longing for diamond

吉野さくら

第1話

齢14,5の頃だろうか。

私が身を投じる世界として選んだのは、滅び行く未来を救うための修羅の獄。

髪を振り乱し、歯をむき出しにする悪鬼になろうと、私はそこで生きると決めた。


血の池で溺れた日も、高温の窯で茹でられた日も、努力に努力を費やした。

その結果、見事見たライフサイエンスのフィールドにいざ足を踏み入れたら。

そこは、手垢でベトベトに汚されたスノードームだった。


茫漠たる閉鎖空間の中で、我らは科学の発展に尽くす同志だ!……なんて本気で思っている人間など、殆ど居ない。

実のところ、周りは全て敵、敵、敵。

いかにして他を出し抜き、潰し、自分の研究を認めさせるか。そういう世界。

それが、”一般的な”研究者の美徳。


私の目指すところはそんな場所ではない。

私がやりたかったことはこんなことではない。

学業に身を削ぎ、努力を重ねるたびに、私の腸は煮えくり返り、学部卒業時には中身が全て吹きこぼれそうだった。


しかし。郷に入ったら郷に従わねば身を亡ぼすのがオチだ。

粗悪な培養液にでも、夢の為なら浸かってやろうじゃないか。

女性が女性として扱われないこの世界で、男性相手に生き残るには、誰よりも凶暴になるしかない。



私は一流と呼ばれる大学の大学院博士課程に進級し、最先端の技術を扱う研究室に所属した。

その研究室は、大学内では勿論のこと、学会でも名の知れた教授がトップに立ち、多くの学生や助手が有望な研究に励んでいる……はずだったが。

私を待っていたのは、胸に誓った決意が惨たらしく踏みしめられる日々だった。


交わされる会話は、如何にして科研費をもぎ取るか、査読を依頼された論文を不受理にするため、重箱の隅をどのようにつつくか…等々。思い出すのもおぞましい。

研究の進捗に関するディスカッションなど、物の数分交わされれば良い方だ。

助手や教授陣の目は常に金と地位と名誉で濁っていた。


どいつもこいつも、白衣の上にどす黒い欲を纏っている。

科学に己の利益しか求めていない。

そんな奴は科学者ではない。鉄槌を下してやろうぞ。


私は学会に出るたびに同じ畑を耕す研究者の過ちを指摘し、調子に乗った頭でっかちを踏みにじり、コテンパンに叩きのめしてきた。


だから、学生として参加する最後の学会が間近に迫ったある日。


「おい!今度の学会、”あの天才”が出るってよ!」


”あの天才”と呼ばれる男が同じ研究畑に居ると知らされても、一笑に伏した。



大学の垣根を越えてまでこの世界で名を知らしめている男のことは、私だって知っていた。

だが、天才だ何だともてはやされていても、所詮は己のプライドと名誉を第一に考える野良研究者共と同じだろう。

天才だなんて陳腐な言葉で誉めそやされている者ほど、研究に没頭しているその実では、欲に塗れているものだ、と。


――――まぁ、そいつを伸し餅の如くぺしゃんこにしてやったらどんな顔をするのかは、些か興味があったわけだが。



そして、件の学会にて。

実際顔を見て、期待値がぐんと下がったのは言うまでもない。


なんて頼りのなさそうな男なのだろうか、肌は白いし痩せ気味で、背なんか私と同じくらい。

真一文字に切りそろえられた前髪と、ふわりと広がるショートの髪は、いわゆる絶滅危惧種に程近いキノコヘアー。

その爬虫類めいた両目で見据えられようものなら、背中を滑走する悪寒で風邪をひいてしまうだろうな。


そいつが栄光の一途を辿った研究者――私の目標とする研究者の息子とは、到底思えなかった。



……いいや。容姿で判断するのは愚行だ。

真価は外見より内面で決まる。

妖怪白色キノコトカゲのお手並みを拝見してやろうと、私は一番前の席に陣取ってスクリーンに傾注した。


――――― 以上で発表を終わります。ご清聴、ありがとうございました。


奴の発表は非の打ちどころがない見事なものだった。

博士課程の院生とはいえ、並み居る教授陣にも引けを取らない成果と考察。

溢れ出る知性の泉を垣間見た私は、正直圧倒された。


(これで私より年下?)

