第31話 2人の呼び方。
「まあでも、百歩譲ってキスはまだにしてもさあ〜、お互いの呼び方とか、ちょっとは変えてみてもいいんじゃない?」
「呼び方、ですか?」
キスの話がひと段落した頃、ケーキを摘みながら言う
「そそ。だって未だに
「僕もそれは少し思うな。名前で呼び合ったりしてもいいんじゃない?」
初音に続いて、
おい、唐突に会話に混ざってくるなよ。しかもただのイエスマンか、おまえは。
もう帰れ。
しかしまあ、名前呼びを想像してすでに赤くなっている美咲は置いておくとして。
今回に限っては初音の言うこともわかる。
いつまでも名字呼びでは、恋人らしくない。その通りだと思う。
「よし。名前呼び、してみるか」
「お、珍しくやる気じゃん。陰キャの直哉くん?」
「うっせ」
意地悪く言う初音を軽くかわして、俺は美咲の方を見る。
「美咲? 美咲はどう思う?」
「やりましょう!」
「お、おう……? なんかヤケにやる気だしてきたな……?」
「そ、そんなことないです。初音せんぱいがせんぱいのことを名前で読んでるから私も負けるわけにはいかないと思ったとかそんなことは全くもってありませんから!」
「お、おう……」
俺のやる気を軽々と超える美咲の勢いにたじろぐ俺。向かいの初音は「にひっ」と何やら楽しそうに笑みを浮かべていた。
「じゃあさっそく呼んでみようよ。ほら、直哉から、『結愛ちゃん♡』って」
「い、いやちゃんはいらないだろ。ちゃんは」
言いながら俺は美咲に「だよな?」と目線で聞く。すると、美咲はぶんぶんと頭を縦に振った。
ちゃん呼びに耐えるメンタルはないらしい。俺もない。
「よし、じゃあ俺から言うぞ、美咲。じゃなくて……その、ゆ、ゆ、ゆゆゆゆ……ゅぁ……」
「「ぷふっ」」
俺が今生最大級の勇気を振り絞って言うと、向かいの席から笑いが漏れた。
いかにもこらえきれない、といったふうにだ。
俺は思わずそちらを睨む。
「おい」
「い、いやだって……声ちっさ……ぷふっ……」
「ご、ごめんよ……桜井……ぶふっ」
「外野は黙っててくれよもう!?」
俺はなおも笑い続ける2人を怒鳴りつける。
親しき中では名前呼びが通常スタイルのリア充どもに俺たちの気持ちなど分かるはずがないのだ……。
それからまた美咲の方へ向き直ると、またしても大変な事態に気づく。
「お、おい美咲!? 大丈夫か? おい?」
「…………は!? す、すみません。ちょっとトリップしてました!」
「お、おう……人にはとても見せられないような顔になってたからな……?」
マジで。もう表現できないレベルのにやけ顔だった。表情筋がぐにゃぐにゃである。ヨダレも垂れそう。
「そ、それよりせんぱい。もう、結愛って呼んでくれないんですか……?」
「い、いやその……」
上目遣いで、瞳をゆらめかせながら聞いてくる美咲。
さっき呼びかける時はまた「美咲」に戻ってしまっていた。
「ゆ、結愛がそう呼んで欲しいなら。いくらでもそう呼ぶよ」
「そ、それなら……! あの、もう一回呼んでもらえますか?」
「ゆ、結愛」
「も、もう一回」
「結愛」
「ふみゅぅ……」
「お、おい結愛!? また旅立ってるぞ!? 帰ってこい!」
別の世界へ飛び立った美咲……じゃなくて結愛の肩を揺すってこちらの世界へ連れ戻す。
しかしその結愛の顔はとても幸せそうだった。
俺もめちゃくちゃに恥ずかしいけど、こんなに喜んでくれるなら名前呼びも良いものだ。
「うわー、見てらんない」
「そうかい? 微笑ましくていいじゃないか」
そんなリア充2人の声が聞こえた。
✳︎ ✳︎ ✳︎
「そ、それじゃあ次は私の番ですね」
「無理しなくていいからな?」
「いえ! せんぱいが頑張ったんですから、私も頑張ります!」
しばらくの休憩を経て、次は結愛の番である。
いや、俺としては別にいいんだけどね? と思わなくもないんだが。
「せんぱい」呼びというのも良いものである。
だが、彼女はヤル気らしい。
「それでは、いきます!」
結愛は大きく息を吸うと、その言葉を口にした。
「な、なおや……せんぱい」
「お、おう」
あ、せんぱいは消えないのね。
「……? なおや、さん?」
「おうふ……」
今度は俺の疑問に応えるように、「さん」付け。
やばい。そういえば母の前でも一度だけこう呼ばれていた。これやばい。
しかし結愛の追撃は止まらない。
「…………なおや、くん?」
「ぐはっ」
死んだ。もう死んだわ。死んでいいわ。さよなら。もう悔いはない。
そう思ったのだが、結愛は未だに少し納得いかない感じでもじもじとしている。
「ど、どうした?」
「あの、も、もうひとつ……呼び方……いいですか……?」
いかにも恐る恐るといった様子で言う結愛。
まだ最終兵器を隠しているとでも言うのだろうか。こちとらもう死にかけなんですが。
俺はおずおずと頷いて、先を促した。
すると結愛は、口元を手で少し覆って、恥ずかしそうに俺から目を逸らしながら、小さな小さな声で言った。
「えっと、その……なぉ…………なお、くん。『なおくん』では……ダメ、ですか……?」
その声はとてもか細く、喫茶店のざわめきに吸い込まれてしまいそうだったが、確かに俺の耳に届いた。
俺はしどろもどろになりながらも、結愛の問いかけに答える。
「い、いいと思う、ます……」
「は、はい……! じゃ、じゃあその……」
「……ああ。俺はこれから、美咲のことを『結愛』って呼ぶよ」
「わ、私はせんばいのこと、『なおくん』って呼びますね……♪」
結愛は心底嬉しそうに、その真っ赤な顔に花を咲かせた。
なんだよこれ、俺までまともに結愛の目を見れないじゃないか。
しかしそれは結愛も同じようで。
気を抜くと、お互いに俯いて、地面と睨めっこしてしまいそうだった。
これは慣れるまでかなり大変そうだなと、そう思った。
「いっそのこと、結愛ちゃんは敬語も取っ払っちゃったら〜? 恋人に敬語はいらなくない?」
「ええ!? む、むりです! そんなのぜったいむりですよぉ!?」
そんな初音の一言で、この一連の話は終わりを告げた。
敬語は崩してくれないのか……。いやでもいつかは……。
俺たちはもともと、お互いがお互いの先輩で、後輩だ。だから敬語なんていらないのになと、少し思った。
〜〜〜〜〜〜〜
書いてて楽しかったです(満々の笑み)
付き合い始めたら敬語がくだけて、タメ口になる後輩って良いと思うんですよ。
先輩後輩、から恋人になったんだなぁって。
それで結婚したらまた敬語に戻ったりするのもアリかも……(っていう妄想)
結愛にそのときが来るのかはわかりませんが。。。
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