第二幕:鉄の装蹄師《シューフィッター》

第9話 内政と軍事(1)

 翌朝もシャルルの体調はそれほど芳しくなかった。起床時間を過ぎて起きてこない彼の様子をうかがいに寝床へ来たヘレナも何か気づいたか、彼に理由を尋ねた。

 ここに至って隠し通すのはもはや無理と悟った彼は、人払いを頼んだ上で昨日どのようなことが行われたのか、ヘレナに打ち明けた。


「そんな大事なこと……どうしておっしゃってくださらなかったのですか!?」

「少し血を抜かれただけだから。エレーヌに余計な心配かけたくなかったし」


 カリスが魔術回路を調べるにあたり、身体のあらゆるところを切り裂いて確認する方法を採ったので、傷は塞がれているものの少なからず出血を強いられていた。負傷には慣れている彼だが、体力が幾分落ちていることは否めない。


「いくら魔術で痛覚つうかくを断って傷口をつなぎ合わせたとはいえ、うしなわれた体力がすぐに回復するわけではないのですから……」


 紫色の瞳が苛立ちと悲しみの入り混じった色で曇っていた。胸がチクチク痛む。


「ごめんな……今は言えない事情があるんだ。後ろめたいことがあるわけじゃない。ソフィア様は事情をご存知だから、時が来れば君に明かしてくれるはずだ」

「……かしこまりました。ご出発を遅らせて一日ご静養なさってくださいませ。私もできる限りを尽くしますから」


 結局その日彼はカルディツァ郡の所領に戻ることを諦めて静養に努めた。

 ヘレナが身体を気遣って精力がつく食材やハーブなどを駆使してくれたおかげで、翌日にはすっかり元気を取り戻し、郡都カルディツァの屋敷に戻っていった。


 機動甲冑の運用復帰が無期限延期となった。それはシャルルの決心を後押しする。湊町の仮復旧が一区切りついたこともあり、これまで先延ばしにしていた私兵の育成に彼は着手した。


 ***


 ここは郡都カルディツァの裏通りに面した酒場の一軒。外には夜になるとどこからともなくみすぼらしい浮浪者が集まってくるが、酒場の入り口には雇われたガタイの良い用心棒が立っており、中はまだ安全な場所だった。

 そこに一人の女がやってきた。風雨や潮風でボロボロになった外套を脱いだ彼女は酒を一杯注文した。木をくり抜いた杯に赤い葡萄酒を注ぎ、酒場の主が差し出す。


「アンタ、どこから来たんだい」

「パラマスから。復旧工事で出稼ぎしてきたところ」

「なんだ、じゃその子もアンタのお仲間さんか」


 酒場の主が顎で指した先で酔いつぶれた女がぐうたらと眠っている。決して裕福な身なりではないが、それでもこの街の浮浪者よりはカネを持っているのだろう。なにしろ昼間から酒とツマミをかっ食らっていびきをかいているのだから。


「……あぁ、まぁね。たぶん似たようなもんさ」

「その子、あの大飢饉で地代ちだいが納められなくて農地を取られたって愚痴ってたね」

「そっかぁ……アタシはね、前の領主サマの屋敷で奴隷として働いてたんだ」

「奴隷って、アンタ……賤民せんみんにはとても見えねぇんだが」

債務さいむ奴隷どれいってヤツ。まぁ領主サマがお縄になってめでたく自由の身ってワケよ」


 彼女ら無産階級の者たちは湊町復旧に駆り出され日銭ひぜにを得ていたが、人手を必要とした仮復旧の終焉とともに仮初めの稼ぎを得ることすら難しくなっていった。そんな境遇にある者同士が意気投合するのは早かった。


「冷えた残飯を漁った暮らしとの再会を祝してッ! カンパーイ!」


 お互いにわらい合って、稼いできた銭で自棄ヤケ酒を呑んでいた彼女たちのもとにこんな知らせが舞い込んできた。


「新しい領主が兵隊を作るんだって。まずは志願者を五百人募っているみたいだよ」

「え、訓練に従事する者には飯を出すってホントか!?」

「なお、魔術の才能は問わないってさ……へぇ、王国軍ほど厳しくなさそうじゃん。どうする?」

「まぁ、おまんま食わせてもらえるんだったらとりあえず志願してみっかなー。辛かったら辞めりゃいいんだし」


 こうして彼女たちは志願兵の一人ひとりとなっていくのだが――。


 ***


「アーッ! もうやってられないですよッ!」

「ヒューッ! いいねぇ、嬢ちゃーん!」


 寒流と暖流がぶつかる潮目に近いアルデギア地方、そこで一番賑わった町の酒場でワインをあおった小太りの女性。荒海に立ち向かう屈強な漁師たちもその豪快な飲みっぷりに手を叩いてはやてる。


