第70話「交易都市ランクト」

 白い漆喰壁と赤煉瓦の街、大都会ランクト。

 ゲルマニア帝国の、いやユーラ大陸全域に広がる流通網の中心地である。


 この世界の都市にしては、とても清潔で美しい街並み。

 街が湾曲したツルベ川に面していて、上下水道が完備されているからだろう。


 大都会ランクトの水道設備は、毎日十万人の市民たちにきれいな水を供給している。街にあるたくさんの噴水、巨大な公共浴場、公衆便所、様々な重要施設の地下には下水施設があった。


 街の大門をくぐり、街道からそのまま街の中心部へと続くピペラティカ大通りには、商店や市場が軒を連ねて、その溢れる物産の数々に豊かさを感じられる。

 都市の中心部には、ランクト公の豪奢を形にしたような綺羅びやかな居城がそびえ立ち、各種ギルドや商会の本部事務所が入る複層階のオフィスビル(!)が立っている。


「シレジエの勇者様、ランクト公がご挨拶したいそうです」

「うん、苦しゅうない」


 銀髪の執事騎士セネシャルに案内されると、なんか自分が大富豪になったような気分になる。

 いいなカトーさん、給料いくらぐらいなんだろ、うちに雇われてくれないかな。


 居城には、唸るほどに素晴らしい美術品がたくさん並んでいた。

 通路に何気なく飾ってある絵画一つ取っても、絵のことなどまるで分からない俺が、足を止めてじっくりと眺めていたい気にさせられる傑作だった。


 その絵画に描かれていたのは、無邪気に微笑む金髪碧眼の可愛らしい少女で、優しそうな父親と一緒にいる何気ない日常を切り取った、温かみのある一シーン。


「もしかして、この可愛らしい少女が、あの姫騎士の小さい頃なのか」


 だとすれば、月日は残酷である。

 おっと、美術品を鑑賞している場合ではない。


 豪奢な異国風の絨毯が敷き詰められている、大理石造りの絢爛な謁見の間に招かれる。

 そこには、姫騎士の父親であり、ランクト公国を治める領主であるエメハルト公爵が待っていた。


 娘と同じ柔らかい金髪で、透き通った碧い瞳。均整の取れた細面の美しい顔立ちに豊かな髭を蓄えている、ハンサムな壮年の男だった。

 上質の絹の衣装を身にまとっているが、イヤミがないのは立ち居振る舞いに独特の上品さがあるからだろう、生まれついての富豪だからごく自然なのだ。


 俺の横についてる、先生が耳打ちしてくれる。


「エメハルト・ランクト・アムマイン公爵、富豪公と呼ばれています。ゲルマニア諸侯の盟主でもあり、芸術の振興にも力を入れている好人物ですよ。敵側ではありますが、今は友好的な関係を保つようにお願いします」

「了解です」


 富豪公って、そのままだが、たしかにこれはそうとしかいいようがない。


 エメハルト公は、世界有数の金持ちなのだ。その公爵の莫大な資産を思えば、アムマイン家の紋章である緋色の鷹をあしらった絹の長衣をまとっているのは、むしろ質素な趣味とすら言えるだろう。

 富豪公がそうしようと思えば、金糸刺繍をふんだんに施してゴテゴテと宝玉で飾るような、さらに豪華な服だって着られる。


「おお、ようこそいらっしゃいましたシレジエの勇者タケル様。お初にお目にかかります、ランクトの領主エメハルトです」

「こちらこそ、歓待恐れ入ります、エメハルト公爵殿下」


「どうぞエメハルトとお呼びください、佐渡タケル様はシレジエ王国の摂政でもあり、なによりも私がお仕えするフリード皇太子殿下と同じ勇者様なのですから」

「恐縮です、エメハルト公」


 人好きのいい笑顔を見せているが、さり気なく皇太子の名前を出すあたり強かだ。

 歓待はするが、大傭兵団を街に入れられて威力外交を受けても、それ以上の譲歩をするつもりはないと釘を刺しているのだろう。


 こういう商人気質の敏い貴族と話すのは、俺も楽しいので気分が良かった。

 先生はどう思っているか知らないが、別にアムマイン家を脅すつもりはないのだ。


「領主として、できる限りの歓待はさせてもらいますので、『試練の白塔』でご用事を済ませられた後は、どうぞ穏便にお引き取りください」

「もとよりそのつもりです、エメハルト公にご迷惑をお掛けするつもりはございません」


 今回の目標は、ルイーズがオリハルコンの剣を欲しがっているので、それを手に入れたいだけ。

 あとは、帝国側で傭兵団の補給ができれば、御の字といったところだ。


 しかし、切れ者でハンサムな壮年の公爵を見ていると、あの跳ねっ返り娘の父親とは思えないな。


「大変助かります、あと我が不肖の娘が、勇者様にご迷惑をお掛けしております。私からも謝罪いたします」

「いえいえ、帝国と王国はいまだに敵同士、エレオノラ姫の敵愾心も当然かと思いますよ」


 エメハルト公爵は、少し憂いた顔でため息をついた。


「まったく、不出来な我が娘もですが、大事な皇帝への戴冠を前に無益な外征を行うフリード皇太子殿下にも困ったものです」

「ふむ……」


「見ての通り、我が公爵領は交易によって成り立っています。この戦争が続く限り、シレジエ王国やローランド王国との流通が遮断されて、当家は大変な不利益を被るのです。すでに市場の物価が上がり始めています」

