第168話 ハンター稼業再開

 シズカがいつものように店番をしていると、店に入ってくるアキラの姿が見えた。いつものように声を掛けようとして、いつも通りではないアキラの様子に気付いてそれを止める。


 アキラはどことなくずとした様子で店に入った後、誰かを探すように店内を見渡していた。そしてその誰かがいないことを確認し終えると、安心したようにも残念そうにも見える少し複雑な表情を浮かべた。


「いらっしゃい」


 シズカが笑って声を掛けると、アキラは一瞬びくっとした後で、少しぎこちない笑顔を返してきた。シズカはそれを少し不思議に思ったが、それでも取りあえず安心していた。エレナ達とめていた時のような雰囲気をアキラから全く感じられなかったからだ。


 カウンターまで来たアキラは何やら言い出しにくそうにしていた。シズカはそれが少し気になったが、取りあえずいつも通りに微笑ほほえんで接客を始める。


「今日の御用件は何かしら? 弾薬の補充には少々早い気がするけど。あ、暇潰しでも歓迎するわよ?」


「あ、いや、その、弾薬とかの補充に来ました」


「そうなの? この前装備品の購入と一緒に済ませたと思ったけど。新しい強化服の慣らしを兼ねてモンスターの掃討依頼でも受けて、たっぷり使っちゃったりしたの?」


「え、あ、その、い、いろいろありまして」


「そう? 補給品はいつも通りのやつで良い?」


「いえ、ちょっと、いろいろ補給しようと思いまして……」


 アキラが注文内容を少し言いにくそうに話した。シズカはそれを表向き大きな反応を示さずに聞いていたが、内心では結構驚いていた。すぐに補充が必要になるとは思えない強化服の修復用資材カートリッジ。おまもり代わりに買ったはずのアンチ力場装甲フォースフィールドアーマー弾。加えて弾薬やエネルギーパックも、予備も含めて常備分一式買いそろえる量を注文していたからだ。


 シズカが僅かに顔を曇らせる。


「御免なさい。資材カートリッジは取り寄せになるわ。あれ、ちょっと高い製品だし、私の店で扱う品とは少しずれているから。すぐに必要なら急いで取り寄せるけど……」


 アキラが慌てて首を横に振る。


「あ、大丈夫です! そこまで急いでいません。金のある内に、覚えている内に、早めに買っておこうと思っただけですから」


「分かったわ。それなら普通に注文しておくわね。他の品は大丈夫よ。結構量があるから、アキラが車で来たのなら裏からでも良いかしら?」


 シズカが微笑ほほえんでそう尋ねると、アキラが少し焦りを見せる。


「あ、その、あー、……はい。分かりました」


 アキラはどことなく観念したような様子を見せた後、車を裏手に回しに出て行った。




 アキラが購入した弾薬等を車に積み込んでいる。シズカはその様子を見ながら何げないように尋ねる。


「ねえアキラ。その車、レンタルよね? 私から買ったものは整備にでも出しているの?」


 アキラが一度動きを止める。そしてシズカから視線をらしながら答える。


「いや、その、……すみません。あれは廃車になりました」


「廃車って……」


「その、いろいろありまして」


 うそは言っていない。シズカから買った車は確かに廃車になった。しかしそれは随分前、あの賞金首もどきと戦った時のことだ。いずれ同じ車種の車を買うか、あるいは廃車以外の理由で買い換える名目が立つほどに高性能な車に買い換えて誤魔化ごまかそうと思っていたのだが、その前に次の車も廃車になってしまった。車に積んでいた弾薬も持ち運べない分は一緒に失った。今回弾薬を大量に購入したのはその分の補給でもあるのだ。


 シズカはアキラの態度をて、どことなく叱られるのを怖がっている子供のような雰囲気を覚えた。そしてその理由を推察すると、アキラを少しなだめるような様子を意図的に出した。


「ねえアキラ。この前のことなんだけど、あれでエレナ達のこと嫌いになっちゃった? もしそうなら、無理に仲直りをしろとは言わないけれど、エレナ達も悪気があってアキラを止めようとした訳ではないってことぐらいは分かってあげて。あれは、エレナ達なりにアキラを心配していたから言ったことなの。余計なお世話だったとしてもね」


 アキラは自前の車を廃車にしたほどの無茶むちゃをしたことをとがめられると思っていた。そのため別方向の話題に軽く意表を突かれた表情を浮かべた後、慌てて首を横に振った。


