第69話 不運な少女

 翌日、アキラは再びアルファと体感時間操作の訓練をしていた。


 アルファが前と同じように両手に剣を持ち過剰装飾の衣装で踊っている。

 アルファは優雅に凜々りりしく舞い踊り、自然な動きでアキラの首をいだ。


 アキラはアルファに攻撃されても微動だにしていない。

 アルファの攻撃を避けるどころか反応する素振りすらない。

 ただじっとアルファを凝視していた。


『……アキラ?』


「大丈夫だ。

 続けてくれ」


 アキラの表情は真剣そのものだ。

 ふざけているわけでもやる気がないわけでもないことはアルファにも分かった。


 アルファはアキラの様子を僅かにいぶかしむが、何も聞かずに定位置に戻ると衣装から布を1枚落として再び踊り出した。


 その後もアキラはアルファに切り刻まれ続ける。

 アキラは微動だにせず真剣な表情でアルファを凝視し続けている。


 アルファが両手に持つ剣の刃がアキラの体を通り抜けるたびに、アルファの衣装から布地が落ちて消えていく。

 アルファのドレスから過剰な装飾が取り払われ、ドレス本体の布地も減っていき、あらわになる肌が増えていく。

 それはアルファの格好がクズスハラ街遺跡の廃墟はいきょで交戦したネリアの姿に近付いているということでもあった。


(……思い出せ。

 あの時の戦闘を。

 夢の中での感覚を。

 あいつと戦った時の緊張を。

 あの時はできていた。

 夢の中でもできていた。

 それなら今もできるはずだ!

 アルファもできると言っている!)


