第291話 弱さと強さ

 翌日、疲労もあって昼過ぎまで寝ていたアキラは、ようやく目を覚ますと食事もそこそこに拠点の風呂を借りていた。


 たっぷりのお湯にゆったりとかって心身共に疲労を湯に溶かしていく。

 いつもならばそのまま顔も意識を緩めているのだが、今日は僅かに険しい表情のままだった。

 口から漏れ出す息も入浴の快楽にまれた吐息ではなく、ただのめ息となっている。


 いつものように一緒に湯船にかっているアルファが、そのアキラの様子に声を掛ける。


『アキラ。

 大丈夫?

 一晩寝ただけでは疲れが取れなかった?』


『いや……、まあ……、疲れてるのもそうなんだけど……』


 賞金を取り下げられ、クガマヤマ都市からのモンスター認定も解除され、クロエも死んだのにもかかわらず、アキラの中には自分でもよく分からないわだかまりが残っていた。

 そのわだかまりがアキラの心身を重いものにさせていた。


 アルファがアキラを元気付けようと優しく微笑ほほえむ。


『それならしばらくはゆっくり休みましょう。

 確かに随分無理をしたからね。

 疲れが残るのは仕方無いわ』


『……、ああ』


 アキラも気を切り替えようと深くうなずいた。

 しかし微妙に憂鬱な感覚は消えず、少し項垂うなだれたままだった。


 そこにシズカから通話要求が届いた。

 アルファを介してそれに出る。


『アキラ。

 私よ。

 大変だったみたいだけど、無事で何よりだわ』


『ありがとう御座います。

 御心配をお掛けしました』


『本当よ。

 全く、店の常連客が賞金首になったって聞いた時はどうしようかと思ったわ』


 軽い調子で冗談のようにそう言ってきたシズカに、アキラは笑ってごまかした。

 そうやって笑うことが出来た。


『まあ、その辺は、またシズカさんのところで弾薬やら何やら沢山買うんで、それで一つ、勘弁してください』


『仕方無いわね』


 そのまま歓談しながら互いの近況などを話していった。

 その心地良さがアキラの精神的な疲労を大分取り去った頃、シズカがその口調を少したしなめるようなものに変える。


『アキラ。

 今から物すご自惚うぬぼれたことを言うから、私の勘違いだったら鼻で笑ってちょうだい』


『えっ?

 あ、はい』


 少し戸惑いながらもそう答えたアキラに、シズカがゆっくりと、はっきりと続ける。


『今回もいろいろあったんだと思う。

 多分これからもいろいろあるんだと思う。

 それを、アキラが、アキラのためにやるのなら、存分にやりなさい。

 もうアキラは、そういう存在になっているのだと思うから』


 今回の騒動を叱られると思ったアキラはシズカの予想外の言葉に驚き少し戸惑った。

 そこにシズカが、よりはっきりと告げる。


『でも、もし、私達のためにやるのなら、めなさい。

 私達を、アキラがどこまでも暴れる理由にするのは、めて』


 アキラは今まで何度も暴走していたが、その行動原理は基本的に報復であり、やられたらやり返すであり、突き詰めれば自衛だ。

 動いた時の範囲と限度が大きすぎるだけであり、地雷と同じく踏まなければ問題無い。


 だがアキラも少しずつ変わっていた。

 敵か、敵ではないか、という二択で構成されていた世界にも、味方や身内という区分が構築されていた。

 それは基本的には良いことなのだが、アキラに新たな行動原理を生む理由にもなっていた。


 報復であれば、敵から己をまもためならば、それが達成されればアキラは止まる。

 しかし報復ではなく復讐ふくしゅうならば、護身としての敵の排除ではなく、敵の消滅そのものが目的であれば、恐らくアキラは止まれなくなる。

 憎悪と不安と悔恨を元に、言い掛かりに近い理由で敵と見做みなす範囲を無制限に広げ続け、その全てを消そうとしてしまう。


 そして必ず破滅する。

 それを許すほど世界は弱くなく、何よりもその先に続く道は、アキラと共に破滅する者をどこまでも増やし続ける結末だけだからだ。


 そう懸念を覚えたシズカは、自分達がアキラをそうさせる理由になってしまわないように、何よりもアキラをそうさせないために、くさびの言葉をアキラに送った。


『まあ、一応言っておくとね?

