第170話「ミッション達成」

 触手に包まれてから、どれほどの時間が経過したのだろう。

 何の前触れもなく、カバッと奇っ怪な音を立てて、俺は触手の渦から吐き出された。


 身体中をくすぐられて、吸われて、なぶられて、舐められて、もう訳がわからなくなって……。

 もはや身体がそこにあるという意識も薄れるほど息苦しかったのに、吐き出されたあとは、まるで長い眠りから目覚めたようなスッキリした気分だった。


 生まれ変わったように視界がクリアだ。そして、ゆっくりと起き上がる俺は、やっぱり全裸だった。

 さて、俺の服はどこに行ってしまったのか。触手に飲み込まれて、そのまま食べられてしまったのか。


 そう思っていたら、下着、防寒を兼ねて重ね着していた上着、ズボン、ミスリルの鎧が、触手お姉さんの中から続けて、プッ、プッと、吐き出されてくる。

 俺の身体は、触手から塗りたくられた白い粘液でドロドロになっているのに、ミスリルの鎧は何故か新品同様に磨かれて、ピカピカに光り輝いている。


 吐き出されてきた服はと言えば、そちらもクリーニングにかけられたように綺麗で、畳まれてさえいる。表面を触ると、さらっと乾いている。

 しかも、洗いたての白さ。なんか下着は生地がふわふわして、「柔軟剤変えた?」って尋ねたくなる出来栄え。


「なんでシャツに、バリっと糊付けまでされているんだよ……」


 一体どうなっているのかとは聞いてもしょうがない。多分触手お姉さんの中に洗濯屋ランドリーでもあったんだろう。この不思議生物にかかってはなんでもありなので、今更だろう。

 最後に、「スポン!」と小気味良い音を立てて、ブーツまで全部吐き出してしまった触手お姉さんは、もう俺に興味を失ったみたいで、いつもの彫刻めいた無表情になった。


 そして、別れの挨拶もなく唐突に、ズルズルと触手を蠢かせながら明後日の方角へと移動していく。


「あっ、そっちは壁だけど……」

「私は死んでも代わりはいるもの」


 返事があったのはいいが、なんでちょっとカッコイイセリフなんだよ。死んでも代わりはいるらしい触手お姉さんは、そのままスルッと岩壁の中に吸い込まれて消えた。

 そうだよなあ、壁とか関係ない系の存在なんだよなあ……。


 身体がヌルヌルなのはまだ許せるのだが、なんか今度は急速に乾燥して肌がパリパリしてくる。上着の糊付けって、もしかしてこれの効果か。

 とにかく肌がパリパリするのはかなわない。タオルもないので、やむなく上着の一枚でベトつく身体の粘液を拭いてから、俺は服と鎧を身に着けてブーツも履いた。


「さて、これをどうするべきか」


 洞穴の奥底には首を落とされた、巨大な神獣ベヒモスの死骸が転がっている。

 あとは長いうどんの塊が、一本……なんだこの組み合わせ。


 そこに竜乙女のアレが、ドラゴンの羽をばたつかせて戻ってきた。


「さすが、勇者ダ! あの怪物を倒したのダナ!」

「うーん、何と言ったらいいのかな……」


 確かに、ベヒモスの眉間には魔法剣ティソーナが突き刺さったままだし、俺が倒したようにも見えるだろう。

 もう誰が倒したとかどうでもいいんだが、誰も見てないことでもある。海賊たちには、勇者である俺が神獣ベヒモスを颯爽と倒した……としておいたほうが、協力してくれるかもしれないという打算も働く。


