リビルドワールド(句点改行版)

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第1話 アキラとアルファ

 少年が広大な都市の廃墟はいきょの中を険しい表情で進んでいる。

 辺りには半壊したビルが建ち並んでいる。

 地面にはそのビルから崩れ落ちた瓦礫がれきが散らばっている。

 人気ひとけは無い。

 少年の足音も、足下の小石を蹴った音も、周囲の静寂に飲まれて消えていく。


 汚れで変色しているただの服と、整備状態の怪しい拳銃。

 それがここを探索している少年の装備だ。

 それは少年の境遇から考えれば正しく、この場の危険性から考えれば著しく間違っている。

 ここが旧世界の遺跡と呼ばれる場所だからだ。


 故障による暴走で目標を無差別に襲う自律兵器。

 既に死に絶えた制作者の命令に従って今も外敵を排除し続けている警備機械。

 野生化した生物兵器の末裔まつえい

 過酷な環境で突然変異を繰り返している動植物。

 それらは生物や機械の区別無く、東部に住む人々からモンスターと呼ばれている。

 旧世界の遺跡はその危険なモンスター達の住みなのだ。


 少年もここが自分を殺すに足る非常に危険な場所だと知っている。

 表情の険しさがそれを示している。

 それでも自分の意思で、死の危険を覚悟して足を踏み入れたのは、その危険に見合うものがここにあるからだ。

 少なくとも、スラム街の子供という自身の安値の命よりははるかに高額なものが。

 少年はそれを求めてここに来た。


 少年の名は、アキラといった。


 アキラがめ息をいてつぶやく。


「……ろくな物がねえな。

 命懸けでここまで来たっていうのに。

 ……もっと奥まで行かないと駄目か?」


 顔を少し上げて遺跡の奥に視線を向ける。

 その先には無数の高層ビルが建ち並ぶ遠景が広がっている。

 かすむ遠景から軽く判断しただけでも、奥の建物ほど規模も巨大で外観の状態も良い。

 アキラの周りにある半壊した建物とは状態に雲泥の差があった。


(何とかしてあそこまで行けば、すごく高値の遺物が手に入る、か?)


 得られるかもしれない大金がアキラの欲を刺激する。

 僅かに悩み迷ったが、すぐに嫌そうに首を横に振り、自分に言い聞かせるように口に出す。


「いや、無理だ。

 流石さすがに死ぬ」


 廃墟はいきょと化している周囲と、立派な景観を維持している奥部。

 その差異はその状態を維持する環境の差だ。

 つまり、奥部では旧世界時代の高度な自動整備修復機能が現在でも稼働しているのだ。

 それはその周辺の警備機械などが、当時の驚異的な技術で製造された高い性能を維持したまま、現在でも稼働している可能性が極めて高いことを意味する。

 それらの警備機械の警備区域から、アキラのような子供が生還する可能性など皆無だ。


「この辺だって、俺には厳しいんだ。

 めろ。

 これ以上奥には行くな。

 ……よし」


 アキラは欲を振り払って周囲の探索を続けた。


 ここはクズスハラ街遺跡の外周部と呼ばれている場所だ。

 アキラが住むクガマヤマ都市から一番近い遺跡であり、また都市の経済圏内に存在する遺跡の中では最も大規模な遺跡でもある。


 この遺跡の外周部にいるモンスターは比較的弱いものばかりだ。

 アキラはその比較的安全な外周部を探索していた。


 なお比較的弱いとはしっかり武装した人間ならある程度対処可能という意味だ。

 同じく比較的安全とは遺跡の奥部よりは生還の可能性が高いという意味だ。

 アキラが問題なく生還できるという意味など欠片かけらも含まれていない。


 変異生物の牙も、敵性機械が放つ銃弾も、真面まともな防具すら着けていない者が食らえば即死か致命傷は確実だ。

 加えて対人用の拳銃程度では、至近距離どころか眼前まで近付いて撃ちでもしない限り真面まともな効果は見込めない。

 つまり、アキラの装備では勝ち目など無い。

 交戦すれば高確率で死ぬことになる。


 だが望む明日を買えるだけの金を手に入れる手段など他には存在しない。

 それを理解しているからこそ、アキラは自身の命を賭け金に乗せてまで、このクズスハラ街遺跡に足を踏み入れていた。


 その後もしばらく遺跡探索を続けたが、これといった成果は無かった。

 軽く項垂うなだれてめ息を吐く。

 下がった視線の先には白骨死体が転がっていた。


 既に似たような白骨死体を数回見付けている。

 その都度、所持品でも残っていないかと死体の周囲を探してみたのだが、金目の物は全く見付からなかった。


(……この先客も所持品は無しか)