 私達のことなんて気にするな……って意味じゃないの。

 気にしてもらえるのはうれしいけど、ちょっと落ち着いて考えたり、誰かに相談したり、いろいろしなさいってことよ。

 ……アキラ、聞いてる?』


 シズカからそう軽い調子で呼び掛けられて、アキラは我に返った。

 そして苦笑を浮かべると、えて同じ調子で返事をする。


『はい。

 聞いてます。

 全然相談しないですみませんでした。

 でもシズカさん。

 俺、賞金首になっちゃったんですけど、どうしましょう?

 って相談は、ちょっと難易度高くないですか?』


『確かに、そう言われても困っちゃうわねー』


『ほら、やっぱりそうじゃないですか。

 だから俺もその辺を……』


 アキラはシズカとそのまま冗談交じりの歓談を続けながら、自分の中にあったわだかまりが消えていくのを感じていた。


 そのわだかまりの正体は、無力感を伴った消化不良だった。

 一連の出来事はアキラがクロエに脅されたことから始まったが、アキラが退かなかった大きな要素として、自身を取るに足らない弱者だと見下されたことと、刃向かうならば友人に手を出すと脅されたことがあった。


 アキラはその両方を自力で解決しようとした。

 そこには今の自分ならば可能だという考え、ある種の無知とおごりがあった。


 だがある意味でどちらも失敗した。

 事態は収拾したが、アリスに戦意があれば自分は死んでおり、生き延びたのは相手の都合。

 また、クロエもアリスの都合で、恐らく究極的にはどうでも良い理由で死んだ。

 その結末に自分の意志や行動など何の影響も無かった。


 かつての自分とは違うのだと、自分は強くなったのだと、それを自他共に示すためにある意味で感情的に振り上げた拳は、自分を敵とすら見做みなさない相手にあっさりと払われた上に、振り下ろす先まで取り上げられてしまった。

 そのおもいがアキラに無力感を与えていた。


 それでも一度振り上げた拳は、打ち倒されることすら省かれて、中途半端に上がったままだった。

 下手をすれば、アキラはその拳を振り下ろすために、別の理由を持ち出しかねなかった。


 そしてシズカに言われて自覚する。

 曲がり形とはいえシズカ達をまもために振り上げたはずだった拳を、シズカ達を口実に振り下ろそうとしかけていた自分に。


 それに気付いてしまえば、止めることは容易たやすかった。

 そして、自分はまだまだ弱い、という事実も受け入れることが出来た。

 ある意味でアキラは、それを認められる強さを、ようやく手に入れたのだ。


『……で、まあ、そういう訳なんで、弾薬を山ほど使ったんです。

 その分を補充しないといけないんで、すみませんが、先に手配してもらっても良いですか?』


『分かったわ。

 でも対滅弾頭を調達するのは流石さすがに無理。

 その辺は勘弁してちょうだい』


『分かってます。

 ……今思えば、あんなもの、カツラギはどうやって仕入れたんだか……』


すごい商売人もいるのね。

 貴重な常連客を奪われないように私も頑張らないと』


『大丈夫ですよ。

 それじゃあ、近いうちにそっちに行きますので、お願いします』


『お待ちしているわ。

 じゃあね』


 シズカとの話を終えたアキラが大きく伸びをする。

 そこには一仕事り遂げたような笑顔があった。

 アキラの中でも一連の事態の区切りがようやくついたのだ。


『よし……、そろそろあがるか』


 そこでアルファがあからさまにめ息を吐き、どことなく不満そうな顔をする。


『……何だよ』


『アキラはシズカが相手だといつも随分素直になるけれど、そろそろ私にもその態度を取ってくれても良い頃だと思うのだけれど?』


 アキラはアルファから視線をらし、笑ってごまかした。




 詳しいことは不明だがアキラが勝ち、賞金も取り下げられ、モンスター認定も解除された。

 それはシェリル達にとっても勝利だった。

 絶望的なほどに崖っぷちの状況が劇的な勝利で終わった歓喜。

 戦いで仲間を失った悲しみ。

 それらは非常に強いものだったが、一夜明けたこともあってシェリル達は落ち着きを取り戻していた。


 しかしシェリルの激務は続いていた。

 徒党のボスとしてやることは山積みであり、目を覚ましたアキラが風呂に入っていると知らされても、そこに駆け付けることすら出来ないほどに忙しかった。


 その仕事を、ようやく、半ば無理矢理やり一息吐ける状態にすることが出来たシェリルが急いで浴室に向かう。

 そして脱衣所に入ると、既に浴室を出たアキラが服を着ている最中だった。


「アキラ。

 もう上がったんですか?」


「もうって、結構長く入ってたぞ?