 死地に立つ集中力を、死線を駆ける感触を、生と死の狭間はざまの緊張を、アキラはこの場で取り戻し、再現し、維持し続けようとしている。

 踊るアルファを凝視する。

 アルファが握る剣を凝視する。

 自分の体を幾度となく通り抜けていく刃を、アキラは凝視し続けている。


 そして、アルファが緩急織り交ぜた舞の動きからアキラの首をなぎ払おうと右手に持つ剣を勢いよく跳ねさせた。

 その動きは偶然にも、アキラが夢の中で見たネリアの動きと同じものだった。


 非常に切れ味の良さそうな刃がゆっくりと自分の首に迫ってくるのを、アキラはしっかりと認識しながら目視していた。

 必死になってそれをかわそうとして大きくけ反り、体勢を崩したアキラが派手に後ろに倒れた。


 アキラはそのまま後頭部を床に強くぶつけた。

 床に転がったまま苦悶くもんの表情で痛む頭を両手で押さえる。


 アルファがアキラに駆け寄って心配そうに声を掛ける。


『アキラ。

 大丈夫?』


「……い、痛い。

 回復薬、回復薬は?」


『そこの棚よ』


 アキラはふらつきながら立ち上がり、近くの棚に置いておいた回復薬の箱を手に取った。

 1箱100万オーラムの回復薬だ。

 箱から取り出したチューブ入りのペースト状の回復薬を、強くぶつけてかなり痛む後頭部に塗る。


 するとアキラの後頭部の痛みはすぐに消えていく。

 それで治療が済んだわけではなく単に麻酔で痛みが消えただけだが、痛みが消えただけでもアキラには有り難い。

 怪我けが自体もじきに治るだろう。

 髪に残っている回復薬も少しずつ皮膚の方へ染みこんでいくので拭き取る必要はない。


 痛みが消えたことでアキラの顔から苦痛の色が消える。


「こういう時は直接塗れるタイプの回復薬の方が便利だな」


怪我けがの治療と疲労回復の違いや、戦闘中に負傷箇所の服を脱いで塗る余裕があるかどうかとか。

 そこは経口タイプとの使い分けよね。

 そんなことより、アキラ、できたのね?』


 笑ってそう尋ねるアルファに、アキラも笑って答えた。


「ああ。

 できた。

 その所為で上手うまく動けなくて、派手に頭をぶつける羽目になったけどな」


『それは仕方ないわ。

 アキラの体感時間が10倍になったからと言って、アキラが10倍速く動けるわけではないからね。

 意識上の動きと実際の動きのずれが出てくるわ。

 そのため今まで無意識にしていた動きを、しっかりと意識して動かす必要が出てくるところもあるわ。

 相対的に格段に鈍くなった身体の動きを把握して、その上で動く必要があるわ。

 これは訓練して慣れるしかないわね』


「そうだな。

 訓練有るのみだ」


 アキラは無意識に頭を手で押さえている。

 痛みはないがぶつけた箇所に違和感は残っているのだろう。


『派手にぶつけたようだし、少し休む?』


「いや、このまま続ける。

 あの感覚を覚えている内に繰り返しておきたい」


『分かったわ。

 無理は駄目よ?』


「ああ」


 訓練が再開される。

 アルファが再びアキラの前で踊り出す。

 着ている衣装の布地が減り、踊りが次第に蠱惑こわく的に変化していく。

 その動きを捉えるために、アキラは真剣な表情を崩さずにアルファを見続けていた。


 アキラのその日の訓練が終わる。

 体感時間操作の訓練が終了した時、今まではアルファの格好は全裸とほぼ変わらない姿になっていたが、今回は露出過多のドレス姿で済んでいた。


 しかしそれはアルファの攻撃をアキラが避けることができたからではない。

 アルファの姿が全裸寸前になる前にアキラが疲労困憊こんぱいとなり、それ以上訓練を続けられなかっただけだ。


 アキラが固い床に大の字に横たわったまま荒い呼吸を続けている。

 アキラは訓練の最中に再び何度か体感時間を圧縮させることができた。

 そしてそのたびに極度の集中を強いられることになり脳を酷使させた。


 体感時間が延びるほど、集中しなければならない時間は増えていく。

 そしてその感覚の中で動くことは、休憩無しで全力で動き続けているのと何ら変わりはないのだ。

 当然その疲労は非常に激しいものになる。


 脳も身体も非常に酷使したアキラは起き上がることすら困難なほどに疲れ切っていた。


 床に横たわるアキラの前で、かなり大胆な姿になっているアルファが声を掛ける。


『今日の訓練は終わりにしましょう。

 ほら、もう少しだけ頑張って立ちなさい』


「……無理。

 少しだけ、少しだけ休ませてくれ」


『少しだけよ?

