第100話 手打ちの交渉

 会合場所である酒場の2階にトメジマ達がいる。

 トメジマとコルベ、そしてヴィオラという妙齢の女性がテーブルを囲んでいた。


 トメジマが時刻を確認する。

 予定の時刻まで後15分ほどだ。

 先ほどから何度も時刻を確認している。

 それはこの待ち時間を嫌う心情の表れだ。

 早く始まってほしい気持ちと、いつまでも引き延ばしたい気持ち。

 その両方が態度に表れていた。


 ヴィオラがトメジマを軽く嘲るように話す。


「随分余裕がないのね。

 もっと落ち着いたらどう?

 冷静さを欠くとまとまる交渉もまとまらないわ」


 トメジマが苛立いらだちの目でヴィオラを見て話す。


「うるさい。

 分かってる。

 ……同席は許可したが、余計なことは言うな。

 お前が事態をややこしくしたら責任を取ってもらうからな」


「分かってるわ。

 邪魔はしない。

 私はアキラってハンターを間近で確認したいだけ。

 貴方あなたとアキラの仲裁役をする気はないけど、相手をなだめるぐらいはしてあげる。

 貴方あなたもそれで納得したでしょう?」


 ヴィオラは少し楽しそうに笑っている。

 め事を楽しむ人間が浮かべる笑顔だ。


 ヴィオラはトメジマの同僚でもない。

 この酒場の人間でもない。

 3階の娼館しょうかんとも無関係だ。

 トメジマの伝でこの場に同席しているだけの女性だ。


 トメジマはシカラベ達との交渉を済ませた後に、アキラに関する情報を集め出した。

 ヴィオラもその情報源の1人だ。

 ヴィオラがトメジマに提供したアキラの情報は、どれも重要で、かつろくでもないものばかりだった。


 シベアというハンター崩れが率いるスラム街の徒党を、アキラはシベアを含む幹部連中を全員殺して乗っ取った。

 自分の愛人を徒党のボスの地位に就けてその徒党を操っている。

 シジマの徒党とめた際、アキラはシジマの使者を殺し、シジマの拠点にその死体を持って乗り込んだ。

 ドランカムの若手ハンターと下位区画の大通りで対立し、彼らと殺し合い寸前までめた。


 それらの情報を知ったトメジマは、アキラをかなりの危険人物と判断した。

 殺しに躊躇ちゅうちょがなく、後先を考えずに行動する典型的な危険人物。

 流石さすがにドランカムのような組織を敵に回すのは躊躇ためらう程度の理性はあるようだが、それでもかなり際疾きわどい状況だったようだ。


 トメジマ達の組織はドランカムほど巨大ではない。

 アキラがトメジマ達に殺意を持った時、実行をどこまで思いとどまるかは未知数だ。


 トメジマはヤマノベのアキラに対する評価の言葉を聞いていた。

 殺しすぎで自滅するタイプ。

 トメジマも同意見だ。

 だからこそアキラと手打ちを済ませておきたかった。

 解釈によっては、トメジマの部下がアキラを殺そうとしたとも考えられる。

 カドルの巻き添えで自分までアキラと敵対する羽目になるのは御免だった。


 トメジマにはヴィオラが何故なぜそのような人間との交渉の場に同席することを望んだのかは分からない。

 しかしヴィオラが都市の下位区画の裏側の事情に精通していることは事実だ。

 トメジマはアキラとの交渉を穏便に済ませるために、ヴィオラの同席を許可した。


 トメジマがアキラとの交渉の場をこの店にしたのも同様の理由だ。

 少なくともアキラは前回この場でカドルを殺しはしなかったのだ。


 コルベがこの場にいる理由も表向きはアキラとの連絡役だが、知り合いが同席していればアキラが暴挙に出る可能性が下がるのではないかという思いからだ。

 なおシカラベにも頼んだのだが、賞金首討伐の後処理で忙しいと断られていた。


 ヴィオラが楽しげに妖艶に微笑ほほえんでコルベに尋ねる。


「ねえ、そのアキラって子の話をもう少し聞かせてくれない?」


「さっき話しただろう。

 俺だってあいつと親しいわけじゃない。

 さっき話したことで全部だ。

 そっちもアキラについていろいろ調べたんだろう?

 そっちの方が詳しいんじゃないか?」


「当事者から詳しい話を聞きたいのよ。

 調べたと言っても、私が自分で見聞きして調べた情報ではないからね。

 カドルの件にしてもそうよ。

 話を聞いた限りだとアキラは随分強いハンターらしいわ。

 でもそれならカドルって男は何故なぜあんな馬鹿な真似まねをしたの?

