第280話 端金脱却

 潜伏場所を荒野からクガマヤマ都市のスラム街にあるシェリル達の拠点に移したアキラは、広い浴槽での入浴を十分に堪能していた。


 昼間の激戦もあり精神的にも肉体的にも疲れている。気を緩めてしまえば意識は温かな湯にどんどん溶け出していく。その所為でアキラは僅かに体勢を崩した。視覚的にだが一緒に入浴しているアルファから注意される。


『アキラ。そのまま寝ると溺れるわよ』


『おっと……』


 アキラが体勢を直す。だが眠気まで消える訳ではなく、うつらうつらしていた。


 すると今度は物理的に一緒に入浴しているキャロルに声を掛けられる。


「アキラ。私が支えるから、眠いのなら寝ても良いわよ」


 ぼんやりとした顔を向けたアキラへ、キャロルが笑い掛ける。


「アキラに余裕が無い時は、私がちゃんと手伝うし助けるって言ったでしょう?」


「そうだった……。じゃあ……、頼んだ……」


 アキラは緩んだ意識で、まあ良いか、と軽く考えてそう答えた。それで意識が更に緩んでしまいまぶたが下がり始める。眠気に屈した意識が体を支えるのを放棄して、体をキャロルの方へ寄り掛からせようとする。


 キャロルはそのアキラを軽く抱えると、されるがままになっているアキラを自分の前に移動させて、後ろから抱き抱えた。異性を誘う豊満な胸を枕代わりにしてアキラが半ば眠りに就き、目を閉じる。キャロルはそのアキラの様子を機嫌の良さそうな笑顔で見ていた。


 シェリルがそのキャロル達の様子をじっと見る。


「随分、仲が良いんですね」


「ん? まあアキラとは荒野で命を預け合った仲だし、これぐらいはね」


「そうですか……」


 シェリルの顔が僅かに曇る。それはシェリルには出来ないことだからだ。覚悟を決めて命懸けで一緒に荒野を出ても、ハンターとしては素人未満のシェリルでは足手まといにしかならない。だからこそ、戦闘以外の何かでアキラに借りを返そうと、支えようと、役に立とうと頑張っているのだ。


 だが、それではやはり一緒に死地を駆けた仲には及ばないと、届かないと、シェリルは無意識にめ息を吐いた。


「……キャロルさんも疲れているでしょう。代わりますよ?」


「大丈夫よ。これでも身体強化拡張者なの。問題無いわ」


「そうですか……」


 ほとんど寝ているアキラのそばで、これからもアキラのそばにいることを望む者達が、浮かべる笑顔をその期待度に応じて輝かせ、曇らせていた。


 その後、入浴を終えたアキラはシェリルの勧めでシェリルの自室のベッドを借りることになった。キャロルは楽しげに笑うだけで、横槍よこやりは入れなかった。




 パメラはヒガラカにあるリオンズテイル社の施設から、都市の防壁内にいるクロエに連絡を取り状況の説明を済ませた。


 報告を受けたクロエは平然とした様子を見せていた。しかし施設の表示装置に映るその顔に微笑ほほえみは無い。


「……、そう。ラティス、死んだの」


「はい。ですが、まだ動きますので、今は私が動かしております」


 パメラの後ろには簡易処置を済ませたラティスの死体が立っている。もっとも表情までは操作していないので、その顔はピクリともしておらず、焦点も合っていない。死体を生体部品として使用した遠隔操作端末となっていた。


「クロエ様。任務の続行にあたり、第9格納庫の使用許可を御願い致します」


 クロエが少し怪訝けげんな顔を浮かべる。


「その使用許可を出す権限は、私には無いのだけれど?」


「存じております。ですので、クロエ様からベラトラム支店長に許可を取って頂ければと」


「……何する気?」


勿論もちろん、アキラとレイナ達の処理で御座います。残念ですが、500億オーラム程度の賞金に釣られるハンター達ではアキラを殺すのは困難かと。賞金の増額という手もございますが、それならばもうこちらで殺した方が良いでしょう。四区の介入も確認したのです。そちらの対処も含むとすれば、ベラトラム様からの御理解も得られるかと」