「なあ勇者、ところで人間の戦士や魔族の魔術師はどこにいったんだ」

「ああっ!」


 どうやら俺は、触手に飲み込まれたショックで前後不覚に陥っていたようだ。

 さっきまで一緒に戦っていた、ルイーズやカアラを忘れてしまうとは……。しかし、二人は一体どこに消えた。


「私が飛んできた間にはいなかったゾ」

「それはおかしい、ルイーズたちはアレほど吹き飛ばされてないはずだ。この洞窟のどっかには居るだろ」


 かなり激烈な戦闘だったので、細かくは思い出せないが、吹き飛ばされただけでベヒモスにやられたってことはないはずだ。

 しかし、洞窟の奥にも先の通路にもいないとなると、二人が居ると考えられる場所は……。


「なあ勇者、この気持ち悪いの、なんなんだゾ……」

「えっ、うわぁぁ」


 天井から、ゆっくりとピンク色の肉の塊がズルズルとぶら下がって来た。

 これどう見ても、お姉さんの触手だよな。どっからどうやって、生えてるんだよ。


 突如として天井から現れた巨大な筒状の肉が、ブルンッ、ブルンッと何か得体のしれない生物の尻尾のように、左右に大きく揺れている。

 天井からズルリと垂れ下がった、ピンク色の滑りのある肉としか形容できぬ塊。一番近いものは、学校の消防訓練のときに使った脱出用の救助袋きゅうじょぶくろであろうか。


 柔らかい肉で出来たピンク色の滑り台、なんて考えて眺めていると、心が不安定になってくる。ガリガリと、正気が削られていく音が聞こえる。

 アレが、竜角の先から尻尾の先までブルブルと震わせて、俺にひっついてきた。小さく悲鳴を漏らしながら、無敵の竜乙女が身をすくませて怯えている。


「勇者ぁ、これなんか怖いヨォォ、いやぁダァァ!」

「おいアレ、揺れる触手をあんまり見るんじゃない! おいっ、『古き者』まだどっかに居るんだろう、分かってるんだぞっ! というか、これ本当になんか怖いから、早くなんとかしてくれ!」


「ひぁぁ、お化けダァァ! 勇者下ッ、したァァ!」


 俺に擦り寄っていたアレが、ぴょんと後ろに飛び退いた。

 アレが腰を抜かしながら、震える手で指を差す。俺たちの足元から、ひょこっと、筍のように触手お姉さんの顔が出てきていた。


 床から整った女性の顔が出てくるのも十分に怖いが、天井から垂れ下がって揺れる巨大な肉のホースよりはなんぼかマシだ。

 触手お姉さんの生首を見て、ギャーギャー悲鳴を上げて転げまわっているアレは、驚きすぎて腰を抜かしているようだった、申し訳ないけどちょっと笑ってしまった。


 いや、笑ってはいけないのだが、戦闘では神獣とも果敢に戦い、鋭い爪で敵の首を斬り飛ばす竜乙女でも、ホラー仕立ての生首が床から出てくると悲鳴を上げるんだなと少し意外に思った。

 地中から生首状態の触手お姉さんも、凄絶な笑みで「うふふ」と笑い声をあげた。


 いやいや、怖いから口に出しては突っ込めないけど、当事者のお前が笑うなよ!

 声を上げて笑った触手お姉さんは、今度は気恥ずかしそうに頬を赤らめて、はにかんだ表情を浮かべている。ニュルッと触手を出して紅潮したほっぺを押さえた。この奇っ怪な反応、悪い予感しかしない。


「あのさっきは呼び捨てして悪かったけど、『古き者』様よ、これって何なの……」

「落とし物、です」


 触手お姉さんがそう言うと同時に、肉のホースから「ブツンッ!」と何かが切れるような大きな音が響いた。続いて、バシャッと大量の乳白色の液体とともに、ルイーズとカアラが吐き出されてきた。

 白い粘液にべっとりと塗れて、絡みあうように肉の穴から産み出された二人は当然のごとく全裸で、意識を失っているように見えた。


 素っぱだかなのはしょうがない、俺もそうだったのでしょうがないと思うんだが……。

 ねっとりと白い体液まみれになって吐き出されてきた二人が、そのなんというか……とても直視できない恥ずかしい感じになっている。


「これ、どうしたらいいんだ……」


 とにかく二人を助け起こそうと近寄った時に、見たくないのについチラッと、ピンク色の肉のホースの中を見てしまった。

 ピンク色の肉の入り口からは、乳白色のネバネバした体液が、トロリトロリとこぼれ落ちてくる。その内側は、ウネウネと蠕動するイソギンチャクを思わせる無数の触手であった。ルイーズたちは、こんなおぞましい穴の中をくぐり抜けてきたのか。見てるだけで、背筋がむず痒くなり、心が不安定になるのを感じる。


 触手責めは俺だってやられたんだけど、視覚的にも来るものがあるなこれ……。

 二人は、俺とはまた別のタイプの気色の悪いピンク色の肉の触手に引きずり込まれて、この穴を通って出てきたわけだ。


 触手お姉さんは、飲み込んだ二人を戻さなきゃいけないことに気がついて、戻って来てくれたのだろう。吐き出すのを忘れられたままだったらどうなっていたのか、そう考えると心底ゾッとした。