「ええ、農業のことはわかりますよ……土ならともかく、塩とか牡蠣カキとか海のことは門外漢すぎるんですけどぉ! あぁ、土が恋しいよぉ……」

「この辺の土はせているから農業には向かないもんね」

「えぇ、だからこの仕事、あたしに向いてないんだってぇ……ひっく……」


 農務官のうむかんフリッカ・リンナエウスと大蔵府おおくらふ主査しゅさユーティミア・デュカキス。王都からカルディツァ郡に派遣された官僚の二人が辺境の酒場で愚痴をこぼし合っていた。


「うえぇぇん、もうやだぁ、おうち帰りたい、土いじりだけしてたいよぉ……」

「なぁ、主査殿しゅさどの……酒が入ると彼女、上戸じょうごになるのか?」

「え、ええ……まぁ……」


 二人を酒場に誘った赤髪の武官アグネアことラエティティア・クラウディアは青髪の官僚ユーティミアに問う。眼鏡の奥の瞳には困惑の色が射していた。その隣では据わった眼をして杯を揺らす同期の官僚フリッカが唇を尖らせている。


牡蠣カキのちっさいのを干潟ひがたけって、とにかくけばいいっていったいなんなの、あたしもうわけわっかんないんだけど」

「私も塩づくりを管理してくれって呼ばれてきたけど、ここじゃ何もすることがないのよねぇ……」

「主査殿もいろいろ溜まっているようだな。聞くぞ?」

「え、いいんですか……それじゃあ」


 酒場に来て最初の方こそ「飲みに来て仕事の愚痴はやめましょう」と固辞していたユーティミアだが、アグネアが傾聴すると溜まっていたものがいろいろあったのか、芋づる式に次から次へと愚痴が飛び出してきた。


「だいたい人選がおかしいのよ。帳簿はわかっても塩の作り方知ってるわけじゃないんだし、ここじゃお荷物にしかならないんだもん。教わろうたって耳が遠いばあさん相手じゃ言葉通じないし、そしたらいつの間にかばあさんがその辺全部仕切ってるし私の出番ないじゃないの!」


 珍しく酒量が増えているこの大蔵官僚にも少なからず不満がたまっていると知り、アグネアは胃がキリキリする思いだった。


「まぁでも、主査殿は塩の物流に噛んでいるじゃないか」

「頭使うしか能がないんで、それくらいしか関われる余地がないんですよ、私って。ここで塩を作ってカルディツァまで運んで、さらにキエリオン東端のメネライダまで届ける――その為に必要な倉庫と荷車、人員と経費を算出して――こんな途方もない計画立てて思いました。実際ここまでやってもアントニウス卿が何を考えてるのか、私にはさっぱりわからない。ぜんぜん伝わってこないんですよッ!」


 机をばんばん叩いて熱弁するユーティミア。眼鏡の向こう、理知的に思われた切れ長の目にはこんな熱情が隠されていたのかとアグネアは思い知った。


「まぁ、奴の説明が足りないってところは私も激しく同意だ」

「でしょうっ!? あぁ、将校殿しょうこうどのが話のわかる方でホッとしましたよ」


 笑顔で語尾に力が入るユーティミア。領主であるカロルス・アントニウスの体面をつぶさないようにずっと胸に秘めていたアグネアの本音が口をついて出る。


「常備軍を作る――それが奴の考えさ。農繁期のうはんきに畑に戻る農民を都度徴兵するんじゃなくて、正規軍みたく専門の軍隊を持とうってわけだ。みんな他に生業なりわいを持たない者たちだから一所懸命訓練を受けている。徴兵した農民よりも鍛えがいがある。それ自体は悪くない。だが、私に言わせてもらえば所詮しょせん二流の軍隊だ」

「二流って……」


 思いのほか厳しい評価にユーティミアが青ざめ、唾を飲み込む。


「私たち正規軍は士官や下士官はもちろん一兵卒に至るまで、誰もが体系づけられた正しい魔術を学問として修めている。学のない者は兵卒にすらなれん。我ら正規軍とはそういうところだ」

「あぁ……たしかアントニウス卿が作ろうとする軍隊では魔術の才能は問わないって話になってましたね」

「だから腕自慢、力自慢の連中がぞろぞろ集まってきた。ガラが悪そうなのもいたから鼻っ柱を何本かへし折ってやったが、思ったよりしぶとくて見どころがあるぞ。剣や槍を持たせるだけなら十分役立つだろうしな」