 貴方あなたもその場にいたんでしょう?

 何か思いつかない?」


「さあな。

 馬鹿だからじゃないか?

 馬鹿が馬鹿をする理由は、馬鹿だからだろう?

 深い理由なんかないんじゃないか?」


「その浅はかな理由を知りたいのよ。

 馬鹿げた理由で馬鹿をするから馬鹿なんでしょうけど、一応ね。

 適当に言ってみてくれない?」


 興味深そうに尋ねてくるヴィオラを見て、コルベが少し考えて答える。


「そうだな。

 あいつはアキラのことをシカラベ達が報酬額を減らすために適当に呼んだ頭数だと勘違いしていたな。

 だからアキラを殺して自分の取り分を増やそうとした。

 それでアキラがすきだらけで弱そうに見えたから実行した。

 ……いや、短慮過ぎるか?

 借金がかさんで思考力が鈍っていたとしても、実行するならもっと別の場所でやるだろうし……」


「ぱっと見で弱そうに見えたの?」


「あの時、シカラベってやつが最近のドランカムには装備だけ充実している大して実力もない若手ハンターが増えてるって愚痴っていたし、その類いのやつだと思ったのか?

 いや、だからってドランカム所属のハンターを殺したら後が大変だろう……。

 馬鹿だからその辺のことを考えなかったのか?