「パメラにレイナ達の処理は頼んでいないのだけれど? それに支店間抗争であれば支店長が動くわ。レイナ達の処理はその時で良いと思うけど?」


「あの場で襲撃してきた時点で、彼女達はアキラと組んでいるのでしょう。四区支店長であるフリップ様がアキラと接触したという情報もあります。ベラトラム様もすぐに動くはずです。レイナ達もまとめて相手をするのが良いかと」


 クロエが僅かに顔をしかめる。いろいろ説明するパメラの態度は、既に主への提案や選択肢の提示ではなく選択の押し付けになっていた。決断は主の領分。従者の領分ではない。表示装置越しに厳しい視線を送ってパメラを威圧する。リオンズテイル社の創業者一族として、他者を従えるがわである人間が放つ特有の覇気がパメラに襲い掛かる。


 だがパメラは引かなかった。内心がにじんだ目で表示装置越しにクロエを見詰め返す。


 クロエは軽くめ息を吐き、気配を緩めて笑った。


「……分かった。支店長には私から頼んでおくわ。それじゃあ、今日はもう遅いし、これで切るわね。パメラ。ゆっくり休んで、次の機会に備えなさい」


「有り難う御座います」


 深々と頭を下げたパメラは通信が切れて表示装置からクロエの姿が消えると、ラティスのそばに行き、本人でもあり形見でもある遠隔操作端末に笑いかけた。


「ラティス。これからも一緒に頑張りましょうね」


 そのどこか楽しげな笑顔には、内心の狂気がにじみ出ていた。




 パメラとの通信を切ったクロエがめ息を吐き、天井を見上げる。


「ラティス……。死んだのね……」


 クロエもまだまだ子供と呼んで差し支えの無い年頃の少女だ。長年自らに仕え、支えてくれた異性に淡いおもいを抱いていた。


 リオンズテイル社の創業者一族としてそれを表に出すことは無かったが、そのおもいが消える訳ではない。いつか自分が十分な権力を得て、恋人をさらわれて脅されるなど、おもい人がいることが致命傷な弱みになることもなく、その手の問題を些事さじとすることが可能になれば伝えよう。ずっとそう思っていた。


 だが、その機会は永遠に失われた。


 自然に流れた涙が頬を伝う。クロエはその涙を指で拭い、はじいた。


 おもい人の死は悲しい。だがその悲しみで自らを揺るがすことはない。ローレンスの名を持つ者として、それは許されない。そう育てられ、そう決めていた。泣き叫ぶことでしか悲しみを表せないなど、ただの未熟でしかない。一筋の涙を流し、それを拭い、これで十分にかなしんだと、ラティスの死を受け入れた。


 そして今度は険しい顔で大きなめ息を吐く。


「……それにしても、ここで従者を二人同時に失ったのはきついわ」


 クロエはパメラが既に復讐ふくしゅう者と化していることに気付いていた。クロエも復讐ふくしゅう自体は構わないと思っている。だがそれで主と社への忠誠を軽んじるのであれば別だ。主の意志より己の復讐ふくしゅうを優先する者など従者としては使えない。


 ラティスはその死により、パメラはその精神の変質により、クロエは自身の側近としていた従者を二人とも失った。


「二人には外に出られない私の代わりを頼んでいたのに。何か手を考えないとね……」


 もうパメラは自分の従者ではない。ではどう利用するべきかと、クロエは既に切り捨てた者の扱いを考え始めた。




 シェリルの拠点に泊まった翌朝、アキラがシェリルの自室で目を覚ます。ベッドで身を起こそうとして動きにくさを感じると、シェリルに抱き付かれていた。起こさないように引き剥がし、ベッドから降りる。


