ここにいる理由 第二


 結局は二人がかりで夕刻まで探した甲斐もなく、魔力を吸っていない光草は見つからなかった。

 すっかり暗くなってしまったのと、本人の強い希望もありハナガサはケロウジの家に泊る事になった。

 そしてケロウジが家の戸を開けると、そこには痛みのためではなく震えるササの姿があった。その向こうにもう一つ。


「あぁ、おじさん。ここにいましたよ」

「ん? 何の話だ?」

「シイの霊体です。目の前にいます」

 そしてササはよたよたとケロウジの方へやって来て訴える。

「遅かったじゃねぇか! あいつ昼頃に現れてから出て行かねぇんだよ……」

「ありゃ、大変だったね」

「そうだぜ。帰ってくるのが遅いんだよ。何してたんだよ? 近くじゃなかったのかよ」


 ケロウジとササの会話を聞きながら、ハナガサは目を丸くする。

「おい、ササ。お前にも霊体が見えるのか?」

「おぅ。魔獣には見えるんだよ。お前、魔獣は死を見るとか言ってただろ?」

 本当だったのか……と口をあんぐり開けるハナガサにササを抱かせ、ケロウジはシイの霊体の方へ歩み寄る。


 匂い、見た目、纏うもので場所を見極めなければいけない。

 シイの霊体は今日会った本人と同じように、淑やかな笑みを浮かべている。

 まず匂いだ。鉄臭いな、とケロウジは思った。

 けれど見た目に変化はない。体の黒色はまだかなり薄く、日にちには余裕がありそうに思えた。

 けれどこれは切っ掛け次第であっという間に真っ黒になるので、目安にしかならない事をケロウジはよく知っている。

 それにしても、とケロウジは思う。


「今回は情報が少ないですね」

「少なくとも何か分かったのだろう?」

 ハナガサがササを大事に抱えながら聞いた。

「いつもなら潮の香りがしたり、花弁を纏っていたりするんですがね。今回は鉄臭いだけですよ」

「鉄? 鍛冶屋か?」

「どうですかね?」


 ケロウジは、何とかもっと情報を得られないものかと考えた。そして触れてみた事はないな、と思い至る。

 すっと遠慮がちに手を伸ばすと、霊体の近くだけとても冷たい空気が流れている。

 それは墓場に吹く風のようでいて、氷のひしめく鍾乳洞のようでもある。

 ケロウジは命を丸飲みされてしまいそうな恐ろしさを覚えるが、めげずにさらに手を伸ばす。


 すると何かに触れた。見た目で言うと、霊体の黒い体と空気の境目あたりだ。霊体は触れられる体を持っている訳ではないが、それでもケロウジの手は何かに触れている。

 ヌルっとした液体のようだ。ケロウジが自分の手を見てみると、赤かった。


「こりゃあ血ですね」

「血? 斬られるのか?」

「分かりませんが、今まで斬られて無くなる予定の人でも血の臭いがした人はいませんでしたよ。いつも死ぬ場所を示していたんです」


 おそらく今回もそうだろうとケロウジは言ったけれど、だったら血とはどんな場所を示しているのか? というのが分からない。

 それからああでもない、こうでもないと言い合ったが、ササの体調の事もあるのでその日は狭い家の中に二組の布団を敷いて眠る事にした。


 ケロウジとハナガサは交代でササの看病をしようという話になったのだが、その時にハナガサが一つの提案をした。

「魔術で分身を作ったらどうだろうか?」

 少しでも発散したら楽になるのではないか、とハナガサは言った。

「でもなぁ……」

「いいじゃないか。やるだけやってみたら?」


 なぜか渋るササにケロウジが言う。するとササは「加減とかできねぇからな」と呟きながら、あの銀青色の魔術光を放つ。

 光が収まった後、狭い部屋の中にはおよそ三十匹ほどのササがいた。不幸中の幸いは、分身のササたちが霊体と同じように触れられる体を持っていなかった事だ。


「だから嫌だったんだ……まぁ、痛みはマシになったけどな」

 少し楽になったらしい本体のササは立ち上がり、水をくれとケロウジにせがんだ。

「あ、そう言えばササにお土産があるんだった」

 ケロウジがそう言うと、ササは何だ? と尻尾を振る。


「水の湧く茶碗だ。僕が飲んだけどただの美味しい水だったから大丈夫だろう」

「へぇ……これ、変わった物を作る娘の茶碗か?」

 ササは聞きながら、今も部屋の中に立ち尽くしているシイの霊体をチラリと見る。それをササの分身が通り抜けて走り回る。


「ちょっと待て。本当に大丈夫なのか? 不可思議な力というのは総じて魔術に、そして魔力に通じるのだぞ?」

 ハナガサが言った。けれど、それをササが笑い飛ばす。

「この百二十年、人間が魔術を使ったなんて話は聞いた事ねぇよ。ましてや魔術の宿った物を作るなんて無理だ」

「そうか……そうだな。しかしササ。お前が百二十歳だと?」

「おぅ。俺の寿命があとどのくらいかは分からねぇが、まだまだ面白おかしく生きてやるぜ」

 ササはそう言って、ぴちゃぴちゃと茶碗の水を飲む。


「寿命が分からないのか?」

 ケロウジが首を傾げる。するとササは、猫の尻尾を揺らしながら答える。

「あぁ。猫の魔獣は二百年、狸の魔獣は三百年も生きるんだ。間の子だからな、俺は」

 ケロウジが「へぇ」と言う横で、ハナガサは自分の体を通り抜けてはしゃぐ分身を気にも留めずに紙を広げて書き物を始めた。

 魔獣師にとってササの話は貴重であり、常識がひっくり返るような衝撃を受ける話なのだとハナガサは言う。


「おい、ササ。魔病が治ったら色々と教えてくれないか?」

「いいぜ。お前が知識を悪用するようなら記憶を消せばいいだけの話だからな」

「お前、そんな事もできるのか」

 凄いな、と暢気に驚くケロウジにササが言う。


「器用な魔獣じゃなけりゃあ出来ねぇだろうな。まぁ滅多にできる奴なんかいねぇよ。しかし、お前は本当にお気楽な奴だなぁ。消されるかもしれねぇんだぞ?」

「ん……お前が僕の記憶を消したいと思ったのなら、そうすればいいよ」

 そして笑い合うケロウジとササのそばで、ハナガサだけが硬い表情で固まっていた。

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