マイリトルワールド

ハツカ

第1話 女児向けインテリアゲーム・ドーリー★ルーム

明るい海の中のような一面の青い空間。

ここはVRマシン内の管理フィールド。

マシン内のフォルダ一覧をどんどんスクロールして、最も古いデータ群に辿り着いた。

空中に浮かんでいるアイコンのほとんどは、小学生向け学習ゲームばかり。

私らしい。

小学生の頃から勉強漬けの日々だった。

でも、辛くはなかった。

親から強要されていたわけでなく、将来の夢のために自ら進んで学んでいたのだから。

その甲斐あって、県内一の進学校に合格し、その進学校の中でも成績優秀だった。

それなのに。

せっかく合格したのに。

いきなり引っ越しすることになるなんて。

そう、今私は、引っ越しの荷造りという大仕事に疲れてしまって、VRマシンのフォルダ整理という現実逃避中なのだ。

VRマシンのゴーグルを外せば、本やらテキストやら将来の夢の関連書籍でパンパンの本棚が並んだ自室が待っている。

あまりダラダラしてはいられない。

中学生の頃の参考資料はまだともかく、小学生の頃の参考資料は、現在の私にはもう必要ないものがほとんどだ。

フォルダ一覧を眺め、どんどんまとめて消していく。

ああ、データなら気軽に消せるんだけどな。

引っ越しの荷造りの何が辛いって、本を取捨選択しなくてはならない事だ。

全部は持っていけない、厳選しろ、と、きつく言われているのだ。

でも、私はなかなか選べないでいる。

問題集は私の学力の証明になる。

資料集は調べものに役立つことがあるかもしれない。

あと、検定試験の合格証は絶対いる。

将来の夢の関連書籍は、内容は大体覚えているけど、いつか忘れちゃうかもしれないし。

つらつら考えながら小学生時代の様々なデータを消していると、1つ派手なアイコンを見つけた。

ビビットなピンクのハートの周りにイエローのスターが散っている。

タイトルは、『ドーリー★ルーム』。

なんだっけ、これ?

…あ、思い出した。

10歳くらいの頃、親戚からクリスマスプレゼントに貰ったゲームだ。

どんなゲームだっけ?

…あ、そうだ、バーチャル世界に可愛いファンシーな部屋を作れる女児向けインテリアゲームだ。

一時期プレイしまくっていた記憶がある。

…ハマっていたとか、そういうんじゃなくて

…何かこのゲームで作っておきたいものがあって

…何を作りたかったんだっけ?

…ちょっと中身を確認してみよう。

こんなことに時間を使ってたら、いつまで経っても荷造りが終わらないぞ、と自分を小さく叱りながらも、私は『ドーリー★ルーム』に入った。

真っ暗な視界の中、数秒待つと、目の前には青い部屋があった。

そうだ、また思い出した。

女児向けゲームらしく、ゲーム内に用意されている家具のほとんどは可愛いデザインばかりだけど、家具の色と、その色の濃淡は自由に変更できた。

なので、当時から自分のことを成績優秀な優等生と自負していた私は、知的なイメージのブルーと、ブルーと相性の良いホワイトで部屋の色を統一したんだった。

ブルーの床。

白い小花柄の青いじゅうたん。

白いテーブルと白い本棚。

そしてその本棚には本がぎっしり。

もっとも、この本はあくまでインテリアで、読むことも、本を開くことさえもできないんだけど。

淡い青のストライプの壁には、小学生の頃に取得した検定試験の私の名前入りの合格証書。

なぜゲーム内に名前入り合格証書なんてあるのかと言うと、このゲームのインテリアはもともとゲーム内に用意されていた家具を使うのが基本だけど、自分で用意することもできる。

現実にあるものを撮影した写真データをゲーム内に取り込むことができるのだ。

つまり、ひらべったい2Dのもの限定で、このバーチャル世界にリアル世界のアイテムを自分で用意することができる。

壁一面に友人や家族の写真を貼るなどの、現実では壁に画びょうの穴が開くのを避けてできないことも、このゲームならお手軽にできるという訳だ。

そういえば、クラスメイトには、床も壁も天井も一面、好きな男性アイドルの顔写真ぎっしりにしている子もいた。

そして私は、このシステムを利用して合格証書を壁に貼ったのだ。

小学生の頃とはいえ私は私。

今の高校生の私でも居心地が良い部屋だ。

ていうか、現実の私の部屋にけっこう似てる。

でも、私がこのゲームで作りたかったのって、こんな部屋だったっけ…?

