第74話◇露天風呂
俺は、天井の板がズレていることに気づく。
「何やってるんだ、セリーヌ」
「――さすがです、旦那様」
天井裏に隠れていた羊の亜人の執事セリーヌは、板を外してサッと飛び降りる。
「そして申し訳ございません、旦那様ならお気づきのことと存じますが、お嬢様の命令だったのです。私も所詮は雇われの身、金貨を投げつけられては断ることなど出来ず……」
よよよ、と無表情のまま嘘泣きをするセリーヌ。
セリーヌがフローレンスに逆らえない、というのは普段のやりとりを見ているととても信じられないのだが……。
「そうか……それで、何を?」
「いえ、そんな大したことでは……。ただ、旦那様がどなたの浴衣あるいは下着に興味を示すのか確実に見届けよと厳命されただけで……」
「そう、か……」
聞いても意味がわからなかった。
「このまま何も報告しないわけにはいきません……旦那様、どうか私を助けると思って、誰かしらの名前を挙げていただけないでしょうか……?」
セリーヌがじぃっと俺の目を見つめてくる。
困っているならば助けてあげたいのだが、ここで挙げた名前でおそらく一瞬で全員に広まることだろう。
そのことで怒ったり悲しんだりする者が現れることも想像がつく。
「それは、どうだろう……」
返答に窮する俺をしばらく眺めていたセリーヌだが、やがて諦めたように肩を竦めた。
「冗談です」
「え?」
「戯れが過ぎましたこと、深くお詫びいたします。このセリーヌ、どのような罰であろうと甘んじて受け入れましょう。鞭でお尻をぶたれようとも、この場で浴衣を剥ぎ取られようとも、旦那様のお許しを得られるのであれば、どのようなことでも致します」
セリーヌは淡々と言う。
本気か冗談か判断がつかない。
「いや、別に怒ってないから」
「鞭ならばここにございますが」
スッと鞭を取り出すセリーヌ。
……今どこから取り出した?
「本当に大丈夫だよ」
「左様ですか」
セリーヌはどことなく残念そうだ。
「では旦那様、ここは脱衣所ですので、お召し物をお脱ぎになり、どうぞ露天風呂へとお進みください」
「あぁ、うん。そうだな……」
「この国では成人認定とはいえ十五歳の少年と一緒にお風呂に入りたがる『七乙女』の皆様に対し、深い慈悲の心を以ってこれを許すとは、さすがは人類の大英雄レイン様でございます」
それは褒めてるのか……?
「まるで肉食獣の群れに草食動物が一頭で乗り込むようなもの……その勇気こそ、何者にも真似できぬ英傑の才覚と言えましょう」
自分の主を肉食獣にたとえるメイドがいるだろうか。
ここにいるのだが。
「それでは旦那様、どうぞお楽しみください」
セリーヌは慇懃に一礼すると、脱衣所を去っていった。
と見せかけて、俺がユカタを脱ぐところを盗み見ようとしていたので注意した。
「言い忘れたことがございました。慈悲の心か臆病さの表れか、旦那様だけは水着の着用が特別に許されたとのことです。カゴの中に入っておりますので、よろしければ」
「そ、そうか。それは助かる、かな」
今度こそ彼女の気配が離れていくのを確認し、俺はユカタを脱ぐ。
下を隠す水着一枚あるだけで、随分と気の持ちようが変わるものだ。
今はこの一枚が戦場での聖剣のように心強い。
……なんて口にしたら、ミカが激怒するだろうけれど。
露天風呂に繋がる戸に手を掛ける。
心臓が早鐘を打つ。
横開きの戸を開いた瞬間、外気が室内に流れ込んだ。
身震いするほどの寒さ。
ぴちょん、と水の垂れる音が聞こえた。
もわもわと、湯気が夜に広がっている。
部屋を出た時は外が暗かったのだが、今は月が出ていて、周囲がほの明るい。
そして、ついに俺の目が露天風呂を捉える。
圧巻、だった。
七人は、生まれたままの姿で俺を待っていた。
髪の長い者は湯に触れぬようにか、後ろで一纏めにしてあり、いつもとは印象が違う。
各々が、縁に腰掛けていたり、湯に浸かっていたり、各々のやり方で過ごしている。
エレノアも、レジーも、ルートも、ヴィヴィもモナナも、フローレンスも、マッジも。