 もうちょっと入ってたら、多分のぼせてたな」


「そうですか……」


 実際にシズカと長話をしていたこともあり、アキラは長めの入浴をしていた。

 それでもシェリルにとってはアキラと一緒に入る機会を逃したことに違いはなく、その顔には残念な気持ちが強く出ていた。

 アキラのモンスター認定が解除されたこともあり、もうアキラに拠点で過ごす理由は無い。

 次の機会はいつだろうと待ち遠しく思う分だけ最後の機会を逃したことを残念に思っていた。


 着替え終えて外に出るアキラに、シェリルがそのままついていく。


「ん?

 シェリル。

 風呂に入りにきたんじゃなかったのか?」


「アキラと一緒でないのなら後にします」


「そうか」


 既に何度も一緒に風呂に入った仲とはいえ、アキラと一緒に入ることが重要なのだと、シェリルはそれなりに随分大胆なことを言ったつもりだった。

 しかし軽く流された。

 その相変わらずの態度にめ息を吐く。


「アキラって、やっぱり年上がタイプなんですか?」


「別にタイプとかは無いと思うけど……、何でそんな話になるんだ?」


「いえ、エレナさんとかサラさんとかキャロルさんとか、アキラの友人って大人の女性ばかりだと思いまして」


「それは単にハンターには大人が多いからじゃないか?」


「そうですね……。

 はぁ……」


 軽い焼き餅を込めてみても、やはり同じように気にせずに返されたことに、シェリルはまため息を吐いた。


「アキラ。

 そういえば、シジマがアキラに話があると言っていました。

 直接会って話したいとも。

 どうします?」


 誰だっけ、という顔をしたアキラに、シェリルは付き合いのある他の徒党のボスだと教えた。

 それでアキラも思い出した。


「ああ、あいつか。

 徒党の話はシェリルとしてくれって言っておいてくれ」


「それが、徒党とは無関係の話だと言っています。

 何の話か聞いてもアキラにしか話せないの一点張りでして。

 一応、拠点の部屋で待たせていますけど、適当に追い払いますか?」


 以前は、シェリルはスラム街の弱小徒党のボスであり、シジマは中堅徒党のボスということもあって、シェリルの方が弱い立場だった。

 しかし既にその力関係は完全に逆転している。

 今回の騒ぎでアキラが勝ったこともあって力の差は更に開いていた。


 それでも以前から付き合いのある話の分かる相手として、シェリルはシジマを無下に追い払ったり力尽くで口を割らせたりはしなかった。

 アキラに関係する話だと言われたこともあって、アキラと会える保証無しに待たせておくのにとどめておいた。


「……まあ、もうここにいるなら、帰る前に会うか」


 シズカと話して機嫌も良かったアキラは、まあ良いか、ぐらいの判断でそう答えた。




 拠点の一室で待たされていたシジマは、応対していたアリシアからアキラが話を聞きに来ると聞かされると、思わず顔をしかめてしまった。


(会うのかよ……!

 もうお前なんかと直接話す身分じゃなくなったんだ、で、良いだろうが!

 何で律儀に会おうとするんだよ!)


 自分で要望しておきながら、シジマは無下に断られることを期待していた。

 そしてそうならない確率があるからこそ自分がここにいる羽目になったのだと嘆いていた。


 そこにアキラがシェリルと一緒に現れる。

 話を聞いたらそのまま帰るつもりなので帰り支度は済んでいる状態だ。

 つまりしっかり武装していた。

 シジマにとっては500億オーラムもの賞金を懸けられていた実力者が目の前に戦える状態で現れた訳であり、自然に緊張も高まる。

 だが下手にじけ付いては逆効果だと考えて、えて以前の関係のように、最低でも対等の雰囲気を出そうとしていた。


 アキラがシジマの前に座る。


「で、話って何だ?」


「出来れば差しで話したいんだが……」


 シジマはそう言ってシェリルをチラッと見た。

 シェリルに動きは無い。


「先に何の話か話せ。

 徒党の話だったら、俺はシェリルに任せて帰る」


「……、リオンズテイル社、それも三区支店に絡む話になるんだが、聞かせて良いんだな?」


 シジマの予想通り、シェリルの表情が僅かだが明確に厳しくなった。

 だからシジマはシェリル達に事前に説明するのを避けていた。

 下手をすればそのまま殺されかねないからだ。


 アキラが少し考えてから、シェリルに視線を向ける。


「どうする?

