第19話 起き上がる巨人

 王太子ベアトリクスとの会談を終えたソフィアはシャルルを伴ってパラマスの宿に戻っていった。昼食を取るためであるが、もう一つ重要な目的がある。

 時同じくして治療院から戻ってきたヘレナとも合流したソフィアは正午過ぎの正餐の席でベアトリクスから要請された話を二人に切り出した。

「シャルルの体調の回復を待って、エールセルジーを再び動かしたいとの旨、お姉様より要請がありました。わたくしとしてはシャルル自身と、これまでシャルルを側で介抱してきたヘレナの意思を確認したうえで決めたいと回答し、お姉様からも理解を得ています」

「ご配慮に感謝いたします、ソフィア様」

「今日現場まで外出していかがでしたか? シャルル」

「荷馬車に乗る分には全く問題ありません。歩行して身体に痛みを感じることも特にありませんでした」

 瀕死の状態になってから一週間、目覚めてから五日目であったが、彼の肉体は想像以上に回復していた。彼自体が信じられないほどである。

「ヘレナはどう思いますか?」

「はい……一週間前とは見違えるほどご回復が早いように存じます。意識が目覚めた当日こそ痛みで身体を動かすにも難儀されていたご様子ですが、今となってはそれをまったく感じさせないほど回復なさっています」

「そうですか……エールセルジーに乗ることは可能だと思いますか? シャルル」

「個人的には問題ないと思います」

 シャルルが目を向けると、ヘレナもまた言葉を選ぶようにして応えた。

「機動甲冑に乗ってマナ枯渇が再発しないか、状況を注意深く見たほうがよいと存じますが……問題ないようでしたら、以前のように騎乗できるかもしれませんね」

「わかりました。その旨、お姉様にお答えいたします」

 二人の意思を確認したソフィアは、正餐の後に再びシャルルとともに現場を訪れ、ベアトリクスの要請を受け入れると正式に回答したのであった。


 ***


「病み上がりに無茶を言ってすみません、騎士殿」

「なぁに、気にするな! むしろ身体を動かす口実が出来たようなもんさ」

 背中の扉が開いたままのエールセルジーに一週間ぶりに乗り込んだシャルルは背後で待機するカリスに軽口で応えた。

 カリスは縄梯子を使ってエールセルジーの背中の上に登った。一週間前からずっと現場に擱座かくざしていたエールセルジーの再稼働のためである。

 氷嵐竜トルメンタドラゴンとの一戦で傷つき力尽きた機動甲冑は、竜の解体現場において大きな障害となっていた。かりにも伝説の竜を倒した英雄的存在であったから、その場で作業する誰も口にはしなかったが、一言でいえばであったのだ。

 そして、湊町の少なからずを破壊した恐ろしい怪物である巨大な竜を討伐し、その返り血を浴びたままの鋼鉄の人馬獣は、たとえ物言わずとも畏怖の念を禁じ得ない存在である。ただでさえ巨大な竜の遺体を解体、移動するだけでも恐怖と隣り合わせだった者たちの多くは、その傍らで膝をついたまま沈黙する巨体に言い知れぬ恐怖感を抱いてしまっている。

 アルス・マグナで機動甲冑に関与する一部の魔術師や、元来博物館の収蔵品として見慣れたものであった学芸員たちを除いて、こんな巨像の真横で作業を進めることを怖がって、なかなか人が集まらない――それがベアトリクスの悩みでもあった。

 カリスもそれをどうにかしたいと考えていたが、ただ一人の搭乗者であるシャルルが瀕死の重傷を被っており、ソフィア王女に対する遠慮もあって、これまでどうすることもできないでいた。しかし、彼が快く応じてくれたことで再稼働試験を実施するめどが立って、その日の午後に始める段取りを済ませたところである。

「さて、始めるぞ」

 シャルルは腰に差した一本の短剣を引き抜いた。ガーネットがあしらわれた剣は言うまでもなく、この機体の鍵そのものだ。彼は操縦席の傍らの溝にそれをゆっくりと突き刺した。

『インフィックス確認。システム、リスタート』

「……動いたぞ」

「本当ですかっ!? これだけの損傷なのに、ですか……」

 突如聞きなれない駆動音を発した巨体の周囲で、驚愕の眼差しをしてこちらを見上げる者たちのざわめきに彼は気づいた。竜と刺し違えるように沈黙していた鉄の巨人が再び目覚めたとなれば、事の経緯いきさつを知らない多くの者たちが恐れおののいてしまうのも無理はない。そこに思い至った彼は一度腰かけた操縦席から立ち上がって姿を現し、皆に向かって大声で詫びた。