一糸まとわぬ姿で、月夜に身を晒しているのだ。
「レインさま?」
エレノアが俺に気づいた。
全員の視線が俺に集中する。
心臓がバクバクいいだし、明らかに血の巡りが速くなる。
顔が熱い。というか全身が熱い。温泉に入ってもいないのに湯あたりしてしまったみたいな感じだ。
美しい、というだけではない。
芸術的なまでに美しい七人の身体はだが、芸術作品が与えるような感動とは違う感情を俺に訴えかける。
「えと、その、あー……。――悪い……!」
どのような魔族の『王』との戦いであろうと逃げ出さなかった【勇者】が、情けないことに自分を待っていてくれた人たちから逃げることになろうとは。
しかし俺は自分の感情を御しきれず、そのまま脱衣所に戻ってユカタを羽織ると、帯も適当に自分の部屋へと駆け戻った。
「……勇者さま?」
俺を迎えてくれたフェリスは、早すぎる帰還に不思議そうな顔をする。
「まさか、レジーが何か粗相を?」
俺は首を横に振る。
「いや……悪いのは、俺だけだ……」
とぼとぼと布団に戻り、頭まで被る。
脳裏に焼き付いた七人の姿は、ただの記憶なのに容易く俺の心を掻き乱す。
ふと、布団の上から俺の頭を撫でる者がいた。
フェリスだ。
「……俺には家族風呂は早すぎたかもしれない」
「ゆっくりでよいのですよ、勇者さま。今まで、普通の子供が経験しなくてもいいような大変な目に沢山遭われてきた勇者さまにとって、目の前のことはすぐに解決しないといけないことだったのかもしれません。しかし、世の中には、すぐには解決できないことも沢山あります」
「……そうなのかな」
「そうなのです。皆様の期待に応えられずともよいのです。勇者さまがお優しい方だと皆様分かっておいでです。嫌だなと思うこと、怖いなと思うこと、自分でも上手く言葉にできないこと、全部そのまま口に出しても、誰も勇者さまを嫌いになんてなりません。絶対に」
俺はそっと布団から顔を出す。
「ありがとう、フェリス」
「はい」
「明日、みんなに謝るよ。もう、今日かな」
「はい」
フェリスはいつも通りの、優しい笑みを浮かべている。
俺は先程までの心臓が破裂しそうなドキドキが、収まっているのを感じた。
「フェリスといると……」
そういえば、俺は眠っている途中に起こされたのだった。
温かい布団にくるまり、フェリスに優しく撫でられていると、なんだか……。
「落ち着く、な……」
「――――っ」
一瞬、フェリスの手が止まった。
しかしすぐに、よしよしとばかりに俺の頭を撫でる動きが再開される。
「もったいないお言葉です、勇者さま。どうか、平和な夢を見てくださいね」
翌日。
みんなにどう謝ったものかと思いながら食堂へ向かうと、何故か全員目がギラギラしていて、だが同時に深いクマが刻まれていた。
「みんな、その、昨日はごめ――」
最後まで言うより先に、『七人組』の全員がとってもいい笑顔を向けて挨拶してくる。
なんかこう、「わかってますよ」とばかりに含みを持たせた笑顔なのが気になるが……。
セリーヌが俺の横にきて、囁くように言った。
「自分の裸こそが旦那様に『女』を意識させたのだと全員が主張し、くだらぬ議論が朝まで続いただけでございます。誰一人、怒ってなどいませんのでご安心を。いえ、全員のおめでたさを心配すべきかもしれませんが……。どうされます、旦那様?」
お前この状況をちょっと楽しんでないか……と俺は訝しんだ。
ともあれ、みんなが怒っていないならよかった。
別の問題が浮上した気もするが、それに関してはいますぐ解決できそうにないので、保留でいいだろう。
眠る前のことを思い出しながらフェリスの方を向くと、彼女も俺を見ていた。
彼女が小さく顎を引く。
俺を考えを肯定するように頷いた、というのは都合のいい解釈だろうか。
とにかく、そんなふうにして。
初めての温泉旅行は幕を下ろした。
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