なんちゃってシンデレラ/汐邑雛

※こちらはビーズログ文庫「なんちゃってシンデレラ」の書き下ろしショートストーリーです。


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タイトル『ひさかたの光のどけき』


「ルティア、遠乗りに行かないか?」


 私の夫────そして、このダーディニアの国王であるナディル様がそんなことを言い出したのは、恒例の朝のお茶の後だった。

「遠乗り、ですか?」

 二人でお出かけ────端的に言ってしまえばデートに誘われるのは珍しいことではない。

 私がそこで首を傾げたのは、『遠乗り』という誘いが珍しかったからだ。

(珍しい、というよりは初めてじゃないかしら?)

 昼食を共に、とか、午後のお茶を共に、とか、夕食を共に……という誘いならばほぼ毎日のように受けているし、聖堂の壁画の修復が終わったので見に行かないか? とか、花壇がとても美しいので庭でお茶をしないか? なんてお誘いもわりと恒例である。

 でも、『遠乗り』というのはあまり耳慣れなかった。

「……ああ」

 うなづいたナディルさまは、少し考えて口を開く。

「…………気がすすまなければ、王宮の温室でも良いのだが……」

 ダーディニアの国王は、正式には四人の王妃をめとることが許されているのだが、諸々の事情により、十五歳も年が離れている私───アルティリエ・ルティアーヌだけが、ナディル様の唯一の王妃である。

「まあ……外、ですの?」

 私はそこで目を見張った。

 外見的に十五歳という年齢差はあるものの、実は私には異世界────日本で三十三年の人生を生きた菓子職人である和泉いずみ麻耶まやという女性の記憶があるので、心はそれほど幼くはない。

 だから、ナディル様が何か勘違いしたことに気付いて、少し慌てて告げた。

「ぜひ、ご一緒させてくださいませ。……ただ、ご存じの通り、私は馬には乗れないので……」

「ああ、そうだったな。……もちろんだ。……もしや、ルティアはそんなことを気にしていたのか?」

 私がすぐに返事をしなかったのを、ナディル様は私が馬に乗れないせいで躊躇(ためら)っていたのだと誤解したようだった。

(そう思われていても別に困らないですよね……)

『空気を読む』というスキルを最大限に発揮することが、王宮で安らかに暮らしていくコツである。

 具体的に言うのならば、細かいことを気にしてはいけないのだけれど、鈍感すぎてもダメ。

大事なことはきっちり押さえておかなければ勝手なことをする人間もいるから細部にまで目を配る必要があるけれど、知っていても知らないフリをするスキルを駆使することも多い。

(よく考えると、いろいろ矛盾しているんですけれど……)

 清濁併せいだくあわせのむとまでは言わないが、それに近いものがある。

「……ええ。ご迷惑をおかけしてしまいますし……」

 本当はそういうわけではなかったのだけれど、否定する必要はないと判断した私はこくりとうなづいた。

「そのようなこと気にしなくて良い。……私はルティアの一の騎士なのだ。ルティアの望みなら可能な限り力を尽くして叶えよう」

馬に乗せることくらい何ほどのことでもないのだ、とナディル様は言うので、私はそう言ってくださるナディル様の気持ちがとても嬉しくて、笑顔でもう一度うなづいた。

 ボソリ、と背後でフィル=リンが「しらじらしい……」と呟いたような気がしたけれど、フィルの方を見ても明後日(あさって)の方向を見ていたのでもしかしたら私の気のせいだったのかもしれない。


◆◆◆◆◆◆◆


 リーフィッド領と帝国との国境線は未だ緊張状態にあるものの、戦は終わっている。

他国の事情は知らないが、我が国の国内は平穏を取り戻した。

 戦後、国内では一時的におめでたいこと────婚姻が激増した。

激増というのがどれくらいかわかりにくいのだけれど、各地方の教会における婚姻の手続きが三ヶ月待ちはあたりまえ、といわれるくらい増えたというからすごい。

手続きだけなら、普段はほとんど待つことがないので、すごく混んでいるのだと思う。

 私の身の回りでもおめでたいことがあった────私の女官であるミレディが結婚したのだ。

 私は知らなかったのだけれど、ミレディに求婚し続けていた諦めの悪い元婚約者がリーフィッドとの戦に参戦していたらしい。

そして、ミレディを伯爵夫人にはできないと断じたあちらの家のご両親は、このままだと息子は後継ぎを残さずに戦で死ぬかもしれないという恐怖に駆られたようで、途端に掌を返した。

どうかミレディを息子の嫁にと命じてもらえないかとナディル様を経由して私の元にまで請願せいがんをあげてきたのだ。

 ミレディは、結婚後も王宮で女官として勤め続けること等を条件に結婚にうなづいた。

 万が一の時も、女官であれば生活に困らないから無駄な我慢はしませんと晴れやかに笑ったから、たぶん大丈夫だと思う。

「……どこに行きますの?」

 外出用の……それもお忍び用ではないかと思うようなシンプルなガウンに着替えさせられ、地下通路を抜けて辿り着いたのは中央師団の市内にある拠点の一つだ。

 もちろん、ナディル様も私に合わせたシンプルな装いだ・

 そこにはナディル様の弟であり、王都を含む地域を預かる中央師団長であるアル殿下が副官をつれて、馬を引いて待ち受けていた。

 アル殿下達の服装も極めて簡素で、これはきっと誰にも秘密のお出かけなのだろう。

(フィルは知っているけど……)

 きっと留守番のフィルが、いろいろとうまいことやってくれているのだろう。

(後でねぎらってあげないと……)

 国王夫妻のお忍びなんて、本来ならば絶対にできないような類のことだ。

 特にリーフィッドとの戦の後は皆が過敏になっていたから、私もナディル様もかなり不自由な暮らしに耐えることになった。

(せっかく公務デビューしたはずだったのに、またしても引きこもりになってしまったし……)

 いや、引きこもりというよりも軟禁なんきんかもしれない。

 今日のこのお忍びは、それに対するお詫びみたいな気持ちがあるのかも。

(……ナディルさまに誘われたのだから、私に断るという選択肢はほとんどないですけど)

 体調がそれを許さない場合があるので絶対ではないけれど、私はナディル様と一緒なら何をしても楽しいし嬉しいので断るはずがない。

(でも、ナディルさまはまだそのあたりがおわかりではないんですよね……)

自分は女心がわからないから、とか、気の利いた選択ができないから……といつも自信がなさそうなのだ。

(……あのナディルさまが!)

普段が普段なのでそのギャップがたまらなくいいなぁと思ってしまうあたり、私もかなり末期なのかもしれない。

「……聖堂だ。いつものところではないし、少し郊外なのだ」

「まあ……わかっていたら、お弁当を作ってきましたのに」

 ピクニックができなくてちょっとだけ残念だ。

「……義姉上あねうえ、そこには茶屋があるんですよ」

 ちょっといたずらをするような顔でアル殿下が言った。

「まあ……」

 私の表情はきっと一目でわかるくらいぱあっと明るくなったに違いない。

「兄上が、義姉上を気晴らしに連れていってさしあげたいというので、安全に気晴らしができる場所を探しました」

 にこやかにアル殿下が言う。

「お手数をおかけしました」

「いえいえ。義姉上にはこちらこそいつもお世話になっておりますし、それにこういう楽しい仕事なら大歓迎です」

 私はチラリと一歩後ろに立つアル殿下の副官の人を見た。

「ご安心ください、王妃殿下。我々も王妃殿下に常日頃のご恩をお返ししたく、楽しんで探させていただきました」

「……常日頃?」

 私、そんな風に言われるような良いことをしたかしら? と思って首を傾げた。

「携帯糧食にはじまり、食堂のメニュー、それから、王都名物の煮込みシチューや教会のお菓子……おかげで毎日、美味うまいものを食わせてもらっています」

「……それは私だけの功績はなくて皆の工夫も良かったからです。でも、皆が美味おいしいものを食べられているのならば良かった」

 私はきっかけを作っただけで、あとは皆がそれぞれ努めた結果だ。

 でも、こんな風に言ってもらえるのはとても嬉しい。

 私は差し伸べられたナディル様の手に、自分の手を重ねる。

 ナディル様は乗馬用の手袋を、私はいつもよりずっと模様が簡単なレースの手袋をしている。互いに手袋越しなのに、こうして手を重ねるだけで何だか気恥ずかしい気持ちになってしまう。

 ナディル様に抱き込まれるようにして、私は二人乗り用の鞍の前で横座りをした。

 恥ずかしい、と思うけれど、同時に嬉しいとも思う。

(……仕方ないんです……)