 それを聞いてユーティミアは愛想笑いを浮かべるしかなかった。


「ちぐはぐと言いますか、とりあえず人を集めたというか……将校殿もそのあたりを感じているんでしょうか?」

「将校殿……ということは、主査殿か?」


 その問いに杯を傾けて口をつけるユーティミア。


「アントニウス卿が領地全体を使って何かやろうとしているのは感じるんです。でも塩を増産しても法律で市場価格が低く抑えられているから金儲けにはならない。塩と一緒に農産物とかいろいろ送る予定なんですけど、今のままでは歳出ばかりが増えて歳入に結び付かないんです。帳簿を見る私の立場からするとこんな取り組み、財政的には何の意味もありません」

「ま、牡蠣の貝殻いっぱいもらえるのはホントありがたいんだけどね。貝殻を焼いて石臼いしうすで砕いて農地に撒けば地力が回復できるから」

「あら、寝てたんじゃなかったの? フリッカ」

「ユーティミアの愚痴を聞き逃すなんてもったいないじゃない、そう思いません? アグネアさん」

「ああ、守りの堅い主査殿とようやく胸襟きょうきんを開いて話せた気分がする」

「えー、なんですぅ、その言い方ぁ~! そもそも主査殿って呼び方がカタいんですよー。そろそろユーティミアって呼んでくれてもいいじゃないですか」

「ああ、ユーティミア。私も今後はアグネアと呼んでくれ」

「それじゃあー、仲良くなった三人の未来にカンパーイ!」

「「カンパーイ!」」


 共通の相手の悪口を言い合うと結束する。

 正規軍の派閥と同じだな――とアグネアは美酒に酔っていた。


「でもねでもね! この間とても珍しい草を見つけたの! この辺の植生はちゃんと調査したことがないから、仕事の合間にいろいろ調べてる。それがここへ来た唯一の楽しみかしらね」

「なーんだ、土が恋しいとか言いながらけっこう楽しんでるんじゃないの」

「だぁーって、それくらいしか楽しみがないんだもーん!」

「……楽しみが見つかってよかったじゃないか。新しいのを注いでやろう」

「う……うっ……うえぇぇん!」


 酒瓶を手にしたアグネアが酒を注ぐ。半ギレ気味に言い放った農務官はぐびぐびと酒を飲みながら鼻をすすっていた。


「ところでさ、その珍しい草ってどんな感じなの?」

「よくぞ聞いてくれました! 小さな葉っぱがね、丸っこくて可愛いのよー!」


 するとフリッカは目を輝かせて新種かもしれない植物を見つけた自慢話を始めた。ユーティミアはフリッカの話を合わせて頷いている。

 そんな彼女たち二人を尻目にアグネアは独り考えていた。


(まぁ、奴のことだ……何か腹案があるのは間違いなさそうなんだが)


 どこから来たのかもわからない流浪の民でありながら、極めて貴重な黄金こがねを持っていたり、女王から領主に封じられた彼に無理難題を吹っ掛けたイメルダ・マルキウスを黄金それで黙らせてしまったり――流浪者にしてはただならぬ何かを秘めた者だった。だからこそ、彼の考えに疑問を抱きつつもそれを受け入れてきたつもりだ。


「試しに自前の鉢で育ててるんだけどね。可愛い見た目の割には生命力が強いのかしら、どんどん増えちゃって鉢が足りなくなるくらいなの。日々観察してるそれだけがあたしの癒し。こんどユーティミアにも見せてあげるね」

「フリッカは植物のことになるとホント目がキラキラするよねー」


 アグネア自身を含め、フリッカとユーティミアはそれぞれの持ち場で最大限仕事に打ち込んでいる。決して得意な分野でなく、無理くり楽しみを見出みいだしてまで不本意な仕事にかじりついている。

 だが彼だけに見えている思惑を彼女たちは知らない。目的地を知らされずに行軍を続けているに等しかった。

 このままではいずれ落伍者を生みかねない。それが気がかりだ。


「アグネアさん、なんか怖い顔してません?」

「ん? いや……なんでもないが」

「今さら隠し事はいけませんよぉ、アグネア」

「別に……奴には一度ガツンと言ってやらないといけないな、と」

「おぉ、頼もしいーっ! 一発ぶん殴っちゃってくださいよー!」

「おいおい、酒が回りすぎだぞ。二人とも」

「アグネアさんがいーっぱい飲ませたんじゃないですかぁ」

「むしろアグネアのほうが飲み足りないんじゃないのっ?」

「しょうがないな……ええい、ままよ!」


 肚が据わったアグネアは杯をぐっと呷った。

 今度彼に会ったら彼女たち官僚を代弁してこう言おう、そう胸に秘めて――。


「忙しくて話し合う時間が持てないのはわからなくもない。だが、その思惑の説明は一度きちんとしてくれよ。『竜殺し』の英雄様ッ!」











 そして、三人揃って最悪の気分で翌日を迎えたことは言うまでもない。

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