アッチェレランドは残酷に

吉野さくら

第1話

運命のタランテラ、踊れや踊れ、脚が折れても



広場の時計台を見上げたとき、ちょうど22時の鐘が鳴った。

張りつめていた神経を解き、大手を掲げて伸びをする。


「今日の業務、終了――― っと!」


自警団員と大層な役職を名乗ってはいるが、実際の仕事は街のパトロールが主だ。

お偉いさんの護衛や魔物狩りを行うのは、月に1,2回。

平平凡凡な民の生活を守るのが、普段の仕事だ。


退屈。そう思うことも多々ある。

でもそれは、平和な証拠。

何も起きない平和が一番望ましいんだから、問題ない。


つまり、自警団員がサボりたいと思うのはいいことであって。

本部へ報告に戻る前に、大通りのショッピング街を覗くことは、決して悪いことじゃない!


私は軽い足取りで広場を横切り、夜でも人通りの多い街路へ向かおうとする。

そのとき、視界の端に光る何かがちらついた。

反射的にそちらに目を向けて、 ――― 息をのむ。



広場の真ん中に立っていたのは、私と同じ年頃の男性だった。

遠くからでもわかる端正な顔立ち、宝石のような瞳と桜色の唇。

上等なシャツとジレを身に着け、細く長い脚にストレートパンツが嫌味なくらい似合っている。

さっき光って見えたのは、月光に映える艶やかな銀髪だったのだ。


ファッション誌から飛び出てきたような容姿に、私は思わず、見惚れた。


「 かっこいい…………。 」


熱っぽいため息と共に、呟く。

男性はその間も、何かを探すように広場中を見渡していた。


(誰かと待ち合わせかな……?)


ぼーっと彼を見つめていたら、朱色の視線がこちらを向く。

私は全身に鳥肌が立つのを感じた。同時に心臓が高く鳴る。


(め、目が合っちゃったー!!)


暫し視線は通い合ったまま。時間が止まったかと思った。

数秒後、あろうことか彼は、人混みをかき分けて私の方に歩いてくる。

こつ、こつ、と響く革靴の音が、だんだん近づいて、それに合わせて私の心臓も鼓動した。


私の前に来た男性は、ふわりと優しく微笑んで。


「あの…… この街の人ですか?」


控えめな声で尋ねてくる。


「へっ、あ、 は、はいっ!わ、わたし、この街の自警団員ですっ!」

「自警団の人? そうなんだ、ああ、よかった……!」


素っ頓狂な声を出して敬礼をする私に、彼は心底安堵したように顔を綻ばせる。


その表情も、無邪気ながら仄かな色気が漂い、且つ上品に洗礼されていて。

彼から目が離せなくなっていた。

自分の顔が火照っていくのがわかる。


「俺、さっき此処に着いたんだけど、どこに何があるのか分からなくて――― よかったら色々、案内してくれませんか?」


―――― ほぼ脊髄反射で、うなずいていた。




彼の名前はヴィンセントさん。

他国の出身で、地元では両親と共に老舗のアンティークショップを経営していたという。

事業拡大のための下見にこの国にやってきて、ついでに様々なアンティーク雑貨を見て回るつもりだそうだ。


「じゃあ、跡取り息子なんですね!すごいなあ…。」

「あはは、そんなに大したものじゃないよ。老舗と言ったって歴史が深いだけで、小さい店なんだ。」


大通りを歩きながら他愛もない会話をする。

恐縮しては照れ笑う彼の横顔を、私はちらちらと盗み見た。


ほんっとにカッコいい。

一目惚れってやつだろうか。

いや、勤務以外で男性と二人で歩くなんて久々だから、緊張しているだけ――――?


(これってもしかして、で、デートなんじゃ……!!)


おさまりかけていた顔の熱が再発し、あわてて頬を両手で包む。

街の案内をするからって、この街で一番栄えているショッピング街道に来たけれど、男女二人で歩いているのを傍から見たら――――



「…………さん。 ポーラさん?」

「ひゃいっ!?」


肩を軽くたたかれて、心臓が飛び出るかと思った。

ヴィンセントさんが心配そうに覗き込んでくる。 ………距離が近い!!


「大丈夫?顔が赤いけれど…… 風邪?」


「いいいいいいいいえいえ、全然大丈夫です!おかまいなく!!

それよりっ、此処がこの街の名物のショッピング街です!服屋も雑貨屋も沢山揃ってるので、ヴィンセントさんがお求めのアンティーク雑貨も、いっぱいあるんじゃないかな…!」


無理やりに話をそらし、大きく開けた道を指さす。

少し怪訝そうだったヴィンセントさんも、街並みを見た途端に顔を輝かせた。


「本当だ、いろんなものがありそうだね… あの、少し見て回ってもいいかな?」


こちらを見る瞳の、情熱的な色彩が光る。

好奇心をそのまま面貌に嵌め込んだ、吸い込まれそうなガーネット。


「――――も、もちろんですよ、ご案内します!」

(私は道案内をしているだけ……業務の一環、これは残業…………ッ!!)


そうやって言い聞かせないと、心臓がもたない。

嬉しそうに笑う彼の隣で、私は自分自身の感情に戸惑っていた。




(まさか本当に一目惚れしちゃったんじゃないでしょうね……。)


雑貨屋でキャンドルを物色している彼を、斜め後ろから眺める。

荒れひとつない華奢な手が、キャンドルを包むように持ち上げて、その側面を撫でる。

しげしげと眺めながら首を傾げれば、うなじで銀の髪が揺蕩う。


(バカみたい… 自警団員だからって、案内を頼まれただけじゃない。)


店の人に何かを問う声は、低く透き通り、且つ弾んでいる。甘い蜜のように。


髪をかき上げる手つき。

物珍しげに見張る目。

柔和に緩まった唇と、こぼれおちる笑い声と。


( ……………… 素敵な人だな。 )


甘酸っぱい心地を抜きにして、彼の所作は綺麗に見えた。

作られたような鮮やかさに、私は吸い寄せられる。


この熱い気持ちが何であるかと勘繰るのをやめた。

感情の正体を知らないで彼を見ていた方が、美しさを新鮮に感じられる気がしたから。



「――――ここはですね、街の伝統工芸を扱っているお店で……… ?」


大通りの終盤に差しかかったとき、ヴィンセントさんの顔色が優れないのに気付いた。

絶えず浮かべていた微笑みが消え、眉を下げている。


「ヴィンセントさん?どうしたんですか、どこか体の具合でも……」

「うん。少し、はしゃぎすぎたかな――― 眩暈がして、」

「あ、危ないッ!」


店先で細い体が揺らぎ、私は急いで駆け寄って、彼の肩を支えた。

額をおさえてこちらを向く彼は、頼りなく微笑んで首を振る。

立っているのがやっとなのか、足元も覚束ない。


「ごめんなさい、ポーラさん。ご迷惑を……」

「迷惑だなんて、そんな!とにかく、落ち着いて座れるところに行きましょう。」


私は彼の手を取って店を出る。

ナチュラルに手をつないでしまったけれど、ときめきなどを感じる暇はない。

だって、彼の手はとても冷たいのだ。真冬のように。

私はその低温に驚きながらも、街並みから外れた公園へと向かった。




昼間は親子連れでにぎわう公園も、深夜になると人気はない。

ヴィンセントさんをベンチに座らせて、隣に腰を下ろし、背をゆっくりと撫でる。

彼は両手で顔を覆い、うつむいている。随分と具合が悪そうだ。


街に来たばかりなのに、あれこれと連れまわしすぎただろうか。

彼は、今日他国から此処に着いたと言っていた。疲弊がたまっていて当たり前だ。

少し休んだら宿まで送って行こう。


「ヴィンセントさん。私、お水を買ってきますので、ちょっと待っててくださいね―――」


そう言って腰を浮かしかけた瞬間、その手を強く握られ、引っ張られた。

細い腕のわりに強引な力で、私のお尻はベンチに戻る。


「っ、ヴィンセント、さん…………?」


彼の骨ばった冷たい手が、ぎゅう、と私の手を握る。

指同士が探るように絡められ、一瞬にして体温が上がるのを感じた。

彼の顔は、依然として伏せられていて、見えない。

え、なにこれ。  …………何、これ?!


「あの、あのっ わ、わたし、おみずを――――!!」


「そんなの、いいから。」


私の肩に重みがかかった。彼の身体がしな垂れかかってくる。

全身が毛羽立つ。お尻のあたりがむずがゆくなる。

心臓どころか五臓六腑まで爆発しそうだ。


「傍にいてよ、 水なんて、いらないから…………」


彼の熱っぽい声が耳元で聞こえて、鼓膜を伝わって。

体温が覆いかぶさり、眼前で銀の髪が揺れる、その瞬間。



「 ―――― キミの血を頂戴? 」



ガーネットの瞳に宿るのは好奇心などではない。

飽くなき欲望と、加虐心。

彼は、 魔物と同じ目をしている。

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