 そこでアルファに笑って声を掛けられる。


『アキラ。おはよう。良く眠れた?』


『アルファ。おはよう。ああ、良く眠れた。キャロルのキャンピングカーに不満がある訳じゃないんだけど、やっぱりちゃんとした場所で寝ないと駄目だな』


 アキラが軽くそう答えると、アルファは苦笑を浮かべた。


『そんな返事をするってことは、本当に大丈夫そうね』


『どういう意味だ?』


『荒野に隠れていた時とは違って、アキラの居場所はもう完全に露見しているのよ? 寝ている間に襲われたらどうしようとか、不安に思わなかったの?』


『おお、確かに』


 アキラは指摘に納得して軽くうなずいてから、笑って返す。


『……まあ、大丈夫だろう。何かあったらアルファがたたき起こしてくれるんだろう? 急いで強化服を着る時間ぐらいはあるさ。……だよな?』


勿論もちろんよ。任せなさい』


 自信たっぷりに笑うアルファの態度を見て、アキラも満足そうに笑った。


 そこでシェリルが目を覚ます。そして身を起こすと、不思議そうに周囲を見渡した。


「……アキラ。おはよう御座います。誰かと話してました?」


「いや、俺一人だ」


「……? そうですか」


 アキラの余りに自然な返事に、シェリルは気の所為だったかと思い、それでもう気にしなかった。


 アキラが表情を変えずに安堵あんどする。


『……危なかった。随分気が緩んでたな』


『まあ、それだけ気を緩めてしまうほどしっかり休めたと思っておきましょう』


 揶揄からかうように楽しげに笑うアルファを見て、アキラは苦笑を浮かべながら気を引き締めた。




 人の気配の消えたスラム街をカツラギの大型トレーラーが進んでいく。その助手席でダリスがカツラギに迷いのにじんだ険しい顔を向けていた。


「なあカツラギ……。本当に大丈夫か? 流石さすがに危ない橋を渡りすぎじゃねえか?」


 カツラギも同じぐらい険しい顔を浮かべている。だが既に自身で決断した分だけ、迷いは少ない。


「分かってる。だが上手うまくいけば利益もデカい。これはチャンスだ。分かるだろ?」


「それは分かるけどさ……、下手をすれば、俺達も一緒に狩られる羽目になるんだぞ?」


 相棒の不安を吹き飛ばすように、そして自身の弱気も一緒に吹き飛ばすように、カツラギが豪快に笑う。


「大丈夫だって! 最前線に死ぬ気で仕入れに行った時に比べれば、大したことじゃねえよ!」


「そうか? 危険度はあの時と似たり寄ったりだと思うけどな。それにあの時、俺達は危うく死ぬところだったじゃねえか。アキラに偶然会ってなければ死んでたぞ?」


「それでも生き残ったことに違いはねえ! それにある意味でアキラはあの群れをAAH突撃銃1ちょうだけで抑えたようなもんだろう? それなら真面まともな装備さえあればあいつが勝つ! 俺はもうそこに賭けた!」


 トレーラーには多くの商品が積み込まれている。どれもそこらのハンターには買えない高性能な物であり、本来カツラギが扱う品ではない。それはたった一人の相手のために、アキラのためだけに用意された商品だった。


「そしてその装備を売ればあいつに恩も売れる! そうすればもっと稼げる! このチャンスは逃せねえ! ダリス! お前も気合いを入れろ!」


 ダリスもカツラギとは長い付き合いだ。相棒の夢に付き合って荒野を駆けてきた過去を思い返し、合わせて豪快に笑う。


「しゃあねえな! 分かったよ! 全く、たかがスラム街を通ってるだけだってのに、荒野を最前線へ向けて進んでる気分だぜ!」


 現在スラム街は500億オーラムの賞金首が潜んでおり、それを狙う高ランクハンター達に襲撃される恐れのある場所だ。戦闘の余波で一帯が消し飛びかねない危険地帯となっている。それを分かっているダリスは車両から周囲の光景を見て楽しげに声を荒らげていた。


