犬神家の一族

「あいたたた……、少しやり過ぎちゃったかな?」


 ズキズキする頭をさすりながら、あお向けの身体を起こす。

 砂嵐状態だったモニターが直ると、画面一杯にサルの顔が広がった。


 墜落の衝撃によって投げ出され、猿山まで飛ばされてしまったらしい。

 頑丈な〈PDF〉を着ていなかったら、全身の骨が折れていたかも知れない。


 実際、防護服のディゲルは、ピクリとも動かない。

 ただただ上半身をホッキョクグマのプールに突っ込み、両足をまっすぐ伸ばしている。


 とんだ犬神いぬがみ佐清すけきよに、クマさんも若干引き気味だ。


「そうだ、あの子は!?」


〈サティ〉は一心不乱に頭を動かし、園内を見回す。

 女の子はトイレの脇ではなく、ベンチのかげに座り込んでいた。


 恐らく、大グモが墜落した際の突風に、吹き飛ばされてしまったのだろう。


 土煙のせいで顔は真っ黒だが、目立った傷は負っていない。

 念のため、他の来園者も見てみたが、誰一人大きなケガはしていないようだ。


 人々は嘘のように足を止め、真ん丸く口をけている。

 一つ残らず点になった目は、猿山の〈サティ〉に向けられていた。


「あ、どうも。お騒がせしてます」


 軽く頭を下げ、猿山の外に跳ぶ。

 するとホッキョクグマのコーナーから、日に一回は聞く怒号が聞こえた。


「邪魔だ、この畜生!」


 心配そうなクマさんを蹴散らし、ディゲルは高い塀をよじ登る。

 そして檻の外に出ると、脇目も振らず〈サティ〉に詰め寄った。


「このクソロリ、何てことしやがる! 『Another』なら完全に死んでたぞ!」


 ディゲルは〈サティ〉の胸ぐらを掴み、ゼロ距離から怒鳴り付ける。

 防護服の中は真っ赤っかで、額にはくっきりと血管が浮いていた。


「仕方ないでしょ! 緊急事態だったんだから!」


「さてはお前、私を葬ろうとしてるな!? 狙いは何だ!? 私の財産か!? 地位か!?」


「くーねえの財産なんて、残高一二円の口座くらいでしょ!」


〈サティ〉はディゲルを突き飛ばし、フリーズ中の行列を指す。


「世迷い言はいいから、早くみんなを避難させて!」


「避難だと? あのハエは潰れたんじゃないのか!?」


「だといいけど……」


〈サティ〉は口ごもり、作りたてのクレーターに目を向ける。

 濃い土煙のせいで、一帯の様子をうかがうことは出来ない。


 しかし何しろ、空の上からワゴン車ほどもあるクモが降って来たのだ。


 ぺちゃんこに押し潰され、息絶えたと考えるのが妥当だ。


 ではなぜ、やけに唇が乾くのだろう?


 口論で火照ほてったはずの身体には、言い知れない寒気が取り憑いている。

 まさかスパイダーなヒーローらしく、特別なセンスが告げているのだろうか。


 まだ終わっていない、と。


「……サーモグラフィーを起動したほうがいいかも知れないね」


〈サティ〉はモニター左下に目を向け、遺影のマークに視点を合わせる。

 すぐにモニター関連のアイコンが表示されたが、結局、設定を変更することはなかった。


 その直前、土煙から尾が突き出し、大きく空中を薙ぎ払ったから。


 一瞬にして土煙が吹き飛び、おなじみのハエが視界に入る。


 クレーターが出来た時に、アスファルトの破片を浴びたのだろうか。


 T字型の頭には、細かいすり傷が残っている。

 ただ明らかに立体的で、ぺちゃんこと呼べる状態ではない。


「おいおい、無傷だってのか!? あんなものを喰らっておいて!?」


「……ううん、ぎりぎりで避けたんだよ」


 昆虫は意外と頑丈だが、所詮は生身の生き物だ。


 大人より巨大になったハエも、例外ではない。

 隕石ばりのボディプレスを受けたなら、今頃は真っ平らになっているはずだ。


 ベベ……ブブブ……。


 ハエは埃だらけのはねを震わせ、粉塵を棚引かせる。

 同時に勢いよく頭を出し、口から濁った水流を噴く。


「また酸か!」


〈サティ〉は右手を大きく回し、身体の前に円を描く。

 すぐさま腕輪から子グモが溢れ出し、〈サティ〉の前に壁を作った。


 じゅう……っと水が沸騰するような音が鳴り、壁の表面から白煙が棚引く。

 すぐに刺激臭が漂いだし、仮面の中の顔を歪ませた。


「ここは私に任せて! くーねえはみんなの避難を!」


「言われんでも丸投げだ! 私はか弱いオ・ト・メなんだぞ!? あんな化け物、相手に出来るか!」


 オ・ト・メにしては野太い声を発し、ディゲルは倒れた隊員たちを一喝する。


「いつまで寝てんだ、この役立たずども! さっさと起きて、私の肉壁になれ!」


 隊員たちはビクッ! と身体を震わせ、次々と起き上がる。

 一秒前まで白目だった隊員まで、コメツキムシのように跳ね起きてしまった。


 パワハラ長官への恐怖は、隊員たちの本能にまで組み込まれているらしい。


「動けるものは負傷者に手を貸せ! 客を避難させながら、我々も撤退するぞ!」


 ディゲルは女の子に駆け寄り、小さな手を取る。

 その後、隊員たちを引き連れ、出口に走った。


「オラッ、キリキリ歩け! お前らが一人でもくたばると、私が偉いオッサンに叱られるんだよ!」


 ディゲルはポケットの拳銃を引き抜き、空に向けて発砲する。

 銃声を聞いた人々は、突然背中を叩かれたように肩を震わせた。


 これも「統率力がある」と言うのだろうか。


 すし詰め状態だった行列が、少しずつ前に進んでいく。


 しかも人々は固く口を閉じ、不平の一つも漏らさない。

 聞こえてくるのは、整然と揃った靴音だけだ。


 下手な発言をしようものなら、空ではなく眉間に発砲されると思っているらしい。

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