第18話 波瀾来たる(2)
「……いい加減にしていただけますか。正直に申し上げて、お二方がいがみ合っても時間の無駄にしかなりません。これ以上続けられるのでしたら先に帰らせていただきたいのですが、よろしいでしょうか」
カリス・ラグランシアの忍耐は五分ともたなかった。
バンと机を叩いて席を立った彼女が目元にクマのできた眼差しで二人を凝視する。口を
「お二人にご報告したい件がございますので、帰るのはその後にいたしますね。まだ断定はできませんが、アルス・マグナが関知しない未知の機動甲冑が存在する可能性を考慮すべきかと考えます」
「未知の……」
「機動甲冑……って、そんな話聞いていないけど!?」
アグネアと城伯ペレッツが互いに見合わせる顔は思いもよらないという有様。
「回収された金属片にはサイフィリオンに使用されたウーツ鋼と、それ以外の何かに由来するものが混在していました。一番大きな装甲片は明らかにサイフィリオンではないウーツ鋼でできています。アルス・マグナが関知しない未知の機動甲冑があった場合、正規軍にとっても看過できない事態になるかもしれません。ですが――」
息を呑む二人。続けて要点を一気に言い切るカリス。
「今申し上げたのは私の独断と偏見に過ぎません。決めつけるわけにいかないので、持ち帰った装甲片を王都のアルス・マグナへ送って解析を進めるべきかと。
呆気にとられた二人だが、それぞれの立場を
「……いや、装甲片の扱いに異論はない。急いだほうがよいのも道理に適っている。ですよね、ペレッツ卿」
「え、ええ……ところでサイフィリオンでしたか、あの機動甲冑には異状なかったのですか?」
「はい。帰投後に点検しましたが目立った損傷は生じていません」
嘘でしょう!? と目を丸くした城伯の表情にさも当然とカリスは頷く。
「機動甲冑は自ら傷を塞ぐ魔術が施されています。その範囲内での損傷に留まったのでしょう。おそらく相手側の損傷も同様かと。相手側との膠着状態を打開するため風の禁呪の行使に踏み切ったのかもしれません」
「まったく、とんでもない兵器だこと……わかりました。アルス・マグナ側で調査を急ぐ考えに都督府も同意いたしますので、早速進めてもらえるでしょうか」
「承知いたしました。それでは明日にも王都へ送ります」
この話し合いの翌日、現場で拾い上げた装甲片などを積んだ荷馬車が郡都カルディツァを発ち、王都のアルス・マグナへ向けて出発していくことになる。
***
「ご主人様、起きていらっしゃいますか?」
「……クロエか? 早いな、どうした」
「オクタウィア様がお目覚めになりました」
朝日が出たばかりの寝床にて裸同然の姿でその報告を耳にしたシャルルは寝ぐせのできた頭をぼりぼりと
「……つってもこの格好じゃ会うわけにいかんだろ。風呂は沸いているよな?」
ガウンの上着を身につけて浴室に向かう。王都のようなかけ流しの温泉はないが、身を清めるための浴室が元々屋敷に備わっていた。この国の人々は本当に綺麗好きというか、風呂を好むらしい。
異国の出身だがすっかりこの国の習俗に慣れた彼は風呂で汚れた身体を清めた後、オクタウィアの休んでいたアグネアの部屋の扉を叩いた。
「お嬢、起きているか?」
「……師範ですか? どうぞ」
思ったよりも普通の受け答えであった。扉を開けて対面したオクタウィアは部屋着を着ていたこともあり、貴族のお嬢様といった雰囲気である。
「昨日は取り乱して不格好な振る舞いをお見せしました。不甲斐なく思います」
「いや、気にすんな。具合はどうなんだ」
「ぐっすり休ませていただきましたので目覚めはすこぶる良いですね。お香も焚いていただいたせいか、だいぶ気持ちが落ち着きました。ありがとうございます」
