第28話  転倒

着いた。


自転車を駐車場のはじにとめて、施設の前に立つ。懐かしい思い出が脳裏に浮かぶ。


結構楽しかったんだろうな。記憶は鮮明だった。


「プールだー!!」

「そうだな。もうちょっと静かにしようか」

「……う、わかった……」


はしゃいだ萌笑が叫ぶ。


周りの人の視線が温かくて、少し恥ずかしくなった。………萌笑はかわいいんだけど。


「……じゃあ、俺着替えてくるから」

「私も着替えるー。柊斗君のほうがちょっと早くなるかな?」

「そうだな。多分そうなると思う」

「…ちょっと待ってもらうかも。待っててね」


萌笑のほうが遅くなるのは、まあそうだろう。男子のほうが着替える奴も少ないし。


適当だしな。


「おう。目立つところに立ってるようにする」

「ありがとう。もし私のほうが先だったら私もそうする」

「ありがとな。じゃ、行くか」

「うん。またね」

「おう。またな」


萌笑に手を振り返してから更衣室に入っていく。


適当に服を脱いで、袋に詰め込み、水着を取り出して着た。


「……うし、行くか」


やっぱり男子は手軽でいい。ゴーグルを一応持ってシャワーを浴びる。ここの水は冷たくて苦手だ。


得意な人なんていないと思うけど。俺は特に苦手な気がする。


目立つところを探す。女子の更衣室の出口は男子の更衣室の出口の近くにあるので、ここからよく見えるところに立ってればいいだろう。


大きめの時計がすぐそばにあったのでそこに立って待つ。


プールを眺めるとやっぱり人が多い。子供が多いかと思っていたが結構高校生らしき人も来ている。


ものすごい勢いで泳いでいく人もいれば、家族連れの人、プールの中を歩いているお年寄りだっている。


昔はもっと人が少なかった気がしたのだけど。人気にでもなったのだろうか。ウォータースライダーは結構並んでいる。


楽しみにはしていたけど、これは少し難しそうだ。


いろいろなことを考えながら萌笑を待った。




肩を指でつつかれる感触で顔を上げた。


「……しゅーうっと君!」

「おお、萌笑やっと来た………か…………」


萌笑の声が聞こえてそっちを振り返った。


さわやかな色合いのセパレート式の水着を着た萌笑が立っていた。


萌笑は案外出るところはでて、引っ込むところは引っ込んでいるのでこういう格好をしていると扇情的に見える。


っていうかめちゃくちゃかわいいんだけど。


「………どう?」


心配そうに萌笑が聞いてくる。


「……………めっちゃ可愛い。すげえかわいい」

「……えへへ………やった」


萌笑が小さく両手を握る。


一つ一つの行動がいちいちかわいい。俺の語彙力もなくなってるし。


「……柊斗君に褒められてうれしい……」

「………そうか。それにしてもめちゃくちゃかわいいな。その水着。萌笑によく似あってる」

「えへへ……ありがと。これは柊斗君のために買ったんだよ?」

「……俺のため?いつ買いに行ったんだ?」


昨日プールに行くことを決めたのだから、買いに行く暇なんてないと思ったのだけど。


「……い、いつか………ゆ、誘惑するために使いなさいって……」

「お、おう……そうか」


だれだ、そんな入れ知恵をしたのは。


きっと智子さんだろうな。親ばかなところあるし。って言っても実の娘に男を誘惑させるなんて……なあ。


「……しゅ、柊斗君だけにだよ?」

「そ、そうか……」


俺だけを誘惑するために買ったと。


………っていうか、萌笑って誘惑の意味わかってるんだろうか。


「萌笑、誘惑って何を誘惑してるのかわかってるのか?」

「……え?……なんだろ……」


知らなくてよかった。


水着で誘惑って完璧に襲ってくれっていってるようなものだからな。


「ま、いい。早くプール入るぞ」

「わーい!早くはいろ!!」

「走って転ぶなよ」

「それは昔の話だって。心配しないで、走らないから」


めちゃくちゃ心配だな。ここで転んだりしたら結構いたそうだし。


前に萌笑号泣してたし。


「……どこ行く?」

「そうだな。ふつうのなんでもないプールに最初は入るべきじゃないか?」

「……そうしよう!」


萌笑が急に方向を変える。


「わっ!!」


萌笑が足を滑らせるのが見えた。


ゆっくりと萌笑が倒れていく。


「……萌笑!」


慌てて手を伸ばして萌笑を抱きとめた。




…………手が届いてよかった。


「ご、ごめん………」

「危ないって言っただろ。気をつけろよ」


申し訳なさそうに萌笑が目を伏せる。


「……ごめん……ありがと……」

「怪我しなくてよかったよ」


ほんとに怪我しないでよかった。


萌笑が傷つくのが一番怖い。自分がケガするより怖い気がする。




なぜか萌笑が顔を赤くしていく。耳まで真っ赤だ。


「………あ、あの………こんな時に言うことじゃないと思うんだけど………」

「ん?」

「………て、手が……あ、あたってる………」


自分の手を見下ろす。


萌笑を抱きしめた腕の先が、萌笑のやわらかいものに触れていた。


急にその感触が右手を襲う。めちゃくちゃ柔らかくて、すべすべしてる。


………柔らかくて、すべすべしてる。


「……お、おう。すまん」

「だ、だいじょうぶ」


顔に熱が集まってくるのが分かる。


慌てて手をはなした。







手からは柔らかな感触が離れなかった。





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