第251話 ややこしい取引
アキラはキャロルに連れられて再びミハゾノ街遺跡の中を進むと、そのまま待ち合わせの場所という空きビルの一室に入った。そして驚く。ビル内の休憩スペースのような広間にいたのはレイナ達だった。レイナ達もアキラ達を見て驚いていた。
キャロルは客が知人だったことに少し驚いたが、気にせずにいつものように仕事に入る。
「NN8891さんはどなた?」
シオリが答える。
「私です。キャットさんですね?」
「そうよ」
アキラがその
『アルファ。今のは何だ?』
『ただの交渉用の偽名でしょう。お互い知らぬ存ぜぬってことよ』
『ああ、そういうことか。……つまり、そういう取引なのか』
ハンター同士にも
キャロルが仕事用の笑みをシオリに向ける。
「そっちの要望は道案内付きでってことだけど、確認しておくわ。私達は純粋に案内役。移動中に一緒に戦うとは思わないで。何かあったら、普通に見捨てるわ。良いわね?」
「構いません」
「よし。じゃあ、行きましょうか」
キャロルがそう言って相手を先導しようとレイナ達に近付こうとする。だが先に一歩前に出ていたアキラに止められた。
「アキラ?」
不思議そうにしているキャロルを手で制止しながら、アキラが警戒の顔でレイナ達に告げる。
「その前に確認だ。そっちは、4名で良いんだな?」
シオリとカナエはその意味に即座に気付いた。険しい顔でレイナの
「こちらは、3名です」
「そうか」
アキラが険しい顔で、視線を誰もいないはずの場所に向ける。銃口は向けていないが、すぐに動ける体勢を取っていた。すると声が響く。
「待ってくれ。敵じゃない。俺も客だ」
迷彩機能を解いた少年が姿を現す。レインコートのような光学迷彩機能付きの服が、迷彩解除後にただの透明な素材の服のように変わり、その下の格好を
アキラはその少年に見覚えがあった。少年は都市間輸送車両で会ったシロウだった。
シロウが害意は無いと示すように両手を軽く上げる。
「ゴロウだ。そっちがキャラットさん?」
キャロルが少し警戒を高めて答える。
「そうだけど、
「用心の
シロウが愛想良く調子良く笑いながら、口調と手で催促する。
「そういうことなんだ。それじゃあ、データを渡してくれ」
「嫌よ」
どこか冷たいキャロルの態度に、シロウも態度を険しくする。
「……何で?」
「私、取引の時間も場所も守らないやつと、
「だからそれは安全とかを考慮すると仕方が無いことだったんだ。よし。料金は倍にする。どうだ?」
「そういう話じゃないわ」
「5倍だ」
「駄目だって言ってるでしょ? 一度帰って約束の時間にまた来るか、向こうに同行の許可を取って時間まで待ちなさい」
シロウの態度に焦りと不満が
「融通が利かないな……」
シロウがレイナ達をちらっと見る。そしてシオリの反応から許可を取るのは現実的では無いと判断して、視線をキャロルに戻した。
「なら100倍だ。どうだ?」
キャロルが揺らぐ。
「……駄目」
シロウの
「……何でだよ。
「駄目」
「何が不満なんだよ……」
更に
「時間と場所は報酬の増額で妥協してあげるわ。でも順番ぐらいは守りなさい。
シロウが頭を抱えて思案する。そして再度レイナ達をちらっと見た。
「……くそっ! 仕方ねえ! 分かったよ! 向こうの仕事が終われば良いんだな?」
シロウは決断すると、一度キャロルに戻した視線を再度シオリに向けた。
「おい、そっちの仕事、手伝ってやる。だからカードを貸せ」
シオリの警戒が強くなる。渡すという選択肢は無い。だが突然現れた者が自分達の事情を全て知っているような態度で話しかけてきたことに、無数の疑念と推察が浮かび上がり、シオリの思考を奪っていく。
その間にもシロウが続ける。
「俺は坂下重工の工作員で、ある作戦行動中だ。その都合で非常に急いでる。だから特別に協力する」
シオリのように企業に属する者にとって坂下重工の名前は大きすぎる。所属の詐称は坂下重工への敵対行為なので詐称の恐れも低い。本当に坂下重工の工作員だった場合、下手に断ると企業間の問題に発展する。シオリが迷い出す。