 いや、でもなあ……」


 コルベはその後も理由を考えては撤回するのを繰り返していた。


 ヴィオラはコルベの話を聞いて必要な情報を得ていた。

 アキラは弱そうに見える。

 少なくともカドルが敵対を躊躇ちゅうちょするような外見ではない。

 そして実際にはトメジマが賞金首討伐のために用意したハンターであるカドルを容易たやすく殺せるほど強い。


 面白そうな人物だ。

 ヴィオラはそう思い、楽しげな表情でアキラが来るのを待っていた。




 アキラが酒場の中に入ると、酒場の主人が前と同じように少し険しい口調で告げる。


「ここはお前みたいなガキが来る場所じゃねえぞ。

 帰んな」


「それはこんなガキをここに呼びつけたやつに言ってくれ。

 トメジマってやつがいるはずなんだ。

 知らないか?」


 アキラも前回と同じように答えた。

 しかし店主の返答は同じではなかった。


「……お前がアキラか?」


「そうだけど」


 店主の表情が少し険しくなる。

 前回と異なりトメジマから店主に話が通っていた。


「……トメジマは2階だ。

 前と同じ席だ。

 おい、俺の店で騒ぎを起こすんじゃねえぞ」


「俺から騒ぎを起こす気はないよ」


「そんなこと俺の店に関係あるか。

 お前らが騒ぎを起こせば同じだ。

 いいか、俺の店で騒ぎを起こすんじゃねえ。

 分かったな?」


「分かった」


 店主が前回と似たような愚痴をこぼす。

 しかしその表情はより苦々しい。


「……全く、こんなガキをこんな場所に呼びつけるなんて、何考えてるんだ」


 こんなガキ、とはとしのことを指しているのか、前回の行動のことを指しているのか、アキラには分からなかった。


 アキラはトメジマ達が待つ席に向かう。

 アキラの姿を見つけたトメジマが固い苦笑いを浮かべた。

 アキラが前回よりも重装備だからだ。


 アキラが背負っている銃は、強化服の身体能力がなければ持ち運ぶことすら困難な対モンスター用の武器である。

 普通に交渉が可能な良識を持つハンターを相手にしていると忘れそうになるが、危険人物の背にそれがあると、途端にその殺傷力が意味を持ち始める。

 トメジマは統企連がハンターの倫理観向上のために大金を費やす理由を身に染みて理解した。


 トメジマは固くなった表情を無理矢理やりほぐしながら、アキラに向かって何とか愛想良く微笑ほほえむ。


「良く来てくれた。

 座ってくれ」


 必要以上に強気でも駄目だ。

 必要以上に弱気でも駄目だ。

 トメジマは余裕を取り繕ってアキラとの応対を試みる。


 アキラは勧められた椅子には座らずに近くを見渡した。

 背もたれのない椅子を見つけると、それを引っ張ってきて座った。

 背もたれがあると背中の銃が邪魔で座りにくいからだ。


 平静を頑張って装っていたトメジマの表情が僅かにゆがむ。

 銃を手元に置くよりは攻撃時に手間が掛かるだろう。

 装備を外そうとしないアキラの様子を見て、トメジマは頭の中で自身にそう言い訳をしながら話を進める。


「ここに来たってことは、手打ちの交渉に前向きと考えて良いんだな?」


 アキラの態度からは相手に対する明確な警戒がうかがえる。

 アキラがトメジマをじっと見ながら答える。


「騒ぎを起こす気はない。

 下で店主にもくぎを刺されたしな」


「そ、そうか」


 アキラは本心で答えている。

 トメジマはそう理解した。

 正確にはそう思い込むことにした。

 それがどの程度の安全を保証するかは未知数だが、いきなり撃ち殺される可能性は低くなったはずだ。


 店主に話を通しておいて良かった。

 トメジマはそう考えながら安堵あんどし、ある程度余裕を取り戻した。


 しかしそれでもトメジマの笑みは固いままだ。

 交渉中に銃は抜かない。

 良識のあるハンターならば当たり前のことである。

 その当たり前を前回破ったのは、自分が連れてきた人物の方なのだ。

 そしてそのことに対する交渉を、今から目の前の危険人物を相手にして進めなければならないのだ。


 トメジマが話を進める。


「取りあえず話を聞いてくれ。

 まず、俺達にアキラと敵対する気はない。

 これが大前提だ。

 だからこの件は穏便に済ませたい。

 ここまでで、こちら側の意思とアキラ側の意思にずれはあるか?」


「ないな。

 穏便に済むならそれに越したことはない」


「それは良かった。

 こっちも一安心だ」


 トメジマはアキラの様子をうかがいながら尋ねる。


「……それで、カドルの扱いなんだが、ああ、前回アキラに銃を向けたやつだ、その、できれば見逃してほしい。

 あいつには元々の借金に加えて、前回の件の償いとして、俺がシカラベ達に出した追加人員の費用やら、何だかんだの代金を背負わせてるんだ。

 つまり、あいつが死ぬと俺達にデカい額の不良債権が増える。

 あいつには生きて借金を返済してもらわないと困るんだ。

 ……これはこっちの事情だが、アキラはカドルをどうしたいんだ?

 何が何でも殺したいのか?