「カツラギ! こんな危険な場所で護衛をしてやってるんだ! 上手うまくいったらちゃんと金は弾めよ?」


「分かってるって! その分、護衛はしっかり頼んだぞ!」


 カツラギ達は大声を出して笑いながら、アキラのいる拠点へ意気揚々と向かっていった。




 キャンピングカーの中で装備の整備をしていたアキラは、カツラギから連絡を受けると拠点の外でカツラギ達を出迎えた。駐車場の頑丈なシャッターを開いてトレーラーを中に入れると、再びシャッターをしっかりと閉じる。そして運転席にいるカツラギに真面目な顔を向ける。


「カツラギ。一応確認するぞ。乗ってるのはカツラギとダリスの二人だけだな?」


「そうだ。500億オーラムの賞金首になったお前のために、商品をたっぷり運んできてやったんだ。感謝してくれてもいいんだぞ?」


 そう言って陽気に笑うカツラギへ、アキラがえて真剣な態度を取る。


「分かった。その二人以外は皆殺しにして構わないな?」


「えっ?」


 カツラギは僅かに怪訝けげんな態度を取ったが、ダリスはすぐに非常に険しい顔で車内へ銃を向けながら、情報収集機器で自分達以外の存在を確認した。しかし他者の存在は確認できなかった。警戒を解かずにアキラへ視線を向ける。


「アキラ……。車内には俺達しかいないはずだ。誰かいるのか?」


 アキラが表情を緩めて首を横に振る。


「いや、いない。悪いな。ちょっと鎌を掛けたんだ」


 カツラギがダリスと一緒に大きく息を吐く。


「おい、脅かすなよ」


「悪かった。でもそれぐらい警戒しないと不味まずいんだ。それはカツラギも分かってるだろ?」


「まあな。だがそういうことを言うのなら、こっちもそれぐらい危ない橋を渡ってるんだって理解してくれよ?」


「ああ。その辺は感謝してる」


「よし。それなら良い。入ってくれ」


 カツラギは気を切り替えると、トレーラーの後部扉を開いてアキラ達を中に招き、自分達もそこへ移動した。そして積まれた商品を背にして商売人の真面目な表情を浮かべた。


「先に言っておく。今から商品を説明するが、全部荒野価格だ。足下を見やがって、とか思うんだろうが、こっちもリオンズテイル社から500億オーラムの賞金を懸けられたやつに武器や弾薬を売るんだ。そのリスクを負って商売してるんだ。その辺、ごちゃごちゃ言うんじゃねえぞ?」


「分かってる。大丈夫だ。その辺はキバヤシからもくぎを刺されてるよ」


「よし。じゃあ、始めようか。ああ、こっちも価格交渉ぐらいは受け付けてる。遠慮無く言ってくれ」


 カツラギは商売人の笑顔でアキラに商品の説明を始めた。




 アキラはカツラギの説明を聞きながら、キャロルとシェリルと一緒に荷台の中の武器、弾薬、消耗品を見て回っていた。


 商品の値段を聞いたシェリルは、1億オーラムを軽く超える品の数々に驚きを隠し切れないでいる。そして平然としているアキラとキャロルを見て住む世界の違いを味わい、僅かに項垂うなだれていた。