「そんな、とんでもない。あの時はエレナさん達に随分失礼な態度を取っちゃって、むしろ俺の方が怒らせて嫌われたと思っているぐらいで。折角せっかく親身になって止めようとしてくれたのに、エレナさん達が言った通り、もう、本当に割に合わなくて……。やっぱりいろいろ感情的になっていたというか、意固地になっていた部分もあって、まあ、今だから言えることなんですけど……」


 アキラは何かを反省して気落ちしている様子を見せていた。シズカがそれを見て、アキラを元気づけるように笑って明るい声を出す。


「何があって廃車になったか知らないけど、取りあえずアキラが無事で良かったわ。怪我けがとかは大丈夫なのよね?」


「あ、はい。それは大丈夫です」


「それなら良いのよ。これからも体には十分気を付けなさい。アキラがあれをもう気にしてないってことは、私からもエレナ達に伝えておくわね。店におっかなびっくり入ってきたし、多分だけど、ちょっと気まずいんでしょう?」


 そう言って苦笑するシズカに、アキラも苦笑を返す。


「すみません。お願いします」


「分かったわ。ちゃんと伝えておくわね。安心して。エレナ達の方は別に怒ったりしていないから。大丈夫よ」


 アキラが明らかに安心した様子を見せた。それを見てシズカが機嫌良く笑う。


「それにしても、アキラとエレナ達の仲がこじれなくて良かったわ。仲がこじれて気まずくなって私の店に立ち寄りにくくなったりしたら、店の売上げに響いちゃうからね」


 笑い話にして話を締めようとするシズカに、アキラも笑って返した。




 弾薬等を車に積み込み終えたアキラが帰っていく。シズカはアキラを笑って見送った。そしてアキラの姿が見えなくなると、僅かに笑顔を曇らせてつぶやく。


「本当に割に合わなくて……か」


 シズカはアキラがアルナを殺したことに気付いていた。


 割に合わなかった。そのアキラの言葉には実感が籠もっていた。車が廃車になったのも、今回の弾薬等の補給も、その割に合わない事態の代償なのだろう。エレナとサラに止められて、自分からもよく考えるように言われたはずだが、結局アキラはスリを見逃せなかった。あの時のアキラの様子から考えて、スリと劇的な和解をできたとは思えない。意固地になっていたと認められるほどの、我に返ったと言えるほどの意識の切り替えができるようになったのだ。ならば、恐らくは、殺して我に返ったのだ。


 そう考えればアキラの店に入った時の態度も納得できる。友人達の助言や忠告をほぼ無視して突っ走ったのだ。その友人達と顔を合わせるのを気まずくも思うだろう。シズカはそう推察していた。自身の勘もそれを肯定していた。


 その推察からシズカはおもう。殺されたスリに同情の念は湧かない。だがアキラがスリを殺したことには悲しみを覚えた。アキラは既に4億オーラムの装備を手に入れられるほどの力を得ているのだ。その力があっても割に合わなかったと判断した危険や損害も、結局はアキラを止められなかったのだ。


 大きな力は余裕や寛容も生み出す。しかしアキラが得た力はアキラにスリの件を取るに足らない出来事にするほどの余裕や寛容を与えなかった。アキラの意識はいまだスラム街から脱していないのだ。


 まだ弱かった頃にそんな失敗もしたな。アキラがそう笑い飛ばせるほどの安堵あんどを手に入れるためには、一体どれほどの力が必要なのか。それほどの力を無自覚に渇望するほどに、どれほど打ちのめされ続けてきたのか。シズカはそれをおもかなしんだ。


「……取りあえず、エレナ達に早速連絡しておきましょうか」


 悔やむだけでは状況は改善しない。エレナ達の機嫌のためにも、自分の気を切り替えるためにも、大事にならずに済んで良かったと笑って話そう。シズカはそう考えて軽く笑って店に戻っていった。




 ヤツバヤシの診療所には治療用患者の部屋と治験用患者の部屋が存在している。治療用のベッドを使用するか治験用のベッドを使用するかは患者の金で決まる。ここに厄介になる患者は大抵スラム街の住人なので、大抵は治験用のベッドを使用することになる。


 それらの部屋の更に奥には立入禁止の部屋が存在していた。治療でも治験でもない実験用患者の部屋だ。広めの室内には得体の知れない様々な装置や器具が置かれていた。そしてその部屋の中央にあるベッドにティオルが腰掛けていた。