「ビビらせちまってすまねぇな、みんな! こいつはいきなり暴れたりしないから、気にしないで続けてくれ!」

 半信半疑といった表情ながらも、彼の姿と言葉を見聞きした者たちは各々の作業に戻っていった。シャルルは大きくため息をついて、こうこぼした。

「そりゃそうだよな。こんなモンがいきなり動き出せば、誰だってああいう顔になっちまうだろうさ……」

「竜だけじゃなく、機動甲冑も夢物語の存在でしたから。驚くな、って言う方が無理ですよ」

「そんなものか……早く終わらせて、ここから移動できるならそうしてしまおう」

『姓名及び所属、階級をどうぞ』

 駆動音の響きが続く中、シャルルとカリスの会話が切れるのを狙いすましたように機動甲冑が彼に問いかけてきた。博物館で初めて問われた内容と同じであった。彼はその答えを知っていた。

「階級は資格者ソードホルダー、カロルス・アントニウスだ、“ケイローン”」

『搭乗を検知――搭乗者はカロルス・アントニウス――認証』

 扉の外から再び操縦席に戻ると、彼はこう言葉をかけた。

「今日はお前の健康診断だ。背中の扉は開けっ放しで頼む」

『了解。システムチェック・スタート』

「機能がどこまで生きてるか確認したいので、いつもどおりの感じで座っていて貰えますか?」

「いつもどおり、ねぇ。俺がやることはもうほとんど無いんだが……」

『――パイロットデータ・ロード。ビジョン・コネクト』

 直後、普段どおりにエールセルジーの見る景色がシャルルのまぶたにも映る。

「とりあえず、エールセルジーが見えてる物は俺にも見えてるっぽいな」

「なるほど……了解です。では、私もエールセルジーの回路に繋いでみますが、よろしいですか?」

「好きにやってくれ。そのへん、俺にはさっぱりだからな」

「じゃあ、好きにさせてもらいます」

 そう言うとカリスもいくつかの文言をぶつぶつとつぶやき始めた。時折指先が空中で文字を描くような動きをするものの、何が何やら彼には意味がわからない。

『メインシステムに異常無し。機体各部に損傷によるエラーを複数検知』

「……凄いですね。本当にほとんど『傷ついていない』って形になっています」

(ほう……いったいどうなってるんだ、こいつは)

 あの竜との死闘から一週間ぶりに、擱座したエールセルジーの姿を最初に見上げたとき、ひどい有様になってしまったものだと彼はため息をついた。この鋼鉄の人形もまた竜と同じく死んでしまったのではないか――各所の裂傷を目の当たりにしてそう思ったほどだ。

 聞けばカリスも彼と同様な考えだったらしく、この機体を再び動かせるのか自信が無かったのだという。そこで一か八か、賭けのつもりで調査を行っていた。もう動かせないのではないかと当初想定していたよりも、現状は悪くないようである。

「おい、“ケイローン”。これだけの傷だってのに平気なのか?」

『肯定。通常稼働、運用に支障無し。戦闘機動、七〇パーセントの効率で可能』

 深手を負った騎士のようであるが、主人に対してまだ戦えると答える殊勝な姿は、傷だらけになっても武人として今日まで戦い続けてきた彼自身と通じる何かがあったのかもしれない。彼はこう問いかけた。

「お前も、傷だらけだよな? 俺みたいにさ……」

 すると、シャルルの問いに対して珍しく即答せず、わずかな間をおいてからエールセルジーはこう応えた。

『――装甲表面のメンテナンスを要請』

「……装甲の、手入れ、ですか」

「まぁ、明らかに傷だらけだからな」

 するとカリスは空を見上げるようにしてうーん、うーんと唸りだした。無理もないかもしれない。博物館に収蔵されていた頃の美術品のような整った外見はすでに過去のものであり、甲冑はあちこち光沢が喪われるほど傷つき、それどころか一部が脱落した状態になっているからだ。

「問題しかないですよ、これ」

『背部装甲欠如。補修の必要あり』

「装甲って、コイツは鉄だろ? なんとかならんのか?」

 軽い気持ちでそう訊いた彼に、カリスはしばらく押し黙ってしまう。

「騎士殿、たいへん申し上げにくいのですが……」

 考え込み、頭を捻り、何度か唸った末に――カリスは姿勢を改めて、咳払いをし、実に深刻な顔をしてこう告げた。

「エールセルジーを直すのは不可能です」

「……まじで?」

『装甲表面のメンテナンスを要請』

「無理です。どうやっても無理です」

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