第11話 リンゴ畑でつかまえて(2)

「お、おかしいとは……いったい何がでしょうか?」

「匂いだよ、匂い。なんか臭いとは思わないのか?」

 領主とシャルルの会話がかみ合わない。領主だけでなく、シャルルを除く者たちも彼が何を言わんとしているのかわかりかねているようであった。

「こんなをソフィア様の口に入れる気か? 正気を疑うぞ!」

「な……何をおっしゃっているのか、わかりかねるのですが」

「じゃあ、わかった。お前が食え!」

 そう言うとシャルルは席を立ち、ソフィアの目の前にあった菓子を皿ごと奪い取ると領主の前に詰め寄った。領主は明らかに動転しており、先ほどとは比べ物にならない量の汗を垂れ流していた。

「お前、これがどんなものか味見してみろ!」

 領主の皿からスプーンを取り、ソフィアの席から奪った皿にあった菓子をすくって口元に持っていく。歯をがたがたと震わせる顎を力ずくでこじ開けると、シャルルは一口ほど中に放り込んだ。すると、領主はいきなり嘔吐して倒れたではないか。

「うえええっ……おえぇぇぇっ!」

「まさか……毒かっ!? 貴様!」

 われに返ったアグネアの身体が動くのは早かった。領主が口にした菓子を厨房から運んできた召使の首根っこをつかみ、床に押し当てた。

「ひいいいっ! どうかお許し、お許しをぉぉ……っ!」

「カロルス、オクタウィア、すぐにこの屋敷の使用人たちをここに集めろ。領主が卒倒したと伝えてな!」

「は、はいっ!」

 緊迫した雰囲気の中で呆然と表情を失っている金髪碧眼の少女に、銀髪の侍女が肩を叩いて喝を入れた。

「王女様、お気をたしかに!」

「……ヘレナ、わたくし……」

「大丈夫ですよ、王女様……」

 震えていることしかできないでいる王女を絶対に守る――その覚悟を持った侍女がきつく抱きしめているのを尻目に、アグネアは押さえつけていた召使を引っぺがしたカーテンを引き裂いて縛りつけ、シャルルとオクタウィアは使用人たちを大広間に軟禁しようと試みた。

「貴様がこの屋敷を取り仕切る者か? 主人から何か聞いていることはあるか?」

 この屋敷の家令がやってきて異状を悟ったが、質問をしてきた赤髪の武官に首元へ短剣を突き付けられるのが早かった。その主人は泡を吹いてうつぶせになっている。

「だ、旦那様!」

「早く質問に答えないと、貴様の主人の手当てが遅れるぞ。王族の食事に毒を盛ったのだからな、ここで死んでも文句は言えまい」

「こ、答えます! 答えますから!」

 その家令が言うには、この一帯に王国最南東部サロニカの商人とつながりを持った無頼漢たちが訪れており、領主とも少なからず関わりを持っていたらしい。アグネアの脳裏に嫌な予感がしたその時、召使がある違和感を口にした。

「あら……最近入ってきた新入りがいないわ、二人とも!」

「なに!?」

 その瞬間、ざっとシャルルの視界に割り込んだ景色があった。暗闇の中、屋敷の裏手から抜け出そうとする二人の女性の姿が見えた。

「お嬢様、裏口です。逃亡者が二人!」

 叫んだシャルルは大広間を飛び出した。すぐ後ろにオクタウィアもついてくる。裏口の扉が閉まった音がした。そこに向かってシャルルは駆け込んだ。

「動くなぁぁぁ!」

 ダンと扉を蹴飛ばしたシャルルだが、二人の女性は全速力で逃げていく。胸に隠し持ったダガーを手にしたが、もはやそれが届く距離ではなかった。

「ウィンド・アロー!」

 するとオクタウィアが叫び、顔の真横をビュンと何かが通り過ぎる音がした。刹那前を走る女性の悲鳴がして、バタッと倒れこむのがわかった。

「ダメ、もう一人は……間に合わないっ!」

 今、オクタウィアの手に弓があればもう一本射掛けていたかもしれない。しかし、晩餐に誘われた賓客である手前、弓を持ち込むわけにはいかなかったのだ。

「とりあえず仕留めた一人だけでも身柄を押さえなければ」

 シャルルは外に向かって走り、倒れこんだ女の首根っこをつかむとそのまま屋敷へと引きずっていった。戻った屋敷の中ではアグネアの詰問に、家令が泣きながらこう言った。

「旦那様はサロニカの商人からレンディナ村での麻の栽培を持ち掛けられました。最初は衣服に用いる麻の栽培だと思っていたのですが、そうではなかったのです」

「――大麻草たいまそうか」

 アグネアの問いに無言で家令は頷くと、身体を震わせながらこう続けた。

「旦那様も騙されていたのです。国で取り扱いが制限されている植物の栽培を無許可で行っていることが露見したら大変なことになる――そう言って旦那様は商人に雇われた者たちに畑を取り除くように言いました。しかし、連中は耳を貸さず、それどころか大麻草の栽培に加担した罪を密告してやろうかと脅したのです。あとは……連中の言われるがまま。やくざ者の手口でした」

「だが、王族に毒を盛ったことは紛れもない事実だ。仮に命が助かったとして、生きながらにして五体を引き裂かれても不思議ではない大罪だ」

 厳しいまなざしを拘束された召使に向けると、彼女はうなだれて言った。 

「旦那様からは『眠り薬』だと言われました。わたし、わたし、そんな恐ろしい薬だなんて知らなかったんです……ううっ……」

 大広間の沈黙の中、召使の嗚咽だけが響く。その瞬間、シャルルの脳裏に頭を殴られたような痛みが一瞬走った。

『エマージェンシー! 熱源多数接近! エマージェンシー!』

(――なんだ、今のは!)

 脳裏に直接訴えかける機動甲冑の声に彼は窓の外を見た。

「屋敷の外だ! 何者かに囲まれているぞ!」

 彼の叫び声にアグネアとオクタウィアが咄嗟に窓際へと動いた。手にたいまつを持った不審者たちが数十人ほど外にいることがわかった。

「屋敷に火をつける気か――おのれええっ!」

 怒髪天を衝く殺気を惜しげもなくまき散らした赤髪の武官の姿に、召使たちが震え上がった。腰を抜かした家令は顎を振るわせて青ざめていた。

「奴らが……奴らが証拠を消しに来たんだわ! もうおしまいよぉっ!」

「……こんなところで、やられてたまるもんですかっ!」

 今までずっと椅子に座ったまま沈黙を保ってきた金髪碧眼の少女がこぶしをぎゅっと握りしめて立ちあがった。朧気おぼろげだったその目はいつの間にか据わっていた。

「ヘレナ、わたくしはもう平気。大丈夫ですから」

「王女様……」

「あなたには『水』の魔術があります。屋敷を燃やされるのを極力食い止めなさい」

「かしこまりました。この命を懸けて、ご命令を果たします」

「アグネアは正面からの襲撃に備えて万全の守りを。敵を引き付けるぐらい、派手に暴れてきなさい。相手が降伏の意思を示さない限り、生死は問わないものとします」

「御意にございます!」

「シャルルはアグネアが注意を引く間に裏手から出て、エールセルジーを稼働させなさい。ただし縄梯子を上る間に必ず隙が生まれます。オクタウィアはその間、シャルルの援護をお願いしますわね」

「はっ! おまかせを!」

「かしこまりました、殿下!」

 一人ひとりの担う役割を理解し、矢継ぎ早に指示を下したソフィアは全員に散開を命じた。ほどなく全員が配置につき、たった五人の防衛戦が幕を開けた。


 ***


 領主の屋敷に潜り込ませていた手下が一人帰ってきた。領主が『やり損なった』という。とはいえそれを見越して手を打っている――やくざの頭目は昼のうちに村から引き揚げさせていた五〇人ほどの手下をかき集めて、領主に招かれた王女一行ともども屋敷を焼き払い、証拠隠滅を図ろうとしたのである。

 すると屋敷の玄関からたった一人、何者かが現れた。馬鹿か――手下の一人がクロスボウで狙いを付けようとした瞬間、

「ファイア・ジャベリン!」

 真っ赤に光る棒切れが飛んできて、凝視している間に地に落ち、爆発を起こした。それをまともに浴びた五、六人ほどの手下が火だるまとなって地面を転がり、すぐに動かなくなった。