 ティオルはぼんやりとした表情で黙って前を見ていた。手と足に分厚い鉄板のような拘束具が着けられているが、それを気にしている様子は全くない。身じろぎもせずに座っていた。


 部屋には窓もない。壁は防音性で外から音も入ってこない。ティオルも黙っているので部屋の中は非常に静かだ。その外部の一切の情報を隔離したような部屋で、ティオルが不意に視線を部屋のドアに向ける。するとドアが開いてヤツバヤシが入ってくる。


「食事だぞー」


 ヤツバヤシが食事を持って部屋の中に入ってティオルの様子を見た時、ティオルの視線は既に前方の空間に戻っていた。


 ヤツバヤシはティオルの前に座ると、料理を金属製のフォークで刺してティオルの口元に運ぶ。ティオルが口を大きく開けて料理をフォークの先ごと咀嚼そしゃくした。


 ヤツバヤシが先のなくなったフォークを見ながらつぶやく。


「失敗したかなー」


 ヤツバヤシが先のなくなったフォークをティオルの口元に運ぶと、ティオルはそれも食べ始めた。その後、金属製の皿に乗った料理も皿ごと食べてしまった。ヤツバヤシは自分の手も食べられないように注意して皿を支えて、早めに手を放した。


 食事を終えたティオルは黙ってヤツバヤシを見ていた。焦点は合っている。しかし近いものを見ているだけであり、その視線から何らかの意思を感じることはできなかった。ヤツバヤシがティオルの口を拭っても、ティオルは全く反応を示さなかった。


 ヤツバヤシは僅かに険しくも残念そうな表情を浮かべている。


「失敗したかなー。上手うまく行くはずだったんだけどなー。怪我けがは完治しているし、適合の具合も問題なさそうに見えるんだけど、脳まで到達しちゃったか? そっちの面から設計をやり直さないと駄目か? あるいは事前のナノマシン除去が不完全で、残留ナノマシンとの競合や変異が発生したか? ……分からん。もう少し様子を見るか」


 ヤツバヤシがめ息を吐く。そして立ち上がり、部屋から出ようとしてドアノブに手を掛けたところで振り返る。


「ティオル君。治療でも治験でもなく実験でも良いと言ったのは君だ。最善を尽くすが、駄目でも悪く思うなよ? じゃあ、また明日な」


 ヤツバヤシは笑ってそれだけ言うと部屋から出て行った。先日の騒ぎで病室のベッドは満床だ。研究資金を稼ぐためにも彼らの治療に手は抜けず、ヤツバヤシはとても忙しかった。そのため常時ティオルに貼り付いている余裕はなかったのだ。


 部屋にはまたティオルだけになった。静寂を取り戻した部屋の中で、ティオルは今までと同じように黙って前を見続けていた。その視線が急に自身の手枷てかせに向かう。そして大口を開き、手枷てかせみ付いた。




 トメジマが都市の下位区画の事務所で頭を抱えている。そこにコルベが入ってきた。トメジマが勢いよく顔を上げる。


「どうだった!?」


 かなり必死な表情を浮かべているトメジマに向けて、コルベが首を軽く横に振る。


「ちょっと調べてきたが、駄目だ。見つからないし、連絡も取れない。多分死んでるな」


「くそっ! またかよ!」


 トメジマが再び頭を抱えた。そのかなり深刻な表情には多分に焦りの色が見えた。


「荒れてるな。そんなにヤバいのか?」


「当たり前だ。これで10人だぞ? 10人分の債権が吹っ飛んだんだ。損害額が幾らになると思ってるんだ?」


 コルベはトメジマからの仕事で債務者の捜索及び債権の回収を頼まれていた。回収対象はハンターやハンター崩れだ。そこらの人間には手に余るため、同じハンターであるコルベに仕事が回ってきたのだ。


 しかしその債務者達は現在行方不明だった。ただしトメジマもコルベも彼らの行方の想像は付いている。先日の大抗争で、エゾントファミリーかハーリアスのどちらかに雇われて戦死した。死体は恐らくエゾントファミリーの拠点内に散らばっている。そう推測していた。


