ファイナルコンタクト

第34話 たねあかし

 俺は全身をくまなく恐怖一色に支配されていた。震える体をどうにか落ち着かせて、ウォーキングクロゼットから身を乗り出してお茶の間の様子を窺う。


 小野田は落ち着きなく動き回っていた。明らかに様子がおかしいことが見て取れる。理由はひとつだった。今しがた見た資料には《涙は怒りの感情》と記されていた。それは事実なんだと思う。その証拠があの小野田の姿だ。もし、今頃ウォーキングクロゼットに避難してなかったらと思うとゾッとする。何が彼を怒らせたのかはわからない。たぶんじいちゃんの死に関係してると思うけど、そのことを彼が答えてくれるかはわからない。いや、答えないに決まってる。小野田は必要なこと以外は極力答えない。自分が何を思ってるのかなんて別に俺に教える必要もないことだし、それに屈辱的なことだ。むしろ俺は八つ裂きにされてしまうかもしれない。だからここでこうして、彼の怒りの矛先が向かわないようじっと身をすくめて、やり過ごすのが賢明な方法なんだ。


 そうして、自分に言い聞かせる。――宇宙人の感情に騙されてはいけない。あいつは嘘をつく。――過去のオペレーターはいった。それが何を意図しているのかはわからない。けれど、ひとつだけ言えるのは、今までのことが全て本当じゃないってこと。考えてみれば当然で俺は小野田のことをただ人が良い宇宙人だと思った。友達だとさえ思った。信用できない大人に囲まれた俺には、唯一心置きなく真実を話せる良き理解者にさえ思ったんだ。だけどそんなものは成り行きに過ぎない。窮地に立たされた俺は藁にも縋る思いで小野田に頼ったというだけ。そのポジションが彼である必然性はない。彼はいった。


――知るか。人間側の事情を、俺達宇宙人に解決させようとするなよ――


――君は私のことが完全に安全とは言い切れないにもかかわらず、こうして気兼ねなく話をしているだろう?――


 ある意味では、小野田にとっては好都合な状況だったのかもしれない。彼もまた根掘り葉掘り質問攻めにされるよりも、人間達の混乱を静観してるほうがずっと楽だった。そこには人間でいう善意の意識なんて微塵もなかったのかもしれない。そんなことを考えたら、よりいっそう小野田獣座衛門のことを信用できなくなる。そんなことなど露知らず、俺は彼の話を全て鵜呑みにしてきた。なんて馬鹿なオペレーターなんだろう、俺って。


「獣座衛門の嘘を見抜けなかった。だから俺、ジェイコブに嫌われたのかな……」


 思わず歯噛みする。だけど、いつまでもこうしていても仕方がない、俺はタイミングを見計らってお茶の間に踏み出す。そして、恐る恐る小野田に話しかけたんだ。


「獣座衛門……?」

「どうした」


 彼は平然とした口調で応答して振り向いてきた。俺は思わずしり込みする。


「怒ってる?」

「……怒ってない」

「本当に?」

「しつこいな、なぜそう思う?」

「嘘だ! そうしたらきっと何かを我慢してるんだろ!?」


 小野田は一瞬、考え込むように黙り込んだ。


「なぜ俺が突然怒り出す必要があるんだ?」

「……」

「リュウタ?」

「獣座衛門の命の恩人が死んだのを伝えた。本当はそんなこと知りたくなかったんだよ」

「ばかなことを……俺は本心から君に感謝してる」

「もしくは、恩人を救えなかったことを未だに悔やんで、行き場のない怒りの感情が募ってるんだ……それを俺に隠して……」

「俺は人類との感情の齟齬を極限まで少なくし最適化させている。何も問題はない」

「本当に?」

「ああ」と、小野田は答えた。


 しかし確かに、小野田は怒っていないように見えた。内心複雑な心境だった。ホッとした気持ち半面、モヤモヤとしたわだかまりも残る。だから俺は、なんだかいたたまれない気持ちにもなった。俺は謝罪してキッチンへと向かった。そして、久しぶりにサラに電話を繋げたんだ。今さっきは感情的になってしまった。そのお詫びもあった。


