第35話
「続きまして、卒業生代表による答辞です」
ゆっくりと壇上に上がったのは和泉先輩。壇上の中央でゆっくりと頭を下げた先輩は、もう二度と見ることはないその場からの景色を堪能するように視線を巡らせる。共にこの学び舎で過ごした卒業生の顔を見るだけでは足りなかったのか、在校生である俺たちの顔もしっかりと見ているようで、ふと先輩と視線がかち合ったような気がした。
そして間もなく、答辞が読み上げられる。
「暖かな日差しが心地よく、あちらこちらで蕾の膨らみや新芽の発芽を見かけ、春の訪れを確かに感じられるような季節となりました。今日という佳き日に、このような式典を設けてくださった諸先生方、関係者の皆様、そして在校生に卒業生を代表して、心よりお礼申し上げます」
この間遭遇した時の楽しげな声とは違い、かつての生徒会長としてこの学校を引っ張ってきたリーダーらしい凛とした声。その声は主役でもない人たちの長話で緩んだ会場の空気を引き締める。
蛇腹のように折られた答辞の原稿が読み進められていくように啜り泣くような声も増えてくる。彼女が率いたの生徒会の業績を考えれば当然なのだが、卒業生だけでなく、在校生からも涙を引き出している。
「また、高校生活でのかけがえない経験のひとつに生徒会が挙げられます。生徒会を通じて、皆さんと支え合いながら行事を作り上げたことは忘れません。その中でも特に印象に残っているのは去年の文化祭です。ここにいる皆さんもそうなのではないでしょうか?」
彼女が率いた生徒会の象徴でもある出来事に、卒業生、在校生どころか、教職員までもが相槌で彼女の言葉に応えている。
「私が経験した中でも一番大変な行事でしたが、なんとか形になるどころか、大成功といっても差し支えのない成果を収めることが出来ました。これは私たちが引継ぐまで、フォローをしていた生徒たちがいてくれたおかげです。彼には本当に助けられたので、この場で名前を挙げてしまいたいくらいなのですが……」
原稿をそっと畳んだかと思えば、原稿には書かれていないであろう言葉を続けた先輩。ゆっくりと視線を動かし、勘違いとは言えないほどしっかりと俺を見てから、小さく息を吸う。
こんな大勢の前で名前を挙げられても、恥ずかしいだけだし、誇るようなことでもないのだ。主役のやることにツッコミを入れるのは野暮だとはいえ、せめてもの抵抗として首を横に振るくらいは許してほしい。
「まあ、本人は乗り気じゃないのでやめておきましょう。これはほんの一例ですが、私たちの高校生活は多くの人に支えられてきました。それは、この場にいる在校生だけではなく、先生方や保護者の皆さん、そして地域の方々など、本当に多くの人です。私たちに関わり、また、支えてくださった皆さんに感謝の言葉を述べ、答辞とさせていただきます。……卒業生代表、和泉凛」
先輩が頭を上げれば、どこからともなく、手の鳴る音が聞こえてくる。それは瞬く間に式場全体に広がり、絶え間のないものとなる。
これほどの喝采を浴びれる人が、どれだけ世の中にいるのだろうか。間違いなく彼女は、本当に先輩と呼ぶべき人なのだろう。もちろん、彼女を支えている鎌ヶ谷先輩もなのだが。
その二人をしっかりと送り出せただけでも、卒業式に参加した意味はありそうだ。
* * *
卒業式が終われば、短い
卒業生たちと関わりのあった生徒は、雑談もほどほどに、色紙や花束なんかをもって教室を後にしていく。若宮さんも篠崎も、それぞれの先輩に顔を出すらしく、扉をくぐって行った。
「ねえ、雨音君」
先輩との関わりは大してないのだし、同じであろう芽衣に声をかけて帰ろうと荷物をまとめているとふと声をかけられた。
「えっと、なにか?」
クラスメイトの一人なのだが、パッと名前が出くるほどしっかりと関わりがある訳ではない女子。いったいこれから何が始まるのかと身構えてしまうのは、未だに抜けていない癖らしい。
「先輩が答辞で言ってた人って雨音君だったりする?」
「え?」
「いや、先輩そっちの方見てたし、前に先輩が雨音君のことを生徒会に勧誘しに来てたこともあったじゃん」
「まあ、確かにあったね。というか、よく覚えてるなぁ」
「まあ、雨音君のこと見てたから。で、それはともかく、実際どうなの?」
グイグイとくる感じに押されるがまま、首を縦に振ってしまえば、視界の隅で芽衣の表情が一瞬曇ったような気がした。
「やっぱりー、すごいね。雨音君」
「いや、そんなことないから。じゃあ、俺はぼちぼち帰るから」
「あっ、うん。呼び止めてごめんね」
「いいけど。芽衣、帰ろう」
「うん、いいよ。壮太」
いつも通りの笑みで、芽衣はそう答えた。
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