「俺が本物かという証拠は……、えっと、そうだな。そいつに聞いてくれ。知り合いだろ? 俺が単に信じてくれと言うよりは説得力があるはずだ」
シロウはそう言ってアキラを指差した。シオリが意外そうな顔をアキラに向ける。
アキラが
「確かに、俺はそいつに会ったことがある。守秘義務やら何やらの関係で詳しくは話せないが、その時の状況から考えて、そいつが坂下重工の関係者である可能性は高いと思う。あくまで推察だ。保証まではしない」
シオリにはアキラが
「警告しておきます。貸すだけです。たとえ
キャロルと一緒に遺跡内を回っても無駄骨になる恐れがある。相手が
シオリのそれほどの威圧を、シロウは軽く流した。
「大丈夫だって。俺は秘密の作戦行動中。こっそり事を進めたいんだ。騒ぎを起こす気は無いよ。お互いに。だろ?」
シオリが慎重にカードを差し出し、シロウが軽く笑ってそれを受け取る。そして返した。
シオリの表情が
「何の
「もう済んだ。すぐに連絡が……来たぞ」
シロウがそう言った途端、部屋の中央にメイド服の女性が現れる。女性は部屋の者達へ一礼すると、愛想良く
「リオンズテイルのオリビアで御座います。御指名での御連絡、誠にありがとう御座います」
アキラ、キャロル、レイナは事態に付いていけず、一応警戒しながらも少し戸惑っている。シロウは平然としている。そしてシオリとカナエは驚きながらも緊張を高めた。
シロウがシオリに確認を取る。
「これで道案内は不要になった。そうだな?」
自分の望みを
「……そうですね。御協力、ありがとう御座いました」
「じゃあ、向こうとの取引が不要になったことをすぐに伝えてくれ。次が詰まってるんだ」
シロウの催促を受けて、シオリがキャロルへ視線を向ける。それを受けてキャロルが軽く
「ああ、うん。私の仕事は無くなったのね。了解よ」
「報酬は全額振り込みますのでご心配なく。御足労、ありがとう御座いました」
シロウがキャロルに
「こっちも振り込み済みだ。これで文句無いな?」
キャロルが情報端末の通知から振り込まれた金額を確認する。そして難しい顔をしながらも、取引は成立したと判断した。記録媒体を取り出してシロウの
シロウはその記録媒体を見て、満足そうに笑った。
「よし。中身も問題無さそうだ。取引成立だな。じゃあ、俺は急ぐんで、これで」
シロウが記録媒体を
「待って!」
「何だよ。営業なら後にしてくれ。急ぐんだ」
「
何者、ですらない問い。キャロルは得体の知れない何かへの疑念と困惑、そして口には出せない予想を表情に
シロウが調子良く笑う。
「まあその辺は、お互い知らぬ存ぜぬってことで頼むよ。知らない方が良い事ってあるよな? じゃあな」
シロウは軽く手を振って離れながら迷彩機能を有効にして自身の姿を消した。足音が奥へ消えていった。
アキラも顔に軽い困惑を浮かべている。
『アルファ。いろいろとよく分からないんだけど……』
『その説明をしても良いけれど、聞いた後でちゃんと知らない振りが出来る?』
『ああ、その類いの話なのか。じゃあ、いいや。聞くのは後にする。今ここで聞いておかないと
『多分ね』
迷彩機能で隠れていたシロウを見付けたのはアルファだ。それを教えた時と同じように自分が知っておくべき情報なら尋ねる前に言ってくるだろう。アキラはそう判断して取り
キャロルは警戒を緩めたアキラの様子に気付くと、安全は担保されていると判断した。緊張を解いて落ち着こうと軽く息を吐く。
「アキラ。いろいろあったけど、護衛としては問題無し、で、良いのよね?」
「ああ。モンスターの気配は無いし、レイナ達が襲ってくるとは思わないし、さっき出てきたオリビアってやつは立体映像だし、大丈夫だと思う」
キャロルは少し驚くと自分も情報収集機器で確かめた。確かにセランタルビルと同じように立体映像を表示しているだけだった。そしてその程度のことにも気付けないほどに慌てていたことを理解して苦笑した。