 そのままだとそこで寝てしまうわ。

 せめてベッドまで頑張りなさい。

 そこで寝ると明日後悔するわよ?』


 路上で生活していて固い地面の上で寝た経験の多いアキラは、アルファの言う後悔の意味をよく理解している。

 柔らかなベッドの上で眠ることに慣れてしまっている今のアキラには、以前のような固い地面で疲労を抑えて眠る技量はない。

 このまま固い床の上で眠ってしまうと、明日非常に後悔することになるだろう。


 アキラは床に横たわったまま深呼吸を繰り返して呼吸を整えると、気力を振り絞って立ち上がった。

 そのままのろのろと寝室に向かう。

 寝室に着いたアキラは吸い込まれるようにベッドに倒れ込んだ。


 アキラのそばに立つアルファの姿は、アキラが着替えろと指示していないため訓練終了時の挑発的な姿のままだ。

 アルファが着ているドレスの大胆に布地が取り払われた部分から、高級感にあふれる下着が見え隠れしている。

 それを指摘する余裕など今のアキラにはない。


 アキラは自分の意思に反して閉じられつつあるまぶたを何とか開き続けているが、蓄積された疲労と柔らかな布団の感触に屈するのはもう間近だ。


「……少し寝る。

 勉強の時間になったら起こしてくれ」


『今日はもうそのまま寝ていなさい。

 無理矢理やり起こして眠気でふらついた状態で勉強しても頭に入らないわ』


「……分かった」


 アキラはそれだけ言って睡魔に身を任せた。


 アルファが寝息をたてるアキラを見ながら考える。


 アルファはアキラが体感時間操作を覚えるまでに最短でも半年は必要だと計算していた。

 つまりアキラはアルファの計算を覆したことになる。


 このことはアルファにとって好都合なことなのか、それとも予測を超える事態が発生しているという意味で不都合なのか。

 アルファには判断がつかなかった。


 どちらにしろ計画に修正が必要だ。

 計画の調整案を思案するアルファの表情に笑みはなかった。




 クガマヤマ都市の下位区画に存在するスラム街には、老若男女様々な人間が暮らしている。

 彼らにも日々の生活があり、生活のために何らかの手段で金を稼ぐ必要がある。

 都市の近場の荒野で鉄屑てつくずを集めて業者に売る者。

 金はあるが何らかの理由でスラム街に住む人間から仕事を受ける者。

 まだ使えそうな物を拾い集めて露店で売る者など様々だ。


 その中には他者から奪うことを生業にする者もいる。

 スラム街に住む少女であるアルナもその一人だった。


 アルナには運良く天性のスリの才能が有り、運悪くその才にすがらなければ生きていけない日々を過ごしていた。

 彼女が送るつらい生活はアルナに自身の行動を正当化させ、彼女の才はスリを露見させることなく彼女に金を与え続けた。


 つらい生活がアルナに盗みを強いるたびにその技術が磨かれていく。

 既にその技術は一流と呼んで差し支えないほどまで成長していた。


 アルナの失敗は、獲物から盗んだ収穫品を知り合いに分け与えてしまったことだ。

 口が固い者ばかりではない。

 アルナの技術がある程度の人間に知れ渡ると、彼女が所属していた集団の人間からより多くの収穫品を求められるようになった。


 求められる金額は徐々に増えていき、やがては集団の人間全員を養えるほどの上がりを期待されるようになった。

 アルナはそこから逃げ出して以降は基本的に一人で行動するようになった。

 個人的に付き合いのある人間はいるが、どこかの徒党に所属するような真似まねは避けていた。


 しかしスラム街を少女一人で生きていくのは非常に大変だ。

 スラム街で金を得る手段は限られている。

 その金を守る手段はそれ以上に限られている。

 食料を、安全な寝床を、身を守る手段を得るために、アルナが自身の類いまれな才能に依存するようになるのは避けられないことだった。


 その日もアルナはいつものように獲物を探していた。

 アルナも通りを歩いている人に手当たり次第に手を出しているわけではない。

 所持金が多そうで盗む難易度の低い人物にあたりを付けてから手を出している。


 同じスラム街の住人の大半はろくに金を持っていない。

 そしてスラム街の住人で大金を持ち歩いている一部の例外は、確実に手を出してはいけないがわの人間だ。

 よってスリがスラム街の住人に手を出すことはごくまれだ。

 スラム街の住人がスリを不必要に敵視しない理由でもある。


 よってスラム街のスリが狙うのは、スラム街の外から来る人間である。

 真っ当な場所に店舗を構えられない類いの商売をしている店に来る客。

 荒事に自信が有り、荒野に出かける際にスラム街を迂回する必要の無い者。

 後ろ暗い理由でスラム街を訪れる者。

