第203話 アキラの仕立服
クガマヤマ都市の下位区画の相場では高級店に分類される衣類店で、店長のカシェアが店番をしながら最近の客層について思案していた。
売上は右肩上がり。客数も客単価も増えている。経営は順調。その申し分の無い状態にケチを付けるとすれば、客に堅気とは思えない雰囲気の者達が少々増えていることだ。
下っ端のような品性に欠ける者達ではなく、ある種の礼儀を
(……あの手の客層が増えた時期から考えて、多分あのヴィオラって人の人脈なのかしらね)
カシェアの予想は大体正しかった。彼らはスラム街やその付近の組織の幹部達だ。会合等でシェリルの服を見て興味を持ち、
カシェアの店の
(私としては、防壁の内側に住む人が、
東部の一般人の感覚ではハンターも堅気ではない職種に含まれる。
ドアが開き、来店のベルが鳴る。見覚えのある稼ぐハンターの顔を見て、カシェアは愛想の良い笑みを浮かべて接客に移った。
入ってきたのはアキラとエレナとサラだった。アキラはいつも通り強化服を着用している。エレナ達は少々
「いらっしゃいませ。御来店ありがとう御座います。本日はどのようなものをお探しですか?」
アキラが少し緊張した様子で答える。
「えっと、仕立服を注文しに来ました」
「ありがとう御座います。仕立服の要望を伺ってから、料金等の御相談に入らせていただきます。当店自慢の職人を呼びますので、お掛けになってお待ちください」
カシェアがエレナ達に椅子を勧めようとするのと同時に、サラがアキラに声を掛ける。
「私達は店内を回ってるわね」
「分かりました」
カシェアが離れていくエレナ達を見て
「あ、すみません。仕立服は、俺のです」
「し、失礼いたしました。少々お待ちください」
カシェアはごまかすように笑うと、セレンを呼びに急いで店の奥へ向かった。そして戻ってくると、アキラの対応をセレンに任せてエレナ達の接客に向かった。
セレンはカシェアに比べれば接客が苦手な方だ。しかし仕立職人として客の要望を聞き出す
「改めまして、お客様の仕立服を担当いたしますセレンと申します。
「あ、はい。お願いします」
逆にアキラは基本的にその手の能力に欠けている。加えて服の仕立てはハンター稼業とは全く関係ない上に、人生初の経験なので妙な落ち着きの無さを出していた。
「では先ず、御希望の服の要望などをお聞かせください。どのような服を御希望でしょうか?」
アキラはそのごく当たり前の質問にたじろぐと、少し間を空けてから、まごつきながら答える。
「あー、すみません。よく分かりません。えっと、何というか、いろいろあって、服を仕立ててみようという話になって、その、服に対して具体的なイメージがある訳じゃなくて……。あ、別に服が欲しくないって訳じゃないし、気乗りしないって訳でもないんだけど……」
「お気になさらず。そのようなお客様も珍しくありません」
セレンは
「では、その仕立てた服を着て、誰と、どこへ、何をするのかを想像してみてください。服を見せる相手に与えたい印象。場のドレスコード。そこでの目的。様々ですが、そこが決まれば服のデザインも自然と決まるものですから」
セレンはアキラがいろいろ悩むだろうと思って待つつもりだった。だがアキラは納得したような顔を浮かべるとすぐに答え始める。
「ああ。そういうことか。そうだよな。服ってそういうものだよな。それなら、恩人とかそういう親しい人達と、クガマビル上階のレストラン……確か店の名前は、シュテリアーナ、だったかな? そこに一緒に行って食事を楽しむ