祖国随一の大学で飛び級を熟しただけはある。


最初は奴の研究の穴を突いて、動揺させてやるつもりだった。

長年培われたであろうプライドを打ち砕き、すかした面を屈辱に歪ませ、二度と研究に精を出せないようにしてやろうと。

しかし20分間の研究発表を聴き終わる頃には、己の愚行を須く省みた。


恐ろしいくらいに聡明で、その貪欲さは穢れを知らない。

逞しく、とても眩しい欲だった。

これぞ私が追い求めてきた研究者の風柄であった。


(………… レベルが、違う。)


心臓が引き破れそうな程悔しいのに、同時に高揚していた。

気づけば夢中で考察を重ね、質疑応答の時間をいっぱいに使って議論を交わした。

それでも時間と知識が足りなかった。


奴と私の会話は、まるで教授と学生のやり取りだったように思う。

知り尽くしたいのに、私は奴の立つ場所にすら辿り着いていなかったのだ。

その奇跡のような脳髄も、身も心も魂でさえも、間違いなく偉大なる研究者の遺伝子を継いでいた。



学会終了後、筆舌に尽くしがたい心地に打ちのめされていた私に、奴の方から声をかけてきた。

あの丸っこい、決して笑ってはいない目で、私を見詰めて。


「お疲れ様でした。貴女が質問してくれた箇所は、興味を惹きやすいように敢えて取っ掛かりを残しておいた箇所なんです。

しかし実際、目を付けたのは貴女だけだった。流石、某大学一の才女だ。

それはそうと、貴女の研究は非常に興味深く、感銘を受けました。今後のご活躍をお祈りしています。お互い頑張りましょう。」



学会賞を総なめし、教授陣に褒めちぎられ、有名企業のお偉方にハンティングされた彼奴は、悠々と言い尽くして颯爽と去って行った。


背筋に悪寒を感じる暇もない。

残された私の心には、激情の嵐が渦巻いて止まない。


才女? ご活躍?

その双眼で見つめておいて、よくもそんなことが言えたものだ。

私自身にはこれっぽっちも興味がない癖に。

私の意欲をたった数十秒で刈り取って、塵芥のように払い落とした癖に。


(―――― ああ、 お前は、)


研究者に必要な全てを兼ね備え、天賦の財を両腕に掻き抱いている。

私が ほしいもの 求めるもの、余すところなく持っている。

その瞳で、 何を見ているのか 知りたいのに、触れさせてくれない。


( なんて 憎い奴 なんだろう。 )


私には、テクノロジーの最先端へ昇り詰めていく奴の後姿しか見えない。

悔しくて悔しくて、気が狂いそうだった。


しかし、今なら認められる。それはお前に対する明らかな憧憬であったと。

私はお前と肩を並べ、科学の頂に立ち、そこからの景色について議論し合いたかったのだと。



一度敗けたくらいでくたばっては女流研究者の名が廃る。

私は奴がヘッドハンティングされていた企業を突き止め、無我夢中で研究業績を残し、推薦枠で同企業に採用された。

つまり、同期として入社したというわけ。


そこは奴のお父様が生前に勤めていた企業だった。

企業側が奴を欲しがる理由がよく分かる。


元来負けず嫌いで執念深い私は、追いつけ追い越せの精神で奮い立っていた。

いつかあのおかっぱ野郎に、私の研究結果をもってしてギャフンと言わせてやろう。

私に明日はある。憂鬱燃やして、いざ戦わんとす理系乙女。



しかし入社初っ端から、奴の待遇の良さには辟易した。

同期や上司は勿論、重役や社長まで奴をちやほやするものだから、企業の後ろ暗さを一気に見せつけられて社会の小汚さに幻滅した。


成果さえ残せば名誉をふんだくれると思っていた自分が馬鹿みたいだ。

企業全体が、奴の為に動いているようにも見えた。


(ありえない、何なんだ、この会社は!!)