 あの場で生かしておいたってことは、別にどうしても殺したいわけでもないんだろう?」


 アキラが改めて考える。

 既にアキラのカドルに対する考えはかなり雑なものになっていた。

 どうでもいい。

 それが大半だ。

 探し出してまで殺したいとは思わない。

 しかし荒野で見かけたら殺すかもしれない。

 その程度だ。


 アキラが荒野でカドルと遭遇した時、カドルが必死になって逃げ出せば、追うのも面倒なので追わないかもしれない。

 だがカドルが殺されると思って反撃に出れば、躊躇ためらわずにカドルを殺すだろう。


 しかし見逃してほしいと言われたからといって、黙ってそれに従うのも後々面倒事を引き起こすかもしれない。

 そう判断したアキラが相手の出方をうかがうように尋ねる。


「俺があいつを見逃すとして、そっちが代わりに出すものは?」


「……それをお前と交渉したいんだよ。

 そっちの要求は何だ?」


「そう言われても、特にないな」


 トメジマが黙る。

 アキラは別にトメジマと駆け引きをする気はない。

 単純に特に要求を思いつかないだけであり、必死になって考えるのも面倒なだけだ。

 だからといって、どうでも良いなら広い心で許せ、などということをトメジマが口にすれば、アキラは和解を蹴るだろう。

 トメジマもハンターを相手にした交渉の経験をそれなりに積んでいるのだ。

 それぐらいは分かった。


 アキラが話を続ける。


「見返りの内容はそっちが提案してくれ。

 そういうのを考えるのは苦手なんだ」


 トメジマはできれば金で解決したかった。

 しかし自分から金額を提示するわけにはいかない。

 何しろアキラの命に関係するめ事だ。


 トメジマが下手に安い金額を提示すると、それだけでアキラの機嫌を損ねる可能性がある。

 誰だって自分の命には高値を付けるものだ。

 安物扱いはされたくないだろう。

 そしてアキラに高額の和解金を提案するとしても、トメジマの支払い額にも限度はあるのだ。


 アキラへの支払いをカドルに背負わせるとしても、既にカドルに負わせている借金の額は限界に近い。

 これ以上の借金を背負わせれば、カドルは飛ぶだろう。

 そして大抵遠くの都市まで逃げようとして、途中の荒野でモンスターに襲われて死ぬのだ。

 借金は回収できず、結局トメジマ達にしわ寄せがいくことになる。


 そしてアキラから非常に高額な金額を要求された場合は、トメジマもアキラとの敵対を含めて対処しなければならない。

 極端な話、100億オーラム払え、カドルに払えないならトメジマが立て替えろ、などと要求された場合は、トメジマも覚悟を決めてアキラと争わなければならない。


 アキラは黙ってトメジマの返答を待っている。

 トメジマは自分から金額を提示するべきか、何とかしてアキラから金額を提示させるべきか、金以外の見返りに切り替えるべきか、いろいろ迷っていた。


 そこにヴィオラが口を挟む。


「トメジマのような金融業者は、多額の負債を抱えている顧客を誰かに殺された場合、その誰かから代わりに負債を取り立てることがあるの。

 そして相手の力量から自分達にはそれができないと判断した時は、それが可能な業者に債権を捨て値で売って損失の補填ほてんに充てることもあるわ。

 多額の負債を回収するための手段の1つよ」


 アキラがトメジマからヴィオラに視線を移す。

 そして端的に尋ねる。


「それで?」


「それだけよ。

 貴方あなたがそのことを知っているかどうか分からなかったから、一応説明しておいたわ。

 このまま進展が何もないと両者が陥る状況の説明をしただけよ。

 付け加えると、ハンターに金を貸す連中はそのハンターから取り立てるための戦力を保持しているのが普通よ。

 彼らにも体面があるわ。

 面倒よ?」


 アキラが表情を変えずに尋ねる。


「交渉が決裂すると、トメジマは捨て値で債権を売る羽目になるし、俺はわれのない借金の取り立てに遭う。

 どちらも損をするだけだから、俺に見返り無しで手を引け。

 あるいは大幅に譲歩しろ。

 そう言っているように聞こえるんだが」


 ヴィオラは薄笑いを浮かべながら答える。


「解釈は任せるわ」


「そうか」


 アキラが視線をトメジマの方に戻す。

 その視線は若干険しくなっている。

 そのまま黙ってトメジマを見ている。


 トメジマは急に口を挟んできたヴィオラの真意を探りつつ、今の話を聞いたアキラの反応を確認している。


 ヴィオラもそれ以上の口出しはせずに、黙って事態の推移を見守っている。


 しばらくの沈黙の後、アキラが深くめ息を吐いた。

 そして黙って席を立った。


 ヴィオラが笑いながらアキラに尋ねる。


「和解は成った。

 そう解釈しても良いのかしら?」


「いや?

