第201話 抜かれた楔

 クガマビル上階のフロアではクガマヤマ都市の主催で定期的に立食会が開かれている。防壁内外の企業家達などが集い、顔をつなぎ、友好を深め、情報を集め、商機を広める交流の場だ。基本的に出席者は都市経済の流れに翻弄される弱者達ではなく、その流れを生み出し、操り、支配する強者達だ。慣れた者ならば立食会での立ち位置や参加率で、参加者の都市経済での地位や成功の程度を推察もできる。


 シェリルはヴィオラと一緒にその立食会に参加していた。仮設基地でイナベと取り引きした数日後の出来事だった。


 少し露出多めのドレスで着飾るヴィオラは、好意的に解釈すれば、秘め事に手慣れた妖艶さを醸し出していた。逆方向に解釈すれば、かなり胡散うさん臭い悪女のたちの悪さを臭わせていた。


 シェリルは露出少なめな清楚せいそな装いを基本として、そこに上品さと僅かな色気を香らせるアクセサリーを着けている。場に飲まれない程度の余裕はあるが、僅かに緊張気味にも見えるその立ち姿は、まるで立食会にまだまだ慣れていないどこかのお嬢様を思わせる。


 悪女が場に不慣れなお嬢様に付け込もうとしている。事情を知らない者がシェリル達を見てその関係を推察すれば、大抵その結論に行き着く光景だ。


 シェリルがその事情を口に出す。


「それにしても、随分と面倒な手順を踏むんですね」


 ヴィオラは経験者が素人に向ける笑みを浮かべた。


「その面倒な手順が意外に重要なのよ。後ろめたい事情がある場合は特にね。張りぼてのような建前や口実でも、有るのと無いのでは大違いなのよ? 遠目から見る人間の気付きを鈍らせて、具体的な調査に入る契機を大分減らせるわ」


「そういうものですか」


 シェリル達はイナベとの取り引きで遺物を自分達の遺物売却店に流してもらえることになった。だが都市所有の遺物を表向き全くつながりのない店舗に卸すのは、イナベの権限でも流石さすがに無理がある。そこで、イナベが立食会で偶然出会った人物と意気投合し、商才を見出みいだし、先行投資の名目で少々高めの遺物を流した、という口実を作ることになった。なおイナベは他にも利権絡みで複数の投資候補を選定しており、同様の口実でその利権調整の手配をしていた。


「シェリル。私は別件で顔を出す先があるからちょっと離れるわ。ボロを出さないようにね」


「何かあれば、ヴィオラを呼んで対処を押し付けます」


「良い判断だわ」


 ヴィオラはシェリルのどこかとげのある返事に余裕の軽口を返して離れていった。シェリルはそのヴィオラの態度に自分との場慣れの差を感じ取り、表情を僅かに険しくさせた。


 シェリルは1人になると意図的に壁の花となった。この立食会を無難に乗り切るためだ。立食会の参加者ならば、本来は積極的に見知らぬ者に話しかけて人脈作りに精を出すべきだ。だがシェリルが下手に誰かと話すと、この場にいる者達ならば当然知っているはずの知識不足をさらしてしまい、どこぞのお嬢様という幻想が消えて、潜り込んだ不審者になり兼ねない。それを防ぐために、この後に誰かに話しかけられても、参加に気乗りしていない者が最低限の礼儀を保って聞き手に回っている体裁を装う前準備として、まずは出席者から距離を取った。


 しばらくは会場の壁を背にして立食会の様子を観察していた。参加者のたたずまいはスラム街の住人とは別物だ。シェリルも自身の服がこの場のドレスコードを一応は満たしていることは理解している。だが自身のたたずまいまで、場の基準を満たしている自信は余りない。育ちというものは見る者が見れば分かるものだと知っているからだ。その上で、参加者の様子を注意深く観察して、自身のたたずまいを同種のものに近づける努力を続けた。


 そのシェリルの視界に、その努力を妨げるものが度々映る。会場に配置されている料理の数々だ。大半の参加者にとってはその味で談笑を促す程度のものでしかない。だがシェリルにとっては、口にすれば大きく意思を揺さぶられるあらがいにくい美味の塊だ。