 キャロルは随分と強気な価格設定だと思ったが、状況を考えれば仕方が無いとも思って苦笑を浮かべていた。そしてアキラの資金繰りを考えて小声で声を掛ける。


「アキラ。買えそう? 難しいのなら私が価格交渉をしても良いわよ?」


 それなら頼もうか、と思ったアキラだったが、その交渉内容にキャロルの副業が絡むことを察して首を横に振る。


「いや、大丈夫だ」


「遠慮しなくて良いのに」


「キャロルが自分の装備を買う分には好きにしてくれ。俺の装備は普通に買う」


 それを聞いたキャロルが、浮かべていた笑顔を僅かに固いものに変える。


「……アキラって、そういうの、気にする方だったの?」


「一晩100億オーラムなんだろ? 俺だってそんなデカい借りを作るのは躊躇ちゅうちょぐらいするんだよ。だから気持ちだけもらっとく。ありがとな」


 アキラに普通にそう答えられて、キャロルは機嫌を戻した。軽く笑いながら商品の品定めに戻る。


「そう。それじゃあ、私も普通に買いましょうかね……」


 アキラも装備の物色を続ける。しかし確かにどれも非常に高額で、アキラの予算では装備の調達など難しいのは事実だった。どうすれば良いかうなりながら思案するが、良い考えは浮かばない。


 そこにシロウから念話が届く。


『アキラ。金が要るんじゃないか?』


『ああ。要るな』


『金ならあるぞ? 当然、貸しだけどな』


『それでお前の依頼を受けろってことか?』


『そういうことだ。あのハンター達と戦った時も手を貸してやったんだ。これで俺の依頼を受ける貸しとしては十分だろう?』


 シロウはアキラに自分の依頼を受けさせるために相応の貸しを作る必要があり、そのためにアキラに同行していた。その所為で賞金首討伐戦に巻き込まれたのだが、その時に協力した貸しと今回の金の分を合わせれば十分な貸しだと考えていた。


 しかしアキラに言い返される。


『いいや、足りないな』


『何でだよ。俺の協力がなければ死んでたかもしれないんだぞ? それだけでもデカい貸しのはずだ。違うか?』


『ああ。俺もそう思う』


『じゃあ何でだ? 貸しとしては十分だろう?』


『その借りは、あのヤナギサワってやつにシロウの居場所を教えなかったことで全部返した。いや、あの二人の強さを考えればこっちが貸したぐらいだ。何なんだよあの二人は。あのハンター達全員より強いんじゃないか? そんなやつに銃を向けられて、シロウの居場所を教えなければ殺すと脅されたんだぞ? それでも口を割らなかったんだ。十分にデカい貸しのはずだぞ?』


 シロウが返事に詰まる。ハーマーズの強さを知っている分だけ、確かに、と思ってしまったのだ。アキラが勝手に意地を張っただけだとも思うが、アキラが口を割っていれば自分は終わっていたことも確かであり、そっちが勝手に意地を張っただけだとは流石さすがに言い返せなかった。


 更にアキラが続ける。


『あと、俺を本気で雇って戦力にするつもりなら、一部じゃなくて全額前払いにしろ。俺がそれで装備を調えて強くなれば、そっちにも好都合だろ?』


『それはそうだけど……』


もらった金は全部戦力向上にぎ込む。それは約束する。まあ、信じろとは言わないし、無理強いもしない。そっちの都合で決めてくれ』


 シロウが悩む。ヤナギサワを相手に口を割らなかった者が約束すると言っている。一定の信用は出来ると考える。そしてハンター達との交戦を見る限りアキラの実力は本物だとも思う。自分の目的のためにもアキラに死なれては困る。それらを考慮すれば、報酬を先払いしてアキラの戦力を増やすのも、確かに悪い手段ではないとも思う。


 それでも手持ちのコロンを失っている今の状態で、まだ残っているオーラムまで失えば、アキラが死んだり裏切ったりした場合に本当に手詰まりになる。それでも、そこまでアキラに賭けるべきか、その実力と信用に全てをぎ込むべきか、シロウは決断できなかった。


 よって、妥協した。


『……じゃあアキラ、こうしよう。今回の支払は依頼の前金として全額俺が持つ。これでどうだ? これで俺の都合をどこまで優先してくれる? そっちも大変なのは分かるけど、俺も結構切羽詰まってるんだ』


