第24話 樫の宮殿

 樫の宮殿の偉容は五百年が過ぎても失われていない。

 黒々とした幹がうねりながら絡み合い、濃淡のグラデーションがかった葉が全体をいろどっている。全体がひとつの屋敷のような形を成しているが、森の上から見たとしても、木々のなかに溶け込んで見えるだろう。


 ラビオリはグリエの言葉に従い、樫の宮殿の裏手に回った。表からは大量のゴーレムが今も次々に生み出されていたからだ。


 走り続けていたラビオリは疾走術を解くと、木陰にどさりと体を横たえた。

「も、もう動けませんわ……」

 魔力を使い果たし、疲労の色が濃い。力なく垂れる手をグリエがしっかりと握った。


「ありがとう、ラビオリ。あとはあたしたちに任せて」

「グリエさん……」

 ラビオリは指をからませてその感触を堪能しようとするが、グリエはあっさりとつないだ手を離した。


「セージ、どうする?」

 そして、ラビオリの頭の上の妖精を両手で拾い上げる。


「宮殿ごと燃やしちゃう?」

「やつを倒したあとは俺が使う宮殿だぞ、やめろ」

 翅を広げて、セージは魔力の流れを感じようとした。以前ほどにははっきりとはわからないが……それでも、森の中で膨大な魔力が渦巻いているのがわかった。


「ティーゼローファは宮殿の地下で稼働してるな」

 ラビオリが虚空に伸ばした手をかくりと落とすのにも構わず、セージは宮殿を見上げた。


「ラビオリはここにいれば安全だろう。たぶん、カルダモンは玉座の間にいるはずだ」

 頭の中に宮殿の内部を思い浮かべて、セージは一角を指さす。


「枯葉の下に入り口がある。いざというとき脱出する用の道だが、扉をノックして合言葉を言えば開くはずだ」


「合言葉って?」

 マリネが聞き返すと、セージはよどみなく答えた。


「『偉大なるセージェリオンに忠誠を捧げます』だ。しっぽ族の言葉でいい」


「えぇー」

「本来はエルフが使うための入り口なんだ」

 いかにもイヤそうなマリネのリアクションに、セージは口をとがらせた。


「もっと近道はないの?」

 グリエが聞くと、セージはゆっくり肩をすくめた。


「フェアリーが鳥に乗って行き来していた空の入り口があるけど……それぐらいだな」

 セージが上を指さす。尖塔のように高くつきだした幹の半ばに、ぽっかりと洞が空いているのが見えた。


 グリエはそれを見上げてから、決断するようにうなずく。

「じゃあ、あたしたちは先に行ってるから。マリネも急いでね!」

 いうが早いか、セージを懐に押し込み、全身のバネを使って跳びあがる。


「《イグナイト》!」

 ぼっ、と音を立ててグリエの靴底から火が噴きあがる。小規模な爆発の反動でグリエの体がさらに空中へ押し上げられる。落下が始まる前に再び火を噴きだし、さらに高く……ぼん、ぼん、ぼんっ! と派手な音を立てながら、みるみる上空へ飛びあがっていく。


「ま、待て、揺れる! ぶつかってる!」

「ガマンして!」

 とかなんとか、二人は叫びあいながら、先ほどセージが示した洞へたどり着き、するりと飛び込んだ。


「……ボクの店に降ってきたときも、ああやって飛んでたんだね」

 納得した、というようにマリネがつぶやく。


「いつの間に、あそこまで発火術を操れるようになったんですの?」

 対して、ラビオリはその技術に驚いていた。グリエの発火術は、力は強いが操ることはほとんどできない代物だった。それが今や、一定の力を連続して出せるほどになっている。昔から彼女のことをよく知っているラビオリが驚嘆するのも無理はない。


「セージさんに魔法の使い方を教えてもらったみたいです。さっきのラビオリさんのように」

「わたくしは教えてもらわなくてもこれぐらいできました」

 疲労困憊ながらも虚勢を張るラビオリ。


「ボクは、フェアリーとは初めて話しましたけど……あ、セージさんはエルフだけど……でも、今まで思ってもみないようなことをたくさん言われました。魔法のことだけじゃなくて、たくさん」