 それらを興味本位で口にしてこの場で醜態を演じないように、シェリルは事前にヴィオラに連れられて、クガマビル上階の高級レストランで同種の料理を口にしていた。そしてスラム街の食事とは余りに異なる美味おいしさに、事前に注意されていたにもかかわらず大げさな反応を示してしまった。


 知らない所為せいで間違えることもある。知った所為せいあらがえないこともある。シェリルはその狭間はざまにいた。立食会に適した参加者を装うためには、この程度の食事など食べ慣れている人物を演じなければならない。そのために、事前に安い食べ物を胃に詰め込み、苦痛なほどの満腹感を得て、手を伸ばせば手に入る美食への抵抗力を増やしていた。


 だが会場に並べられた料理が視界に入るたびに、胃が別腹を作り出して食欲を刺激し続けている。シェリルは何とかそれにあらがっていたが、その所為せい微笑ほほえみを少し硬くしていた。


「シェリル……?」


 シェリルが声の方向に視線を向けると、カツヤが少し驚いたような表情を浮かべて立っていた。


「お久しぶりですね。カツヤ」


 少し話でもして、この食欲をごまかそう。シェリルはそう考えて愛想良く微笑ほほえんだ。


「それにしても、こんなところで会うとは奇遇……ではありませんね。カツヤほどのハンターならこの立食会に呼ばれていても不思議はありませんか。カツヤはこの会によく参加しているのですか?」


 カツヤは普段の強化服などではなく、場に適した少々着飾った服を着ている。だが着慣れておらず、その雰囲気にはまだまだ場違いなものが残っていた。そして予期せぬ出会いに、無意識に望んでいた機会に、少し狼狽うろたえていた。


「あ、えっと、ここに参加するのは初めてなんだ。似たようなのには何度か出たことはあるんだけど……」


「そうなのですか? 実は私も初めてです。友人の誘いと、ちょっとした用事も兼ねての参加で、今回が初回です。同じですね」


 シェリルは近くにいた給仕から2人分の飲み物を受け取ると、片方のグラスをカツヤに差し出した。カツヤは流されるままにそれを受け取った。


「では、奇遇な出会いと言い直した上で、この出会いに」


 シェリルは微笑ほほえみながらカツヤと視線を合わせ、カツヤのグラスと自身のグラスを合わせた。グラスから小気味い音が鳴った。


 カツヤはグラスの中身を上品に口に含むシェリルの様子に僅かに見れて少し顔を赤くしていた。そして我に返ったように自分もグラスの中身を一気に飲み込んだ。




 ヴィオラが立食会の別の場所でドランカム幹部のミズハに愛想笑いを向けている。逆にミズハは不機嫌そうな顔を向けている。


「ヴィオラ。貴方あなたどうやってここに潜り込んだの?」


「潜り込んだとは失礼ね。正式な招待客なのよ?」


「情報屋程度が参加できるものではないわ。私がこの立食会に参加するためにどれだけ苦労したと思っているの? 警備員の弱みでも握ったのか金でも握らせたのか知らないけど、そんな不審者と話して同類と思われたらたまらないわ。話しかけないで」


 自分の話を全く信じていないミズハの様子に、ヴィオラは楽しげに笑いながら懐から招待状を取り出した。ミズハはそれをいぶかしみながら確認すると、表情を驚きに染めた。ヴィオラ宛ての招待状は確かに正式なものだった。しかも差出人の名義に都市の重役であるイナベの名が記載されていた。


「ヴィオラ。貴方あなた……どうやって?」


貴方あなたも知ってるでしょう? 私はうそかないの」


 招待状の入手経路も立食会参加者の格を決める要素だ。その点に関しては、ドランカムのつてで参加したミズハより、イナベの経路で参加したヴィオラの方が上だった。


「私が正式な招待客だと理解してもらえたのなら、この縁に感謝して親睦を深めましょうよ。お互いにつても広がるわ。少し話もあるしね」


「……手短に頼むわ」


 ミズハはイナベとのつてを得る機会に釣られて、僅かに不服そうな表情を浮かべながらも態度を切り替えた。


 予想通りの反応にヴィオラがほくそ笑む。そして時間稼ぎのようなどうでも良い話題を幾つか出した後、それらに混ぜるように変わらない態度で続ける。


「そういえば、あの調査の続報とかはないの? ほら、前のスラム街の騒ぎの時に、カツヤって子にスリの居場所を教えたのは誰かって件よ」


「続報って、別にそんなものある訳ないでしょう。あの件は前に貴方あなたに渡した情報で全部よ」


 ミズハはヴィオラとの取り引きで、その件に関するドランカムの調査結果をヴィオラに流していた。


 調査の結果、カツヤにアルナの居場所を教えたのはネルゴだと判明した。カツヤがドランカムの調査員にそう話し、ネルゴもそれをあっさりと認めた。


 スラム街付近でアルナが連れ去られる様子を偶然見掛けた。当初はスラム街ではありふれたことと気にも止めなかったが、後でカツヤが気にしていた人物だったかもしれないと思い直し、一応カツヤに連絡した。ネルゴは調査員にそう説明した後で、あんなことになるのならば伝えるべきではなかったと、少し悔やんだ様子を見せていた。


 調査員はそれらの話を基に事実確認を済ませてドランカムの幹部に調査結果を提出した。幹部達はその調査結果を基に自分達はあの騒ぎとは無関係だという報告書をクガマヤマ都市に提出した。ヴィオラに流れたのはそのコピーだ。


 ヴィオラが意味深に微笑ほほえみながら念を押す。


「本当にあれで終わり? 続報とかは本当にないの?」


 ミズハがヴィオラの様子をいぶかしむ。だが浮かんだ疑念の方向性は、相手のたちの悪さに引きられたものになった。


「先に言っておくわ。あの程度の調査結果なら金を払うほどではない。今更そんな文句を言われても受け付ける気はないわ。貴方あなたの都合で偏らせた情報を意味深に渡されて、そっちの都合で動かされるのも御免よ。この場で話を持ち掛ければ私も下手に騒げないだろうし、都市上層部とのつてを餌にすれば承諾するだろうと考えているのなら大間違いよ」


 ヴィオラが大げさに心外そうな様子を見せる。


「それは誤解よ。ただ私としては、あれを偶然で片付けるのはどうかと思うのよ。それに本当に偶然だったとしても、その裏取りぐらいはもう少しやった方が良いと思うの。そのお手伝いができるんじゃないかって、言わば顧客に対する善意からの提案なのよ?」


「全ては偶然であり、あの抗争にドランカムが組織的に介入した事実はない。それがドランカムの公式見解よ。ドランカムを敵に回したくなければ、余計な手出しはめなさい。えて、偶然ではないとするのならば、それはネルゴがカツヤに助けられた恩を返すために、良かれと思ってやった結果よ。それさえも貴方あなたの解釈が混ざれば、ネルゴがカツヤに付け込むすきを探った結果になってしまうのでしょう? そんな誤解を促す偏った情報なんてただでも要らないわ。貴方あなた、今まで単なる偶然をどれだけ誰かの悪意に書き換えてきたの?」


 ミズハは鋭い視線を向けていた。だがヴィオラは芝居がかった態度で微笑ほほえみ返す余裕を見せていた。


「とんでもない誤解だわ。私は正しい情報を料金に応じて提供しているだけよ。確かに、料金不足の所為せいで結果的に情報の種類や精度が偏ることもあるのは否定しないわ。でもその精度の粗い情報を基に解釈した結果まで責任は持てないわ」


「ふん。物は言いようね。何であれ、貴方あなたの情報は要らないわ」


「そう? 残念ね。まあ、押し売りするものでもないし、ここは引いておきましょうか」


 ミズハの予想は半分だけ合っていた。ヴィオラがミズハにネルゴに関する情報を売り付けようとしたのは事実だ。だがその内容は助言や忠告、あるいは警告に近いものだったのだ。


 ヴィオラはネルゴの経歴を探ろうとその手腕を発揮した。ドランカム側も把握していた経歴の裏付けはすぐに終わった。そして追加ですねに傷持つ部分やそう誤解されそうな過去を探そうとした。


 その結果、情報の入手経路にしていた情報屋の一部が突然連絡を絶った。連絡が取れた情報屋は比較的どうでも良い無難な情報を返してきた。ヴィオラはその結果に危険を感じ、そこで調査を打ち切った。


(ドランカム幹部とのつながりが消えるのも惜しいからそれとなく注意を促そうと思ったのだけど……、まあ良いわ。何事もなければそれで良し。何かあった場合は、私から情報を買わないことを選んだ人の末路ってことにしておきましょう)


 ヴィオラは意味深に微笑ほほえんでいた。ミズハはその態度を不審に思い、ヴィオラが売り付けようとしていた情報に興味を覚えたが、それが相手の目論見もくろみだと考え直して興味を抑えた。


 取りあえず正確性だけは保証されるヴィオラの情報。知ってしまえばヴィオラの都合の良いように動いてしまう。だが知らなければ破滅する。さじ加減はヴィオラ次第。そのうわさを助長する種がまた一粒かれた。芽吹くかどうかは運次第だ。




 シェリルはカツヤと談笑を続けていた。ありもしないお嬢様の生活など語れる訳もないので、自分の活躍を饒舌じょうぜつに語るカツヤに対して基本的に聞き役に徹していた。


 カツヤはここしばらくクズスハラ街遺跡で後方連絡線構築関連の仕事に従事していた。奥部の強力なモンスター達との戦闘や、後方連絡線周辺での遺物収集の手伝いなどが主な仕事だ。それらの話は単純な経験談でも遺跡奥部の状況をつかめる貴重な情報であり、都市の遺跡攻略の本気度を推し量る上でも重要で、本来は金を積んで手に入れるものだ。カツヤがこの立食会への参加を許されているのは、都市経済の根幹でもある遺跡探索で利益を得ている企業家達が、それらの情報を現場で活動するハンター達からじかに知るためでもあった。


 シェリルはそれらの話を興味深く聞いていた。驚き、おだて、感心した様子を見せて話を促していた。だがカツヤの反応から不意にあることに気付くと、少し心配そうな表情を浮かべて気遣うような声を出す。


「カツヤ。大丈夫ですか?」


 カツヤは少し驚いた様子を見せた後、僅かにごまかすような態度を見せた。


「えっと、大丈夫って、何が?」


つらい話を聞いてしまったのなら御免なさい。もう聞きません。ですから、無理をしないでください」


「……つらい話って、いや別に、確かにあの辺はモンスターも強くて大変だったけど、皆で頑張って成果を稼いだんだ。むしろ俺達の活躍を自慢したいぐらいで……」


「話を聞いて、カツヤがすごく活躍していたのは伝わりました。私もすごいと思いました。でも、それを話しているカツヤ自身が、それを一番認めていないような気がします。今のカツヤの顔を前にも見ました。以前に話を聞いた時、仲間を助けられなかった自分の無力を悔やんでいましたね。同じ顔をしていますよ。いえ、無理に笑おうとしている分だけ、前よりつらそうに見えます。……カツヤ。本当に、大丈夫ですか?」


 シェリルは心配そうな表情でそう尋ねた。するとカツヤは自分へのごまかしでもあった饒舌な口を閉ざした。その顔から空元気で浮かべていた笑顔が剥がれ落ち、少し悲しげにも見える自嘲気味な笑みがあらわになる。だがそこには気付いてもらえたうれしさも僅かににじんでいた。


「……かなわないな。隠してるつもりはなかったんだけど……、いや、無意識に隠してたのかな。自分でも分かんないや」


「知らずらずに話しにくいことを聞いていたようですね。御免なさい」


 シェリルが申し訳なさそうに軽く頭を下げると、カツヤは慌てて首を横に振った。


「勝手に話したのは俺なんだ。謝らなくて良いよ。……そうだな、それなら、また少し話を聞いてもらっても良いか?」


「私で良ければ喜んで」


 カツヤは自分でそう言って躊躇ためらっていたが、微笑ほほえんでそう答えたシェリルを見て、少し真面目な声で話し始めた。


「……また、守れなかったんだ。まもるって約束したのに、駄目だったんだ」


「そうですか……。お察しします。ですが、きつい言い方になりますが、ハンター稼業に危険は付き物です。亡くなられた方も覚悟はできていたと思います。つらいとは思いますが、カツヤが全ての責任を感じる必要はないと思いますよ?」


 カツヤが悲しげに首を横に振る。


「そいつはハンターじゃないんだ。そんな覚悟はできていなかったと思う。その必要もなかったと思う。守秘義務のようなもので詳しいことは話せないんだけど、普通のやつで、明日死んでるかもしれないハンターみたいな、そういうのじゃないんだ……。だからまもるって約束した」


 カツヤの表情が再び自嘲気味なものに変わる。


「俺、皆に結構いろんな約束みたいなことを言っているんだ。大丈夫だとか、俺が何とかするとか、チームリーダーとしての激励みたいなものなんだけど、うそを言っているつもりはなかったんだ。……でも、まもれなくて、約束を守れなくて、最近は同じことを言ってもこれもうそになるんじゃないかって思ってしまって……、ちょっと、自分でもどうすれば良いか分からなくなってるんだ……」


 シェリルはカツヤを気遣う様子を見せながら、内心では冷静に対処を思案していた。


 望んだことはかなって当然。それが基本で、その当然が崩れて落ち込んでいる。話を聞いてそう邪推した自身の思考に、性格の悪さに内心で苦笑しながら、浮かんだ返答内容をいじくり回してそれらしい体裁を整える。


「カツヤ。今から質問をしますが、答えなくて構いません。答えは、カツヤだけが分かっていれば良いことですから」


 カツヤがシェリルの妙な話に不思議そうな様子を見せる。シェリルはカツヤの視線が自分に戻ったことを確認すると、真面目な声で続ける。


「その約束を守ろうとした時、手を抜きましたか?」


 カツヤが余りの言葉に怒りを覚えて言い返そうとする。だがシェリルにじっと見詰められて逆にたじろいでしまう。


「もし手を抜いていたのなら、猛省して、同じことを繰り返さないと誓って、それで終わりです。無駄に落ち込むだけ無意味です。落ち込むぐらいなら今後の糧にしてください。そして手を抜いていないのなら……」


 固唾をんで続きを待つカツヤに、シェリルが優しく諭すように続ける。


「それは、どうしようもないことだったんです」


 叱咤しったの言葉を予想していたカツヤの意識が僅かに固まった。


「世の中には、そういうこともあります。死力を尽くしてもできないことも、万全の準備を整えたのに僅かな不運で失敗することも、最善の選択を選んでも望む結果にならないことも、人生を費やし、賭けても、足りず、届かないことは、あるんです」


 無防備になっていたカツヤの意識にシェリルの言葉が続いていく。


「ああしていれば、こうしていれば、もっと良い結果になったかもしれない。後からそう思って悩み悔やむこともあると思います。でもそれは、その選択を選んだ結果からの推察であって、ある意味で無意味な妄想に過ぎません。誤った選択の結果だと思っている今の状況が実は最善の結果だったと思ってしまうほどに、更にひどい結果になっていたかもしれません」


 その言葉をける理由が塞がれていく。


「そして、本当に誤った選択だったとしても、その時にその選択をしたことも含めて実力です。手を抜いたとする理由にはなりません」


 どこかで望んでいた言葉がカツヤの無防備な心に浸透していく。


「悲しい結果になったとしても、カツヤが約束を必死に守ろうとしていたことは、その人にもきっと伝わっています。約束を守れなかった自分を恨んでいる。そんなふうに勝手に決め付けてしまうと、その人も悲しみます。だから、その人のためにも、めてあげてください」


 最後にカツヤ以外の者のためという理由が添えられた。


 カツヤがつぶやく。そこには気が付いてしまえば簡単なことにようやく気付いたような感情が込められていた。


「……そっか。俺、また勝手に足枷あしかせにしようとしてたのか」


 カツヤはアルナの最期を思い出していた。あの時は精神的に追い詰められており、その後もひどく落ち込み続けていた所為せいで、今までその時の光景を思い返すことなどできなかった。だが、ちゃんと思い返してみれば、最期に笑っていた姿をしっかりと思い出せた。その光景に、自責を求めて作り出した悪霊などいなかった。


 カツヤが気合いを入れるように両手で自身の頬をはたく。少々強くはたきすぎた所為せいで痛そうな音が響いた。音が消え、痛みが引くと、その顔には影のない自信に満ちた笑顔が戻っていた。


「シェリル。ありがとう。なんか、すごく気が楽になった。心配掛けて御免。もう大丈夫だ」


 シェリルがそのカツヤを見て少し不思議そうにしている。


「どうかしたのか?」


「……いえ、何でもありません。本当にもう大丈夫みたいですね」


「ああ。シェリルのおかげだ」


「私は適当なことを言っただけですよ。でも折角せっかくですから、それはどうも、と答えておきましょうか」


 シェリルが悪戯いたずらっぽく微笑ほほえんだ。以前の調子を取り戻したカツヤはそのシェリルの姿に改めて見れていた。


 そこにイナベがやってくる。そしてシェリルの談笑相手がカツヤだと気付くと、あからさまに見下した態度を取った。


「ドランカムのカツヤか。こんな場所でもナンパかね? 評判通り手が早いことで。立食会の目的を勘違いしているのではないか?」


 カツヤが不満と苛立いらだちをあらわにする。


「友達と会ったから話しているだけだ。誰だか知らないけど、シェリルに変な誤解を与えないでくれ」


「そうか。では、君には席を外してもらおう。彼女と話があるのでね」


「俺が話してるって言ってるだろう? 後にしろよ」


 カツヤはその要求を厚かましく思って苛立いらだちを高めた。だがイナベも無知な者への非難を態度に出した。


「分かっていないな。この立食会は確かに懇親の場ではあるが、それは参加者同士の有意義な商談を促すためのものだ。私は彼女とビジネスの話があるのだ。一介のハンターが口を挟める内容ではないのだよ。それとも、君が意地を張って場に残った所為せいで彼女の十数億オーラムの商談を台無しにしてしまったら、君はその責任を取れるのかね?」


 流石さすがにカツヤもそんな大金の補填などできない。イナベに食ってかかろうとしていた勢いが大きくがれた。だが不満げな様子までは消えていなかった。


 シェリルがカツヤに申し訳なさそうに軽く頭を下げる。


「カツヤ。すみません。話の続きは次の機会ということに御願いできませんか?」


 シェリルに頭まで下げられてはカツヤも引き下がるしかなく、残念そうに笑う。


「あ、ああ。分かった。シェリル。またな」


「はい。また」


 カツヤは再会の約束をして幾分機嫌を取り戻した後、イナベに軽く非難の視線を向けてから去っていった。


 イナベが礼儀をわきまえていない者へ向けていた視線をシェリルに戻す。


「本題に入る前に、彼との関係を聞いても良いかな?」


「数回会って話しただけの知人です」


 シェリルの随分と冷めた返事に、イナベが僅かに怪訝な様子を見せる。


「……向こうはそうは思っていないようだが?」


「解く必要のない誤解を自分から態々わざわざ解いてあげるほど善人ではありませんので」


 さらっとそう答えたシェリルの様子を見て、イナベが少し不敵に機嫌良く笑う。カツヤはヤナギサワに目を掛けられている人物だとうわさされており、ヤナギサワとの伝を得たい者から結構重要視されていた。そのような人物と既に縁があり、しかも手玉に取っているかのようなシェリルの態度は、イナベがシェリルの評価を引き上げるのに十分だった。


「なるほど。流石さすがにあの女と付き合いがあるだけはあるようだな」


 シェリルが真面目に嫌そうな顔を浮かべてイナベに非難の視線を向ける。


「……その評価、めてもらえませんか?」


「褒めたつもりだったんだが、まあ、不服なら取り消そう」


 イナベがシェリルの様子から思案する。


(ヴィオラとシェリルが協力関係なのは間違いないが、完全な一枚岩ではないようだな。あっちを取り込むのは難しく危険すぎる。必要ならこっちを取り込むか)


 ヴィオラは非常に有能だが全く信用できない。しかしシェリルを介せば多少は安全に利用できるかもしれない。イナベはそこにシェリルの価値を見出みいだしていた。


「さて、話を進める前に少し場所を移そう。遺物を卸す口実になる程度の関係性を適度に広めるには、このフロアでの立ち位置というものがある。臭わせる程度の密談にしろ、知らしめるための談笑にしろ、フロア内の適度な位置が重要なのでね」


「分かりました。お任せします。それと、先ほどの十数億オーラムという話は期待しても良いのでしょうか?」


「君の今後の交渉を含めた努力次第だな」


「では、十分に努力いたしましょう」


 イナベのどこか挑発気味な顔に、シェリルは多分に余裕と自信を込めた見れるような微笑ほほえみを返した。


 場を移した後、シェリルはイナベと無難に談笑を続けていた。その話題の一つとしてイナベからカツヤの評判などを聞きながら、別れる前のカツヤから急に覚えた違和感の正体を考えていた。


 その約束は守れない。カツヤの心に深く突き刺さり、あるものを封じる硬いくさびとなっていたその言葉が、自分との会話で抜かれて消えたことなど、シェリルにも流石さすがに分からなかった。




 ヤナギサワが空中に表示されている資料を見ながらうなっている。


「外れだったのかなー」


 資料は最近のカツヤに関する調査報告書などだ。遺跡奥部での戦闘記録や、ドランカム主催の立食会での言動や評判、周囲の者からの聞き込み結果などが記載されている。それらにヤナギサワが望む記述はなかった。


「ネルゴが俺に虚偽の情報を渡した。連中が俺の存在に勘づいて隠蔽を謀った。……その可能性がないとは言わないが、違う気がするんだよなー。分からん」


 ヤナギサワはネルゴからカツヤが旧領域接続者だと教えられてから、様々な名目でカツヤを自分の管理下に置いてその行動を確認していた。都市のドランカムへの影響力を介してカツヤ達をクズスハラ街遺跡の後方連絡線構築の前線に配備するのは、ヤナギサワの地位ならば容易たやすいことだった。


 しかしその後部下から送られてきた報告は、予想に反した内容ばかりだった。カツヤの背後にいる存在の影どころか、旧領域接続者らしい様子もなく、少々不調気味とはいえ普通に優秀な若手ハンターの活動記録が記載されていただけだった。


 ネルゴが判断を誤ったのか。それともあの連絡は何らかの欺瞞ぎまん行動だったのか。ヤナギサワはそう疑い始めていた。


 報告書の中にはカツヤの今後の予定も記載されていた。そこには立食会への参加も書かれていた。ヤナギサワはちょうど今がその立食会の時間だと気付くと、何となくその様子を見てみることにした。


 ヤナギサワが少し操作すると、空中に立食会の光景が追加表示される。そして会場に警備用に設置されているカメラがカツヤの姿を捉えた。


 ヤナギサワは立食会の光景をしばらく眺めていた。そして急に表情を怪訝けげんなものに変えた。


「……ん? これは、ちょっと待て……」


 ヤナギサワが表示内容を操作する。カツヤが過去に参加していた立食会の光景が次々に表示される。ヤナギサワはその光景と今の光景を見比べると、笑みを深めた。


 過去の光景と今の光景には明確な差があった。カツヤに群がる人数、向けられている表情などだ。それらはネルゴがヤナギサワにカツヤが旧領域接続者である根拠を尋ねられた時の説明に、旧領域接続者の特徴に一致していた。


「これは……、ついに尻尾を出したか? 今までは連中が俺の監視の可能性に気付いてカツヤに自重させていた。だがもう十分だと、気の所為せいだと考え直した。あるいはカツヤが今回はその指示に従わなかった。そんなところか? まあ何でも良い。恐らく、こいつだ」


 ヤナギサワはその光景の差分に、カツヤの背後の存在を見出みいだしていた。それがアキラがカツヤにくさびを打ち込み、シェリルがそのくさびを抜いた結果だとまでは、流石さすがに分からなかった。

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