 やはり『古き者』とは、みだりに触れてはいけないアンタッチャブルな恐ろしい存在なのだ。


 天井から不気味にブランブランと揺れるピンク色の肉の穴は、ルイーズの服やオリハルコン製の装備、カアラの水着のような下着や黒ローブを相次いで撒き散らすとスルスルと登って岩の間に消えた。

 気がついたら、床から顔を出していた触手お姉さんも居なくなっていた。


 本当に、出るときは唐突で、消えるときも唐突である。

 帰るときも挨拶ぐらいして欲しいよ。そうじゃないと、もう出ないよなとか考えて、いつまでも不安になってしまう。


「おい大丈夫かルイーズ、しっかりしろ!」

「あ、あくっ……」


 意識がないルイーズは、言葉にもならない呻き声をあげている。吐き気にえづいただけかもしれない。

 触手に長時間責め続けられ、散々な目に合わされたのだろう。熱に侵されたようなルイーズの赤らんだ頬、熱い吐息……その顔は、もう俺の貧弱な語彙では、どう表現したらいいのか分からないほどに壊れていた。


 ぐったりとしたその肢体は、今にもとろけ落ちそうな感じがする。彼女の眼と鼻からは留めなく液体がこぼれ落ち、半開きになった赤くヌメった唇からは舌がベロンと垂れ下がり、ヨダレまで出ていた。

 普段のしっかりしたルイーズが、今の自分の顔をみたら自決しかねない。


 そして、乳白色の体液でべっとりと濡れた身体の方は、サウナでのぼせたように全身が紅潮していた。

 いや詳しく描写するのは、本人の名誉のためも止めよう。粘液にまみれてぐったりと弛緩した身体は、アレがナニで、とても人様にお見せできない状況になってしまっている。


 俺も出てきたときこんな顔だったんだろうか、誰かに見られなくてよかった。

 直視するのも躊躇ためらわれる状態になってしまっている二人に困惑しつつ、マントやローブで巻いて介抱していると、アレが爪で神獣の毛皮を切り裂いて持ってきてくれた。


 さすがに、この状況ではアレもフザケないで介抱を手伝ってくれるか。

 唯一この触手に巻き込まれなかったアレは、運が良かったな。


「毛皮を切ってもっと持ってこようか」

「ありがとう、硬い床に寝かせるよりはいいな」


 こんなことになるなら、武器よりもタオルを持ってくるのだった。毛皮の上に寝かせた二人の肌にこびりついた触手の体液を、ルイーズは上着で、カアラは下着を使って拭いていく。

 火照って熱を帯びた肌は、ちょっと手が触れただけでも電流が走ったようにビクビクと震える。とても触るのが躊躇われるのだが、今は糸をひくようにとろりした液体も、すぐに乾いて肌がパリパリになってしまうはずだ。


 綺麗にしない訳にはいかない。

 こんなときに水魔法でも使えれば一瞬で綺麗にできるのにと、魔法の使えない身を嘆きながら拭き清めた。


 ようやく二人の身体を拭き終わってから気がついたのだが、あれほど激しい戦闘だったのに、二人の肌には傷一つない。

 そういや俺の身体だってそうだ。ベヒモスのいななききで鼓膜が破れていたのに、よく耳が聞こえていると気がついた。俺もルイーズたちも、激しい戦闘で付いた身体中の傷が全て癒えてしまっている。


 あの触手お姉さんの体液には、治療効果があるのかもしれない。

 もしかしたら、「そこには善意があるのか?」とも思えるのだが、こっちには回復ポーションがあるので回復なんかいらないのだ。


 延々と常軌を逸した触手に舐られて、がっつり精神を削られたことを考えると、その治療にはまったくありがたみがない。

 そのあたりも『古き者』のやることと言える。


「ううっ……」

「カアラ、目を覚ましたか。って、おい……何をやっている」


 目を覚ましたカアラは、頬に触れた俺の手を強く掴むと、なぜか人差し指を強く吸い始めた。したいようにさせておいたが、指を根本まで飲み込むようにしてまるで赤ん坊のように吸い続ける。