 既に誰かが持ち去った。

 あるいは自分と同程度に無謀な者が、ろくに装備もそろえずにここに来て、その無謀に相応ふさわしい末路を迎えただけ。

 アキラはそう思って少し憂鬱になっていた。


(……このままだと日が暮れる。

 夜になったら遺跡探索は無理だ。

 照明なんか持ってない。

 それにモンスターに襲われる確率も高くなる。

 ……危険な遺跡から生還した。

 その経験が最大の収穫だ……ってことにして、今日はもう帰るか?

 下手に意地を張って残れば、この白骨死体の仲間入りだ)


 アキラはこのまま帰る言い訳を考え始めていた。

 命賭けでここまで来たこともあり、成果無しで帰るためには、それなりの言い訳が必要だった。


項垂うなだれていても仕方無い。

 もう少し探して、それでも何も無かったら帰ろう)


 成果無しでの帰還は、ここに来るだけでも命賭けのアキラにとって、死なずにここまで辿たどり着けたという最低限の成果すら無駄にする行為だ。

 その未練混じりの妥協案に従って、アキラはもう少しだけ探索を続けようと、項垂うなだれていた顔を上げた。


 そのアキラの動きが止まる。

 視線を戻した先に、誰もいなかったはずの場所に、いつの間にか女性がたたずんでいた。


 彼女を見た瞬間、アキラは衝撃で硬直した。


 その女性は全身に幻想的で非現実的な美しさを備えていた。

 更に端麗な容姿と美麗な肢体を余す所無く周囲にさらしていた。

 つまり全裸だった。


 その肌はスラム街の住人のものとは雲泥の差があるほどに美しく、そのきめ細やかな肌の光沢は、都市の上位区画に住む女性達が財と執念と旧世界の技術をもって磨き上げた輝きを超えていた。

 肢体の美しさは芸術的ですらあり、腰まで伸びた僅かな劣化も見られない髪が見事な艶を放っている。

 老若男女問わず見れるであろう顔立ちに浮かぶりんとした表情が、そのたたずまいを際立たせていた。


 魂を奪われる。

 そう表現できるほどにアキラは彼女に見れていた。

 彼女の飛び抜けた美しさは、アキラのさほど長くない人生の中で見た全ての女性と比べても、比較対象に想像さえ含めても、比類無きものだった。

 アキラの中にある美人の基準を一目で大幅に書き換えていた。


 彼女は何をする訳でもなくたたずんでいた。

 アキラに気付いている様子もない。

 そしてしばらくすると、何げない動作でアキラの方に顔を向けた。


 アキラと彼女の目が合う。

 彼女はアキラにその裸体を余す所無く見られているのにもかかわらず、微笑ほほえみながらアキラをじっと見詰めている。

 その視線と微笑ほほえみに、まだほうけていたアキラが僅かに反応を示した。


 アキラは確かに自分を認識している。

 彼女はそう判断すると、非常にうれしそうに笑った。

 そして、一歩アキラに近付いた。


 見知らぬ誰かが自分に近付こうとしている。

 その認識がアキラに僅かな警戒心を抱かせた。

 その瞬間、アキラは一気に状況を理解し直した。

 ほうけていた表情を激変させると、おびえすら感じられる非常に険しい表情で彼女に銃を向け、叫ぶように制止する。


「動くな!」


 彼女は異常の塊だった。


 旧世界の遺跡は危険なモンスターの住みだ。

 訓練を積んだ武装集団ですら死にかねない場所だ。

 彼女はそのような場所に1人で武器も持たずに隠れもせずに立っている。

 辺りを警戒する素振りすらない。

 衣服を何一つ身に着けておらず、裸体を隠そうとする素振りさえ見せない。

 ビル風が砂やほこりを巻き上げているのに、髪にも体にも僅かな汚れすら付いていない。


 アキラは素人なりに必死に周囲を警戒していた。

 他の者やモンスターとの遭遇を避けようと、僅かな音にも過敏に反応していた。

 だが自身を隠そうともしない彼女の存在に全く気付けなかった。


 そして、見知らぬ誰かから銃を突き付けられているのに、その者は震えで誤って引き金を引いても不思議のない状態だと一目で分かるのにもかかわらずに、彼女は全く動揺せず、一切警戒せず、危機感の欠片かけらも感じさせない態度でアキラに近付いてくる。