私は毎日ぐつぐつと腸を煮詰めながら、実験を失敗し続け、芳しくないデータと向き合い、細胞を培養する。

その間も、四方八方から”天才”の評判を耳にする。


「あいつ、とうとう実用的なプロトコールを開発したらしいぜ。」

「やりやがったな、天才おかっぱ野郎め。こりゃ忙しくなるぞ…」

「ほかの新人は何をやってる?」

「さぁ? アイツが使う細胞でも準備してるんじゃねぇの。」



毎日、毎日、奴と自分の根本的な格差に打ちのめされ。

そのたびに辟易し、故に努力を重ね、必死に奴の背を追った。


――――そして私は、ある夜とうとう奴との接触を試みた。

学生時代からどうしても尋ねたかったことを、心に留めて。



A棟2階の第三実験室。そこの電気が消えるのを、私は見たことが無い。


決して広くはないが、実験するには十分の器材が揃ったその部屋。

奴に与えられた専用の部屋だ。

いくら期待されている人材とはいえ、新入社員の待遇としては良好すぎないだろうか。


お前は完璧だ。

天才なんて陳腐な言葉で片付けるには値しない。

バイオテクノロジーの神に愛された、私の憧れ。

その光に追いつくため、今日まで私は、何度も――― 何度も。



実験室の扉を開ける。

正面の実験台に、食らいつくように向かっている奴の名を呼んだ。

実験の手を狂わせてはいけないと控え目な声量で呼んだのが悪かったのか、振り向きも返事もしない。


もう一度、今度は大き目の声を張った。

そうしたらようやく、頼りない肩がぴくりと浮つき。

大儀そうに振り向いた奴は、眼鏡の奥で細めた眼を瞬かせて、私を認識する。


「……ロズウェルさんか。まだ帰っていなかったんですね。」


それだけ言って再び実験台と仲良くし始める。



(まるで研究の虫だな。)