 だって、好きな人なんだから。

 例え夫婦だろうと何だろうと、好きな人とこんな風に触れ合っていて照れないでいられるほど、ポーカーフェイスに長けているわけではないのだ。

「……ルティア?」

 ゆっくりめに馬を走らせるナディル様に、少し心配そうに顔を覗き込まれた。

(顔が近すぎます~)

 馬に乗っていると距離感がおかしなくらい近いので、ちょっと感覚が狂う。

 ナディル様は何とも思わないのかもしれないけれど、私はこの距離だとナディル様の顔の良さに当てられてしまう────どれだけ見慣れていても、好みの顔なのだから仕方がないと思う。

 ちなみに、私の場合、好きになったからナディル様の顔が好みなのであって最初からそうだったわけではない。

「…………そういえば、こうして共乗りするのはリーフィッド以来ですね」

「そうだな」

「…………こうして落ち着いてみると、あの時のことが懐かしく思えたりするから不思議ですね」

 正直言えばあの時の乗馬体験は酷いものだった。

 いつも最後までちゃんと意識を保てていたことがないので何とも言えないけれど、とにかく酷かった。

「……もう一度経験したいと思うか?」

「まさか。…………でも、こうしてナディル様の腕の中に居るのは悪くないのでちょっと迷うかもしれません」

 ナディル様がふいっと顔を逸らす。耳元が赤かったので、照れくさかったのだろう。

(……あれ? 今、私もしかしてすごく恥ずかしいことを言ったのでは?)

 それに気付いた私は、かーっと顔の体温だけがすごくあがって、それでいたたまれなくてナディル様の胸元に顔を埋めた。


「…………団長、あのお二人は何をしているんで?」

「……さあ、さっぱりわからんが…………兄上が幸せそうで俺は嬉しい」

「…………そうですか」

 そんなアル殿下達のやりとりなんて、もちろん耳に入っていなかった。


◆◆◆◆◆◆◆


「…………ルティア、着いたぞ」


 そう言われて、ナディル様の腕の中で顔をあげた。

「……ありがとうございます」

 私はのろのろと顔をあげ、そして大きく目を見開く。

「…………すごい…………」

「そうだろう。……今の時期、アーモンドがちょうど見頃なのだ」

 どこまでも続く白いの木立ち……それは、今が盛りと咲き誇るアーモンドなのだとナディル様は教えてくれた。

見渡す限り一面の花、はな、華…………それは、かつての────私が今の私になる前の記憶の中にある満開の桜を思わせる。

(……さくら……)

「聖堂ではどこでもこれに近い光景が見られる。…………中でも、このダラファス地区はとても木が多くて見応えがあると言われているのだ」

 視界を覆い尽くす一面の白……いや、白の中に一滴だけ紅を落とした淡い薄紅色だ。ほんのりと色づくその様が、より桜を連想させるのだ。

うららかな春の光の中……時折、はらはらと花びらが舞うその光景は、これまで感じたことのない郷愁にも似た何かを私の中に呼び起こした。

(……やだ、涙が出そう……)

 私は、突然心の中に広がった物哀しさを呑み込むように深く息を吸って、吐いた。

「……ルティア? どうかしたのか?」

「いいえ……あまりにも美しくて…………そうしたら、何だか哀しくなったんです」

 この物哀しさは私が私である限り、決して消えることはない。

 私の心の一部はこの国の生まれではない異邦人のものだから、この郷愁が消えることはない。

 背後のナディル様が何を思ったのか、その両の腕が私をぎゅうっと強く抱きしめる。

「……ナディルさま? 手綱を離したら……」

 私を抱きしめているということは手綱を持っていないということなので、私はちょっとだけ慌てた。

「大丈夫だ。これくらいのことでどうこうする馬ではないし、私はいささか乗馬に自信がある」

(……乗馬に、じゃなくて、乗馬にも、ですよね)

 さあっと風が吹き渡り、花びらが風に舞う。

 それは更に桜が風に散る様を思い出させる。

「……どこにもやらぬ」

 ナディル様が誰かに宣言するように言った。

「…………どこにも行きません。だってここが私の場所だから」

 私の居場所はナディル様の腕の中です、と言うと、さらにぎゅっと抱きしめられた。

 ナディル様がどんな表情をなさっているかが見えないのが残念だったけれど、私のこの真っ赤な顔を見られなかったのは良かったと思った。



ひさかたの光のどけき 終


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