 マリネはつぶやくように言いながら、降り積もった枯葉の上を探り始めた。


「ラビオリさんとも。ボクたち、あんまり学院で話したことはなかったけど、昨日はたくさんお話しました。おかげで今、こんなことに」


「面倒だと思ってますの?」

「ちょっと。ううん、かなり。でも、楽しいこともありました」


「あなたは思っていたより、友達思いなんですのね。『冷たいマリネ』なんて呼ばれていたから、もっと薄情な方かと」


「それにはいきさつがあって。ラビオリさんは、思ってたより……」

 言葉に詰まるマリネ。ラビオリはまだ力が入らない体のまま、枯葉のなかをさぐる姿を見ていた。


「思っていたより、意地悪ですね」

「わたくしが動けないと思って、言ってくれますわね」

 じとっと視線を送るラビオリの前で、マリネは何度か地面を確かめるように押す。


「『偉大なるセージェリオンに忠誠を捧げます』」

 マリネが合言葉を言い終えると、地面が薄緑の光を放ち、そこに地下へ下っていく階段が現れる。


「うわぁ……」

 本当に、正しい合言葉だったらしい。マリネは思わずうめいてから、気を取り直すようにふさふさの尻尾を左右に振った。


「それじゃあ、後で」

「世界を守ったらまたお会いしましょう」


 🌳


 尖塔に飛びこんだグリエは、一気に宮殿に飛びこんだ。

 ぼんっ! と着地の瞬間に発火術の爆発を立てて衝撃を和らげ、まっすぐに着地する。


「驚かせるなよ! 飛ぶなら飛ぶって言ってからにしろ!」

「こうしてる間にも街が襲われてるんだよ。じっとしてられないよ!」


「あーもう、どうするか考えるから静かにしてろ!」

 もぞもぞとグリエの胸元から這い出して、セージはようやく一息つく。


 だが、すぐに一息ついている場合でも、考えている場合でもないことに気づいた。


 グリエが飛びこんだ洞は玉座の間へ直通の入り口であり、つまりふたりがいるのはすでに玉座の間だった。


 広々とした空間は、地下にあるティーゼローファと魔力的なつながりによって壁や床が光を放っている。とりわけ、ゆがんだ玉座には、全身に薄緑色の魔力を纏ったエルフが座っていた。その手には王の指輪が着けられ、銀の輝きを放っている。


「カルダモン……」

「エルフの王だったものが、今ではしっぽ族の荷物か」

 飛び込んできたグリエに驚きもせず、エルフはつぶやいた。


「わざわざ戦いを起こして、世界を敵に回すつもりか?」

「だからこそだ。大陸には王が必要だ。正しく世界を導くことができる王が」


「俺から奪った玉座でふんぞり返って、満足かよ?」

「貴様は五百年も眠っていたから知らんだろうな。秩序を失った世界がどうなったか。混乱と狂騒に支配された大陸でいかなる悲劇が起きて来たかを」


「お前が封じたからだろうが!」

「貴様の専横を見過ごすことはできなかった!」

 セージとカルダモンが互いに怒気を露わに叫ぶ。グリエはそれを見ながら、

(確かに同じ種族なんだなあ……)

 と、思っていた。なんとなく、他人事のように感じてしまうのがおかしくて、口元で小さく笑っていた。


「ティーゼローファを止めろ。王国がほしいなら、いますぐ樹立を宣言すればいい」

「やはり分かっていない、セージェリオン。野蛮な敵から国を守るには力を示さなければならんのだ。獣どもはたたいてしつけてやる必要がある」


「ブルギニョン……なんだよね?」

 ふたりの話に割り込んで、グリエは口を開いた。

「本当に、あなたが? ギルドを作ってたくさんの人を導いてくれたでしょ」


「何も知らずに私を敬い、畏れる貴様たちの姿はなかなか面白かったぞ」


「正確には、まったく同じではないはずだ。幻影術で姿を変えただけじゃなく、魔法で人格を作り出して自分の体を操らせていた。そうやって、何人もの人生を乗り換えてお前たちを導いていた」

「そうだ。時間がかかったが、ようやく貴様と王の指輪を見つけることができた」


「そのためだけに?」

「しっぽ族の街より、王の指輪の方がずっと価値がある」

 カルダモンの言葉は率直だった。挑発でも罵倒でもない。本気でそう思っているものの言葉だ。


「ブルギニョンは? ブルギニョンの心も魔法で作ったんでしょ。その心はどうしたの?」


「もういない」

 カルダモンは軽く手を振って、つまらなさそうに鼻を鳴らした。


「要らなくなったからだ」

 かっと、グリエの胸に火花が走った。鉤尻尾が大きく膨らんで、嫌悪感も露わにカルダモンを睨みつける。


「おい、やめ……」


「だったらあんたも消えちまえ!」

 怒りの声とともに、赤い炎が膨れ上がった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る