 俺はどっちでも良いけど」


「……念のため、席を外しておきます。

 私に話しても問題無い内容でしたら、後で教えてください」


「分かった」


 シェリルが一礼して部屋から出ていく。

 シジマはそれを複雑な胸中で見送った。

 良く考えればアキラと一対一で話すことでアキラを言いくるやすくなったのだが、悪く考えれば万一の場合にアキラを止める者がいなくなったのであり、シジマは落ち着きを保つために無理矢理やり前者の解釈をした。


「で、話って何だ?」


 アキラから再度話を促されたシジマが覚悟を決めて口を開く。


「リオンズテイル東部三区支店は、お前との和平を望んでいる。

 俺は、その交渉人としてここに来た」


 単純に予想外の話だったので、アキラは思わず怪訝けげんな顔を浮かべた。

 しかしシジマにとっては三区支店側の人間が現れたことで不機嫌になったとしか思えず、焦りを必死に押し殺していた。




 アキラとリオンズテイル社の戦いは区切りが付いた。

 だが状況的には本店の介入による強制的な停戦に近い状態であり、第三者の視点ではアキラと三区支店は交戦していないだけで敵対状態のままだ。


 三区支店長であるベラトラムとしてはこれ以上の交戦は望まない。

 少なくとも本店から指示が来ない限り、支店として交戦に動くつもりはない。


 しかしアキラも同じ考えだろうという楽観視はしない。

 ローレンス一族の者を殺そうとするなど東部の一般人の感覚では狂人の範疇はんちゅうだ。

 本店相手ならば無謀だと躊躇ちゅうちょしても、支店程度であれば再度積極的な交戦に臨んでも不思議は無いと判断していた。


 また、アキラは坂下重工から最前線向けの装備が届くのを待っている状態だ。

 今は交戦に消極的であっても、強力な装備を手に入れたことで気が変わる懸念は無視できない。


 そしてその時にアキラが敵対的に動くのであれば、ベラトラムも今度は全力で動く。

 リオンズテイル東部三区支店の威信に懸けて、クロエ程度が動いた時とは比べものにならない力で確実に潰そうとする。

 だがその時に掛かる膨大な経費を考えれば、多少労力を掛けてでも避けたい未来ではあった。


 そのためにはアキラとの和平交渉が必要なのだが、三区支店にも大企業としての体面がある。

 一介のハンター相手に全面降伏では話にならない。

 それを理由に他企業に軽んじられ、敵対的に動かれてしまう恐れがある。

 それらの敵対企業を潰して回る経費、労力を考えれば、どのような内容であれ、アキラが譲歩する形での和平が必要だった。


 だがそれが非常に難度の高い交渉であることは、ベラトラムにも容易に理解できた。

 アキラがそこで譲歩するような人格の持ち主ならば、そもそも初めからクロエを殺そうとなどしないはず、という当然の判断があった。


 しかし交渉はしなければならない。

 それだけのことを成し遂げられる交渉人をリオンズテイル社の情報収集能力で探すと、該当者が1名見付かった。

 組織の者がアキラと敵対し、クロエと同じようにアキラの身内に危害を加えるような脅し方をしたのにもかかわらず、アキラが金を支払う形で和平を成立させた者が、一人だけいた。


 そのシジマという男を脅すことなど、リオンズテイル社には容易たやすかった。




 シジマが命懸けの交渉を続ける。

 成功すればリオンズテイル社ほどの大企業に貸しを作れるが、失敗すれば死だ。

 アキラにこの場で殺されるか、リオンズテイル社に後で殺されるか、その程度の違いでしかない。

 その思いで必死に話を進めていく。


「……で、その、な?