「おいおいおい……なんだありゃあ!」

「ファイア・ジャベリン!」

 今度は違う方向に同じものが飛んでいき、ドオオン!と破裂音を轟かせた。火をつけるつもりだった手下どもはまさか自分たちに火がつけられるとは思わなかったせいか、蜘蛛の子を散らしたように大混乱の中にあった。

「馬鹿野郎! 何やってんだ、屋敷に火をつけるんだよ! 早くしな!」

 体格の大きな手下がたいまつを放り投げる。それが屋敷の木造の屋根にかかるかかからないかというところで突風にあおられて弾かれてしまった。


「……矢除やよけのかぜよ。降りかかる火の粉を払いたまえ!」

 窓際から投げ込まれる火を視認していたソフィアは屋敷の屋根の手前に風による隔壁を作り上げていた。通常は自分の身を守る大きさにするのが普通であるため、屋根全体に張るとなると消費する魔力は段違いに大きい。そこで投げ込まれる瞬間だけ、それが飛んできた一帯に限って隔壁を展開する離れ業をやってのけた。こうして消費される魔力は抑えられるが詠唱のたびに精神力をすり減らしていく。

 やがて、払いのけきれないたいまつが出てくる。無情にも屋根に転がり落ち、ボロ布にしみついた油ごと火が移った瞬間、

「ウォータ・フォール!」

 その真上からまとまった水塊が落ちてきて火を消しにかかった。水の魔術がたいまつの火をかき消したのを認めた銀髪紫眼の使用人には主人を気遣う余裕があった。

「大丈夫ですか、王女様」

「まだまだ、どうということありませんわ!」

 こうして屋敷の正面でアグネア、ソフィア、ヘレナの三人が応戦している間にダガーを手にしたシャルルは裏手へと抜け出した。裏手側には十五人ほどの敵がいる。エールセルジーの目を通して、どこで息を潜ませているかがわかるのだ。

「お嬢様……裏門の前、右の木陰に一人、物置の物陰に二人おります。物置側のうち一人くらい射抜けますか?」

「私、夜目が利くんです。やってみます!」

 彼の背中に隠れていたオクタウィアが小声で詠唱し、土塊つちくれを鋭く固めた矢を三本作り出す。そして左手を前に突き出して狙いを定め、三本のうちの一本を軽く握った右手を引き、敵が物陰から姿を現す時を待った。

 賊の半身が物陰を出た瞬間、オクタウィアは風の魔術により弾き飛ばした矢でその胸を射抜いた。仲間をやられて動転している隙にシャルルが木陰に走りこんで、一人の胸にダガーを突き刺す。

 背中を向けたシャルルに生き残った物置の一人がナイフを持って斬りかかろうとした刹那、シャルルは身をひるがえし、飛び込んできた賊のナイフを右に避けつつ、腰に差した剣の柄頭を胸板にぶちかました。肋骨を砕かれ呼吸のできなくなった賊は血の泡を吹いたままうつ伏して沈黙した。先にこと切れた賊の遺体からダガーを引き抜き、オクタウィアを手招きすると、彼は裏門の陰に走りこんで張り付いた。

「師範のお手並み、まったく無駄がありませんね」

「くぐった死線の数が違いますので――残りはすべて門の外のようです」

 少数の待ち伏せを仕掛けていたところをみるに、正面から火をつけて屋敷を焼き討ちにしつつ、もしも裏側に逃げてきたとしても確実に始末する算段だったのだろう。彼がエールセルジーに監視させていたから見破れたかもしれないが、いずれにしても油断ならない相手であることに変わりはない。