 本当に意味不明の行動だ。もしかして、混沌の影響を受けすぎておかしくなってしまったのだろうか。


 俺の指先を全て唾液だらけにすると、ようやくカアラの紫色の眼が正気の光を取り戻したのでホッとする。

 このまま赤ちゃんに戻ってたらどうしようかと思ったよ。


「ふあっ、ああっ……。国父様でしたか、失礼しました」

「いや、良いけど。本当に大丈夫か、カアラ。さっきのは何のつもりだったんだ」


「中で、その、いろいろと吸わされたのです。それで、つい……」

「詳しくは、話さなくていい」


 いろいろあったのだろう。

 俺も本当に、思い出したくもないから。悪い夢でも見たと思って、忘れたほうがいいのだろう。


 気付け薬の代わりに、カアラの口に魔族回復用に持ち歩いてる魔素薬ゼノクシールを含ませてやると、ようやくひとごこち付いたようだった。

 呻き声を上げるルイーズの飛び出た舌先にも、霊薬エリクサーをかけてやると引っ込んだ。眼を覚ました、二人はようやく正気を取り戻してくれたようだ。


 正気に戻ったら戻ったで、カアラもルイーズも「俺を守れなかった」と口々に言い出して、暗い顔をしている。触手責めのせいで痴態を見せてしまったことではなく、落ち込むところがそっちというのが真面目な彼女たちらしい。

 何も考えてないのは、アレぐらいなものだ。


「カアラ、あまり気にするなよ。みんな無事だったんだから問題ない」

「申し訳ありません、国父様。次は必ずお役に立ちます……」


 いや、カアラには生き残ってもらわないといけない。

 あれほど直前に「俺の盾になる」とかカッコイイことを言っておいて、ベヒモスに吹き飛ばされて何もできなかったカアラが悔やむのは分かる。


 だが、本人が言うように、オラクルとの子供が出来たら、カアラこそが俺の子を庇護してくれる唯一の存在となるだろう。

 そう考えたら絶対に失えない存在となっている。


「ルイーズも、あまり気にするな」

「面目なさに言葉もない……」


 俺は、肩を落としているルイーズの手を握りしめた。人間同士の戦いならともかく、神獣ベヒモスが相手では、たとえオリハルコン装備の英雄でも、どうしようもないこともある。

 落ち込んでいるルイーズに、「強くなくても側にいてくれればいい」と慰めた。


 言葉にしないと伝わらないと思って言ったんだが、やっぱり気恥ずかしい。

 俺だってこんな恥ずかしいことを何度も言いたくはないので、言わなくてもわかってほしいものだ。


「さてと、どっちにしろ今日はこの洞穴で泊まりになりそうだな」


 大きな洞穴の底を埋め尽くすほどの肉の塊。

 さすがは、『神の供物』と呼ばれた怪物である。こうして肉となると美味しそうに見える。


 これほどの量を運ぶには、ソリが十台でも足りないことだろう。とりあえず凍らせて保存して、徐々に運ぶことだ。

 ここまで大きな肉なら、十分な食糧資源となってくれるだろう。


 洞穴の入り口で警戒態勢を取っている海兵隊と合流して、今日はキャンプして休むことにした。


     ※※※


「この神獣の肉、すごく美味いゾ」

「ハハッ、そりゃ良かったな」


 アレは焼いた神獣の肉にかぶりついているが、俺はうどんのほうが嬉しい。

 うどんのツユがないのでどうしようかと悩んだが、スパイスが少し残っていたのでカレーうどんにすることにした。細く切って茹でた麺を、カレースパイスで作ったスープと絡めて味付けする。


 うどん特有のもちもちとした食感に、カレースパイスの味が加わる独特のハーモニ。

 よほど上質な麺らしく、カレーの強烈な味が混ざっても、小麦粉の味と香りがしっかり残っている。


「美味いな。自分でもうどん、打ってみるかな」


 この世界に来てから、パン屋の娘のコレットに教えてもらって知ったことだが。たとえば、パンに使う弾力性の高い小麦粉と、お菓子に使う柔らかい小麦粉は種類が違う。

 うどんに適した小麦粉もまた種類が違うはずなので、上手くできるとは限らないが物は試しというものだ。


「どうだルイーズ、味は?」

「ふむ、うどんのカレーってやつも、わりとイケる……」


 ルイーズは、木の皿に盛りつけられたカレーうどんをフォークで慎重にたぐり、モグモグと食べてくれる。自分が食べるだけではなく、彼女も食べてくれるなら、作り甲斐もある。