『坂下重工に頼んだ装備が届いたら、状況次第でそっちを優先してやる。それぐらいだな』


『その装備、いつ届くんだ?』


『早ければ1週間、通常なら1ヶ月、どんなに遅くても3ヶ月程度って、1週間前に言われた』


『もう1週間ってるじゃねえか……』


 シロウがスガドメからもらった猶予も1ヶ月であり、既に1週間使ってしまっている。アキラに坂下重工から装備が届くのを待てるかどうかは、かなり微妙な状況だ。


『アキラ。坂下に頼んだ装備って、絶対必要なのか?』


『だから状況次第だ。装備が届く前にクロエが死んだとかで、最前線の装備で防壁内に乗り込む理由が無くなったりしていれば、まった借り次第で装備の到着前でもそっちを優先してもいい。まあ、待ってれば強力な装備が届くんだ。余程のことが無い限りは装備の到着を待ちたいけどな』


 シロウが更に迷う。運次第だが可能性はある。そして自分の力でその可能性をどこまで上げられるか考えた上で、決断した。


『分かった。それで良い』


『自分で言っておいて何だけど、良いのか?』


『良いんだよ。確かにアキラに死なれると俺も困るんだからな。口座の方の処理はやっておく。じゃあな』


 それでシロウとの念話は切れた。ちょうどその時、カツラギも一通りの説明を終えていた。


「アキラ。今回持ってきた商品はこれで全部だ。……お前にも予算の都合はあるんだろうが、ここでケチって死んだら終わりだぜ? 可能な限り買った方が良いと思うぞ?」


 カツラギはそう言いながらも、アキラの予算では大して買えないと思っていた。500億オーラムの賞金を狙うハンター達を撃退したのはすごいを超えてとんでもないとは思うが、そのハンター達に勝ったからといって金が入る訳でもないのだ。口座を空にしても弾薬類の補充が精一杯だろう。そう思っていた。


 それを分かった上でアキラには買えないであろう高額商品を積み込んできたのは、ある思惑があったからだ。そしてそれをアキラに告げようとする。


「でもまあ、お前も無い袖は振れないだろう。そこでだ。さっきもちょっと言った価格交渉だが……」


「ああ、大丈夫だ。普通に買うよ」


「えっ?」


 カツラギは意外に思うどころか理解が追い付かず、そう短い声を出した。


 アキラは気にせずに、買う品をトレーラーから次々に降ろしていく。強化服、銃、弾薬、回復薬、バイクのパーツ類など様々な物が駐車場に運び出された。


「こんなところか。カツラギ。幾らだ?」


「……えっ?」


 我に返ったカツラギが困惑を顔に出しながらも計算する。


「そ、そうだな、は、端数は負けて、160億オーラム、だな」


 アキラはハンター証を取り出し、普通にカツラギへ差し出した。カツラギは少し硬い表情でそれを受け取り、会計処理を行う。問題無く通った。


 余りの衝撃で倒れ掛けたカツラギを、ダリスが慌てて支える。


「カツラギ!? しっかりしろ!」


 感情が閾値しきいちを超えた所為で、相棒に支えられながら奇妙な笑い声を上げるカツラギの様子を見て、アキラが納得したようにうなずく。


『100億あってもはした金……らしいけど、流石さすがに160億ははした金じゃないみたいだな』


 アルファが苦笑する。


『アキラの装備も、ようやはした金では買えない域になったということね。でも最前線向けの装備は更に高性能なのだから、新しい装備に浮かれずに、そちらの到着を大人しく待ちましょうね?』


『了解だ。……それにしても、最前線はどんな魔境なんだか』


 160億オーラム出して買った装備でも不十分な備えにしかならない危険地帯を軽く想像しながら、アキラは新しい装備の準備を始めた。


 カツラギはまだ笑っていた。我に返るのには、もうしばらく時間を必要とした。




 装備の準備を進めるアキラを見ながら、シェリルが小さくめ息を吐く。


(160億オーラムか……。また突き放されちゃったな……)