手元にメニューウィンドウを出す。

あと2つ、部屋が保存されているみたい。

私は2つ目の部屋に移動した。

次の部屋は、和室だった。

黄色に近い黄土色の畳。

薄緑色の壁。

くすんだ白色のふすま。

部屋の真ん中には丸いちゃぶ台。

このゲームの用意されていた和風の家具を使って作った、何の変哲もない和室だった。

「あ…」

思い出した。

全て思い出した。

私が作りたかったのは最後の3つ目の部屋だ。

この何の変哲もない和室は、3つ目の部屋の実験台に作った部屋だ。

私は再びメニューウィンドウを出した。

ドクン、ドクンと心臓が大きく弾んでいる。

じっとりと肌が汗ばんでいる。

だって、3つ目の部屋は特別な部屋。

私は震える指で3つ目の部屋を選択した。

3つ目の部屋は―

黄色に近い黄土色の畳。

薄緑色の壁。

くすんだ白色のふすま。

部屋の真ん中には丸いちゃぶ台。

パッと見ただけなら、2つ目の部屋に似た和室。

でも、このゲームに用意されていた家具をそのまま使ってない。

私だけの特別な和室だ。

畳も壁もふすまもちゃぶ台の木目も全て

「おじいちゃんとおばあちゃんの家…」

病死した祖父母達が住んでいたあの家。

建物自体もかなり古く、住む人がいなくなって、取り壊されることになった時。

小学生の私は祖父母の家の畳、壁、ふすま、ちゃぶ台の写真を撮り、このゲームに写真データを取り込んだ。

床には祖父母の家の日焼けした畳。

壁には薄緑の砂壁。

ふすまには、梅の花が描かれたふすま。

ちゃぶ台には、祖父母の家で何十年も使用されたちゃぶ台の木目。

部屋中に写真データをペタペタ張り付けて、現実世界の祖父母の家を、この仮想世界に保管したんだ。

ううん、この部屋だけじゃない。

梅の絵が描かれたふすまを開けたら廊下が伸びていて、その先には玄関があって、玄関を開けたら外に畑が広がっていて、土の匂いがして、虫の鳴き声が聞こえて、風に吹かれた草や木の葉がこすれ合う音もして―

そんな気すらする。

実際にはあのふすまは開かないんだけど。

でも私の頭は覚えている。

この仮想の部屋が記憶を明晰に思い出させてくれた。


私はベットの上でVRマシンを頭から外した。

現実の部屋に戻ってきたのだ。

目の端にほんの少しだけにじんだ涙をぬぐってから眼鏡をかけて、室内を見回す。

ベッドから降りて、本棚から特に大切な本を5冊だけ抜き出して鞄に詰めた。

あとは、着替えや筆記道具などの生活に必要な物を段ボール箱に詰めよう。

他の物はこのままこの部屋に置いていく。

だって、人間1人あたり、100キログラムから本人の体重を引いた重さの荷物しか持っていけないんだから。

だから、全部は持っていけない、厳選しろ、と、きつく言われているのだ。

この引っ越しは親の転勤とは訳が違う。

今、世の中を賑わせているあの事件のための引っ越し。


参考書や資料集が無くても大丈夫。

勉強は電子ツールでもできる。

将来の夢の関連書籍も手放したって大丈夫。

私はきっと病気の人を救える医者になれる。

持ち物が少なくても大丈夫。

思い出はちゃんと頭の中に残っている。

もしもよく思い出せなくなるのが心配なら、写真でも撮っておけばいい。

それだけで、景色も匂いも音も思い出せる。

私はケータイのカメラを自室の壁に向けた。

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