 既にアキラは彼女に対する認識を、極めて美人な女性から、極めて得体の知れない未知の何かに切り替えていた。

 微笑ほほえみながら近付いてくる彼女に向かって、再び叫ぶように警告する。


「う、動くなって言っているだろう!

 それ以上近付くな!

 撃つぞ!

 本気だぞ!」


 普段のアキラなら警告などせずに既に撃っている。

 相手が丸腰だと一目で分かること。

 彼女の表情から敵意を感じられないこと。

 訳の分からない状況で混乱していること。

 それらがアキラの指を鈍らせていた。


 しかしそれにも限度がある。

 警告を無視して近付いてくる相手に引き金を引こうとする。

 その瞬間、彼女の姿がアキラの視界から忽然こつぜんと消えせた。

 アキラはまばたきすらしていなかった。

 だが彼女がどこかに素早く移動したような過程は全く見えなかった。

 一切の前触れなく、一瞬で、完全に姿を消していた。


 アキラの顔が驚愕きょうがくで激しくゆがむ。

 混乱しながら周囲を見渡すが、彼女の姿はどこにも見えない。


『大丈夫。

 危害を加える気は無いわ』


 自分の真横から、誰もいないはずの場所から、アキラは彼女の声を聞いた。

 反射的に声の方へ顔を向けると、すぐ横、手を伸ばせば届く至近距離に彼女がいた。

 いつの間にか服を着て、目線を合わせるために中腰の体勢で、微笑ほほえみながらアキラを至近距離からじっと見ていた。


 この異常な状況は既にアキラの未知への対応力を超えていた。

 超過した精神負荷がそのまま得体の知れない恐怖に変換され、アキラの精神をむしばみ始める。


 アキラはその恐怖に歯を食い縛って耐えていた。

 半狂乱になって慌てふためくのを何とか防いでいた。

 正気を失った者から死ぬ。

 スラム街で生き延びた経験がアキラの意識を支えていた。


 アキラが必死に急いで再び銃を彼女に突き付けようとする。

 銃を握ったまま腕を彼女の方へ伸ばして銃口を押し当てようとする。


 本来その動作は出来ないはずだった。

 彼女との距離が近すぎる所為せいで、腕を伸ばすと彼女にぶつかるからだ。

 しかし、それは出来てしまった。

 アキラがその動作を終えた時、アキラの両手は彼女の胸に手首までり込んでいた。


 両手からそこに何かあるという感触は一切伝わってこない。

 視覚を信じる限りは彼女は確かにそこに存在するはずなのに、両手の触覚はそこには何も無いとアキラに示唆し続けていた。


 余りの出来事にアキラは銃を構えた体勢のまま思考を停止した。

 両手は彼女の胸にり込んだままだ。


 しばらく彼女はアキラの反応を取り戻そうとして、目の前で手を振ったり声を掛けたりといろいろ試していた。

 だがアキラはそのままほうけ続けていた。




 かつて世界を席巻せっけんしていた高度な文明が滅び、半壊した都市の跡、原型を失いつつある建造物、壊れて動かなくなった道具などから、かつての英知と栄華を想像するのが困難になるほどの長い年月が流れた。


 雨粒さえも改造され作り替えられた世界で降る雨は、その膨大な年月の中で、地平の果てまで続く廃墟はいきょを崩壊させ続けながら、天まで届く木々を育て続けながら、地上に住む者達の命を支え続けていた。


 今では旧世界と呼ばれる過去の文明は、その高度な技術で多くの遺物を作成した。

 材質不明の瓦礫がれきの山。

 半分崩壊したまま宙に浮かぶ高層ビル群。

 服用するだけで四肢の欠損すら治療する薬。

 そして、人を殺すには余りにも過剰な威力の兵器群。

 人々は旧世界の遺物と呼ばれる英知と栄華の欠片かけらき集め、長い時を掛けて人類社会を再構築した。


 万能な魔術と見間違うほどの高度な科学力を誇った文明さえ滅ぼした崩壊ですら、その担い手である人類を滅ぼすことは出来なかったのだ。




 人類の生存圏の東部と呼ばれる地域には、統治企業と呼ばれる組織が管理運営する企業都市が無数に存在する。

 クガマヤマ都市もその一つだ。


 クガマヤマ都市はその一部を巨大な防壁で囲っている。

 壁の内側も外側もどちらも同じクガマヤマ都市なのだが、そこには明確な格差が存在していた。


 防壁の内側には、企業の幹部などの富裕層や権力者達が住む上位区画と、比較的裕福な一般人が住む中位区画が存在している。

 外側は下位区画であり、主に経済的な事情で防壁の内側に住めない者達が住んでいる。

 都市の外である荒野と呼ばれる危険地帯に近い部分には、スラム街も広がっていた。


 アキラはスラム街に幾らでもいる子供達の一人だ。

 つまり、サイボーグのような機械的強化処置も無く、生体改造のような生物的強化処理も受けておらず、ナノマシン等による身体能力の強化も無い、身体的にごく普通の子供だ。

 専門性の高い技術も保持しておらず、学校教育等による教養も無く、親もおらず、他の保護者も無く、金も無く、食事も足らず、いつ死んでも不思議は無く、死んでも誰も気にもめない、そんなスラム街のありふれた子供の一人だ。


 荒野を住みにしているモンスター達は時折都市を襲撃する。

 真っ先に襲われるのは荒野と接しているスラム街であり、その住人達だ。


 アキラはモンスターの襲撃を3度生き延びた。

 1度目と2度目の襲撃は、ただひたすら走って逃げ回り、物陰に隠れて生き延びた。

 名も知らぬ誰かが時間を稼いでくれたおかげで、アキラの代わりに襲われ、食われ、殺されてくれたおかげで、辛うじて逃げ延びた。


 契機は3度目の襲撃だった。

 その時アキラは犬に似た小型モンスターから逃げ切れず、偶然持っていた拳銃だけで殺し合う羽目に陥った。


 真面まともな訓練も受けていないほぼ素人の腕前で、モンスターの頭部に3発も命中させたのは、奇跡的な確率の幸運だった。

 だがそれでも、それだけでアキラが生き延びるには幸運が足りなかった。

 モンスターはその程度では死なず、血まみれの顔でアキラに駆け寄り、獲物を食い殺そうと大口を開けた。


 モンスターの異様に大きな口が自分の腕を食い千切る前に、アキラは反射的に自身の拳銃をその口に腕ごと肘まで突っ込んで引き金を引いた。

 銃弾はモンスターの口から頭蓋骨を下から通って脳に達し、その頭部を内部から破壊して絶命させた。


 完全に絶命するまでの僅かな時間に強くまれた所為せいで、モンスターの歯が腕にかなり食い込んでいた。

 だがそれでもアキラは何とか腕と命を失わずに済んだ。


 3度目の襲撃を生き残った後、アキラはハンターになって成り上がると覚悟を決めた。

 ハンター稼業の危険性を一応知ってはいたが、自力でモンスターを倒せたことで、自信を、希望を持ってしまったのだ。


 この世界にはハンターと呼ばれる人々がいる。

 金と名誉を荒野に求める者達だ。

 荒野は都市の外であり、モンスターがうごめく危険地帯だ。

 安い銃が無駄に出回っている非常に治安の悪いスラム街でさえ、荒野と比べればはるかに安全。

 そう思えるほどに危険な場所だ。


 しかし同時に莫大ばくだいな金と力をもたらす場所でもある。

 荒野には旧世界の遺跡が、旧世界の遺物が存在しているからだ。


 人々を襲うモンスターは、現存する旧世界の遺物でもある。

 生物系モンスターは高度な生体技術の実物例であり、機械系モンスターは貴重な機械部品の宝庫だ。

 都市に持ち帰れば相応の金になるのだ。


 更に遺跡から極めて貴重な遺物を持ち帰れば、都市すら買える大金が手に入ることもある。

 現在でも稼働し続けている旧世界の遺跡、特に軍事施設等を掌握して完全に制御できれば、国を興すことすら可能だ。


 有能なハンターは持っている力も金も桁違いだ。

 危険な遺跡から貴重な遺物を持ち帰るほどに金と力を増していき、より危険で稼げる遺跡に向かう。

 その繰り返しの果てに、異常なまでに高性能な旧世界製の装備で武装し、旧世界の技術を取り入れた高度な兵器を保持するほどに成り上がったハンターは、時に都市すら超える権力と戦力を持つ個人に成り得ることさえある。