 シレジエ出身の兵士たちはカレーうどんを勧めても、スパイスの強烈な匂いを嗅いだだけで遠慮されてしまうが、アレやルイーズは美味ければなんでも食べてくれる。


 しかし、カアラまでカレーうどんを食べるのには驚いた。

 聞いてみると「『古き者』様が出して、国父様がお作りになったものなので」と答える。


 なるほど、魔族にとって『古き者』は、たとえそれがどれほど厄介でわけがわからない生物でも、混沌母神の御使みつかいであり神聖な存在なのだろう。

 でも、和風の麺を出したのはなぜなんだろう。パスタでも出せば西洋風なのに。


「いや、『古き者』の意図なんて、考えてもしょうがないか」


 カアラによると、神獣ベヒモスの肉は腐りにくく、かなり保存が利くらしい。

 肉質は良質な赤み、味もすこぶる上等で栄養価も高いので、凍えそうな兵士たちが力を付けるのには持って来いだった。


 この肉の山を海賊砦バッカニアーズ・フォートに持って帰れば、懸念だった食糧資源は当面なんとかなる。

 あとは海賊の頭目たるメアリードがどう判断するかだ。そこまでは、それこそ考えてもしかたのないこと。


 さて、あとは強い酒でも飲んで、身体を温めてから寝るだけだ。俺は組み立ててもらっている自分の天幕に入って休むことにした。

 中を覗いてみると、これでもかと積まれている毛布に挟まれるように、アレとカアラとルイーズまでもが入り込んでいる。


 こういうところにルイーズが来るのは珍しいよな。

 毛布の中でさえ、ルイーズとアレと小突き合っているのを見れば、どういう経緯でこうなったのかはすぐに察せられるけど。


 もう疲れていて突っ込む気力もないので、さっさと装備を脱ぎ捨てて下着だけになると、女たちがゴソゴソとしている毛布の中に俺も入り込むことにした。

 回復ポーションで傷は治せても、疲労はやはり睡眠で取るのが一番だ。


 女同士の小競り合いを止めるために、俺はアレとルイーズの間に身体をめり込ませて眼を閉じると、俺は五秒で意識を喪失した。

 夢も見なかったぐらい、かなりぐっすり眠った。やはり疲れていたのだろう。


 目を覚ました時に、ここがどこで何をしていたのか忘れてしまっていたぐらいだ。


「んん……?」


 ここは薄暗くてとても暖かくて、柔らかい。

 俺は、いつの間にかルイーズを抱いていたことに気がついて、慌てた。


「起きたのか、タケル」

「ああ、ごめんルイーズ」


「なんで謝るんだ、よく眠れたのなら良かったじゃないか」

「そうだけどね」


 ルイーズを抱きまくらにしてしまっていて、なんとなく申し訳なかったというか。

 起き上がろうとする俺だが、ルイーズに強く両手で引き止められてしまった。そのまま抱きしめられて、顔にとても柔らかい感触があたる。


 戦士として鍛え上げられているルイーズの肢体だけれど、女性として柔らかい部分はきちんと柔らかい。

 俺の背中にはアレもくっついて来て暖かいのだが、アレは手足がゴツゴツとした鱗であったり頭の角や、時折あたる尻尾が尖っていたりするので、自然と柔らかいものを求めてルイーズを抱きしめていたのだろう。


