第40話◇元英雄のヒモ生活、午前3
俺とエレノアは街に散策に出かけた――のだが。
なんだかおかしなことになった。
最初の三十分くらいは良かったのだ。
朝市をぶらぶらして、俺の視線が留まったものは片っ端から買おうとするエレノアを止めたりしつつ、和やかに時間は過ぎていった。
貰った角を付けて歩いていると、「姉弟かい?」と声を掛けられることもあった。
その度に、エレノアは恍惚とした表情を浮かべて「そうなんです」と嘘をついた。
『この女、これが狙いだったのね』
ミカが呆れたように呟く。
問題はここから。
「レイン様、こちらへ」
エレノアに路地へ引っ張り込まれる。
そのまま壁に押し付けられ、彼女に密着された。
柔らかい胸の感触と熱を顔に感じる。
「むがっ」
「んんっ。レイン様、しばしご辛抱を」
艶かしいエレノアの声に、俺は硬直する。
何事かと思う俺の耳に、ミカの声が届く。
『……あぁ、話を聞きつけてきたのね』
視界は今ちょっと機能していないので、聴覚をフル稼働させる。
すると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「勇……レインのお気に入りはこの串し焼き店ね――御店主!」
この声は魔王軍の筆頭情報官である、ヴィヴィのものだ。
赤紫色の波打つ髪に、鋭い眼光。派手で攻撃的な印象を受ける彼女だが、他の者と同じく心優しい魔人だ。
情報収集能力においては、人類の六英雄【軍神】に次ぐ能力の持ち主。
まさか、俺のよく行く屋台まで調べ上げているとは。
ヴィヴィは、蟹のような頭をした男性店主に俺のことを尋ねているのだろう。
この近くに店を構えているし、これから行こうと思っていた場所だ。
「ん? 剣持った魔人の子? あぁ! あの美味そうに食ってくれる坊やか! いやぁ今日は見てねぇなぁ」
「そう、分かったわ。お邪魔したわね」
「あの坊やに何かあったのかい?」
「いいえ大丈夫よ。行き先を告げずに遊びに行ったものだから、心配になっただけ」
「そうかそうか。あの坊やもいい姉ちゃんを持ったな」
「! 御店主。弟お気に入りの串をあるだけくれるかしら」
『七人組ちょろすぎるでしょ』
「くっ。この角を見なさい! 姉は私でしょう!」
エレノアが悔しがっている。
それはそうと、そろそろ息苦しい。
『レインのことおっぱいで窒息死させたいわけじゃないなら、離れなさいよ』
「はっ、失礼しました」
「ん? 今勇者レインの呼吸音が聞こえたような……」
ヴィヴィの『気』がこちらに向いたのが分かる。
『どういう耳と判断基準!?』
「くっ、やはり誤魔化せませんか。レイン様、聖剣様、失礼します」
エレノアが俺の手に触れた瞬間、視界が切り替わる。
正確にはいまだに視界の大半をエレノアの胸が占めているのだが、転移したのは分かった。
木々の香りがする。
「さっきのヴィヴィだよな?」
「私とレイン様の逢瀬を邪魔するべく現れたのでしょう……流石に動きが早いですね」
『抜け駆けしようとしてるからでしょ』
「ちっ、違います! レイン様にお誘い頂いたわけですから、抜け駆けには相当しません!」
エレノアはミカから視線を逸らしている。
『納得出来ていないから、探しに来たんでしょうに』
「困ったものです」
『どっちがよ』
「エレノアは、ヴィヴィがいると嫌なのか?」
「い、いえそういうわけではないのですが……」
顔を赤くして言い淀むエレノア。
『あんたとデート気分を味わいたいのよ』
「んぐっ!」
「でぇと」
聞き馴染みのない言葉だ。
ただ、意味は分かる。
一対一の外出のことだろう。多く、男女の組み合わせのもの。
いつも世話になっていることだし、エレノアの望みなら応えたい。
「じゃあ、戻ってミカは置いてくるか」
『くっ、個人として扱われたことを喜ぶべきか、持ち主に留守番させられそうなことに怒るべきか、判断が難しいところね……』
ミカが何やら悩みだす。
「い、いえ、それには及びません」
エレノアの答えが引っかかったのか、ミカの意識がそちらへ向く。
『ん? ……あんたまさか、あたしがルートとかに情報漏らすと思ってる?』
エレノアは、不自然なほどにミカを見ない。
どうやら図星らしい。
魔法学院の教師を務めるルートは、ふわふわした茶髪と弧を描くように細められた目が特徴的な美女だ。
おっとりした性格で、魔法使いとしての能力も高い。
「気を取り直しまして、こちら街の者にも人気の自然公園になります」
先程感じた匂いの正体が判明。
街中に森を再現したような場所だった。
散歩コースということなのか、道も整備されている。
「へぇ」
魔族領は、魔界から漏れ出した瘴気に汚染されている。
これを浴びた動植物は悍ましい変異を遂げるのだが……ここは普通の森林だ。
魔王の展開している瘴気除けの結界が、上手く作用しているのだ。
俺たちが転移したのは大木の下で、木漏れ日に照らされたエレノアの髪は、きらきらと白銀に輝いて美しい。
「ルート先生。これは何の授業なんですか? 予定にはなかったですよね?」
またしても、聞き覚えのある声だ。
俺の数少ない友人の一人、魔法学院の生徒ジュラルだ。
今日も髪をツインテールにしている。
どこかツンツンした雰囲気の少女だが、それが魔法使いへの誇りからきているものなのだと、今の俺は知っている。
決闘まで発展したあとで、学んだというべきか。
「写生でも森林浴でも好きにしていいですからね~」