 コルベがその負債額を頭で軽く計算して少し不思議そうにする。


「連中の負債をき集めても億には届かねえだろう。お前がそこまで頭を抱える額か?」


「今は少しでも金が要るんだよ……」


「お前のとこ、そんなに資金繰りがやばかったっけ?」


 トメジマがまた軽く項垂うなだれて顔をゆがめる。


「……例の抗争で、うちは両賭けしてたんだよ」


「それは、御愁傷様だな」


 コルベは頭を抱えるトメジマの苦境を理解して苦笑した。


 エゾントファミリーとハーリアスは抗争の資金源を下位組織から絞っていたが、それに加えてトメジマ達のような金融業者からも多額の融資を受けていた。勝てばたっぷり色を付けて返す。更に競合相手を潰して盤石となった支配力でいろいろと便宜を図ってやる。そう言って半ば脅迫的に多額の資金を借りていたのだ。


 確かに上手うまく勝ち馬に乗れれば十分な利益を見込める話だ。しかし両組織の力は拮抗きっこうしており、勝者を見極めるのは困難だ。金を貸さなかった方の組織が勝者になれば、その後非常に肩身の狭い経営を強いられることになる。どちらに貸すべきか。これは一種の賭けだ。


 そのため賭けに出なかった者もそれなりにいた。両方の組織に融資して、どちらが勝っても金銭的には少々の損で済ませて、勝者との顔つなぎなどから得る長期的な利で採算を合わせる。その無難とも言える選択をした者も多かったのだ。トメジマもその一人だった。


 なお両賭けを選んだ者達がそう選択した裏にはヴィオラの暗躍があった。大規模な抗争になるように、多額の資金が両方の組織に流れるように、決定を誘導する情報を流していたのだ。その結果、多数の人型兵器を投入できるほどの資金が両組織に流れ込んだのだ。金という油がたっぷりかれていた抗争は、ヴィオラの目論見もくろみ通り大炎上した。


 その大抗争の結果、組織は両方とも壊滅してしまった。両賭けを選択した者達は多額の融資の回収先を失ってしまい途方に暮れていた。ある意味で彼らもヴィオラの被害者だ。


 コルベがトメジマを軽く励ます。


「分かったよ。お前の会社に潰れられても困るからな。債務者連中をもう少し探してやる。あんまり期待せずに待ってろ。運が良ければ、死体ぐらいは見つかるだろう」


「ああ。頼んだ。ついでに可能ならいろいろ回収してくれ」


「言っておくが、その分の費用はちゃんと請求するからな?」


「それを俺が支払えるだけの成果を期待してるよ」


 トメジマは項垂うなだれながら軽く手を振った。コルベは苦笑して事務所から出て行った。




 シェリルが拠点の一室でヴィオラと向かい合って座っている。シェリルは相手への悪感情から僅かに刺刺とげとげしい笑顔を浮かべている。ヴィオラはそれを少し楽しげに微笑ほほえんで流していた。


「お元気そうで何よりです。もう大丈夫なんですか?」


「完治済みよ。全く問題ないわ」


「そうですか。では、これからよろしくお願いします」


「こちらこそよろしく。ボス」


 ヴィオラはアキラとの約束通りシェリル達の徒党運営に協力しに来ていた。徒党の顧問のような立ち位置ではあるが、一応シェリルの配下としても動くことになっている。シェリルをボスと呼んだのもそのためだ。


 シェリルはこれで表向きではあるが、アキラという非常に扱いにくたちの悪い人物と、ヴィオラという極めてたちの悪い人物を共に手駒にしたことになった。その情報は既に広まっており、シェリルとその徒党は周囲から一目置かれることになった。なおその情報を流したのはヴィオラだ。


 シェリルがヴィオラに厳しい視線を向ける。


「先に警告しておきます。私はアキラからヴィオラさんの監視も頼まれています。必要なら殺して良いとも言われています。私には戦力的に無理だとしても、アキラに理由を添えて連絡すればアキラが殺しに行くことになっています。くれぐれも注意してください」


 自分はヴィオラの生殺与奪の権を握っている。シェリルは警告と忠告とまっていた鬱憤の解消も兼ねてほぼはっきり言い切った。これでヴィオラの微笑ほほえみが僅かでも崩れていれば、シェリルの気も多少は晴れた。だがそれはかなわなかった。