「サラ?」

「リュウタ! 良かった! あれから連絡がないからどうしたものかと」

「大丈夫さ。さっきはごめん」

「良いのよ。それより、ごめんなさい、実は貴方に言わなきゃならないことがあるの……マックスだけど」

「もう良いんだよ。俺もあの時は、ちょっとおかしかったんだ」

「そうじゃないのよ! いえ……あの……」

「え?」

 サラは何やら戸惑っているよう。俺は少し悩んだけど、聞きたかったことを訊ねた。

「ああ……それよりもサラ、今日は何月何日なんだ?」

「え?」しばらく時間を置いて、そしてサラは答えた。「8月の8日だけど……?」


 一瞬、頭が真っ白になった。


「今なんて?」

「8月の8日よ……ちょっと、大丈夫?」


 俺は、ゾッとして言葉を失う。そして、何かがブツンと脳内で切れるような感覚を伴う。しばらくして、俺は意表を衝くように絶叫していた。


「それって間違いないの!?」

「当たり前じゃない。ちょっと何を言ってるの?」

「……」

「リュウタ?」


 俺は、咄嗟に通信を切った。理解できない事実を遠ざける条件反射のよう。頭を抱える。いよいよ俺もおかしくなってしまったのか。それともおかしいのは世界の方か。心のより所を求めた先も、信用のできない異常な世界そのものだった。


「狂ってやがる……!」


 そう思った。何かが狂い始めてる。


「どうしたんだ」


 不意に、背後から小野田に話しかけられた。俺は振り向く。小野田がいう。


「落ち着かないな、とりあえず茶を飲め」

「お茶なんか飲んでられるかよっ!」


 俺は、意に反して大きな声を出してしまった。嫌な静寂。俺は立て続けに息巻く。


「なあ獣座衛門、やっぱりお前、何か隠してるだろ?」

「隠してるも何も、俺はお前に聞かれたことを全て答えてきた。それを知ってるのはリュウタ、おまえ自身だろう?」

「嘘だ! お前は俺の反応を見て楽しんでるだけだ! そしてNSIAの連中も! 何も重要なことなんて話したりなんかしないんだ! 上辺だけ取り繕った、本当っぽいことだけを話して、お茶を濁すだけ。そうして俺を洗脳して……」

「洗脳して?」

「とにかく! 俺を恐怖で支配して楽しんでる! お前も、NSIAも実はグルだ!」

「何のために? 俺は記憶を取り戻すためにロボットハウスに居残った。お前にも説明したろう?」

「じゃあそうだ! 記憶を取り戻すためにNSIAの悪ふざけに協力してる」

「確かに悪ふざけだ。俺にとっては茶番にも思えるね。けれど君達人類にとっては重要なことなんだろう。何度もいうが私は君達について多くは知らないんだ。だから何の意図があってオペレーターという君のような境遇の人間がロボットハウスに送り込まれているのかも私は知らないんだよ」

「しらばっくれるかっ。じゃあいい。いってやろうか? かつてロボットハウスは宇宙生物の実験場だった。獣座衛門、お前が回収されたときにはお前を含めて他にも多くの異物が回収された。そのひとつの検体Aとかいう物体は人間の死体だったそうじゃないか!」

「……!」

 小野田は目に見えて動揺していた。その反応は真実以外にはありえない。俺は調子をよくして息巻く。

「そうだ、オペレーター計画はいってみれば生贄の儀式なんだよ。君達の食料は人間の魂だ。俺の知らないうちに君は俺の魂を吸っていたんだ。だからオペレーターは運よく地上に生還しても頭がおかしくなった。精神に異常をきたしたのは魂が磨り減ってしまったからなんだ。何の因果かわからないが肉体が健康でも魂が衰弱したら死んでしまう。だからチャールズロペスは健康な体で死ななきゃならなかった。君達が家畜にしているというサルも人間によく似た生物なんだろ? 人間がより家畜に適した動物か、それ以上に上質な魂が得られるんだ。だから人間を研究して、もっといえば地球ごと占領して家畜にでもしようと思ったんだろ? そうでないっていうんならば検体Aとは何なんだ?」

「全部お前のでたらめな憶測だろう。そうして人を何だと決め付けるのはネゴシエーターとしては最低の立ち振る舞いだぞ!」

「俺の質問に答えろよ!」


 小野田ははじめて逡巡している様子だった。未だかつて、彼が俺の質問に口ごもる反応を見せたことがない。誤って禁断の扉を開けてしまったというのか。その沈黙が、俺はかえって恐ろしくなってしまった。俺は、結局情けない顔で声を張り上げた。

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