 テントの中は薄暗いから、ルイーズがどんな顔をしているかわからないけれど、ほんの直ぐ側にある暖かい吐息だけは伝わる。

 まあいいやと、俺はそのまま彼女に抱かれてしまうことにした。これぐらいは、いいだろう。


「タケル、まだ起きるには少し早い。もうしばらくだけ休んでいるといい」

「じゃあ、そうさせてもらおうかな」


 ルイーズが抱きしめてくるので、俺も負けずに気を入れて、求めるようにルイーズの背中に手を回して強く掻き抱いた。

 彼女が抱きしめて来たのだから、俺だって抱きしめ返してもいいだろう。


 まあ、冗談だけど。

 薄衣一枚だから、直接触れる肌から彼女の激しい動揺がまでもが伝わってきて面白い。慣れないことをするからだと思う。


 俺だって男なのだから、そんな風に誘惑されては黙って居られない時もあるんだ。

 ルイーズは俺のことを男と見ていないときもあるから、少し懲らしめてやらないとと思って、強く抱きしめながら背中をさすってみた。


「タッ、タケルッ!」

「いやごめん、冗談が過ぎた」


 さすがに、こんな場所でしないから本気のつもりはなかったんだけど。あまり艶かしい声を出さないで欲しい。戯れるだけでは済まなくなる。

 アレは熟睡してるみたいだが、誰が聞いてるかわからないのに。


「いや、冗談ではないよ……私としては、本当に構わない。ここでアレやカアラもいたのに私を選んでくれたのは、そのなんというか」

「なんというか?」


 ルイーズが恥ずかしそうに口ごもるので、俺は優しく髪を撫でながら聞いてみる。


「女として嬉しくもある……と思ってしまうな。私みたいな女が、こんなことを言うのはおかしいか」

「いやおかしくないよ、ルイーズ。ただ、そういうことを言っちゃうと、本当に、本気にしてしまうんだけど……」


 こうやって抱きしめあっていれば、相手の指先の震えからでも気持ちが伝わってしまう、嘘は吐けないのだ。

 ルイーズの身体がやけに熱いのは、身体を温めるために飲んだ強い酒が残っているのかもしれないけれど、それだけではないかもしれない。


「本当に、本気にしてしまっても、構わないと言ってるんだ。公妾こうしょう……というのか? それぐらいしても良い覚悟で同じ臥所に入った。私のこんな、筋肉でふしくれだった身体で良ければだけど……」

「俺に抱かれても良いって言ってるのか」


 口ではそう言っているけれど、抱きしめたルイーズの身体は肩に硬さが残っている。俺が指先が肌に触れるたびに、張り詰めた肩の筋肉がビクッと震えるから、彼女の身体はまだ怖がっている。受け入れる準備なんか出来てない。