「どうしても目立ってしまいますので私は囮になりましょう。お嬢様は私を狙う賊を見つけたら片っ端から射抜いてください」

「わかりました、どうかお気をつけて」


 襲撃を開始してから十分弱が経っていた。やくざの頭目から新たな指示を受けた手下が裏手側に回り込んできたところであった。

「裏口にも火を付けろと親分が」

「よーし、野郎ども、火を――」

 よそ見をしていたところに首筋に長剣の一撃を見舞われた裏手の隊長はあっけなく絶命した。素早く動く影があり、周りの手下の間を駆け抜けて逃げていった。

「待て、この野郎っ!」

 われに返った手下数名が追跡する。巨大な像の真下に逃げた人影が立っていた。

「よくもやってくれたな! 死ねぇ!」

 先端に毒を塗ったナイフを振り回して人影に襲い掛かった瞬間、

「ダスト・デビルッ!」

 鋭い叫び声が聞こえ、強い風が巻き起こった。土埃が襲い掛かり、視界を奪われた賊が怯んだ隙に人影が消えていた。垂れ下がった縄梯子の上によじ登っていたのだ。

「馬鹿なやつ! もう逃げられないよ!」

 逃げ場のない縄梯子の上に消えた人影を追いかけ、賊が続いて縄梯子をよじ登ったがその先には誰もいなかった。

『フラアアアアアアアアッ!』

 刹那、耳をつんざく大声が一帯に轟き、両耳の鼓膜を破られた賊は地面へと叩きつけられた。その鋼鉄の人馬獣の叫びが悪党らの終わりの始まりであった。

 たいまつに火をつけて裏手から投げ込もうとした数名に、恐るべき速度と質量を伴った何かが襲い掛かり、軽々と蹴飛ばした。百フィート三〇メートルほど飛んで原形をとどめなかった者がいたほどである。彼女たちのほとんどは断末魔を上げる間もなく轢死してしまった。

 オクタウィア以外の生存反応が皆無になったことを理解したシャルルは、エールセルジーを屋敷の表側に走らせた。屋敷の入り口、門扉もんぴの裏に身を潜ませているアグネアは健在であると知った。しかし、入り口近くに賊が迫っており、彼女一人でこれ以上食い止めるのは限界に近い。シャルルは無我夢中で叫んだ。

「威嚇しろ! “ケイローン”!」

 すると機動甲冑の巨体は前脚を高く持ち上げ、勢いよく蹄を地面にたたきつけた。ドォォォン!という地震のような振動が地面に伝わり、その場に立っていた者が皆転倒した。それに驚いたか、近くの森の木々で羽を休めていたであろう鳥たちが一斉に飛び立ってざわめき、月夜に黒々とした影を描く様が不気味であった。

「何なのよ、こんなの聞いてないわよ……」

 思いもよらぬ出来事が相次ぎ、震え上がった悪党たちはその場に座り込んでしまった。やくざの頭目も絶句するしかなかった。

「う、嘘だろぉ……なんなんだよ、あんなの……勝てるわけねえだろぉ……」

 恐怖のあまり腰を抜かすにとどまらず失禁する者もいるほどで、悪党たちの士気は粉々に吹き飛んでいた。アグネアが合流したオクタウィアとともに屋敷の正面から外に現れた時、彼女たちを殺そうとしていた悪党どもは恐怖に支配されており、もはや抵抗する意思を失っていた。


 その後、レンディナ村から異変を聞きつけた増援が駆け付けてきた。悪党の生存者はすべて縄で縛られ、犠牲者もすべて一カ所に集められ山積みとされた。屋敷の関係者も大広間に軟禁されたまま、一切の行動を制限されることになった。

 原状を保つ必要があったため、増援に来た彼女たちは代わる代わる見張りに立って一晩を明かした。翌朝、レンディナ村の宿営地を引き払った残りの者たちも街に到着して、新たな宿営地を構えた。ここでようやく増援の者たちは夜通しの活動から休息に入ることができた。

 徴税監察官たちは焼失を免れた屋敷に立ち入り調査を始めた。徴税に関する書類は言うに及ばず、領主が残していた書簡や証拠書類をすべて押さえることに成功した。その領主は生死の境を彷徨うも、ヘレナの治癒術が奏功してかろうじて峠を越えた。

「王女殿下、証拠の保全に全力を尽くしてくださり、誠にありがとうございました。リンゴ畑の裏の林の中に、大麻草の隠し畑があるようでございます。私たちだけでは手が足りませんので、王都に増援の派遣を依頼したいと存じます」

 結果的に、ソフィアと新兵たちは遠征の最初に立ち寄ったレンディナ村で違法作物の不正栽培を摘発する大手柄を挙げたのである。

「わたくしがリンゴ畑を訪れた目的が、大麻草を狙った抜き打ち調査と誤解されたのでしょうか……なんともまぁ」

「よいではありませんか、誰一人として死ななかったのですから」

「そう言うあなたが一番むごい殺し方をしておりますけれど? シャルル」

「味方の損害は最小限に、敵の損害は最大限に――これが戦争の基本でございます。ソフィア様」

 悪びれることなくそう切り返した自らの騎士に、王女はあきれ果てていた。

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