 自身の拠点を店舗にして行っている遺物売買業に、イナベの協力でツバキの管理区画から流れた遺物を取り扱うことで生みだした利益のおかげで、シェリルも1億オーラム程度ならアキラのために支出できるようになっていた。


 この調子ならば、そろそろアキラへのまりにまった借りを返済できるようになるだろう。そう思っていたところに160億オーラムをあっさりと支払う姿を見せ付けられ、1億オーラムが小銭に成り下がったことを分からされた。


 加えて今回の騒ぎで遺物売買業は休業を余儀無くされている。徒党の規模も一気に縮小した。アキラへの借りを金銭で返すのは非常に難しくなってしまった。


 どこまでも成り上がるアキラへ少しは近付けたと思った矢先の出来事に、シェリルは落胆を隠せなかった。


 そこでカツラギもそろそろ正気に戻った。機嫌良く息を吐いた後で、少し難しい顔をシェリルに向ける。


「おいシェリル。アキラはいつの間にあんな金を支払えるようになったんだ? 都市間輸送車両の護衛で稼いだとは聞いていたが、その稼ぎは装備代やら何やらでとっくに消えたんじゃなかったのか?」


「……アキラですからね。いろいろやって稼いだのだと思います」


「……、そうか」


 カツラギにとってそのシェリルの返答は、シェリル自身もアキラがそれだけ稼いでいたことを全く知らなかったと白状しているのに等しい。それほどの情報を共有できていないことから、カツラギはシェリルとアキラの仲を少し疑った。だが余計なことは言わなかった。


 シェリルもそれに気付いたが、素知らぬ振りをした。代わりに内心の苛立いらだちをぶつけるように尋ねる。


「カツラギさん。アキラにそんな金は支払えないと思っていたのでしたら、なぜそんなに高価な装備を売りに来たんですか? 売れない装備を持ってきても意味があるとは思えませんけど」


「あー、いや、ほら、そこは、アキラなら、もしかして、大丈夫かなって思ってさ。実際、大丈夫だっただろう? 俺の商売人としての勘が大当たりだったってことだ。自画自賛になるが、この機会を逃さなかった俺の商才を褒めてくれても良いんだぜ?」


 実際には、カツラギはアキラの予算では弾薬類の補充が精一杯だろうと思っていた。その上で絶対買えないはずの装備を運んできたのは、アキラと交渉するためだ。


 500億オーラムの賞金首の動向には多くのハンターが注目している。そしてそれだけ高額の賞金首を狩ろうと部隊を編制したハンター達を撃退したとなれば、その賞金首の装備も非常に注目される。宣伝効果は極めて高い。


 カツラギはキバヤシの仲介で機領やTOSONトーソンなどから装備を調達し、それらをアキラに貸し出して契約で縛るつもりだった。上手うまくいけばそれらの企業との強力な伝を得られる上に、今後のアキラの装備調達先を自分の店に限定させられる。その利益は莫大ばくだいだ。もっともその場合は、今回のカツラギの立場は装備貸出の仲介でしかない。莫大ばくだいな利益を得られるといっても長期的な計画での話だ。


 だがアキラがそれらの商品を貸出ではなく買ったことで、160億オーラム相当の装備貸出交渉は同額の商談へと変わり、カツラギの売上となった。160億の商談はカツラギの精神を激しく震わせ、失神手前まで追い込んでいた。


 シェリルはカツラギの元々の魂胆を薄々見抜いていた。その利益もアキラあってのことだと、くぎを刺すように軽く告げる。


すごいですね。その商才で、これからもよろしく御支援をお願いします」


「まあ、お前とアキラの付き合いが続く限りはな」


「……、はい」


 その付き合いもアキラが死ねば消滅する。カツラギとシェリルは互いにいろいろ思いながら、装備の準備を続けるアキラをじっと見ていた。

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