 三区支店の連中はお前と和平がしたいんだが、お前が金を支払う形で和平を成立させたいんだそうだ。

 待て……、落ち着け。

 まずは俺の話を最後まで聞け」


 アキラは主に困惑で表情を怪訝けげんなものにしているのだが、シジマにはスラム街を物理的に吹っ飛ばした特大の爆弾が起爆寸前になっているようにしか思えない。

 とにかく話を続けて起爆までの猶予を延ばそうとしながら説得を続ける。


「それで、その和解金だが、300オーラムだ」


 予想外の人物が予想外の交渉を持ち掛けた上に予想外の金額を口にしたことで、困惑を連続でたたき付けられたアキラには戸惑いが強くなっていた。


「……300万?

 300億?」


「違う。

 300オーラムだ」


 シジマはそう言ってから、テーブルの上に100オーラム硬貨3枚をアキラに見せ付けるように置いた。


「これだけだ」


 表情に混乱すら見せ始めたアキラの様子を見て、シジマはここが勝負だと決めに掛かる。


「お前がめられるのが大嫌いだってことはよく分かってる。

 この和平交渉はその逆の話だ」


 アキラを自分の話に引き込むように、シジマが感情を込めて話していく。


ただより高いものは無い、なんて言葉があるが、あんなのは大うそだ。

 ただの方が安いに決まってる。

 だがな、その逆、ただより安いものは有るんだ。

 具体的な値を付けることで、値を付けられる前よりも、その価値が下がることはあるんだよ」


 規則などでそれを破った場合に罰金を設けると、罰金が無かった時よりも規則を破る者が増える場合がある。

 何の罰則も無い時は単純に、純粋に守らなければならないものだった事柄が、罰金という具体的な値段、価値をつけられたことで、罰金を支払えば破っても良いものに成り下がる。

 その罰金が小銭であればあるほど、その価値は相対的に下がっていく。


「リオンズテイル社を相手にあれだけのことをしておいて、たった300オーラム支払えば済む。

 これだけ連中を馬鹿に出来れば十分だろう?

 その上で和平まで成り立つんだ。

 どうだ?

 完璧じゃないか?」


 これほどの上手うまい話を断るなんて信じられない。

 シジマは態度でそうありありと示しながら、内心の極度の緊張を辛うじて隠していた。

 詭弁きべんだと自分でも分かっていた。

 だがこれを断られたら、シジマにはもう後が無いのだ。


「うーん。

 でもなぁ……」


 そのアキラのつぶやきを聞いて、シジマの声が震える。


「な、何が不満なんだ?」


「いや、俺は良いとしても、そこまで馬鹿にされて、連中はそれで良いのか?

 向こうも納得しないと駄目なんじゃないか?」


「あ、ああ、そういうことか。

 その辺は大丈夫だ。

 この和平交渉は社外への体面を守るためのようなものだからな。

 外向けに、お前が金を支払う形で和平が成立したことだけ伝われば良いんだよ。

 和解金の具体的な額なんて絶対公表しない。

 事情を知らない連中が勝手にデカい金額を想像して終わりだ」


「……そういうものなのか?」


「そういうものだ。

 ……まあ、強いて言えば、お前が具体的な金額を吹聴ふいちょうして回るのは確かに連中も困るだろうから、後でお前とその辺の守秘義務を結ぼうとしてくるかもしれない。

 だがそれは別の交渉だ。

 その口止め料が幾らになろうが俺の知ったことじゃない。

 俺が請け負ったのは、今回の交渉だけだ。

 ……で、どうだ?」


 アキラは少しうなった後、うなずいた。


「分かった。

 支払は振込で良いか?