「……なにか嫌な予感がしてきたんですけど。課外授業なんですよね?」
「先生はちょっと用事があるので、しばらく外しますね~」
「ちょっと先生! あーもうっ!」
というジュラルとルートのやりとりを、俺たちは木陰に隠れて見ていた。
「くっ、同じ街に住んでいるだけあって、めぼしいデートスポットは彼女にもバレていますか」
だんだん、隠密行動が求められる任務を思い出してきたが、こういうのをデートというのだろうか。
「ここは諦めましょう、レイン様」
俺は再び、エレノアによって転移することに。
ちなみに、生徒を放置して俺を探し始めたルートに対し、彼女と仲のいいミカは発言を避けた。
その後、エレノアは俺の普段着を買おうと言い出した。
魔王軍が全部用意してくれるので服には困っていないのだが、寝間着以外は英雄時代に着ていたものを選ぶことが多い。
魔王軍にもらった上等な生地の服は、なんだか慣れない。
エレノアはそれを、デザインが気に入っていないからとでも思ったのか。
もしそうなら誤解なら解かねば……と考えていると、店までの道でエレノアが立ち止まる。
今度は引っ張られる前に、俺も物陰に隠れた。
俺を探しているみんなから隠れたり逃げたりするのは心苦しいが、エレノアと出かけるというのは俺が言い出したことなのである。
どうせなら、彼女が一番楽しめる形で進めたい。
どうやら、またしても七人組の一人に先回りされていたようだ。
魔王の娘の護衛役を務める黒髪メイド、レジーだ。
大人しく内気そうな印象だが、七人組が集まって何かする時は、彼女も必ず参加している。
今日は仕事仲間の赤髪メイド・アズラも一緒のようだ。
『あの二人ミュリの護衛よね? 二人一緒に外にいたらダメなんじゃないの?』
魔王の娘ミュリは、他のチビたちと勉強の時間。
とはいえ、護衛を休む理由にはなるまい。
「おそらく誰かに代わってもらったのでしょう。ライオあたりでしょうか……彼は私たちに甘いので」
四天王ライオ。獅子の顔をした獣人だ。
ダイエットの一件以来、ちょくちょく顔を合わせている。
元々、面倒見の良い性格なのだろう。
小さな声で会話していると、レジーとアズラの声が聞こえる距離になった。
「……このお店にもいない」
「違うとこにいんじゃねぇの? つーか放っておいてやれよ。レイン……勇者さまとエレノアさまが出かけたっていいじゃねぇか」
不機嫌そうな声を出すレジーと、疲れた様子のアズラ。
「エレノアだけずるい」
「潔いくらいの嫉妬だな」
アズラは苦笑いだ。
「……俺と出かけて、何か楽しいことがあるかな」
俺を探し回るみんなを見て、そんな言葉が漏れる。
『人の生は短いわ。永遠には一緒にいられない。気に入った相手と過ごす時間を望み、大切にすることは普通の感情よ』
ミカは長生き? だけあって、たまに達観したようなことを言う。
ちなみに、魔人の寿命は人とそう変わらないようだ。
「そういうものか……じゃあ、今度他のみんなも誘わないとな」
少々特殊な環境で育ったために、俺には『普通』の感覚というものが欠けている。
けれど、人を大切に思う気持ちはあるのだ。
エレノアは恩人だし、他のみんなだって大切な友人だ。
「…………」
『…………』
エレノアとミカが不自然に黙る。
エレノアの方は、少し悔しそうだ。
『ま、まぁ今はそれでいいと思うわ』
「どういう意味だ?」
しかし答えを聞く前に、再び移動する羽目になる。
「くんくん……れいんさまの匂い!」
「獣人並の嗅覚だな……」
レジーに引っ張られながら、アズラは引いている。
「アズラ、ちゃんと手伝って……。この前、れいんさまとデートしたの、まだ許してないから……」
「してねぇわ! たまたまばったり会ったから一緒に飯食っただけだっつの!」
そういえば、そんなことがあった。
競ケンタウロスで所持金ゼロになったアズラと出くわし、なんやかんやあって昼食を一緒に食べたのだ。
その際に気づいたのだが、アズラは今レジーと話しているような口調の方が素のようだ。
「その件は私も報告を受けました。アズラさん……なんという幸運な人なのでしょう」
エレノアも頷いている。
『いや誰が報告したのよ』
ミカのツッコミに答えは返ってこない。
エレノアから伸ばされる手を、俺は握った。
「え」
彼女が驚いた声を出し、俺たちはまたも転移する。
だが、今回魔法を使ったのは俺の方だ。
飛んだのは――。
王族専用の遊び場だ。
最近はチビ達や俺も使わせてもらっている。
「チビたちは勉強中だからな、今なら誰にも邪魔されないだろ」
彼女の手を引いて、休憩用のベンチまで連れて行く。
「それとも、城の外がよかったかな」
「! い、いえっ。レインさまと二人きりの時間を過ごせれば、どこであろうと天の国に変わりありません」
その時にエレノアが浮かべた嬉しそうな笑顔に、俺の胸がひときわ高く鳴った。
そのことに気を取られて、彼女の大げさな表現に言及するタイミングを逸する。
『いやあたしもいるけどね』
ミカの声にも、俺達はしばらく反応せず。
しばし見つめ合うことになるのだった。
――後日。
俺たちを発見できなかったみんなに、それぞれ一緒に出かける機会を作ろうと話したところ快く受け入れてもらえた。
あと、俺の付け角のデザインにエレノア以外から反発の声が上がり、何故かみんな自分のに似た付け角作成に入るのだった。
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