ヘレナが所持している精油を選りすぐって香を焚いたと聞いている。オクタウィアに対して妬みを覚えたと口にしていたが、それでも治療に決して手を抜かず、職務に私情を持ち込まないところ、実に優秀な使用人であると言わざるを得ない。
「あの、ヘレナ様は? お礼を申し上げたいのですが」
「ああ……昨日遅かったんでな、まだ休ませている。何か急ぎの用件が何かあったらクロエに伝えてくれ」
寝床で何度も赦しを請いながら果てた女を叩き起こすような無粋者ではない。他の使用人たちにもクロエを通じて「家政婦長は遅くまでオクタウィアを看病していたから、クロエ以外の者は絶対に起こすな」と説明しておくよう、事前に手を打ってあった。
「そう言えば……ペレッツ卿にお会いしなければ。すぐに伺うつもりがこんなことになってしまって、ご迷惑をおかけしてしまいましたから」
「その件はアグネア殿とカリスが都督府に出向いて解決してきた。だからお嬢は何も心配しなくていいんだ。今日はゆっくり休むといい」
「わかりました。なにからなにまで本当にありがとうございます」
今の少女らしい微笑みが穏やかであるだけに、昨日の悲痛な叫びが彼にはいっそう痛々しく思われてならなかった。
オクタウィアの部屋を出て寝室に戻るとヘレナがまだ寝床に横たわっていた。目を覚ましているのか、寝室に帰ってきた彼をじっと見つめている。
「……おかえりなさいませ、シャルル様」
「おはよう、エレーヌ。目覚めはどうだい」
「昨夜あんなに愛してくださった方が他の女性の部屋の香りをつけて帰ってくるのはあまり気分がよくありませんね」
少しつれない。戯れか、あるいは偽らざる本心か。
ツンと唇を尖らせた彼女の銀髪を撫でながら言葉を掛ける。
「エレーヌはホント変わったよな」
「……」
「わがままになった。その分、もっと可愛くなったからいいけど」
面映ゆいのか真っ赤に染めた頬を包み込んで交わす目覚めの口づけ。
「改めておはよう、エレーヌ。目覚めはどうだい」
「……悪くはございませんね」
「まったく、素直じゃねぇな」
「そんなことはありませんよ」
今度は彼女から目をつぶって口づけの催促。
最初よりもゆっくりと時間をかけて唇を合わせ、手を握り合った後――
「おかげさまでよい目ざめですよ、シャルル様。おはようございます」
頬を赤らめた恋人の笑顔につられて、彼も
***
朝日に浮かぶ王都の丘に聳え立つ白亜の王城。
その近く、叡智の殿堂に降り立つ一羽の霊鳥。
脚に一巻の書簡を括り付けた
彼女は書簡をベアトリクス第一王女への目通りが許されている理事の一人に手渡し、それを手にした理事は公務に
「カリスから急ぎの書簡が来たのですね」
書簡の封を解くとそこにはカリス・ラグランシアの署名以外何も記されていない。しかし、第一王女が気に留める様子はなかった。なぜなら――
「――インジェクション」
宛先であるベアトリクス第一王女が自身の魔力を流し込んではじめて文字が浮かび上がる仕組みになっているからだ。
書簡を読んで口元を押さえるベアトリクス。その顔色は芳しくない。元来丈夫ではなかった身体に政務に係わる心労が圧し掛かっていた。
「未知の機動甲冑……まさか、そんなことが……」
軍務府からテッサリアで不穏な動きが見えるとの報告が寄せられたばかり、一方で外戚でもある大蔵卿コンスタンティアからは軍務府がテッサリアの政情不安を口実に過大な予算を請求しつつあり引き締めに当たるべきと進言しにやってくる。とはいえ政務の一部を妹のソフィア第二王女に肩代わりしてもらっている以上、弱音を吐いているわけにいかないと気が張っていた。
そのような中で目にした書簡に信じがたい報告が記されていたのである。