「戦争となれば、そうなるでしょうね」


 などと他人ごとのように言ってるが、俺の経済担当幕僚であるシェリーから、食料品を中心に買い漁って、この都市の相場をさらに高騰させてこいと言われているのだ。

 ランクトの街は帝都と王都の中間地点にある。帝国軍は、兵站を軽視しているから、安易な現地調達をしようとするに違いない。


 ここで大挙してやってきた帝国軍が補給しようとして、相場が高騰しているせいで経済的な打撃を受ければベストである。


「いずれまた、王国と帝国が縁を結べる日がくることを、両国に挟まれた小領主としては願ってやみません」

「ええ、俺もそう願ってます」


 俺の前で好戦的な皇太子を批判してみせたのは、リップ・サービスもあるだろうが、公爵の本音もあるのだろう。

 相手の懐に入るときは、まったくの嘘よりも本音を交えたほうが、響きが良いのだ。


 エメハルト公、なかなかできた物分りの良い人物で、好印象であったが。

 その分だけ、注意を払うべき強かさを持った相手であるとも言えた。


     ※※※


 公爵への謁見を済ますと、俺たちは宿に向かうことにした。


 中心部から少し行ったところに、酒場や食堂などの地域エリアがあり、俺たちが宿泊するのはそこの最も豪華なホテルだ。

 執事騎士セネシャルカトーさんが俺たちに割り当ててくれた、白壁の大きなホテルのロイヤルスイートルームは、清潔でフカフカの柔らかいベッドに、豪華な大浴場まで完備している。


 何という街の快適さだろう、オックスの居城もそれなりに住環境を整えてきたつもりだが、大都会ランクトに比べると見劣りしてしまうと言わざるを得ない。

 現代に帰ってきたのかと錯覚するほどだ。


「私は書店巡りなどをしてみようかと思いますが、タケル殿はどうしますか」


 ライル先生にそう言われて、俺も街をぶらついてみようかなと思った。

 ルイーズは武器屋に行くらしい、連れてきた奴隷少女たちも、みんなお小遣いを握りしめてバザールを見に行きたいと言っていた。


「俺も、じゃあ適当に」


 なんだかホテルで荷解きして、街に繰り出すなんて、本当に観光気分でワクワクする。ホテルのロビーまで降りていくと、コンシェルジュよろしく控えていたカトーさんが、俺に声をかけてくれた。


「勇者様、街に行かれるなら、私がお勧めのスポットをご案内いたしますよ」

「じゃあ、お願いしようかな」


「どのようなお店をお探しですか」

「そうだね、珍しい物産を見てみたいな」


「それなら、良いところがございます」


 そう言って、カトーさんが案内にしてくれたのが、半円型の複層階の構造をしたショッピングモールだった。

 ここは本当に中世ファンタジー世界か、どっかの現代の街じゃないのかと驚くばかりの豪華さである。


 入ってる店も、高級志向の客を狙った異国風の絨毯や絹織物を扱う店や、金銀を始めとした様々な貴金属の装飾品が並ぶジュエリーショップ、様々な産地の岩塩、高価な没薬や香辛料を扱った店、極上の酒が並び、味利きのプロであるワイン鑑定士ワインマスターが接客してくれる店、最近流行りのコーヒーショップなど、珍しい物産の宝庫である。