 最近小銭を持ち歩く機会が無くて……、しばらく荒野にいたし……、……って、どこに振り込めば良いんだ?」


 アキラの気が変わる前に和平を成立させたいシジマが、テーブルの300オーラムを指差してかす。


「それをやるから、それで今、この場で払え」


 するとアキラは少し真面目な顔で首を横に振った。


「駄目だ。

 払うならちゃんと払う」


 訳の分からない面倒臭さを出してきたアキラにシジマは内心でめ息を吐きながらも、アキラを刺激しないように好きにさせることにした。

 情報端末を取り出して自分の口座を教える。


「ここに振り込め。

 交渉人の口座だから問題無いだろう」


「分かった」


 アキラが情報端末を取り出して振込を済ませる。

 和解金の振込完了を知らせる通知をもって、アキラとリオンズテイル社東部三区支店の和平は成立した。




 地雷原を駆け抜けたような交渉を終えたシジマは心身の疲労の所為せいでふらつきながらシェリルの拠点を出た。

 生き残ったという喜びでえて浮かれることで、崩れ落ちそうな両脚をその気力で支えて帰っていく。


 アキラという特大の爆発物のような非常に厄介な相手に対して譲歩を受け入れさせた交渉人の表情は暗い。

 一度だけならばまぐれで片付けられる。

 だが二度あれば、三度目を求める者が必ず現れる。

 次を生き延びる自信など、シジマには欠片かけらも無かった。


 その未来から目をらしつつ、大きなめ息を吐きながら、シジマは瓦礫がれきの山と成り果てたスラム街を進んでいった。




 シジマが帰った後、アキラはシェリルに状況を軽く説明してから家に帰った。

 和解金などについては話さなかったが、三区支店との和平が成立したことは教えた。

 それを聞いたシェリルは安堵あんどで大きく息を吐いていた。


 自宅の中で装備を外したアキラが大きく伸びをする。


「やっと戻って来れたか」


 ようやく戻ってこられたのだという実感がアキラの気を緩めていく。

 クロエを殺そうとした日から長々と続いていた緊張から解放されたこともあって、その解放感はかなりのものだった。


 アルファもうれしそうに笑う。


『良かったわね。

 アキラ。

 リオンズテイル社とも和平をしたから襲撃される恐れも無いし、ゆっくり休めるわ。

 ……それにしても、アキラにしては珍しく随分譲歩していたわね。

 少し意外だったわ』


 アキラはシジマとの交渉の席で、和解金の具体的な額を口外しないことも認めていた。

 それを不思議がるアルファに、アキラが軽く笑って返す。


「まあ、俺もこれ以上の厄介事は御免だからな。

 あれだけやっておいて今更だけど、リオンズテイル社にこれ以上にらまれても面倒だし、それぐらいは譲歩するよ」


 その言葉は間違いなくアキラの本心だ。

 だがその判断に至ったのは、アキラの中に中途半端に残っていた振り上げられたままの拳を、シズカとの話で下げたからだ。

 拳を振り上げたままシジマと話していれば、アキラはそれを、拳を振り下ろす理由にしていた恐れがあった。


 そして、提示された金額が300オーラムだったことも、アキラの心を少しだが動かしていた。


 300オーラム。

 それは今のアキラには取るに足らない小銭だ。

 同時に、ハンターとなったアキラが命を賭けて遺跡に行き、初めて稼いだ成果の額だ。


 安い額ではある。

 だがかつての自分が命を賭けた額でもある。

 その額で、自分がリオンズテイル社ほどの大企業に和平を成立させたことに、アキラは奇妙な満足感を覚えていた。


『そう。

 何にせよ、不要なめ事を避けるのは良いことよ。

 後は坂下重工から装備が届くのをゆっくり待ちましょう』


「そうだな」


 その時、アキラの情報端末にハンターオフィスから通知が届いた。

 その件名を見たアキラが顔を僅かにゆがめる。


「賞金首速報。

 新規賞金首認定者のお知らせ……?」


 自分はもう無関係なはずだ。

 そう思いながらも、アキラはどこか恐る恐る通知の詳細を閲覧した。


 賞金首認定者はアキラではなかった。

 だが記載されていた名前が知人のものであったことに、アキラは少し驚いていた。




 先日、都市の幹部であるイナベ達がリオンズテイル社の社員から事態の説明を受けていた頃、ヤナギサワはミハゾノ街遺跡にあるセランタルビルの一室にいた。


「検証が終わったのなら、早速報酬を支払ってほしいんだけど、良いかな?」


「分かりました。

 約束通りお支払いします」


 そう言ってうなずいたオリビアを見て、ヤナギサワも満足そうにうなずいた。


 ヤナギサワはオリビアが行った検証作業に協力していた。

 クガマヤマ都市の動きを鈍らせたのも、アキラをスラム街に移動させて都市のそばを戦場にしたのも、その一環だった。


 そしてその報酬として、ある情報を要求していた。


 調子良く笑っていたヤナギサワが真面目な顔になる。


「では、あの管理人格達の息が掛かっている現地協力者についての情報を渡してほしい」


「それは駄目です」


 ヤナギサワの雰囲気が一気に険しくなる。


「……どういうことだ?