「あそこですか……。親しい方とは今日のお連れの方々などですか?」
「ああ。あともう1人いて、4人でそこで食事をする予定を立てているんです」
「そうですか。……その予定に相応しい服のイメージを
「分かりました」
アキラは服を仕立てることになった経緯を思い返しながら話し始めた。
アキラに仕立て服を勧めたのはシズカだ。皆で食事に行く予定を相談した中、シズカはそもそもアキラが普段着と呼べるものをほぼ全く持っていないことを知った。
ハンター稼業ではない場合でも強化服が基本。外食時も同様で、それもハンター稼業の延長のような感覚。遺跡探索の合間に暇があれば家か荒野で訓練。下手をすれば風呂と睡眠時ぐらいしか余暇と呼べるものはない。それさえも次の訓練や遺跡探索の
アキラとしては、何だかんだと山ほど借りのあるアルファからの依頼を完遂して借りを返す
だがそこを省いてしまえば、出来上がる人物像は大した理由もないのに取り
アキラには一度ハンター稼業から完全に切り離した時間を経験させた方が良い。金と時間をハンター稼業とは無関係なことに使用する
アキラに口でそう言っても効果が薄いことはシズカも分かっていた。必要なのは実感だ。そして今回がその良い機会だと考えた。仕立服を勧めたのは、その
シズカは表向き軽い気分転換を勧めるぐらいの態度でアキラに仕立て服を勧めた。アキラは少し迷ったが、金にはそこまで困っておらず、シズカの
セレンはアキラからそれらの説明を大分省略した形で聞いていた。アキラの認識不足の
「……そうですか。シュテリアーナはハンターも利用する高級店ですので、強化服等の格好のまま食事を楽しむ方も多い方です。ですが、過酷なハンター稼業が日常となっている方が、その日常を忘れて非日常の一時を楽しむ場でもあります。予約時に頼めば、ハンター稼業を連想させるものを視界に入れない席にすることも、戦闘とは無縁な
「ああ、そういうのあるんだ。へー」
「私もお客様が一時の穏やかな非日常を楽しむのはとても良いと思います。私が仕立てた服がお客様のその一時を充実したものにする助けになれれば幸いです。では、その食事の場に適したデザインを基本にすると致しまして、何かデザイン等に御要望がありましたらお聞きします。デザインの例などもあります。御覧になりますか?」
セレンが持ってきた端末を操作し、仕立服の例を表示してアキラに見せる。そこには落ち着いた雰囲気の服や少々派手な雰囲気の服を着たファッションモデルが表示されている。アキラがそれらを見て少し
「文句を言うつもりはないので、全部お任せしますってのは駄目ですか?」
「駄目ってことはありませんが、基本的に変更の利かない既製服とは異なり、お客様の細かい要望を追求できるのも仕立服の
セレンが後からいろいろ言われた場合に備えて念を押した。アキラがまた少し悩んでから、少し
「俺はファッションセンスとかに全く自信が無いというか、
セレンが僅かにたじろぐ。自分でも傑作だと認めた服を褒めてくれたのは確かに
「あの服はお客様が持ち込まれた旧世界製の衣服を仕立て直したものです。同程度のものを一から作成するとなれば、相応に高価な布地等を使用しなければなりません。布地代だけでもかなりの高額になりますが……」
下手に高額にした上でケチを付けられては
「高額って幾らぐらいですか?