 今決裂したんだ」


 アキラはヴィオラにあっさりそう答えてからトメジマの方を見る。


「そっちも黙っているってことは、同意見のようだしな」


 トメジマが慌て出す。


「ちょ、ちょっと待ってくれ!?」


 トメジマは確かに黙っていた。

 債権の扱いに関してはヴィオラの言う通りだ。

 トメジマがそれを足掛かりにしてアキラからの譲歩を引き出そうと考えていたことも事実だ。

 だがお互い納得できる条件のり合わせを、これから始めるつもりだったのだ。

 アキラがいきなり交渉の席を立つとは考えていなかった。


 ヴィオラは少し驚いたものの、慌てずにアキラに話す。


「随分短気ね。

 交渉というものは粘り強さが大切よ?」


 アキラは返事を返さずに黙って帰ろうとする。

 トメジマがアキラを呼び止めていたが、アキラは無視してそのまま階段に向かい、そのまま酒場から出た。


 酒場を出たアキラが大きくめ息を吐いた。

 アキラにも衝動的な行動だった自覚はあるようだ。


 アキラの隣でアルファがあきれ気味の微笑ほほえみを浮かべている。

 アキラがアルファの表情を見て、言い訳じみたことを話す。


『……ちょっと蹴飛ばせば要求を飲むだろう。

 そういう態度が気に入らなかった』


『そうね。

 それは同意するわ』


『あのまま交渉を続けると、俺を殺そうとした件が安値で片付けられる気がした。

 それはとても良くないことのような気がする』


『確かにそうよね』


『別に今からカドルを探し出して殺しに行くつもりはない。

 面倒だしな』


『確かにいろいろ面倒よね』


『……あー、俺との敵対を避けるために、相手がどこまで条件を許容するのか。

 それを確認する良い機会だったかもしれない。

 でも変な前例を作ると、それはそれで大変なことになる気がする』


『確かにそうね。

 でもそれは後付けの理由よね?』


 アキラが黙る。

 アルファは和やかに微笑ほほえんでいる。

 怒っているように見えるのは、考えすぎなのかもしれない。

 それでもアキラはどことなく気まずさを覚えながら繁華街を歩いていく。


 しばらく歩いた後で、まだ気にしている様子のアキラの前にアルファが立つ。


『別に怒っているわけではないの。

 アキラの考えは尊重するわ。

 私も止めなかったしね。

 交渉が決裂したこと自体はどうでも良いことなのよ。

 アキラに確固たる意思が有って、どうしても許容できないのなら、アキラがあの場で交戦し始めても、私は全く構わないわ。

 その時は私もアキラを全力でサポートする。

 ただね、アキラが私の機嫌を恐る恐る確認する程度の意思で決めたことなら、もう少し考えても良かったと思うわ』


『……はい。

 気を付けます』


よろしい』


 アルファはアキラの返事を聞いて満足そうに微笑ほほえんだ。

 それを見たアキラも落ち着きを取り戻した。


 アルファがアキラに提案する。


折角せっかく繁華街にいるのだから食事でもしていったら?

 昨日アキラは帰ったら値段を気にせずに美味おいしいものを食べようって言っていたでしょう?』


『そうだった。

 良し。

 美味うまそうな店を探そう』


『私もネットワーク上をいろいろ探してみるわね。

 何か希望はある?』


『それならサンドイッチを頼む。

 ちゃんと食えるやつをだ』


 アキラは昨日アルファが持っていたサンドイッチを思い出していた。

 非常に美味おいしそうで絶対に食べられない、視覚情報にのみ存在するサンドイッチだ。


 アルファが笑って答える。


『あれほどの品がここに存在しているかどうかは分からないけど、一応探してみますか』


 アキラは先ほどのことなど忘れてアルファと一緒に繁華街の散策を楽しむことにした。

 アキラにとって良い店が見つかるかどうかは二の次だった。




 酒場の2階でトメジマがヴィオラをにらんでいる。


「おい!

 お前が余計なことを言ったからだぞ!

 どうしてくれるんだ!?」


 ヴィオラが余裕を崩さずに話す。


「短気というか、こらえ性のない子だったわね。

 あれでは実力があっても、すぐに誰かに殺されそう」


「そんなことはどうでもいい!

 お前の所為だぞ!

 分かってるのか!?」


「永遠に黙り合うわけにもいかなかったでしょう?

 どうせ和解金の提示額も貴方あなたからは言い出せなかったんでしょう?

 貴方あなたも私の話を聞いてアキラが折れてくれるのを期待していたはず。

 アキラも言っていたわ。

 黙っているなら同意見だって。

 すぐに貴方あなたが私を止めていれば、アキラも席を立ったりしなかったはずよ?

 違うかしら?」


 トメジマがヴィオラに図星を突かれて、たじろいで意気をがれた。


 今まで傍観に徹していたコルベが口を挟む。


「それで、これからどうするんだ?

 アキラも帰ったし、特になければ俺も帰るぞ?

 ああ、一応念を押しておく。

 お前らがアキラと敵対するのは勝手だが、俺は協力しない。

 アキラへの取り立てになんか絶対参加しないし、カドルの監視や警護もしない。

 お前達の護衛も引き受けない。

 余所よそを当たってくれ」


 コルベの他人ひと事のような話を聞いてトメジマが慌て出す。


「待て、カドルはも角、俺は関係ないだろ?」


「お前が今カドルをどう管理しているかは知らないが、カドルがとち狂ってアキラを殺しに行ったらどうする?

 それをアキラがカドルに死なれると大損する人間の指示だと勘違いしたらどうするんだ?

 俺は関わりたくない」


 トメジマの表情が更に悪くなり、更に必死な表情でヴィオラを怒鳴りつける。


「ヴィオラ!

 お前の所為だぞ!

 責任は取ってもらうからな!」


 ヴィオラが余裕を崩さずに答える。


「分かったわ。

 では私がカドルの債権を買いましょう。

 それでさっきの話の因果も私に移る。

 そうね、額面の5割でどう?」


 トメジマが困惑して勢いをがれた。

 そして無意識にヴィオラの言葉を反芻はんすうして損得の計算を始めてしまった。


「……カドルはまだ生きているし、アキラがカドルを殺すとは限らないだろう。

 5割は低すぎる」


「賞金首の討伐に成功したハンターに命を狙われている人物の債権なんて誰が買うの?

 貴方あなたなら幾らで買う?

 捨て値でしょう?