 ちょっとした好奇心で立ち入る者。

 スラム街に逃げてきた人間を追ってきた者。

 掘り出し物を求めて露店などを見て回る者。

 彼らはスラムの住人よりは金を持っているのだ。


 獲物を探していたアルナが一人のハンターに目を付けた。

 ハンターの質もいろいろだ。

 絶対に手を出してはいけない歴戦のハンターもいれば、僅かな報酬を酒代にぎ込み装備代も怪しいハンターもいる。

 荒事に慣れているのはどちらも同じだ。

 強盗がハンターを狙うことは少ない。

 確かに装備品等を奪って売れば金になるが、返り討ちになる可能性が高いからだ。


 しかしスリがハンターを狙うことは多い。

 銃などの装備品を狙えばそれを気付かれる可能性は高い。

 装備品はハンターの商売道具であり、それをなくせばモンスターと戦えなくなるからハンターもしっかり警戒しているからだ。

 そのためか、それ以外の所持品、例えば財布などへの警戒がおろそかになっているハンターがそれなりにいるのだ。


 アルナの目には、そのハンターはかもに見えた。

 着ている服はハンター向けの物だが、服には汚れなどなく一度も荒野に出た形跡がない。

 彼が装備している銃は真新しく、発砲した形跡すら見られない。

 彼の容姿は若く、表情からは歴戦のハンター特有のすごみや鋭さは感じられない。

 ハンターランク10のハンター証を申請するために、取りあえず最低限の装備品をそろえた若手のハンター。

 アルナはそう判断した。


(あいつにしよう。

 ハンターの登録を済ませた後にちょっと露店を見て回る気なら、結構持っているかもしれない。

 あいつが露店で散財する前に頂いてしまおう)


 アルナはいつものように偶然を装ってそのハンターに近づき、天性の才と熟練の技量で彼の財布を失敬した。

 アルナの腕は神業で、そのハンターは財布を奪われたことに全く気が付かなかった。


 その日、アルナの運は尽きた。




 アキラがシェリルの拠点に行くためにスラム街を歩いている。

 単純に顔を出すためであり、アキラの気晴らしも兼ねていた。


 シズカに頼んだ装備品一式はまだ届いていないため、アキラの装備に変わりはない。

 防護服ですらない真新しいハンター向けの服。

 買ってから一度も使用していないAAH突撃銃とA2D突撃銃。

 その装備で荒野でモンスターと交戦して装備品が多少薄汚れるまでは、ハンターの初心者と誤解されても仕方ない格好だ。


 そして技量の足りないハンターがスラム街を彷徨うろついた時には珍しくない被害をアキラも受けることになった。


『アキラ。

 財布をすられたわよ』


『えっ!?』


 アルファに指摘されたアキラがすぐにポケットの中に手を突っ込んで確認する。

 アルファの指摘通りポケットの中に確かに存在していたはずの財布はなくなっていた。


『しっかりしなさい。

 私が操作できる強化服をアキラが着ていたら、私が強化服を操作して盗まれるのを防ぐこともできるでしょうけれど、それまではアキラが何とかしないといけないのよ?』


 アルファがアキラに軽く注意した。

 それは軽い不注意をたしなめる程度の軽いものだ。

 盗まれた財布の中には10万オーラム程入っていた。

 大金ではあるが、最近のアキラの稼ぎから考えれば大げさに扱う金額でもない。

 アキラの気の緩みを直すための少々高めの授業料。

 アルファはその程度に考えていた。


 アルファの認識とアキラの認識は、致命的に異なるものだった。


 アキラが状況を認識し、理解し、整理する。

 それが終わると、その場に固まるように十数秒沈黙していたアキラが声を発する。


「……どいつだ?」


 暗く、静かなアキラの声には、明確な怒気が含まれていた。

 浮かべている能面手前の表情には、臨戦態勢の鋭さと敵対者への感情が表れていた。


『アルファ。

 財布を盗んだやつはどいつか分かるか?』


 不審に思われないようにアルファとの会話は念話で行う。

 それを思い出す程度には平静を取り戻したアキラがアルファに尋ねた。


 アルファは自身の想定を超えるアキラの怒気に少し驚いていた。

 同時にアルファはそれを学習し、アキラと言う人間に対する情報を随時修正していく。

 これでアルファはアキラのことをより深く理解したことになる。


 アルファがあっさり答える。


『分かるわ。

 あいつよ』


 アルファが指差すと同時にアキラの視界が拡張される。

 アルファのサポートでアキラの視界に遮蔽物の先、既に路地裏の奥に移動しているアルナの姿が表示される。

 それを見たアキラは勢いよく走り出した。




 アルナはアキラから盗んだ財布の中身を確認していた。


「……おっ!

 10万オーラムも入ってる!

