第2話 祖父との記憶①

「ビヨンはちゃんと寝ていたか」

「うん」

 ギアに尋ねられて、トゥールはコクリと頷いた。

「そうか」

 それだけ言うと、ギアはカンテラをトゥールに渡して手元を照らさせ、機関室の歯車を組み直し始めた。

 ギアはトゥールの祖父であり、両親が他界してからは時計塔守、時計造り両方の師を務めている。時計塔守は塔を守る傍ら時計造りも行っており、完成した時計をキャラバンに卸して生活費に充てている。

 ギアは歴代の時計塔守の中で他に比べる者がいないほどの腕前を持つ、天才時計職人だった。しかしその才能故か、彼は非常に気難しい人間で、トゥールはこの何を考えているのかわからない祖父のことを、内心不気味に思っていた。

「よく見ておけ。

 時計塔の文字盤は1日の時間しか示さないが、内部的には年単位で時を運行している。今俺が手に持っているのは、年の歯車のうち千の位を定めるものだ。赤い紋章と時間が合うようにこれらを組み直す」

 説明中もその手は止まらず、ギアは次々と歯車を外して回転角を調整し、時計塔の時間を本来とは異なる時間にずらしていった。トゥールはその手際を見ながら、自分にも同じことが出来るようになるのだろうかと不安に思った。

「この時計塔は宇宙一正確な時計だ。ずれた時計は時を定める力を持たない。人々はその時計が定める時に従って生きるわけではなく、その時計を通して真に正しい時間を推測してそれに従って生きている。

 すべての時計はこの時計塔に劣り、それらが示すのは偽りの時間でしかない。つまり、この宇宙で時を定める力を持つ時計はただ1つ、この時計塔だけと言うことだ。これは神ですら逆らうことができない、この宇宙の理だ」

 ギアは最後の歯車をはめ込み、足元から生えたレバーを両手で奥にぐいっと押し込んだ。

 歯車は回りだし、時を動かす音が機関室を満たした。

「胸に意識を集中しろ」

 トゥールは胸が熱くなるのを感じた。時計塔守は左胸と右手にそれぞれ黒と赤の紋章をつけている。黒い紋章は時計塔の紋章で、これをつけることで時計塔と時間を同期・非同期させることが出来るのだ。

 月明かりが差し込んでいたはずの機関室の窓が突如として暗くなった。

 ギアは窓の外を一瞥し、時計塔の操作がうまくいったことを確認すると、トゥールをつれて階段を降りていった。

「絶対に俺から離れるな。はぐれたら最後、お前は元の時代には戻れないものと思え」

 一階に降りると、外からの饐えた様な異臭がトゥールの鼻をついた。

「うぇ」

 トゥールはとっさに鼻を覆った。

 ギアは玄関に置いてある籠を開け、中からローブを2枚取り出して、自分とトゥールにかぶせた。

「行くぞ」

 ギアはそう言って時計塔の外に出た。トゥールも慌ててその跡を追い、はぐれないように祖父のローブの端をつまんだ。

 時計塔は荒野に立っていたはずだが、トゥールが外に出ると、そこには見たことのないいくつもの建物が隙間なく並んでいた。建物の上に建物が並び、重さに耐えきれず倒れた建物は倒れてぶつかった先の建物と通路で繋がれ、さらにその上にも建物が構築されている。出来の悪い積み木のように積み上げられた建物群が、空を歪に切り取っていた。

 時計塔の石壁は黒くくすんでいて、見慣れぬ落書きがされている。空は曇っていて月はなく、建物に沿ってちらほらと、トゥールが見たことのない色の灯が道を照らしていた。

 道の端に何か動くものがあると思って目をやると、大きなネズミが目を光らせながら走っていった。その向かう先は袋小路で街灯もなく、暗くてはっきりとは見えなかったが、奥で人のような形の何かと、その上を動き回る小さな影が見えた。

「ビヨンを一人にして大丈夫?」

 トゥールはギアの服を引いて尋ねた。

「問題ない。塔には人が入れないようにしてある。それに比較的安全な時間を選んで」

 ギーオンギーオンギーオンギーオンギーオンギーオンギーオンギーオンギーオンギー

 ギアの言葉を遮るように、遠くから大音量のサイレンが鳴り響いた。

「時間だ」

 ギアは懐から懐中時計を取り出して確認した。トゥールがその懐中時計を見上げると、不思議なことに、その秒針はぴったり12を指したまま動かなかった。

 ギアはトゥールを連れてサイレンが聞こえた方へと向かっていった。トゥールはその最中に何人か人を見かけたが、そのどれもピクリとも動かず、自分たち以外の時が止まっているように感じられた。

 それは建物で囲まれた丁字路を曲がろうとしたときのことだった。ギアが曲がり角から周囲を伺おうと顔を出した瞬間、突如として警戒を強め「隠れろ!」と言ってトゥールをぐいっと自分の近くに引き寄せた。しばらく壁を背に周りを警戒したのち、建物の影からそっと後ろを見るようにトゥールに指示を出した。

 壁から片目だけ出して辺りを見回すと、そこにはトゥールが見たことのない大きな乗り物と、その周りで作業する人々がいた。

「なんだあれ、船?それに人が動いてる。今までみんな止まってたのに。

 あれ、でも動いていない人もいる。まるで人形みたいに運ばれて、あの大きな乗り物に載せられていっている」

 トゥールは目の前で起きている現象が理解できず、祖父ならばこれが何なのか知っているのではないかと思い、その顔を見上げた。

「ここは帝国によって支配された暗黒の時代、そして今は徴発と制裁の時間だ」

 ギアは声を潜めながら答えた。

「この時代の時計塔に、最早宇宙一の精度はない」

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