「ヴィオラで構わないわ。これから長い付き合いになるのかもしれないのだから、遠慮なくそう呼んでちょうだい」


 ヴィオラは余裕の笑みを浮かべたままそう答えると、冊子のようなものをシェリルに差し出す。


「これ、何ですか?」


「徒党の運営を改善する私の仕事。その手始めよ。現状認識の資料といったところかしらね」


 シェリルがいぶかしみながら冊子を受け取り、その中身を読み始める。


「情報端末でも読めるように電子データで渡しても良いのだけど、冊子のような紙の束になっていた方が実感も得やすいと思ったのよ。電子データの方も後で渡すから安心してちょうだい」


 冊子の中身の意味を理解し始めたシェリルの表情が青ざめ始める。


「それでもかなり甘く試算したのよ? 何しろ利子は付かないし、催促どころか返済義務もない。そこらの金融業者に見せれば鼻で笑われる内容だわ」


 冊子の中身はシェリル達がアキラに支払う報酬の詳細だった。徒党の後ろ盾。店の警備。エリオ達の訓練。先日のシェリルの救出。それらの様々な項目に対して妥当と考えられる金額が記載されていた。シェリルが抱えているアキラへの恩や借りを具体的な金額に算出したものとも言える。悪く表現すれば、アキラへ未払いのままの負債額だ。


ただより高いものはないと言うけれど、残念ながら無償の恩だとその価値を軽んじてしまう人もどうしても出るからね。その価値を理解しやすい具体的な金額に換算しておいたわ。徒党の構成員にもよく理解していない人はいるでしょう。ああ、勿論もちろんボスは別よ? 他の人のことよ」


 シェリルが強張こわばった表情を浮かべながら、その負債額の総額を僅かに震えた声で口に出す。


「……38億オーラム、ですか」


 最も高額な項目は先日のシェリル救出だ。10億オーラムと記載されている。シェリルにはその額の算出方法が妥当であるかどうか判断する知識はない。


「試算項目の内容に疑問があったら遠慮なく言って。すぐに修正するわ」


 愛想良く微笑ほほえむヴィオラに、シェリルは辛うじて笑顔を保ちながらも、にらみ付けるような視線を向けた。算出内容の不備を見つけたとしても、報酬額を下げる指摘はアキラへの評価を下げるのと同じだ。シェリルにはできない。ヴィオラはそれを理解した上で話しているのだ。シェリルにもそれぐらいは分かった。


「ああ、電子データの方は先にアキラに送ったけれど、内容を修正したらアキラにも再送するから安心してちょうだい」


 シェリルの表情が一瞬だけ驚きに染まる。その後は込み上げる怒りで固まり始める。手を強く握りしめ、歯を食いしばって叫び出すのを堪えていた。


 シェリルはヴィオラの生殺与奪の権を握っていたはずだが、それは先ほどの話で完全に無意味となった。ヴィオラはアキラとの取引でシェリル達の徒党の運営を改善させるためにここにいるのだ。その実力でアキラの投資を回収し更なる利益を生み出すために。その利益をアキラが得るために。


 つまり、シェリルがアキラにヴィオラの殺害を頼むためには、それを上回る理由が必要になる。極端な話、何となく気に入らないからヴィオラを殺してくれと頼んだ場合、それはアキラに自分の我がままで最低でも38億オーラムをどぶに捨ててくれと言っているようなものなのだ。そんなことを口にしたらアキラからの心証はどうなるか。シェリルはそれを想像したくなかった。


 シェリルが怒りを抑えずに静かに微笑ほほえむ。その表情はとても落ち着いていた。


「……そうですか」


 シェリルは自身の怒りの変化に気付いていた。激しく燃え上がり爆発しそうだった怒りは消え去り、代わりに凍えそうなほどに冷たい怒りが鎮座していた。


 シェリルがヴィオラに丁寧に頭を下げる。


「私には徒党の運営等に関して未熟な点が多数あります。精一杯努力しますので、御指導をよろしくお願いいたします」


 その手腕、全て学んで用無しにしてやる。シェリルは固い決意と覚悟を胸中に秘めて微笑ほほえんだ。それはヴィオラに確かに伝わった。


勿論もちろんよ。これからずっと一緒に頑張りましょう」


 お前には無理だ。ヴィオラは愛想良く微笑ほほえんだ。それはシェリルに確かに伝わった。




 シェリルとヴィオラが部屋で話を続けている間、キャロルは近くの部屋で徒党の少年達と雑談して暇を潰していた。人目を引く美貌。凹凸に富んだ分かりやすなまめかしい肢体。そして男の意識を集めるデザインの強化服。それらが組み合わさった姿は、徒党の少年少女達の視線を集めていた。