「い、いえ、
「あ、そういうのは無しで問題ないです。欲しいのは戦闘とかとは無縁な普通の服ですから」
「さ、左様ですか」
セレンは目の前の少年が非常に稼ぐハンターだと改めて理解した。たとえ支払額が1億オーラムであっても、難しいだけで不可能ではない。それほどの相手だと実感した。
自分にそのような者を満足させるほどの服を仕立てられるのか。その
ここで引いては仕立屋が廃る。セレンはそう心に刻んで意気を高めた。
「……分かりました。では、大変失礼ながらお客様がハンターであることを考慮いたしまして、全額前払いで600万オーラムとなります。それだけお支払いいただければ、私はお客様の要望を満たした服の仕立てに全力を尽くすとお約束します。
「分かりました。えっと、ハンター証で支払いをお願いします」
セレンなりに覚悟を決めて答えたのだが、アキラはあっさりと答えてハンター証を出した。セレンが受け取ったハンター証を端末に近づけて支払処理を進める。処理はすぐに終わった。
「ありがとう御座います。では、早速採寸に入らせていただきます。こちらへ」
代金は受け取った。もう後戻りはできない。する気もない。セレンは職人魂を燃やして
アキラがセレンの仕事部屋で採寸の
その視線に気付いて不思議そうにしていたアキラが、自分なりに推察して尋ねる。
「ちゃんと採寸するなら上も脱いだ方が良い?」
「あ、いえ、大丈夫です」
セレンは邪念を振り払って採寸に入った。だが
「あー、なんか実は変なデザインだったりします? 遺跡で手に入れた遺物を自分用にとっておいた物なので、旧世界製の衣服だから変なデザインかもしれません。着心地とかは良いんですけどね」
肌に貼り付くような状態の下着には筋肉の凹凸が浮かび上がっている。激しく動いても布地の摩擦等などから生じる不快感は全くなく非常に頑丈だ。この高性能さも旧世界製の衣服に高額を出す者が絶えない理由だ。
セレンが慌ててごまかそうとする。
「いえ、そんなことは全く! 肌とかも随分
慌てていた分だけごまかし方が妙なものになった
「ああ。そういうことか。最近死にかけて入院した時に再生治療並の治療を受けたので、その時に大きな古傷とかは消えたんだと思います。結構高めな回復薬も多用してるんで、最近はちょっとした傷ぐらいなら跡も残らないんですよ」
ハンターのくせに古傷も無いのは変だ。アキラはそう誤解されたと判断して補足した。
「強化服も無い時には傷跡も結構長く残ってました。モンスターに
「そうなのですか。その治療費ってやっぱり高いんですか?」
「病院での治療が5000万オーラムぐらいで、回復薬が100万とか500万とかですね」
アキラの口調にその額を高いと感じさせるものはなかった。入金額も出金額も桁違いに増えて、その間隔も短くなってきたことで、アキラの金銭感覚は大分
それだけ稼いでいるのなら、600万オーラムぐらい出すだろう。セレンはそう感じて少し納得した。
「……やっぱり、随分高いんですね」
「まあ、確かに高いけど、そこは自分の命よりは安いってことで。装備代とかもそうですけど、そこを削って死んだら元も子もないですから」
「それもそうですね」
ハンターには刹那的な享楽に
セレンは採寸を終えたアキラを店内に送り届けた後、再び作業部屋に戻って一度深呼吸した。
「……よし! やるか!」
その表情にかつての傑作を超える服を仕立てる意気込みを乗せて、セレンは笑って作業を開始した。
エレナはサラと一緒にカシェアの接客を受けながら店内の商品を見て回っていた。今も勧められた服を鏡の前で体に重ねている。そして気乗りしない声を出していた。
「うーん」
「お気に召しませんか」
「悪くはないと思うんだけど、似たような服はもう持ってるし、もう1着ってほどでもないのよね」
「左様で御座いますか。お客様。今回の御予算はどの程度をお考えで?」
「特に考えてないわ。私達はアキラの付き添いで来ただけだしね。あ、先に予算を言っておかないと出せない服もあるの?」
「隠している訳ではありませんが、そのような品も御座います。例を挙げますと、旧世界製の下着などは価格も仕入れ数も相応のため、
例として挙げただけで、前に仕入れた品はもう売れてしまったので店の在庫には存在しない。また仕入れられる確証もない。カシェアの説明は店の格を上げる
常連になれば次の機会には勧められる。カシェアはそう続けようとしたのだが、エレナにあっさりと断られる。
「ああ、それは要らないわ。私もサラもその手の下着をちょっと前に予備分も含めて種類も数も