 世界有数の交易拠点であるランクトには、世界の富のすべてが集まるのだ。


 俺が気になったのは、やはり食料品である。ここの珍しい香辛料を混ぜれば、カレーが出来るんじゃないかと思った。

 えっと、カレーの香辛料はどういうブレンドだったか。


 とりあえず、ひと通りセットで買っておいて後で試してみよう。

 カレーの香辛料に、シナモンを使うかどうかわからないけど、これはコーヒーに入れても良いし、お菓子に使うにも便利なので当然買っておく。


 米は、いつぞやに古き者が出してくれた玄米を沼沢地でなんとか育てられないか、ヴィオラに試験栽培して貰っているところだ。

 いずれ、カレーライスが食べられる日がくるかもしれない。


 さらに面白い物を見つける、ツボに入った黒褐色の調味料。


「ほう、これは珍しいな」

「これは、魚醤ガルムでございます勇者様。ちょっと癖が強うございますが、ソースの女王とも言われております」


 一瞬、もしかしたら夢にまで見た醤油があるのかと思ったら、違った。

 魚醤ガルムとは、魚の内臓と血をペースト状になるまですりつぶし、そこに塩と香辛料を振って発酵させて、一ヶ月もゆっくりと煮詰めて作るそうだ。


「どうぞお味見ください」

「うーん、確かに強烈な匂いだけど、ウスターソースっぽくていけるね」


 魚醤が詰まっている大壺から、小皿に注がれたドロリとした黒っぽいソースを舐めてみると、魚介類の旨みが口の中に広がった。

 鼻に抜けるような強烈な魚臭さはあるが、それも癖になると美味しいと感じる類の味だろう。


「勇者様の言う、ウスターソースというのは寡聞ながら知りませんが、魚醤ガルムは南の海の民たちが好む珍しい調味料でございます」

「これも、いただこう」


 大壺一つで金貨一枚と割高だが、その価値はある料理の幅が広がる珍しい調味料だといえた。

 カトーさんによると、川魚が採れるランクトでは、南の地方に倣って魚醤の自家生産もやっているらしい。


 やはりあのエメハルト公爵も切れ者かと思う。

 うちでも、新鮮な魚が採れれば、魚醤の製造を試したいところなんだがな。


「いや、素晴らしい街だね」

「お褒めにあずかり光栄です」


 コーヒーショップで、蜂蜜を塗った柔らかいパンをデザートにいただきながら、極上のコーヒーを飲んでいると、すこぶる気分が良くなった。

 ショッピングモールは、幸せそうに買い物をする客で賑わっていて、眺めているだけで楽しい気分になる。

 たしかに、素晴らしい街だ。


 俺が飲むための口当たりの良い貴腐ワインと、ロールのおみやげに、水のように透き通った度数がものすごく高い蒸留酒も買って置いた。

 あの味利きのワイン鑑定士ごと、店が手に入れられればなあと夢想すると、この街を「垂涎」と称した先生の気持ちもわかる。


 ここまでの豊かさを見せつけられると。

 いっそ、この都市ごと我が手に入れたいという野望を抱く者も多いだろう。


「勇者様、食指が動きますか」

「うんまあ、豊かな街だからね」


 俺の顔色を眺めて、カトーさんが探るように言う、心配する気持ちもわかる。

 この人は、善意で観光案内しているわけではなく、俺たちのお目付け役なのだ。


「できれば、この豊かな街を見て、戦禍に晒すような真似はなされないように、お願いしたいものです」

「それは絶対に避けるようにする、目的が達したらすぐに引くから心配しないでくれ」


 お世話になったカトーさんに、迷惑をかけたくない気持ちはあるのだ。


「勇者様がランクト公国を無傷で手に入れたいなら、いっそエレオノラ姫様とご結婚なされてはいかがですかな」

「えっ」


 せっかくいい気分だったのに、カトーさんまでそんなことを言うのか。

 なんでみんな俺の顔を見ると、姫と結婚させたがるんだよ。


 しかも、相手はあの姫騎士エレオノラ、あり得ないな。


「ランクト公が、姫様が騎士になるのを認められたのは、もしかしたら女好きのフリード皇太子に見初められるかもしれないと思ったからなのです」


 カトーさんが話すには、フリード皇太子の母親は、それこそエレオノラのようなパチモノの姫騎士ではなく。

 本当に『ゲルマニアの戦乙女』と言われ、戦場にも立つことが多かった、凛とした女王だったらしい。


「しかし、無能将軍として醜態を晒す姫様に、皇太子の食指は動きませんでした」

「だろうなあ……」


 俺が皇太子でも、あの使えない姫騎士が后とか嫌だわ。


「私も長らくアムマイン家に執事騎士として仕えて参りましたが、あの跳ねっ返りの姫様は『ランクトの戦乙女』などと悪評が立ってしまい、婿の来手すらなく、このままではお家断絶の危機なのです。老い先短い身ですが、このままでは、心配で死んでも死にきれません」

「カトーさんも大変だな」


 なんだ『ランクトの戦乙女』って、悪評だったのか。


 まあ、あの跳ねっ返り姫と見合う身分の高級貴族で、あれを嫁に欲しいとか、婿に行きたいって言う奇特な人はなかなか居ないわなあ。

 大金持ちの一人娘なのだから玉の輿になるのだけど、姫騎士の身分が下手に高いのが、余計にネックなんだと思うよ。


「勇者様でしたら、結婚相手として申し分ありません。もうこの際、公国を継ぐ子孫さえ残れば側室でもなんでも結構ですので、どうぞご考慮の程をお願いします」

「まあ、考えておくよ」


 そうやってカトーさんに頭を下げられると、まさか無下に断るわけにもいかず。

 社交辞令的に、前向きに善処すると言っておくことにした。どうせ俺はあの姫騎士に相当嫌われてるし、向こうが断るだろう。


 さてと、コーヒーショップで休憩を取った後は、俺はまた買い物へと繰り出した。


 他にもこの機会に買いまくった物品はたくさんあるのだが、交易都市ランクトに溢れる豊かな物産の数々は、いくら書いても書ききれないので、この程度にしておく。

 珍しい書物や、魔道具の類も充実していて、先生もホクホクだったらしい。

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