朝、誰よりも早く来て、夜、誰よりも遅く帰る。

そもそも家に帰っているのか。食事や睡眠は摂っているのか。

尋ねることが愚問に思われた。

皺くちゃの白衣を羽織り、目の下にクマをつくって、博士課程時代よりさらばえた身体を酷使している様子には。


ぐだぐだと研究室に居残り続けているのは、無能のやることだという論がある。

その日にやるべきことを手っ取り早く終わらせ、定時に帰る方が時間を有効的に使っていると言えるから。

………あくまでもそれは一般論だ。

未来に馳せ参じている人間にとって、帰宅して休んでいる暇が一番無駄な時間なのだから。



「お前こそ。随分と集中していたようだけど… 根を詰めすぎるのは身体に毒だぞ。たまには定時で帰宅したらどうだ?」


歩み寄りながら声をかけ、そっと背後から手元を覗き込む。

細かな容器や道具、様々なメモが散らばって、奴を埋めていた。


「…………少しでも多くデータを確保したいので。夜の方が捗りますし。」


返答が遅いのは、私がいるにもかかわらず、自分の世界にのめり込んでいるからだろう。


「……別に構わないがな。それよりも、敬語はやめてくれないか。同僚なんだから。名前もファーストネームで、アニバと呼び捨ててくれと言ったはずだが。」


「そんな軽率なこと、できません。」


「…………… それは、私が年上だから?」


ほんの少しの間をおいて。感情の窺えない濁った横目が、私をとらえた。

平らな舌が音を吐く。



「貴女が女性だからですよ。」



ねぇ。 お前は、なんて憎い人なのだろうか。

狡いよ。  とても、狡いじゃないか。



「―――― まぁ、なんてジェントルマン。

 流石、入社すぐにプロジェクトの一員に任命される人間は、知性だけでなく品性も兼ね備えていらっしゃるってわけか。」


少しくらい、才を分けてくれよ。

ほんの少しでいいのだから。

私だって、お前のようになりたい。

多くの人に頼りにされたい、力になりたい、認められたい。

お前と同じ場所に立って、お前と共に、人の幸いの為の科学を作りたい。


「大学での研究内容が、今度開発するプロジェクトの工程と一致したので、自分が抜擢されたまでです。」

「そうかな?お前の能力があってこその白羽の矢だと思うが。私が同じ研究をしていたとしても、使われなかったはずだよ。」

「……自分なんて、そんなに大した人間ではありません。買い被りすぎですよ。」


―――― 私だって。 がんばってるのに。


「………そんなことないさ、お前は最高の研究者だ。あーあっ、本当に、私なんてとてもとても。研究者を名乗るのも烏滸がましい。」


絶えず動かしていた実験の手を止め、奴はクスリと華奢な笑みを零して。


「ご謙遜を。貴女こそ、素晴らしい研究者だ。」



「――――― ふざけるな ! ! ! 」


蹴りあげた椅子が実験台にぶつかり、試薬の瓶が転がる。

白い壁で包まれた狭い実験室に、暴力的な雑音が響き、私の心臓をわし掴む。


「私が素晴らしい研究者で、お前が大したことないだと……?

謙遜してるのはどっちだ!!お前ほどの人間がッ………… 自分が世界にどれだけの貢献をしているか、分かっていないというのか?!」


興奮に任せて喚き散らす。

違う、私はこんなことを言いに来たんじゃない。

脳幹では分かっているのに、骨の髄まで染みたどす黒い思いが湧き出て、とまらなかった。


「………私はどんなに努力を重ねても、結局は凡人なんだ。

でもお前は違う。選ばれた遺伝子をもっているのだから。

道端に落ちている小石は、いくら磨いても艶が出るだけで輝きはしない。だがな、ダイヤの原石は、磨けば磨くほど、誰をも虜にする輝くを得るんだよ……!」


椅子を蹴りあげた足が痛い。大声で怒鳴った声帯が痺れている。

奴の表情を見ることなどできなかった。


冷静さを失い、理屈より感情論を優先させるなんて、知性も品性もない愚かな行為だ。

それでも私は。

震える声を絞り出して、感情の全てをぶつけても、奴に知らしめたかった。


「ッ…………それなのにお前は、

坂道を転げることで研磨されただけの、薄汚れた小石を、ダイヤモンドより綺麗だと言うんだな。」


…………馬鹿げている。 こいつも、私も。



自嘲の笑みと共に吐き捨てる私に、奴は驚きも怖がりもしないで、至極落ち着き払って言った。


「脚にお怪我はないですか。」


―――― 私は言葉を失って、沈黙が場を占めた。

何を言いたかったか、何を伝えるべきか、全て失った。

漠然とした空気が、まっさらな実験室の空気を染め上げる。


「ないなら結構。貴女の考えることはよく分かりました。しかしその上で反論させていただくと、所詮はダイヤモンドなぞ、炭素の塊でしかないということです。

しかし、単なる炭素ではない。それ相応の技術がなければ産出できないものであることも、確かです。だからこそ貴重なんだ。」


こいつは私が部屋に来たときから、それよりも、学会で私と会った時から、私のことを念頭にもおいていなかったのだろう。

ただ貪欲に、その輝きを自分の研究のみに費やし、命を削ってきたのだ。


「貴女ほどの優秀な研究者なら、お分かりになりますよね? ”アニバ女史”。」


実験台に向かい直す直前、憐れむように浮かんだのは、私が見た奴の最後の笑みだった。




――――愚かだったのだ。

私も、あいつも。

研究という甘美な泥沼に身を窶し、盲目になっていた私たち。

ふたつの歯車は、まるで噛み合わない方向に錆びながら転がり始めていたのに。


あの時尋ねたかったいくつかの質問は、今も心の中にある。

無垢な双眼で何を見据え、何を希望とし、研究に身を焦がしているのか。


奴が残して行った技術論、実験データ、揺らぐことのなかった努力の賜物。

それらを前にして、私は今日も、絶望の中に希望を見出そうとする。

そして、一番の疑問を胸に想う。


「――――…… 科学の発展は、 何の為にある………?」



返答の声を聞ける日まで、例えこの身が朽ち果てようと、お前の意思を継いでやる。

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