 これだけあればしばらくは大丈夫。

 ついてたわ」


 想像以上の収穫にアルナは表情をほころばせる。

 しかしその笑顔もすぐに曇った。


「……しばらくは大丈夫。

 その後は……」


 アルナはその先の言葉を濁した。

 内容を口に出し、直視するのを嫌がった。

 それはその内容をアルナが正しく理解しているためでもある。


 スラム街から成り上がるのは大変だ。

 成り上がると言っても富豪を目指すわけではない。

 スラム街の住人が思い描く比較的真面まともな生活を送れるだけの金を得られればそれで良い。

 だがそれは十分に困難なことなのだ。


 真っ当な職を得るためには、相応の知識、教育が必要であり、その知識や教育を得るためには相応の伝と金が必要なのだ。

 スラム街に住む者の大半は、その知識を得るための金も、その金を得るための知識もないのだ。


 アルナは自身の将来の展望に希望を見いだせなかった。

 アルナも心のどこかで理解しているのだ。

 自分はいつか破滅する。

 スリで一生食べていくのは無理だ。

 このままスリを続けていれば、いつか見つかり、いつか捕まり、代償を支払う事になるだろう。


 その代償が、殴り飛ばされて路地裏に転がる程度で済むのか、犯されて道ばたに捨てられる程度で済むのか、あっさり殺されるのか、死んだ方がましな地獄を見る目に遭うのか、それは分からない。


 しかしだからと言ってスリを止めて生きていく術などアルナには分からない。

 そしてアルナには今まで生き延びられた程度には、頼ってしまう程度には高いスリの技術があるのだ。


 アルナは気持ちを切り替えるように首を横に振る。


「……止め止め。

 今ここで考えても仕方ない。

 金はあるんだし何か食べよう。

 空腹だと気が滅入めいるだけよ」


 アルナは馴染なじみの店にでも行こうと思い歩き出した。


 アルナの背後で大きな音がする。

 アルナが音の方へ振り返ると、そこにはアルナを追って細い路地を走ってきたアキラの姿があった。

 音は走ってきたアキラが勢いで路地の物を蹴飛ばした音だった。


 アキラとアルナの目が合った。

 数秒両者が硬直する。

 我に返ったアルナは全速力でアキラとは逆方向に掛けだした。


 アキラが財布を盗まれたことに気付いて追ってきたことはアルナにもすぐに分かった。


(何でバレたの!?

 盗まれたことに気付かれた様子なんか全くなかった!

 気付いたとしても私に盗まれたなんて分かるはずがないのに!

 しかもあれ!

 闇雲に私を探して偶然見つけたんじゃない!

 私がここにいるって知って追ってきてた!)


 アルナにとって、それだけでもアキラは十分得体の知れない相手だ。

 しかしアルナが必死になって逃げる理由はそれだけではない。

 アルナはアキラの表情を見た。


(殺す気だ!

 あれは絶対私を殺す気だ!)


 アキラから発せられる殺気を感じ取ったアルナは、死に物狂いで走り続けた。


 アルナが逃げ出すと同時にアキラの硬直も解ける。

 アキラがAAH突撃銃を構える。

 冷静さを欠いているアキラにアルファが念を押す。


『外すと無関係な人に当たるけど、良いの?』


 路地裏にいるのはアキラとアルナだけではない。

 込み入っているわけではないがそれなりに人はいる。

 大っぴらにできない商売の店もある。

 その店の客や用心棒もいる。

 好立地の縄張り争いに負けた者が隅で休んでいたりもする。


 アキラの射撃技術は当初に比べ格段に向上しているが、今はアルファの強化服の操作による命中補正もなく、まだ一度も撃っていない真新しい銃で、確実に命中させる自信はアキラにはなかった。


 アキラが躊躇ちゅうちょしている間に銃を構えたアキラに気付いた者達が騒ぎだし、慌ててアキラから離れようとする。

 更に闇雲に逃げようとする人間がアルナへの射線を塞いでしまう。


 無関係な人間を巻き込む気はアキラにもない。

 アキラは銃の使用を諦めてアルナを追って走り出した。


 逃げるアルナと追うアキラ。

 2人の距離はなかなか縮まらない。


 アキラがアルナに追いつけないのは、比較的小柄なアルナの方が狭い路地を走り抜けるのに適しているからだ。


 アルナがアキラをけないのは、アキラがアルファのサポートによりアルナの居場所を正確に把握しているからだ。


 アルナが分かれ道を何度も通ってアキラをこうとしても、アキラは正確にアルナを追ってくる。

 アルナの焦りはどんどんひどくなっていく。


(何で!?