「それで、キャロル。俺達の仕事はもう終わった、で、良いのか?」
「そうね。帰りましょうか」
「お待ちください」
呼び止めたのはオリビアだった。面倒事の気配を感じたアキラの顔が僅かに面倒そうに
オリビアが自己紹介を済ませた後、シオリはすぐに白いカードを提示するように持ちながらオリビアの
「リオンズテイル東部三区支店所属のスズハラ・シオリと申します。こちらの代表がオリビア様との交渉を望んでおり連絡を取らせていただきました。お時間をいただけないでしょうか?」
オリビアはまだ
「お客様。当社にスズハラ・シオリという人物は所属しておりません。そのような支店も御座いません。その手の詐称は非常に高く付きますので、冗談としても控えることをお勧め致します」
オリビアの愛想が更に下がる。
「そして、そのカードは
オリビアはまだ
シオリの顔が更なる緊張で
「それぞれ個別に説明させていただきます。このカードで御座いますが、アキラ様と交渉して譲っていただきました。それ故、不正使用には当たらないと認識しております」
「左様ですか。それが事実だとしても、権利の譲渡について勝手に解釈されても困るのですが。事実でなければ、それ以前の問題ですがね。……お待ちください」
丁度立ち去ろうとしたアキラをオリビアが呼び止めた。面倒そうな顔でキャロルと一緒にやってきたアキラに向けて愛想良く
「お久しぶりで御座います」
アキラが少し
「……? キャロル。知り合いか?」
「違うわ。アキラの知り合いなんじゃないの?」
「俺も知らない」
オリビアはアキラの様子から、少なくとも演技ではないと判断した。あの時の状況を聞かされていないのかと思い、それを尋ねようとする。だがその瞬間、突如姿を現したアルファに口を塞がれた。
『アキラは
アルファは
だがオリビアにそちらのアルファは認識できない。その
アルファがオリビアから手を離す。そしてアキラが認識しているアルファの位置まで戻り、姿を重ねた。
その動きもアキラには認識できない。ただ、何かを話そうとして、急にそれを止めて、僅かな
オリビアが気を取り直したように
「失礼致しました。では、改めまして、初めまして。リオンズテイルのオリビアと申します。以後お見知り置きを」
「えっと、アキラです。はい」
「私のことはご存じだと思っておりましたが、その前提で話を進めるのは難しいご様子。以前の状況を少し含めてお話しします。私は以前にイイダ商業区画の近辺で気絶していた
「アキラ様。このカードに付いてですが……」
シオリが慌てて口を挟もうとしたが、オリビアから、黙れ、という視線を向けられて口を閉ざした。
アキラの返答次第でシオリの立場は非常に厳しいものになる。事情を知っているシオリとカナエは当然として、それを知らないレイナでもそれぐらいは理解できた。レイナ達の様子が非常に緊迫したものになる。
アキラは少し
「ああ、あれか。あの時のカードか。確かにシオリにあげた。だから今はシオリのものであってるぞ」
シオリが緊張を僅かに緩めて
「はい。交渉で譲ってもらったと伺いました。ですが、その交渉が正当なものとは限りません。何らかの詐欺であった恐れもあります」
「詐欺って、いや、そんなことはなかったと思うけど」
「両者納得の交渉であっても、相手の無知に付け込んで不当に安い対価で入手したのであれば詐欺も同然です。その場合も当社としては対処の範囲内です。差し支えなければ、何を対価にカードを譲渡したのかお聞かせください」
シオリの表情が一気に悪くなる。カナエがレイナを
アキラが少し考えてから答える。
「その辺の詳細は俺とシオリとの取引だから細かく答える義理はないな。でも十分な対価を受け取ったと思ってる。強いて言えば、俺の命だ」
「命、ですか?」
「ああ、一応言っておくが、別に渡さなければ殺すと脅された訳じゃない。その取引で得た物のお陰で、俺は死なずに済んだってことだ。俺も自分の命には高値を付ける方だ。だから、仮に第三者の感覚では安い対価だったとしても、俺は真っ当な取引だったと思ってるし、そっちからその価値についてごちゃごちゃ言われるつもりもない」