 覚悟を決めている、というのも嘘ではないのかもしれないけど。身体の強張りは捨て切れていない。それはそれで、初々しい感じがして良かった。


 俺はもともと、ルイーズみたいなお姉さんタイプが大好きだ。

 彼女は、勇敢な女性なのだ。肌を重ねることに恐れと不安が残っていても、精一杯の虚勢を張って俺よりも大人をやって慰めてくれようとする。


 抱きしめてくれたのも、精一杯俺を甘やかせてくれようとしたのだろう。

 それは、ルイーズの思いやりだから、とても心が温かくなる。


 護衛騎士として敗北を経験して、騎士の誇りを傷つけられたルイーズ。俺は、それでもなおルイーズを求めて、傍らに置き続けようとする。

 それはつまり、『女とする』ということにもなるのかもしれない。もう俺も子供ではないから、そこら辺の機微は分かっているつもりだ。


 そう思って覚悟して抱いても、ルイーズの身体は受け入れるという言葉とは逆に、むずがるように震えた。

 俺は分かっているつもりで、何も分かってないのかもしれない。女性というのは、やはり難しい。


「タケル、ごめん。ちょっとだけ待ってくれ……なんだか私は、その」

「ああ、いいんだよ。なんか、恥ずかしいよね……」


 ルイーズの肌が熱を帯びているのは、羞恥心からだろうか。

 もう俺だって、だいぶ色事には慣れたと思うのだが、ルイーズを相手にしていると、不思議と初々しい恥ずかしさを思い出す。


 女と臥所を共にするとは、やはり恥ずかしい行為なのだ。

 ルイーズが感じているであろう、未知への不安と怖れのようなものが俺にそう感じさせる。


 もともと、彼女は俺の恩人で、俺が独り立ちしてからは主従として関わっていた、こんなことになるなど思いもしなかった。

 そのルイーズに守られてばかりいた情けない俺が、ただの男女として寄り添って一線を越えてしまうかもしれないと思えば、とても不思議だ。


 ルイーズにとっては、こうして俺を抱いているだけですごく勇気がいることなんじゃないだろうかとも思う。

 なら俺は、もっと安心させるようなことを言わなきゃいけないのに、なかなか言葉にならない。


 ルイーズのことは言えない、俺だって臆病なのだ。

 姉みたいな守ってくれる年上の女性と、そういう風になってしまうのかと考えただけで、何かとてもいけないことをしているのではないかと思えてきて、動悸を押さえ切れない。


 でもせっかくルイーズが勇気を出してくれたのだから、俺からもしっかり求め返さなければ悪いではないか。

 ふいに、本気でルイーズを口説いてみようかと思った。今の自分なら、そういう言葉を口にしても良いんじゃないかと思えた。


 そういえば、こんな風に自分から告白するということ。

 状況に流されず、俺が自分の意志だけで女を口説くって決めるのは、これが初めてかもしれない。もちろん、腹は決まっている。


「ルイーズ!」

「うん……」


「俺は、お前を妻として迎えたい。もしそういうことをするならば、の話だけどっ! だから、そこらへんはしっかりとするから……公妾とかじゃないからな」

「わ、わかった……」


 妻はこれ以上増やさないというのが、周りにも公言して自分に課したルールのつもりだった。だが、俺にとってルイーズは特別なのだ。

 ルイーズに「公妾になる」なんて言わせて、そのままにしておくわけにはいかない。


 彼女は、俺が酷幻想リアルファンタジーに来て初めて出会った人で、助けてくれた恩人で、そしてたぶん初めて好きになった女性だ。

 だから、中途半端にはできない。


 考えたら、ルイーズみたいなお姉さんが好きなタイプだとか、気持ちを誤魔化すための言葉だった。

 俺はルイーズが、好きなのだ。一人の女性として求めていた。


 そう気がついてしまうと、心臓の鼓動が止まらなくなった。

 せっかくの勢いだから、ずっと言えなかった素直な気持ちを言ってしまおう。


「あのえっと、あれだ。こういう言い方のまえに……あの順序が逆になったけれど、俺はルイーズが好きだから、受け入れてくれると嬉しい」

「タケル、もちろんだよ。私も好きだから……その、嬉しく思う!」


 テントの中が薄暗くてよかった。

 顔を見れないほどの薄暗がりでなければ、薄衣一枚だけを隔てて抱きしめあっていなければ、こんなに素直に気持ちを伝えることはできなかっただろう。


 見えないからこそ、強く伝わる気持ちもある。

 見えなくったって、お互いの顔が真っ赤になっているってわかるよ。


 この北の果てまで旅をしてきて良かった。

 この時、この場所でなければ、ずっとルイーズと心を通わせられないままだったかもしれない。


 俺の胸は爆発しそうなほどに高鳴っている、それはルイーズも同じだろう。俺の心の奥深いところから、この機会を絶対に逃すなと声が聞こえる。

 お互いの鼓動が、肌を通して響きあっていた。そこにいるのだと、呼び合うように。今ならば行ける、行けてしまえるのだ。


「ルイーズ」

「タケル……」


 身体がバカになってしまいそうなほどに熱かった。同じように熱を持ったルイーズが隣にいる。

 俺はもう衝動を押さえ切れず、ルイーズをさらに強く掻き抱いくと、その柔らかい唇に優しく口付けた。


「あのー、ちょっと」


 アレがいびきをかいて寝ている向こう側から、カアラの上げる呆れたような声が聞こえてきた。

 その瞬間、ルイーズの身体が俺の腕の中で、釣り上げられたエビのようにビクッビクッっと跳ねた。


 ああーっ、これからってときに、もう……やれやれだよねっ!

 カアラが目を覚ましてしまっていたのか。


 いや、もしかしたらずっと話を聞かれていたのかもしれない。そう思うと気恥ずかしいが、それはしかたない。

 そりゃこんな話を小さくない声でしていて、同じ天幕の中でのんきに寝ていられるのは、久しぶりに飯をたらふく食べてご満悦だったアレぐらいのものだろう。俺達も、どうかしていた。


「なあカアラ、もうちょっと空気を読んで、そっとしておいてくれたら良かったとも思うんだが……」

「お二人が仲良くなられたのは、アタシとしても大変好ましいこととは存じます。ですが、最後までするのは戦争が終わってからになさってくださいましね」


 そんなこと言われなくてもわかっていると思ったが、そういう忠告が必要なほど熱くなっていたのかもしれない。

 ルイーズが俺から身体を離そうとして暴れたのだろうか、テントが激しく左右に揺れた。


「もちろん戦争が終わってからの話だよ。なあ、ルイーズ!」

「ああっ、うん!」


 戦争が終わったら結婚しようというのは、立派な死亡フラグなのだが、このときはそんなことに構っていられる余裕はなかった。

 さっさと戦争を片付けようという理由が増えたと考えれば、良いことかもしれない。

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