 アキラは確かに自力でモンスターを倒した。

 だがそれはモンスターだらけの荒野から生還できる確率がゼロではなくなったという程度の意味でしかない。


 しかしそれでも賭けに出るには十分だった。

 スラム街で現在の生活を続けていれば、いずれは死ぬのだ。

 そこからい上がるためには、賭けに出るしかないのだ。


 その日、アキラはハンターを目指して立ち上がった。

 今日よりましな明日を目指して。




 アキラは得体の知れない美女の前でほうけ続けていた。

 彼女はアキラが平静を取り戻すのを微笑ほほえみながら待っていた。


 そのまましばらく時間が流れた。

 アキラの理解を超える状況はいまだ継続中だ。

 しかし自身を害するような出来事は何も起こっていないので、アキラは少しずつ落ち着きを取り戻し始めていた。

 そしてある程度まで混乱が治まった辺りで、目の焦点が虚空から眼前の彼女の顔に戻った。


 彼女はそれに気付くと、アキラに改めて微笑ほほえんだ。


『大丈夫?

 ちゃんと私のことが見える?

 私の声も聞こえている?

 ここはどこ?

 貴方あなたは誰?』


 受け答えが出来る程度には冷静さと平静を取り戻したアキラが怪訝けげんな表情で問いに答える。


「……見えてるし、聞こえてるし、ここはクズスハラ街遺跡で、俺はアキラだ」


 彼女がとてもうれしそうに笑う。


『良かった。

 私はアルファよ。

 よろしくね』


 取りあえず自分を害するつもりはないようだ。

 得体の知れない存在であることに変わりはないが、敵意が無いのなら過剰に警戒する必要もない。

 今は遺跡の中にいるのだ。

 余分な警戒心はモンスターなどの直接的な敵への警戒に振り分けた方が良い。

 アキラはそう判断してアルファに対する警戒心を下げた。


「……それで、アルファさんは、幽霊じゃ……ないんだよな?

 触れないけど」


『そうよ。

 証明しろって言われても困るけれど。

 理解してもらえないことや、ある程度の語弊を前提に説明すると、貴方あなたが見ている私は拡張現実の一種なの。

 脳が視覚と聴覚を処理する過程に外部から追加の情報を送り込むことで、私がそこにいるように認識させているの。

 貴方あなたの脳には特異な形式の情報に対応した無線の送受信機能があって、私が発信している情報を取得可能なのよ。

 それが生まれ付きのものなのか、何らかの変異によって生成されたものなのかは不明ね。

 私も貴方あなたの声を、声帯から発生している声で聞いている訳ではないの。

 脳の声帯に対する指示情報がその有機無線機能から送信されていて、それを解析しているの。

 視覚情報も送信されているわ。

 貴方あなたが私を視認できているかどうかも、そこから判断しているのよ』


 アキラはアルファの説明を全く理解できなかった。

 それはその表情からアルファに正しく伝わった。

 アルファが要点をまとめて説明する。


『私の姿は貴方あなたにしか見えない。

 私の声も貴方あなたにしか聞こえない。

 だから気を付けないと貴方あなたは虚空に向かって話しかける変な人だと思われる。

 取りえず、それだけ分かっていれば良いわ。

 あと、私のことはアルファでいいわよ。

 私もアキラって呼ぶわね』


 アルファは説明の最中もアキラに微笑ほほえんでいた。

 その微笑ほほえみにはスラム街に住む薄汚い子供に対する侮蔑も警戒も哀れみも全く無い。

 それがアルファに対する評価を上昇させていたことに、させられていたことに、アキラは気付いていなかった。


「……分かった。

 それで、アルファはこんな場所で何をやってるんだ?」


『人を探していたのよ。

 私を知覚できる人をね。

 ちょっとした頼み事があるのだけれど、そもそも私と会話が出来る人でないと、話すら聞いてもらえないからね。

 一番良いのはその人がハンターであることよ。

 私からの頼み事を、依頼を引き受けてくれる可能性が高いからね。

 まあ、そこまで都合良くはいかなかったわね』


 アルファは少し残念そうに笑った。


 アキラが少し迷った後で、少し躊躇ためらいながら口に出す。


「えっと、俺は一応ハンターなんだけど……」


 アルファが少し驚いた様子を見せる。


『え?

 アキラはハンターだったの?

 そのとしで?

 ハンター歴はどれぐらいなの?』


「い、いち」


『1年?』


「……1日。

 今日、ハンターに成りました……」


 アキラとアルファが微妙な表情を浮かべる。

 2人の間に微妙な沈黙が流れていく。


「……いや、何でもない。

 忘れてくれ」


 アキラは既にハンターとして生きていく覚悟を決めていた。

 だから自分がハンターであることを隠すような真似まねはしたくなかった。

 しかしハンターとしての実力もないのに、他者にハンターだと名乗るのは良くなかったかもしれない。

 そう思い直して自身の発言を取り消した。


 しかしアルファは意欲的に話を続ける。


『そう言わずに話ぐらい聞いてもらえないかしら。

 これも何かの縁。

 折角せっかく出会えたわけだしね』


 真面まともなハンターを名乗れる実力などアキラには無い。

 それはアルファも分かっている。

 しかし他にアルファを認識できる人間はいないのも事実だ。

 更に現時点でアキラの実力が極めて未熟であることは、長期的に見ればアルファにとってマイナスの判断材料ではなかった。


『依頼内容は、私が指定する遺跡を極秘に攻略すること。

 報酬として私がアキラをいろいろサポートしてあげるわ。

 これは前払分よ。

 更に成功報酬として、遺跡の攻略後に貴重な旧世界の遺物を進呈するわ』


 予想外の内容にアキラが思わず声を大きくする。


「旧世界の遺物って、……本当か!?」


 アルファはアキラの反応に内心でほくそ笑みながら、外では自信を感じさせる好意的な笑顔を浮かべる。


『本当よ。

 はっきり言って、こんな美味おいしい依頼を受けられるなんて、アキラは残りの人生の幸運をたった今使い切ったわ。

 だからこの依頼を受けないと大変よ?

 もう幸運なんて残っていないから、私のサポートで補っておかないと生きていけないわ。

 多分ね』


 アキラの中のひねくれた部分が、アルファの発言を疑えと指示を出している。

 しかしアキラにはアルファが自分をだまそうとしているようには見えなかった。


(……第一、俺みたいなガキをだまして何の意味があるんだ?

 俺に金なんか無いことぐらい見れば分かるだろう。

 それとも俺を揶揄からかっているだけか?

 それに仮に本当だとしても、こんな得体の知れない相手からの依頼なんて引き受けても良いのか?)


 そう疑った後で、アキラは自分にとって当たり前のことに気付いて、考えを改めた。

 得体の知れない相手だからこそ、何らかの裏や事情があるからこそ、自分に依頼を持ちかけているのだ。

 普通の人間は自分など相手にするはずがないのだ。

 ならばチャンスは生かすべきだ。

 アキラは覚悟を決めた。


「分かった。

 どこまで出来るか分からないけど、俺はその依頼を受ける」


 アキラは自分でも驚くほどに強い覚悟を込めて、ハンターとして、初めての依頼の承諾を告げた。


 アルファがとてもうれしそうな表情を浮かべる。


『契約成立ね。

 では、早速前払分のサポートを始めるわ』


 そして、話の間も微笑ほほえみを絶やさずにいたアルファが、その表情を極めて真剣なものに変える。


『死にたくなかったら、10秒以内に右のビルの中に飛び込みなさい』


「何で急にそんなことを……」


 アキラは怪訝けげんな表情でその理由を尋ねようとした。

 だがアルファの有無を言わせない真剣な表情から、真実と不吉を感じ取って言葉を止めた。

 うそではないのなら、この場にとどまれば、死ぬ。

 それを理解した瞬間、即座に全力で右のビルに向かって走り出した。


 アキラがビルの中に飛び込んだ瞬間、背後から爆発音が響いた。

 爆煙混じりの爆風が体の横を駆け抜けていく。

 驚いて爆発音の方向へ振り向くと、つい先ほどまでいた場所が砲弾等による攻撃で半壊していた。

 固い地面に亀裂が走っており、その周囲が焼け焦げていた。

 後数秒あの場にとどまっていれば確実に死んでいた。

 それを理解させるのに十分な光景だった。


 アキラは突然の出来事に恐怖よりも先に呆気あっけに取られていたが、アルファが何の前触れもなく目の前に現れたのを契機に我に返った。


「い、今のは……」


 アルファは先ほどと同じ真剣な表情で階段を指差している。


『8秒以内に階段を駆け上って』


 アキラが必死の形相で階段に向かい急いで駆け上がる。

 背後から再び爆発音が響く。

 爆風が階段を通ってアキラを追い越していく。

 階段を必死に駆け上がっていると、先回りしていたアルファが踊り場で上を指差していた。


『5秒以内に上階へ……』


 アキラは悲鳴を上げている肺と両脚の抗議を無視して、全力で階段を駆け上がり続けた。




 アキラはアルファの指示通りに走り続け、息も絶え絶えの状態でビルの屋上に辿たどり着いた。

 そして屋上の端で手招きしているアルファの姿を見て、息を整える暇もなくそこまで走っていく。

 アルファの微笑ほほえみにも手招きの動作にも緊急性を感じられなかったので、ゆっくり走っていく。


 アルファは屋上の端で下を指差していた。

 ビルから飛び降りろとでも言うのか。

 アキラがそう思った時、アルファが微笑ほほえんで指示を出す。


『ゆっくり下を見て。

 少しずつ、静かにね』


 アキラが指示通りに屋上から少しだけ身を乗り出して下を見る。

 そして顔をしかめた。

 先ほどアキラを襲ったモンスター達が何かを探すように地上を彷徨うろついていた。


 モンスター達の体長は2メートルほどで犬に似た外見をしている。

 それだけならば強靱きょうじんな肉体を持つ大型犬なのだが、その犬の背中からは小型の機銃が生えていた。

 更には複数のロケット弾らしき物が生えている個体や、小型のミサイルポッドを背負っている個体なども見えた。

 様々な火器を体から生やした犬の群れが外敵を探して周囲を徘徊はいかいしていた。


 このモンスター達を殺して武装を持ち帰ればそれなりの金額になる。

 だがアキラにはその実力も手段も無い。

 それらを見て金になるとは考えられない駆け出し未満のハンターは、先ほど自分を殺しかけたモンスターを見て険しい表情を浮かべていた。


「な、何だあれは……」


 アルファが悠長にモンスターについて解説する。


『あれはウェポンドッグよ。

 元々は都市部の警備を行うための人造生物で、体から銃火器とかが生えているけれど機械ではなくて生物側よ。

 多分街の警備のために生成された個体で、この辺りの警備を受け持っていたのでしょうね。

 個体差もあるけれど、成長するに従って背中から生える火器が強力になるのよ。

 あのミサイルポッド付きの個体が群れのリーダーかしら』


 聞いて損のない内容だが、アキラは別にモンスター達の解説を求めた訳ではなかった。

 あのつぶやきは急にモンスターに襲われた不運を嘆いただけだ。

 それでも聞いてしまえばいろいろ疑問も湧いてくる。


「何で生物から銃火器が生えるんだよ。

 おかしいだろう」


 アキラの素朴な疑問に、アルファがちょっとした豆知識を教える感覚で答える。


『生体部分がナノマシンの保持保有機能を兼ねていて、金属等の原材料を経口摂取して、材料に応じた火器を背中に生成するのよ。

 恐らく既に当初の設計とは大分かけ離れた存在に変異しているわ。

 現状に応じて独自に仕様変更でもしたのでしょうね』


 専門家が聞けば驚愕きょうがくするであろう貴重な知識を聞いているのだが、アキラにはその価値も内容も分からなかった。

 辛うじて理解できたことは、生物から銃器が生えるという不可解なことにも、一応説明可能な原理が存在するということだけだ。


 アルファの表情は襲撃時の真剣なものから余裕を持った微笑ほほえみに戻っている。

 アキラはそのアルファの様子から恐らく今は安全なのだろうと判断して緊張を解いた。

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