第36話 襲撃

「ヘイ! 少年! あいたたたた。大ポカやらかしたからこんな体になっちまったよ! どうしてくれるんだい! アハハハハハ!」

「――――!」


 ジェイコブは、いや、ジェイコブの声をしたそれは、不気味な生物だった。

 グロテスクな蛸のようなもので、腰ほどの高さのそれに、ジェイコブの頭部が括り付けられてる。でもそれが蛸じゃないってわかる。だって、頭の節々からゴボゴボと、赤黒い薄汚い鮮血が噴出してきてる。蛸は青い血をしてるって何かで見たことがあるんだ。


 俺は怖気づいて一歩後退する。


 不気味な生物がぬるぬると無様な姿で這って近づいてくる。そして鼻をつくツンとした生臭い匂い。いや、生臭いなんてもんじゃない。吐き気を催すぐらいの強烈な臭気だ。ぐいっと頭を持ち上げた。にやけ面が張り付いたそれが軽快に喋り出した。


「少年! 君はずるいぞ! 君は多くを知っている癖にその殆どを隠してる! でもね、私はもっとたくさんのことを知ってるんだ! 君よりもね!」

「――――見たかリュウタ。知るとはああ言う事だ。知性とは不気味なものなんだ」


 低く諌めるような声が俺の真後ろから耳打ちする。小野田だった。声は続く。


「やろう、執着のあまり空間を跳躍してきやがったな……あるいは、俺達が見せられてる悪い夢か」

「なんだよそれっ、いみわかんねぇよっ」

「意味はわかるさ。お前が理解できないだけだ」


 小野田が触腕を振り上げると、尖端から青白い光線が噴出した。ブッと、嫌な音がして、キッチンのフローリングに真っ赤な光の線が浮かび上がった。ブシュっと音がして体液を撒き散らしながら触手が宙に舞い上がる。熱線が焼き払った不気味な生き物の触手だった。


「うぎゃああああああああ!」


 生物は絶叫するけど、ぬるぬると近づいてくることをやめない。口からよだれを滴らせ、よりいっそう不気味な笑みに拍車がかかる。


「アハハハハハ! 怖いだろうリュウタ! そうさ! 君は得体の知れない宇宙人と宇宙の密室に二人ぼっち! 生臭い化物に追いかけられてママに助けを求めても無駄さ! 誰も助けに来ちゃくれないよ! この宇宙空間じゃあねっ! うひひひひひひ!」


 不気味な生き物の触腕の焼き切れた部分から、ビチビチと2本の新しい触手が生えてきた。小野田が青白い熱線を発すると、切り落とされた触手が次々に宙を舞う。しかしそのたびに再生して、触手はかえって量が増えていった。恐ろしい再生能力を前に、攻撃することはかえって無意味だったんだ。じりじりと後退する。気づくと壁に背が当たる。俺達は追い詰められていた。


「なぁ、リュウタ」


 そんなとき、突然小野田獣座衛門がうわ言のようにつぶやくんだ。


「スパルバードがああいう脚本にした意味。ちょっとだけわかったぜ――――」

「は?」


 不気味な生き物は勢いづいたように這う勢いが速くなった。加速している。追い詰められた俺達に向かって飛び掛るように近づいてきたんだ。もうだめだ。俺は、思わず目を瞑ってしまう。暗闇の虚空でまた何かの囁き声が聞こえた。


「また会う日まで、しばしの別れだ」


 その時だった。バタンと背後で物音がした。そして。背後から背の高い白い光が差し込んできた。長い長い夜を照らす明るい朝日のようにも思えた。茶色のトレンチコートを着た短髪の黒人の男がひとり、ロボットハウスの玄関から駆け込んできたんだ。


「リュウタ、伏せろ!」


 なぜか男は俺の名前を知っていた。しかも当然の如く日本語を話している。そして男は殺意の篭もった切れ長の目をぎらつかせて、手に何かを構えていた。ピストルだ。


「ダメだ!」


 俺は咄嗟に叫んだ。けれども、制止の声も空しく、銃口は何度か明るく明滅する。鼓膜が張り裂けそうになる轟音が響き渡り、銃弾が炸裂する。俺は咄嗟に背後を振り向くとそこには、白い煙をあげて、収縮していく不気味な生き物の姿があった。


「が……あっ…………教えてくれよ……少年……」


 それだけ搾り出すように呻いて、塩をかけたナメクジみたく、すぐに蒸発して消えてなくなってしまった。


「なんだ? 今確かに蛸の化物が……じゃなかった! 無事か、リュウタ!」

「……」

「リュウタ?」


 俺は目の前の現実が受け入れられなくて、思わず振り返る。その表情を見たからか、トレンチコートの男は驚いたような顔で、俺の顔を一瞥してきた。俺が見たもの、それは。


「そんな……っ」


 俺の視線の先にはもうひとつ、銃弾を受けて内部の部品が露出し転倒してピクリとも動かなくなった、小野田獣座衛門の姿があったんだ。


「……これって!」

「なにはともあれ、無事でよかった! リュウタ!」

「あんたは?」

「何が何でも助けるっていったろ! ブライアン! ブライアン・アンダーソンだ!」


 そういって、ブライアンは右手の親指をつきたてにっこりと微笑んできたんだ。

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