 キャロルは誘うように微笑ほほえみながらアキラと同じ年頃の少年達の態度を観察して、やはりアキラの態度が異常なのだと再確認していた。大きく開けられた胸元から見える谷間の肌に視線を向ける少年からアキラに関する話を聞き出しながら、アキラもこれぐらい容易たやすければ良いのにと、少し残念に思っていた。


 なお徒党の少女達にはないキャロルの大人の色気は、徒党の少年達に目の保養という利益を与えていたが、エリオがキャロルの胸元をついじっくり見てしまい、それをアリシアに見られてへそを曲げられてしまい、慌てて機嫌を取るという地味な被害も発生させていた。


 キャロルが徒党の少年達を使って自身の副業向けの能力を確認していると、部屋に入ってくるコルベに気付いた。


 コルベもキャロルに気付く。そして嫌そうに顔をゆがめる。


「あらひどい。随分な態度ね」


「自分の悪評を理解してないのかよ」


「悪評だなんて。これでもお客からは絶賛されているのよ?」


「ヴィオラとつるんでるだけあってたちが悪いな。お前ら、悪いことは言わねえから、そいつに手を出すのは止めとけ。破滅まで一直線だぞ」


「そんなことないわよ。ねえ?」


 コルベの忠告とキャロルの誘い。少年達の反応は大分キャロル側に傾いていた。キャロルが楽しげに笑う。コルベは軽いあきれを見せた。


「それで、貴方あなたは何しに来たの?」


「ああ、シェリル達に軽い仕事を頼みに来たんだ。……ま、ヴィオラの伝ってことになるんだろうが」


 コルベはシェリルの徒党の背後にアキラがいることを知っている。アキラと余り関わりたくないコルベがそれでも仕事を持ち込みに来たのは、徒党の仕事を増やそうとしているヴィオラからの要望だからだ。


 コルベはヴィオラを警戒しているが、それでも関わりを断てないでいる。キャロルはその友人のたちの悪さを知った上で楽しげに微笑ほほえんでいた。




 アキラが荒野をバイクで疾走している。目的地はクズスハラ街遺跡だ。遺跡探索再開の準備を済ませてようやく真っ当なハンター稼業を再開したのだ。


 バイクはレンタル品ではない。クズスハラ街遺跡は未発見の遺跡ではないが、アルファの案内で奥部に向かうならレンタル品で移動するのは危険だ。移動ルートがしっかり記録に残るからだ。


 アキラはアルファの勧めでこのバイクを購入した。ハンター向けの荒野仕様の大型バイクだ。車体の後方には搭載している制御装置と連動しているアーム式の銃座が2本取り付けられている。そのアームにはDVTSミニガンとA4WM自動擲弾銃が取り付けられている。車体の装甲はアキラの防護コートと同じ力場装甲フォースフィールドアーマー式で、車載の制御装置で管理されている。その制御装置は既にアルファが乗っ取り済みだ。


 アキラは新しいバイクの疾走感に機嫌を良くしながらも、表情に少しだけ疑問を浮かべていた。


『アルファ。今更だけどさ、やっぱりバイクにここまで金を掛ける必要があったのか?』


『必要経費よ。割り切りなさい。クズスハラ街遺跡の奥部には車では入れない場所も多いわ。あそこを当面の活動先にするならバイクの方が良いのよ。確かに、今のアキラには高い買物だったけれどね』


 アキラはバイクの代金に預金のほぼ全額を使い切った。万一の場合の再起用の予備予算までぎ込んだ結果、修理に出している強化服の修理代どころか来月の家賃まで危ない状況だ。アキラも一度躊躇ちゅうちょしたが、アルファにその危険を負う価値があると説得されて購入を決意したのだ。


『ここまで金が危なくなったのは、明日の宿代もなくなって遺跡に行った時以来か? 絶対に旧世界の遺物を持って帰らないと。大丈夫なんだよな?』


 アキラがバイクと併走して飛んでいるアルファに視線を向けて念押しすると、アルファが自信たっぷりの笑顔を返してくる。


『大丈夫よ。私に任せておきなさい』


 アキラが軽く笑う。今の所、アルファのその笑顔には信じるに足る実績があるのだ。


『分かった。ま、そっちも今更か。その辺は信じるって言ったしな』


『そういうことよ』


 アキラはアルファと軽く笑い合いながら、クズスハラ街遺跡を目指して荒野を走り続けた。

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