 何でそんな正確に追ってこられるの!?

 ……まさか!?)


 財布に発信器が付いていて、その反応で追ってきているのかもしれない。

 それならばアキラが盗まれた財布を探してアルナを正確に追い続けることもできるだろう。

 そう考えたアルナは、アキラの財布をアキラの後方に向けて思いっきり投げた。


 アキラは自分の頭上を越えていく財布を見て、すぐに引き返して財布を拾う。


 アキラは財布を取り戻したことで大分冷静さを取り戻した。

 表情もある程度落ち着きを取り戻している。


 これで財布の中身がしっかり入っていれば、アキラは一度奪われた物をしっかり取り戻せたことになる。

 自分の金を知らない間に奪われるという、スラム街にいた頃のアキラなら絶対に阻止できたであろう失態を拭い去ったことになる。


 それならばアキラも、次は気を付けようと反省し、この事態をそれで終わらせることもできただろう。


 アキラが財布の中身を確認する。

 金は全て抜き取られていた。


 アキラの表情が非常に険しくなる。


「……アルファ」


『あっちよ。

 離れすぎると私にも居場所は分からなくなるわ。

 追うなら急ぎなさい』


「……了解」


 アキラは底冷えするような声でそう答え、再び走り出した。


 続行。

 事態は続く。

 再びアキラがアルナを追って路地を駆けていく。


 下位区画の裏路地を走り続けていたアルナは、息が限界となった時点で足を止めて大きく呼吸をして息を整えていた。

 アルナの視線は自分が走ってきた路地の奥に向けられたままだ。

 そこにアキラの姿はない。

 アルナがある程度呼吸を整え終えた後も、アキラの姿が現れることはなかった。


「や、やっとけた……?

 やっぱりあの財布に発信器でも付いてたの?

 まあ、逃げ切ったのなら何でもいいや」


 アルナは安堵あんどの笑みを浮かべる。

 だがその笑顔は一瞬で崩れ去る。

 通路の奥からアルナに向かって走ってきているアキラの姿を見たからだ。


「……うそ!?」


 アルナが慌てている間にもアキラはどんどん近付いてくる。

 アルナが再び走り出した時には、2人の距離はかなり短くなっていた。


 アルナは無我夢中で走る。

 恐怖に顔をゆがませ半泣きになりながら必死に走り続ける。

 その勢いのまま路地を飛び出し下位区画の大通りに出た時だった。

 前方などろくに確認せずに飛び出したアルナは、通りを歩いていた誰かにそのまま勢いよくぶつかった。


「おい!

 気を付けろ!」


 アルナがおびえながら自分がぶつかった相手を見る。

 若いハンターだ。

 彼の装備品を見る限りは、かなりの実力のハンターのように見えた。


 彼は少し怒っていたが、おびえるアルナの表情を見ると表情からぐに怒りの色を消し、心配そうにアルナに尋ねる。


「大丈夫か?」


 彼はおびえるアルナを安心させるように微笑ほほえんだ。

 容姿端麗な彼の微笑ほほえみを見て、アルナは状況を忘れて見れてしまった。

 アルナの表情から恐怖が薄れ、頬に僅かな朱色が浮かび、口から小さな感嘆の声が出る。


 アルナは路地の奥のアキラの気配を感じ取ってすぐに我に返った。

 通路の奥の恐怖と自分に微笑ほほえんでいる希望にアルナが視線を彷徨さまよわせる。


 アルナは賭に出た。

 アルナが彼に抱き付いて叫ぶ。


「助けてください!

 追われてるんです!」

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