 約束が違うぞ?」


 歴戦のハンターでもその場で恐慌に陥りかねない威圧が場に満ちる。

 底冷えする声が部屋の空気を震わせた。


 だがオリビアには欠片かけらも通じていない。


「情報提供には同意しました。

 ですが、無制限に応じた覚えは御座いません。

 提供可能な情報の質と量は、貴方あなたの成果を上限に制限させて頂きます」


「……、こちらもそれなりに労を執ったと思うのだが」


「それでもです。

 現在の世界環境に応じて我が社も柔軟な判断をしておりますが、それでも、国の軍事関連情報を社外の者へ提供することに同意した時点で、貴方あなたの成果の大半を消費していることを御理解願います」


 そう言われてはヤナギサワも引き下がるしかなかった。

 難しい顔で言葉を選ぶ。


「私の成果に見合う分だけ提供してもらうというのは?」


「それは駄目です。

 等価の情報の選別もまた情報です。

 そして明確に要求されていない情報を提供することは、明確に要求された情報を渡す以上の価値があります。

 それは貴方あなたの成果を超えています」


 ヤナギサワが頭を抱えて思案する。

 言い分は理解できるが、提供可能な情報を探るために問答を繰り返せば、相手がその問答に応じ続けるだけで自分の成果を使い切ったと判断し、この貴重な機会が何の情報も得られないまま終わってしまうことぐらいは容易に推察できた。


「あの管理人格達に現地協力者はいるか……、違う、今現在、クズスハラ街遺跡の奥部、違う、クガマヤマ都市から延びる後方連絡線の先よりも奥側の遺跡内で活動可能な戦力を最低限持つ現地協力者はいるか?

 違う、その存在をそちらで確認できているか、違う、9割以上の確率で存在すると認識しているか?」


「います」


 ヤナギサワの顔が再び一気に険しくなる。


(いるのか……!

 しかも高い戦力を持っている!

 最近クガマヤマ都市に移ってきた高ランクハンターと取引したのか?

 ツバキの管理区域に近付けさせない名目で阻止していたはずだが……、突破されていた?)


「その者の名前を教えてくれ」


「それは駄目です」


 ヤナギサワが驚きをあらわにする。


(名前を教えるだけで制限に引っ掛かるのか!?

 旧世界のリオンズテイル社がそれだけの扱いをする人物が現地協力者になっている?

 顧客か?

 いや、現代のリオンズテイル社の人間?

 彼女とアリス代表の交渉が進んだことで、そちらの社員も機密対象となった?

 ……いや、現代のリオンズテイル社が関わっているのなら現地協力者の人数も爆発的に増える。

 その全員の名前を提供するとなると、流石さすがに上限に引っ掛かるということか?)


 あとどれだけ質問できるのか分からない。

 その不安もあり、ヤナギサワは次の質問を出来る限り慎重に吟味した上で、口を開く。


「現地協力者達のチームの最低構成人数を1名とした上で、最も多い人数の中心となる人物の映像を、現時点で、そちらで提供可能な範囲での直近のもので構わないので、見せてくれ」