 それとも事情を話さずに他の債権業者に売りつけるの?

 バレたら大変ね。

 あるいはあんなことをしでかした馬鹿を、しっかり管理してきっちり取り立てる自信が有るの?

 ないからそんなに慌てているんでしょう?」


 トメジマが苦渋に満ちた表情を浮かべる。

 ヴィオラの指摘は全て図星だった。


 ヴィオラがあからさまな同情をしている振りの笑顔を浮かべながら諭すように話す。


「私も責任を感じているの。

 だからこそ、私はそんな買い手の付かない債権を額面の5割で買おうとしているのよ。

 損害を覚悟して金を払い、責任を取ろうとしている。

 貴方あなたも金を扱う人間として、私の誠意の程を理解してほしいわ。

 一応言っておくけれど、私としてはこの提案をした時点で責任は取ったと判断しているわ。

 貴方あなたがこんな好条件を蹴るのは勝手だけど、私が別の提案を受け入れるとは思わないでね?」


 トメジマが苦もんの表情を浮かべている。

 その脳裏では様々な利害が交錯しているのだろう。


「……それでも5割は安すぎる。

 6割、6割でどうだ?」


「良いわ。

 今後の付き合いもあるし、受けましょう」


「……くそっ!」


 商談は成立したがトメジマの表情は浮かないままだ。

 より損失の少ない損切りを済ませただけで、損失に違いはないからだ。


 トメジマとヴィオラが情報端末と書類のり取りで債権の受け渡しを済ませる。


「それでは私はこれで失礼させてもらうわ。

 これからも良い取引を続けたいわね」


 ヴィオラは笑ってそう言い残すと、機嫌良く帰っていった。

 トメジマは苛立いらだちの表情でヴィオラを見送った。


 トメジマが不機嫌な表情でテーブルの端末を操作して酒を注文する。

 自棄やけ酒であることは明らかだ。


 コルベが席を立つ。


「俺も帰る。

 気持ちは分かるが、ほどほどにしておけよ」


「気持ちが分かるなら付き合え。

 おごってやる」


「断る。

 自棄やけ酒で絡まれるのは御免だ。

 絡む相手が欲しければ、1階からでも3階からでも好きに呼べよ。

 じゃあな」


「……けっ!」


 損失はかなりの額なのだろう。

 トメジマは不機嫌を隠さずに吐き捨てた。


 コルベが酒場から出ると、外でヴィオラが待っていた。


 コルベが黙って右手をヴィオラに出す。

 ヴィオラは黙って札束の入った封筒をコルベに渡した。


 コルベがトメジマの不安をあおったのは、ヴィオラから事前にそう指示されていたからだ。

 コルベはヴィオラにも雇われていたのだ。


 ヴィオラが微笑ほほえみながらも少し不満そうに話す。


「報酬の支払いは振り込みの方が楽なの。

 次から振り込みにしてもらえない?」


 コルベがふてぶてしい笑顔で答える。


「俺のような善良なハンターの口座に、質の悪い人間からの入金履歴を残すのは避けたいんだ」


 ヴィオラが意味ありげな笑いを浮かべて話す。


「善良ねぇ。

 まあ、言葉の意味や解釈は人によって変わるもの。

 深く追及する気はないわ」


 コルベは封筒の中身を確認し終えると懐にしまい込んだ。

 そして気になったことをヴィオラに尋ねる。


「興味本位で尋ねるが、あんな債権を買い取ってどうする気だ?

 金貸しも取り立てもお前の本業ではないだろう?

 転売もお前がトメジマに説明した通り難しい。

 潜在的な敵組織に経緯を誤魔化ごまかして売りつけるのか?」


 ヴィオラが笑って答える。


「いろいろよ。

 案は幾つもあるけど、具体的にどう活用するかは未定ね」


 ヴィオラは組織間のめ事の仲裁なども請け負っており、その手腕は高く評価されている。

 しかしコルベは知っている。

 ヴィオラは時に自分からめ事の火種を作り、火を付け、油をそそぎ、炎上させて利益を得ていることを。

 そしてその上で自分が責任を負うことのないように立ち回っていることを。


 しばらくヴィオラからの依頼は注意した方が良いだろう。

 トメジマから買い取った債権を、め事の火種に使うのか燃料に使うのかは分からない。

 しかし派手に燃えることは間違いなさそうだ。

 アキラ絡みのめ事などにコルベは関わりたくない。


 この件には絶対に関わり合いにならない。

 コルベはそう強く誓った。

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