺されるとでも?」

「素直に殺される? いいや違うね。殺すのさ。私がね」


 そう言ったローワの目には紛れもない憎しみがこもっていた。


「君達を殺せなかった時の私の気持ち……わかるかい? あの悔しさを。屈辱を。殺そうとしたのに殺せなかったあの気持ちが!」

「そんなのわかるはずありません。殺人犯の気持ちなんか。でも、どうしてこんなことを」

「それは何についての疑問かな?」

「どうしてあなたが殺人を犯したのかということです」

「ふむ、理由……理由ねぇ。単純な話だよ。私が本のことを愛しているからさ」

「本?」

「本はいい。様々なことが書いてある。料理のレシピ、紅茶の入れ方、掃除の仕方……そしてヒトの殺し方まで、なんでも書いてある。で、あるならば実戦したくなるのがヒトというものでしょう?」

「まさか……そんな理由で?」

「そんな理由もなにも、それだけで私には十分なのだよ。くくく、人の喉を切り裂いた時のあの感覚。獣の肉を切るのとはわけが違う。一度あの感覚を知ってしまえばもうやめることなどできるはずがない。もう少し一緒に犯人捜しごっこを続けてみるのも良かったかもしれないがね。僅かな時間だったとはいえ、まるでミステリー小説の登場人物になっったかのような気持ちだったよ。あれもあれで中々に楽しかった。ま、犯人はずっと君の隣にいたわけだが」

「……外道が」

「これでも十分に我慢していたんだがね。しかしきっかけが与えられればもう衝動を抑えることなどできなかったさ」

「もう十分です。あなたは……ここで私が捕まえます」

「あぁ、やってみるといい。できるのなら……の話だがね!」


 そしてローワは隠し持っていたナイフを両手に持ち、リリアに襲いかかってきた。


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