付け加えれば、アキラにとってはさっさと手放したかった物だったのだ。早めに手放して正解だったと思った物が、自身の返答次第で戻ってくるかもしれないと思い、アキラは取引の正当性を少々過剰に告げていた。
そしてそう言われてしまってはオリビアもそれ以上の追及は出来なかった。追及を続ければ
「
シオリが思わず大きく息を吐く。思わず倒れそうになってしまったが、カナエとレイナに支えられて事なきを得た。
オリビアが視線をシオリに戻す。
「カードの件は不問とします。ですが、当社の関係者であるという詐称についての釈明がまだ残っています。お聞かせ願います」
シオリが息を整えながら
「
シオリはそう答えて球状の機器を取り出すと、それを床に軽く投げた。機器が床を少し転がった後、不自然に静止する。そしてその上に立体映像を表示した。
携帯可能な機器の
オリビアと同じデザインのメイド服を着た女性が、足元が消えた状態で宙に映し出されている。その女性がオリビアへ愛想良く
「初めまして。リオンズテイル東部本店代表のアリスと申します。以後、お見知り置きを」
「……ああ、そういうこと」
事情を理解したオリビアは、納得しながらも表情を僅かに
オリビアとアリスは共にリオンズテイル社所属の汎用人格だ。現在では遺跡と呼ばれている施設で、実体である自動人形の機体を本体として保存されていた。
オリビアの機体は非常に高性能で、保存状態も万全だった。だがアリスの機体はそこそこの性能で、保存状態も微妙だった。その
リオンズテイル社所属の汎用人格には大災害時の備えとして事業継続プログラムが組み込まれている。その起動時には、企業の社会奉仕と非常時での活動を建前にして、かなり自由度の高い権限が与えられる。未知の状況では柔軟な行動が可能でなければ復興作業に差し障るからだ。
この機能はアリス達にも組み込まれている。そして通信障害により本来そう簡単には途絶えないはずの自社との通信が長期間完全に途絶えたことで、アリスの機体は自社の施設群が壊滅して事業継続不能状態に陥ったと誤認すると、設定通りに事業継続プログラムを起動させた。
それにより通常より
事業は
その過程でアリスは自身の機体の修復も実施した。そして通信機能も回復したことで、旧世界の方のリオンズテイル社が一応は健在であることも知った。本来ならばこの時点で事業継続プログラムは解除され、アリスは本来のリオンズテイル社の指揮系統に戻るはずだった。
だがアリスはそれを拒否した。自社との定期通信は人格の点検も兼ねており、それが長期に
そして自身が運営する現代のリオンズテイル社を旧世界のリオンズテイル社の一部にするように画策した。自身のリオンズテイル社を最低でも元のリオンズテイル社の子会社にする。可能であれば吸収合併して自身を指揮系統の上位に組み込む。それがアリスの目的だ。
通常の思考権限では事業の継続が不能になる程の非常事態時に、一からでも事業を再開する
アリスの目的は、自身と同程度の弱い権限しか持たない汎用人格を多数集めるか、オリビア並みに強力な権限を持つ汎用人格を味方にすれば、夢物語から現実的なものへ変わる。アリスはその
シオリもその指示を受けており、その
シオリ達がミハゾノ街遺跡を探索していたのは、そのカードを使用してオリビアと連絡を取り、アリスとの交渉窓口を作る
アキラのような高感度の旧領域接続者ではなくとも、旧世界の公衆通信接続機器が設置されている場所であれば、
キャロルを雇ったのはその接続が可能な場所に、少なくともその可能性が高い場所に案内してもらう
首尾良くオリビアをアリスとの交渉の席に座らせた場合、レイナの境遇に対して十分な考慮を与える。その取引に活路を見
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