食肉 第三
「だから加減ができねぇって言ったんだよ」
尻尾も耳もぺたんと力なく垂れ下がっているササが言った。その体には銀青色の光が纏わりついて消えない。
当のハナガサはケロウジに輪をかけて頑丈で、さらには筋肉鎧の男なのでビクともしていない。それよりも全身で感動を表現している。
「ササ……ちょっと間が悪いかも」
「え? うわぁ!」
ケロウジの言葉で周りを見渡したササは、シイに気付くなり悲鳴をあげて震えだす。
いつの間にか僕らの中に、シイの霊体が交ざっていた。
「そいつ、俺を使って死のうとしてんだよ! いってて……茶碗から湧く水を飲んでたらどんどん酷くなってきてよぉ。慌てて魔術を使って逃げたら、おっさんがいて」
「私が、体内の魔力を発散するために魔術で移動しようと言ったのだ」
ハナガサは言いながらシイを見定めようとするように、じっと見る。
その腕の中でササは銀青色の光を明滅させて震えている。
血の臭いをさせるシイは死にたいと泣く。
ケロウジはかつてない修羅場に、内心では酷く動揺している。それが表に出る事はないけれど。
ケロウジは一つ深呼吸をし、とにかく獣の骨の話は後回しにしようと決める。そしてシイに向き直って言った。
「人の価値は生きている間になんか分からないんですよ。いつか偶然にも死んでしまうその瞬間に、なんだか面白い人生だったなと思えたら、きっとそれがあなたの求めている生の価値なんだと思います。物や成果では測れないんですよ。どれだけ面白おかしく生きたかなんですから」
するとシイは何も答えず、ただ頷いた。一粒、涙が零れた。
「それに、たぶんオオツガ様はあなたの事が大切なんだと思いますよ」
ね? と、ケロウジはハナガサに話を振る。
「そうだろうな。魔獣師を専属で護衛に寄越すくらいだからな。しかしあの人は口が悪すぎる。体裁を気にして何人も魔獣師をクビにしていたりするし……」
なおも話し続けようとするハナガサにケロウジが視線で合図を送ると、やっと話をやめた。
「価値のない私にお金なんてかけるわけありません」
「では後でその魔獣師に聞いてみると良い。今はちょっと縛って来てしまったのだが」
「本当なのですか?」
シイが信じられない、と言いたげにハナガサを見上げる。
「あぁ。だから何があったか知らんが、もう少しだけ生きてみんか?」
「はい……」
シイがそう返事をするのを、ケロウジはほっとして聞いていた。もう何もかもが解決した気分で、明日は鯨の肉でも食べに行こうかなどと考えている。
すると、未だに明滅を繰り返しているササが掠れた声を出した。
「あのさ……」
「ん? どうした、ササ?」
ケロウジが聞くと、ササは「もう破裂しそう」と言った。
「破裂⁉ 薬は無いんだけど、どうしたらいい⁉」
ケロウジが慌てると、シイが自宅になら魔病の薬があると言った。しかしハナガサが首を横に振る。
「それでは間に合わん。ササ、上に向けて魔術を放て」
ハナガサは言いながらササを地面に降ろす。
「無理だって! あちこち飛んでくぞ!」
「目安があればなんとかなるか?」
ハナガサが聞くと、ササは頷く。
その光がいっそう激しく明滅し、限界を訴える。
「魔術の形は雷だ。いいな? 二人とも離れて耳を塞げ」
ハナガサは言いながら、懐から小刀ほどの小さな銃を取り出した。
「よく狙えよ、ササ!」
ハナガサが上に向けて銃を撃つと、それを追うようにササの体から太く青白い雷が空を割る。
ドカンと、ケロウジはまるで自分の体が太鼓になったかのような音の衝撃を受けた。
辺りの空気は震え、木々の葉の一枚から折れそうな枝の先までが騒めいている。
少し遅れて川の水がゴウっと水柱を上げた。
あぁ、やはり魔力はそこにあったのかと、ケロウジは滝のような勢いで川に帰ってくる水を見ながら思っていた。
魔力は世界の意志だとケロウジは思う。
人間だけが魔力から拒絶されるこの世界で、激しい魔力のうねりの中にある今だけは受け入れられている気になれた。
その感覚が初めてではなく久しぶりに思えたが、それが何故かと教えてくれる記憶は持ち合わせていない。
だから耳も塞がずにその中に体を投げ出すケロウジは、何も考えずに目を閉じる事にした。
ケロウジは、自分が夢を見ている事に気が付いていた。
「これは夢だ」
ケロウジは自分に言い聞かせるように言った。
目の前には年老いた狼がいる。その狼のことが、なんだかとても大切に思えた。
「速く走れないのなら上手く隠れろ」
年老いた狼がそう言った。
「力が無いのならば体力を付けろ」
さらにその狼は続ける。
「愛をなおざりにする者に山は心を開きはしない」
狼がそう言うと、ケロウジは「あぁ」と声を漏らした。
「僕は試されているんだね」
狼はもう何も答えない。
ただ腹が減っていた。
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