――過日、キエリオン郡南部を哨戒中の機動甲冑サイフィリオン、所属不明の敵と交戦せり。
状況を精査するにアルス・マグナの関知しない機動甲冑が存在。サイフィリオンとの偶発的戦闘に至った模様。
資格者オクタウィア・クラウディアは風の禁呪行使に至るも撃破ならずに帰還。戦闘後、搭乗者に大きな傷病は見られず、されど精神面での情緒不安定の兆候あり。サイフィリオンに目立った問題なし。
所属不明機体由来と考えられる装甲片回収に成功。極めて高精度のウーツ鋼であることを確認。王都での詳細調査を願いたくカルディツァより輸送を予定。
本件は王国正規軍カルディツァ都督府の関心も極めて大なり。アルス・マグナにて早急なる調査を願いたい所存――。
この
機動甲冑の研究に取り組ませてきたカリスが使役する
「カルディツァから装甲片が届き次第、最優先で解析を進めるように。手が足りなければエールセルジー修復に取り掛かっている人員を割いても構いません」
書簡を持ってきたアルス・マグナ理事に指示を下したベアトリクスの胸に不快感がつかえたまま残っていた。
***
テッサリアの主都ラリサからペネウス河を東に遡って
東部テッサリア最大の都市ジルトゥニオンは近年トリカラの実効支配下にあった。この都市を含むマレシナ郡はラリサとトリカラの中間にあり、人口も多いことから両者がたびたび奪い合いを繰り広げてきた歴史がある。現在はトリカラの一軍閥を率いる将軍が総督として東に隣接するヴィオティア郡とともに支配下に収めていた。
ジルトゥニオンの政庁が置かれた総督の屋敷で兵士たちが倒れ、呻いている。嘔吐する者たちも少なくない。まだ何ともない者たちの顔は恐怖に
「ひ、ひぃぃぃ!
郡都ジルトゥニオンから南へ
始まりは子供たちが咳をし始め、やがて血を吐くようになった。わが子を看病する親にも伝染し、村人の三分の一が倒れ伏したという。
すぐ近くの農村で流行り病が
農村の
そのような中、病気に倒れた親に代わって水くみに出た小さな子供がトリカラ兵に惨殺されてしまう悲劇が起こった。これに抗議した村人たち二十数名もトリカラ兵に続けて射殺されてしまった。
それだけなら小さな農村の悲劇で済んだろうか。
まことに小さな村の悲劇が国を巻き込む
断固たる封じ込めにもかかわらず、渡り鳥が気ままに枝に留まって飛び立っていくような不規則性を以って、疫病は遠く離れた村々に飛び火していった。
あの村の悲劇が自分たちにも降りかかるのでは――そんな民草の恐怖が軍閥の苛烈な統治にくすぶっていた不満に火をつけた。各地で一揆や打ち壊しが巻き起こる様はあたかも枯れ草に埋もれた山が燃えるようであったという。
叛乱を鎮圧したら見せしめに皆殺しにしてやると息巻いた将軍は騎兵大隊を率いて意気揚々と郡都ジルトゥニオンを発っていった。
郡都でも奇病にかかった者が次々現れたのはその数日後のことだ。誰が言い出したか、惨殺された村人たちの怨念のせいではないか――そんな不穏な噂もまことしやかに囁かれた。トリカラ軍にとって何よりも大事な軍馬たちも次々と泡を吹いて倒れ出すと、噂はよりいっそう真実味を帯びていった。
それまでずっと息を潜めていたテッサリア軍が一斉に越境攻撃を仕掛けてきたのはこのような折のこと。「野蛮なスキュティア人から同胞を救済する」との大義名分を掲げて三個大隊がマレシナ郡中部に進撃し、一部は一揆勢との合流を果たした――その急報にトリカラ軍ではどよめきが広がった。
しかし、トリカラ騎馬隊の圧倒的な機動力と突撃力を以って各個撃破すれば恐れるに足らずと
その
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