 この質問でも駄目ならば自分の推察に致命的な誤りがある。

 その上で、これで自分の成果を使い切ったと判断されて情報提供を打ち切られても、その結果から事態を推察し直して今後の活動方針を修正できる。

 ヤナギサワはそう判断してオリビアの返答を待った。


「分かりました」


 オリビアが要望通りの映像をヤナギサワの前に立体表示する。

 そこに映し出された光景は、ヤナギサワの推察の外にあった。


「こいつは……カツヤの……?」


 そこにはアキラを襲撃しようとしていた元カツヤ派を引き連れたアイリの姿が映っていた。




 クロエの誘いに乗ったカツヤ派の者達は、カツヤのローカルネットワーク上でアイリの下に付いていた者達だ。

 アイリと同じくアキラへの復讐ふくしゅうを望んでいることもあり、アイリのローカルネットワークに取り込むのは容易たやすかった。

 クロエから提供された資金で調達した高性能な武装ごと強制的に、だがある意味望んでアイリの指揮下に入っていた。


 仲間の取り込みを済ませたアイリはさっさとクガマヤマ都市から離れた。

 アキラ達を襲撃したパメラ達が情報収集妨害煙幕ジャミングスモークの散布を始めた頃の出来事であり、それに紛れて脱出するのは容易たやすかった。


 アイリの拡張視界の中で、エイリアスが不満げな顔を見せている。


「協力者達の取り込みだけではなく、彼の援護も頼んだはずだが?」


「嫌。

 カツヤを殺したやつを助ける義理なんか無い。

 この場で殺しにいかないだけ、譲歩した」


 アイリはエイリアスとの契約により、自己同一性が揺らぐほどの干渉をエイリアスに許していた。

 そのエイリアスからの頼みを、アイリは憎悪をもって拒絶した。


 エイリアスがめ息を吐く。


「仕方が無い。

 では、それ以外のことはちゃんと頼む。

 そういう取引だ」


「分かってる」


 自身の干渉をこれだけ受けながらもアイリが端末化しないのはその憎悪のためだろう。

 エイリアスはそう判断しており、扱いが難しいと理解しながらも、アイリの憎悪を許容していた。




 自身の隠れ家に戻ったシロウはスラム街で入手したデータの解析を続けていた。

 そのデータからはツバキやオリビアの存在まで確認できた上に、恐らく巨人達を撃破する決め手にもなった。

 他にも有用な情報が無いだろうかと解析を急ぐ。


 もっともシロウにはアキラとは異なりアルファのサポートは無く、坂下重工の施設も利用できない状況なので、解析には時間が掛かる。

 それでも着実に進めていく。


 その途中、新たな賞金首の情報が入った。


「リオンズテイル社がまた賞金を懸けてる。

 ハンターの一団で、中心人物はアイリ……か」


 罪状はリオンズテイル社からの依頼の放棄だった。

 それを見てシロウがいぶかしむ。


「この依頼って、アキラの襲撃だろ?

 その依頼を放棄したからって賞金を懸けるのか?

 三区支店はアキラと和平を結んだはずだけど……」


 シロウが怪訝けげんに思った通り、賞金を懸けたのは三区支店の意志ではなく、ヤナギサワの介入によるものだった。

 ヤナギサワがアイリの存在をつかんでから賞金が懸かるのに時間が掛かったのは、対再構築機関アンチリビルドの人員が彷徨うろつくような時期に自身の行動から余計なことを推察されるのを嫌ったヤナギサワが、その工作に時間を要したからだ。


「まあ、それはそれ、これはこれ、ってことなんだろうな」


 実際に表向きの理由はそうなっていることもあり、シロウはそれ以上疑問を覚えずにデータ解析に戻った。


 そしてしばらくした後、シロウはデータの解析がある程度済んだことで、ツバキやオリビア達と一緒にいた少女の姿をはっきりと見ることが出来るようになった。

 その途端、シロウが驚愕きょうがくで固まる。


「ハルカ……?」


 シロウはハルカを知っていた。


「何で……、ハルカが……、そこに……?

 ど、どういうことなんだ!?」


 坂下重工に逆らってまで助けようとした友人が、そこにいるはずのない少女が、確かにそこにいたことに、それだけ近くにいたことに、シロウはどこまでも驚き、混乱していた。




 広範囲が瓦礫がれきの山と成り果てたスラム街だが、復興はもう始まっていた。

 イナベの息が掛かった建築業者が瓦礫がれきの撤去を進めている。


 その瓦礫がれきの山の一つが、周囲に作業中の機械も無いのにもかかわらず僅かに揺れる。

 そして突如腕を生やした。

 更に奇声を上げる。

 それはレビンだった。


 少し遅れてババロドも瓦礫がれきの山から現れる。

 二人とも戦闘中に瓦礫がれきに埋もれてしまい、今まで気絶していたのだ。

 その瓦礫がれきのおかげでレビン達はスラム街を焼いた巨人の光波から助かっていた。


 ババロドが辺りを軽く見渡して息を吐く。


「状況はよく分からんが……、取りえず、生き延びたか」


「……生き延びた、生き延びた?

 生き延びた!

 生き延びたぞ!」


 レビンが歓喜の声を上げ続ける。

 その喜びの声は、この戦いで装備を壊してしまった所為せいで借金が更に増えてしまったことに気付くまで、スラム街に長々と響いていた。

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