「い、いえ、お気になさらず」
カシェアは旧世界製の下着を数と種類を
エレナ達が買ったのは前にアキラがシズカの店に持ち込んだ品だ。本来の中間業者を通さずに、その先頭に割り込んで買ったので、実際にはそこまで高額にはなっていない。だがカシェアにはその事情など分からない。
(……前に1億オーラムの予算を提示した人もいたし、あのアキラってハンターの連れはそんな人ばっかりなのかしらね。稼ぎが違うわ。
カシェアがエレナ達を店の顧客に加える
「エレナさん。サラさん。お待たせしました」
サラがアキラを笑って迎え入れながら少し不思議そうにする。
「もう終わったの? 随分早いのね。どんな服にするのか長々と相談すると思っていたから、もっと時間が掛かると思ってたけど」
「あ、その辺は任せたので、採寸取って終わりです」
エレナが少し
「
その場合は自分の交渉術を見せなければならない。エレナは浮かんだ疑念にその判断を下した。だがアキラが機嫌良く答える。
「大丈夫です。俺の方からちょっと強引にそう頼んだんです。俺はデザインセンスとかに自信がないんですけど、その俺でも違いが分かるほどの
「へぇー」
アキラの態度にはその言葉通り期待だけが出ており、仕立服の
カシェアがそれを察して笑顔で営業を掛ける。
「既製服では満足いただけないのでしたら、お客様方も仕立服を注文なされては
サラが先に前向きな意見を出す。
「うーん。
サラは服選びに豊満な胸による制限がかなり入る。保有ナノマシン量による体型変化まで考慮すると選択肢は更に狭まる。仕立服でその辺りに対処できるのであれば、多少の出費には前向きだった。
「そうね。私も頼んでみようかしら。アキラがそこまで評価する
「あ、それも良いわね」
カシェアが
「実際に御注文を頂けるかは別にしまして、御興味を頂けたのでしたらまずは当店の職人と相談をお勧めします。連れて参りますので、お掛けになってお待ちください」
カシェアは3着分の仕立代の売上に心を弾ませながらセレンの仕事部屋に向かった。
真剣な顔でデザインを練っていたセレンがカシェアから話を聞いて顔を
「お姉ちゃん。悪いんだけど、それ、断れない? 私はアキラさんの注文に集中したいの」
「セレン。仕事中は店長って呼べって言ってるでしょう。それに断るなんて冗談じゃないわ。うまいこと行けば常連になるかもしれないのよ? 逃せないわ。セレンだって既製服の調整には飽きてるって言ってたじゃない。何で仕立ての注文を嫌がるのよ」
「嫌がってる訳じゃない。タイミングが悪いだけ。それに、アキラさんの服に合わせるとなったら、代金とかも相応に合わせないと駄目になる。おね……店長、その辺を分かって言ってるの?」
「当たり前よ。大丈夫よ。あのアキラってハンターが随分稼いでいて、仕立代が結構高額になったから心配しているんでしょうけど、連れの2人も
セレンが浮かれている姉を見て真面目に念を押す。
「店長。一応注文履歴を確認して。その上で本当に同額の注文を出すのかとか、3人分のデザインを合わせて仕立てる分だけ仕立期間が延びるとか、その辺をちゃんと交渉してきて。それでも注文を出す確認を取れたのなら、採寸するから連れてきて」
カシェアが妹の態度を
「600万オーラム!? セレン! ちょっと!
「以前に旧世界製の服を仕立て直した品と同じぐらいに
頭を抱えて悩み始めたカシェアを見て、セレンが少し反発気味だった口調を緩める。
「店長としての経営判断で追加注文を受けるって言うのなら、私もその判断に従うし、追加の仕立てにも全力を注ぐ。仕立ては職人としての私の
妹にその才能を存分に
「……追加で注文を受けても、仕事が雑になったりはしないのよね?」
「ちゃんと出来上がりまでの期間を調整してくれるのならね」
「分かったわ」
職人として覚悟を決めているセレンの態度に、カシェアも経営者として覚悟を決めた。
その後、カシェアの店は計4人分の仕立服の注文を受けることになった。エレナが
エレナ達は1人600万オーラムの代金に驚きはした。だが旧世界製の衣服並に
機嫌良く帰っていくアキラ達を店の外で見送っていたカシェアが
「……計2400万オーラムの注文。これをしくじったら、店の評判は終わるわね。何とかしないと。まずは、セレンの邪魔だけはしないようにしますか」
たっぷり意気込みを含んだ笑顔を浮かべて、カシェアは気合いを入れていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます