第110話 偽お嬢様御一行

 シェリル達はクガマヤマ都市の下位区画にある高層ビルを訪れていた。徒党の運営に絡む事務手続きのために、クガマヤマ都市のハンターオフィス本部にいく必要があったのだ。


 シェリルがビルのフロアで荒野向けのコートを脱いで連れのエリオに渡す。コートを脱いだシェリルの姿を見た周囲の者が軽い関心を示した。シェリルが着ている服は旧世界の衣服を150万オーラム支払って仕立て直した一張羅だった。


 防壁の内側の住人と誤解されても不思議のない軽い気品すら感じさせる服を身にまとっているシェリルを、スラム街の住人だと見抜くのは難しい。シェリルは場の雰囲気に飲まれている様子もなく自然体だ。持ち主の魅力を引き立てる服と持ち前の容姿の高さも相ってどこぞのお嬢様のようにも見える。シェリルのそばに武装した護衛のような人間がいることもその誤解に拍車を掛けていた。武装した少年と男性、エリオとダリスだ。


 エリオは緊張を隠しきれない様子だ。ハンターオフィスの雰囲気に飲まれて畏縮し、落ち着きなく周囲を見渡し、冷や汗をかいていた。


 シェリルがエリオを落ち着かせるように話す。


「エリオ。ゆっくり深呼吸でもして落ち着きなさい。別に危険な場所ではないわ。スラム街の裏路地よりはるかに安全な場所よ。怖がることはないわ」


「わ、分かってる。でもさ、分かるだろう? シェリルはよくそんなに落ち着いていられるな」


 エリオは全く緊張の色を見せないシェリルの姿を見て、尊敬と畏怖に近い感情を覚えていた。シェリルもエリオもスラム街の住人だ。その基準から判断すれば間違いなく場違いな人間だ。スラム街の住人など武装した警備員にいつたたき出されても不思議はないのだ。


(……まあ、シェリルはアキラと取引をして徒党のボスの座に就いてるんだ。その辺の度胸は並外れてるんだろうな。やっぱりそこらのやつらとは違うってことか。……普通のやつは自分の徒党が襲ったハンターへ自分から交渉に行ったりはしないか)


 かつては自分と同じスラム街の有象無象だった少女を、今ではもう住む世界が違うような格好をしている美少女を、エリオは何とも言えない気持ちを覚えながら見ていた。


 シェリルがエリオに念を押す。


「不審者丸出しだと警備に間違いなく呼び止められるわ。できるだけ普通にして」


「分かってる。分かってるけどさ……」


「落ち着くまで深呼吸でもしていなさい」


 ダリスが苦笑しながら話す。


「俺はそろそろ外れても良いか? お前らも大変だろうが、俺もちょっと忙しくてな」


 シェリルが答える。


「はい。ここまで送っていただいてありがとう御座いました」


「じゃあ、また後でな。俺はこのビル内にいる。何かあれば連絡してくれ。万一連絡が付かない場合はカツラギに連絡しろ。帰る時間になったら合流だ」


「はい。分かりました」


 ダリスがシェリルを見て苦笑しながら話す。


「……まあ、その格好でここにいれば、変なやつに絡まれることもないだろう。ハンターオフィスのお膝元だからな。馬鹿は少ないはずだ。しっかし、女ってのは本当に化けるな。知ってなきゃ俺もだまされそうだ。ああ怖え」


 シェリルが上品に微笑ほほえんで答える。


「褒め言葉として受け取らせていただきます。アキラから贈っていただいた服のおかげですので」


 ダリスは苦笑したまま軽く手を振って去っていった。カツラギに頼まれてシェリル達をここまで送ったが、面倒な事務手続きまで付き合う気はない。上階の店で暇を潰すつもりなのだ。


 偽お嬢様御一行から強そうな護衛が離れていく。弱そうな護衛はまだ緊張気味なままだ。周囲の者の視線も既にシェリル達から外れている。ここは防壁の内外の住人がいる場所だ。そしてハンターオフィスは企業の要職に就く者なども訪れる場所であり、シェリル一行が本物のお嬢様であったとしても、別に珍しい存在ではないのだ。


 シェリルがエリオの様子を見て話す。


「落ち着くまでここで少し何か話でもする? 余りに落ち着かない様子だと、私の護衛だと判断されないかもしれない。私の護衛は無理でも、護衛役ぐらいはしてもらわないと困るわ。そのために連れてきたのよ?」


「ああ、分かってるよ」


 エリオはシェリルの護衛役だ。ぱっと見では性能の良さそうな防護服を着用して、強化服無しでも装備できる重量の銃を装備している。シェリルがカツラギと取引をして手に入れたものだ。周囲の者がエリオを見れば、最近よく見掛けるという装備だけは良い若手ハンターだと判断するだろう。


 ただしエリオの装備は本当に見た目だけの代物だ。防護服は無駄に重く、防御性能も低い。銃は照準が狂っている上に暴発の恐れがあり、危ないから使用するなとカツラギから念を押されている。この装備で荒野に出かけるのは自殺手前の暴挙である。


 エリオにもシェリルを守れるだけの戦闘技術などない。それでもシェリル1人で出歩くよりははるかに安全だ。見かけ倒しでもいるのといないのでは大違いだからだ。そしてこの場で、ハンターオフィスの施設内でエリオの実力を強引に確かめようとする者はいない。この場でめ事を起こせばハンターオフィスへの敵対行為になり兼ねないからだ。


 エリオが緊張を紛らわせる話題を考えて、そもそも自分がここにいる原因に辿たどり着く。


「そういえば、アキラさんの用事ってなんなんだ? アキラさんがいれば俺は要らなかったよな?」


 シェリルが平静を装って答える。


「……ハンター稼業よ」


「いや、俺だってそれぐらいは分かる。ほら、ボスの頼みを断るほどの用事って何だったのかなって」


「……別に私も必死になって頼んだわけではないわ。それに私が都市の下位区画の中を少し遠出するたびに、一々アキラに護衛を頼むわけにもいかないでしょう? 今日はカツラギさんの伝でダリスさんに護衛を頼めたけれど、いずれはエリオとか徒党の人員に護衛を任せるつもりよ。エリオも慣れておきなさい」


「うーん。でもなあ……。ハンター稼業って言ったって……」


 エリオが考える。ハンターがハンター稼業にいそしむのは当然だ。だが重要な用ではないだろう。アキラがシェリルから、恋人から危険を避けるために少しそばにいてほしいと頼まれた時に、それを断るような理由になってしまうのだろうか。


(俺ならアリシアにそう頼まれたら、よほどのことがない限りそばにいる方を優先するけど……)


 エリオが自分と恋人に当てめて考えて、少し不自然さを覚えて僅かに怪訝けげんな表情を浮かべた。


 その直後、シェリルが急に笑顔を消して、静かな声でエリオに尋ねる。


「エリオ。もしかして、私とアキラの仲を疑っているの?」


 シェリルの静かな声の中には、本気の怒気が見え隠れしていた。シェリルの瞳からは異性を魅了する輝きが消えている。シェリルは何かを見る目で暗く、深く、エリオをのぞき込んでいる。


 エリオが慌てて否定する。


「いや、違う! それは誤解だ! むしろ逆だ! あんなに仲が良いのに、シェリルがアキラとデートをする口実……、機会をシェリルの方から捨て……、見送ったのが意外だっただけだ! そうだよな! アキラにも用事があるんだからシェリルが邪魔……、予定外のことを頼む頻度は減らした方が良いよな!」


 わざわざ言い換える必要性が有るのか、恐らく本人もよく分かっていない内容の弁明を、エリオは必死になって話した。


 シェリルにも分かっている。シェリル達の徒党はアキラの後ろ盾がなければ成り立たない。だからエリオはシェリルとアキラの仲が悪化した可能性を感じて不安に思い、過剰に反応しただけだ。


 理解して、納得している。だがその理解と納得ではシェリルの機嫌の悪化を十分に抑えることはできなかった。


 自分の付き添いをアキラに頼んだ時、シェリルはアキラの機嫌を損ねない程度に強めに頼んではみたのだ。しかしつれなく断られてしまった。アキラはシェリル側の都合で自分の予定を変更することを嫌がり、悩みもせずに断ったのだ。


 シェリルの機嫌の悪化は、彼女の不安の裏返しだ。アキラの気紛きまぐれが終わる前に、自分はアキラの大切な誰かになれるだろうか。努力はしているつもりだが間に合うだろうか。あるいは、既に手遅れか。だから今回の頼みを、誘いを断られてしまったのだろうか。シェリルには分からなかった。


 シェリルは表向きの様子を何とか普通の状態に戻して、微笑ほほえみながらエリオに話す。


「それなら良いの。……要らぬ誤解を招く態度は不幸の元よ?」


「あ、ああ。誤解が解けて良かったよ。気を付ける」


 エリオが大きく安堵あんどの息を吐いた。ハンターオフィスに対する気後れや尻込みはエリオの中から消えせていた。




 シェリルの事務手続きの前半部が終わった。後はハンターオフィス側の処理が終わってからだ。シェリル達は残りの手続きの時間まで、1階の広間に設置されている椅子に座って待っていた。


 シェリルは今後の計画を思案して暇を潰している。アキラから頼まれた遺物の売却を成功させるための計画だ。今回の手続きもその一環だ。情報端末を操作して様々な案を記述し、精査し、添削し、推敲し続けている。


 この計画が成功すれば、自分はアキラにとって、捨てるには惜しい役に立つ道具ぐらいにはなるだろう。それはアキラとの仲を深める機会と時間を増やすだろう。シェリルはそう考えてこの計画に全力を尽くしていた。


 真剣な表情で計画の立案を続けているシェリルに声を掛ける者がいる。


「……やっぱりシェリルだ! シェリル!」


 3人のハンターがシェリル達の所に歩いてきていた。少しうれしそうに笑っているカツヤ、苦笑を浮かべているユミナ、不機嫌ではない無表情のアイリの3人だ。


 シェリルはカツヤ達を認識すると椅子から立った。そしてそばまで来たカツヤ達に微笑ほほえんで会釈する。


「お久しぶりです。皆様お元気そうで何よりです」


 カツヤがシェリルの微笑ほほえみを見て少し照れる。見れる美貌の上に浮かべている相手への好感を表した微笑ほほえみは、シェリル本人の素質と訓練の成果を十分に発揮していた。


 カツヤがシェリルの前に立ってうれしそうに笑いながら話す。


「こんな場所でシェリルに会えるとは思わなかった。また会えてうれしい」


 カツヤはそこまで言ってから、シェリルの隣にいるエリオに気が付いた。


「……えっと、そっちのやつは?」


 カツヤに見られたエリオが少し焦る。気のせいかもしれないが、自分を見るカツヤの視線を好意的なものとは感じられなかったからだ。


 エリオの装備やたたずまいはカツヤ達を馬鹿にする者達がよく口にする言葉そのものだ。長所は装備だけの未熟者だ。高性能な装備を自分の実力と勘違いしている愚か者だ。少なくともカツヤにはそう見えた。それが無意識にカツヤの機嫌を損ねたのかもしれない。


 あるいは単純に、シェリルには相応ふさわしくない男がシェリルのそばにいることが気に入らないのかもしれない。カツヤは自覚していない理由でエリオを好意的には見れなかった。


 カツヤ達がエリオに自己紹介をする。


「ああ、俺はカツヤだ。ドランカムに所属しているハンターだ。ハンターランクは36だ」


「ユミナと言います。カツヤと同じ、ドランカムに所属しているハンターです」


「アイリ。同じく」


 エリオが更に焦る。目の前にいるのは見た目だけの装備を整えた自分のような虚仮威こけおどしとは異なる本物のハンターだ。しかもカツヤはどことなく自分を威圧するように見える。この場で自分を殺すような真似まねはしないだろうが、それでも怖いものは怖いのだ。


 焦ったエリオは表情をできるだけ変えないようにして、シェリルから事前に指示された通りの内容を少し緊張気味に告げる。


「……私語は慎むように指示されている」


 エリオはそれだけ答えて、カツヤ達から視線をらした。焦りと緊張を誤魔化ごまかした所為なのか、どことなく素っ気ない返事だった。


 カツヤ達がエリオの態度に少し腹を立てる。取るに足らない者と判断した相手への返事とでも聞こえたのかもしれない。


 シェリルが申し訳なさそうにカツヤ達に謝罪する。


「申し訳御座いません。彼は私の護衛です。護衛の妨げになりかねないとして、職務中は他者と不用意に話さないように指示されているのです。彼の非礼は私が代わりに謝罪いたします」


 シェリルがカツヤ達に頭を下げた。カツヤが少し慌てて答える。


「い、いや、そういう事情なら仕方ないよな?」


 カツヤが同意を求めるようにユミナとアイリを見る。


「そういう事情なら仕方ないわ。こちらこそ御免なさい」


「仕事は大事。仕方ない」


 ユミナとアイリも誠実に頭を下げるシェリルの姿を見て機嫌を直した。


 シェリルが顔を上げて微笑ほほえみながら礼を言う。


「ありがとう御座います。……彼のことは、こういう表現は良くないかもしれませんが、余り触れずにお願いいたします。職務に慣れておらず、余裕がなく緊張気味なのです」


「良いんだ。気にしないでくれ」


 カツヤがまた少し照れながら答えた。


(シェリルもこう言っているし、シェリルの知人に変な態度を取ったらシェリルに嫌われるし、気を付けないとな。よし)


 シェリルの知人に悪印象を持たれると、シェリルからの印象も悪くなるかもしれない。逆もまたしかりだ。カツヤはエリオに愛想良く笑いかけた。


 エリオはあっさり態度を変えたカツヤ達と、そのカツヤ達に微笑ほほえんでいるシェリルを見て、安堵あんどするのと同時に少し怖くなった。


 怖い。それはカツヤ達に対しての感情ではない。シェリルに対する感情だ。


(……多分、シェリルはこいつらをだまそうとしているんだよな? こいつらの態度は、少なくともスラム街のガキに対するものじゃない。最低でも、俺達のことを下位区画の普通の住人だと思っている。いや、下手をすれば、防壁の内側の人間だと勘違いしている。……ここまであっさりだませるものなのか?)


 思い返せばシェリルはヒガラカ住宅街遺跡の時も、そこで会ったハンター達に似たようなことをしていた。あの時のエリオには荒野にいる緊張の所為でいろいろ考える余裕などなかった。しかし改めて考えてみると、あの時のシェリルも今と同じようにいろいろ取り繕っていた。


 エリオはシェリルとは結構長い付き合いだ。まだシベアが徒党を率いていた時からの付き合いである。そのためエリオはシェリルに関しては結構いろいろ知っている方だと思っていた。


 だが今はそれも怪しい。最近のシェリルは昔とは何かが明確に違う。エリオはそれに気付いていた。


 エリオが徒党から追い出された頃のシェリルは、一応後でエリオを徒党に戻す手段を考えていた。エリオはそのことをアリシアから聞いて知っていた。それは長い付き合いがある相手へのシェリルの情けかもしれない。


 しかし今のシェリルが何らかの理由でエリオを徒党から追い出せば、恐らくもうそれっきりだ。アリシアが嘆願してもエリオをもう一度徒党に加えたりはしないだろう。アキラに頼まれでもしなければ。エリオはそう考えていた。


 失態はできない。エリオは襤褸ぼろを出さないように黙って護衛役を続けることにした。


 カツヤが笑ってシェリルに尋ねる。


「シェリルはここで何をしていたんだ? 誰か待っているのか?」


「いいえ。ここには私用で些細ささいな手続きを済ませに来ました。今は残りの手続きの時間まで暇を潰していたところです」


「シェリルは今、暇なのか……。それなら時間まで俺達に付き合わないか?」


 シェリルはきょとんとした顔を浮かべた後、微笑ほほえんで答える。


「ナンパですか?」


 カツヤが慌てながら答える。


「えっ!? あ、いや、その、ナンパってわけじゃ……」


 カツヤは自然にシェリルを誘っていた。ほぼ無自覚だ。


 シェリルが苦笑気味の微笑ほほえみを浮かべながら、少し言いづらそうに話す。


「カツヤさん。余り深く考えずに私を誘ったことは分かります。ですが、女性をお連れになっている時に、別の女性に声を掛けるのはどうかと思いますよ? 私にではなく、お連れの方に対してです」


 シェリルがユミナとアイリの方を見る。カツヤも釣られて彼女達を見る。ユミナは諦めたような達観とも思える微笑ほほえみを浮かべて、小さくめ息を吐いていた。アイリも微妙な表情を浮かべていた。


 ユミナが苦笑しながらシェリルに話す。


「気にしないで。カツヤはこういうやつなのよ。いつものことだわ」


「……人間は慣れる生き物」


 アイリのつぶやきには妙な説得力を持つ感慨深い何かが込められていた。シェリルも彼女達に苦笑を返した。


 カツヤはシェリル達から弱い非難の雰囲気を感じ取って少し狼狽うろたえると、たじろぎながら言い訳するように話す。


「いや、その、前回はシェリルの都合が悪かったじゃないか。今ならシェリルは暇だって言うから、その埋め合わせというか、ほら、あの時は2人もシェリルとゆっくり話せなかっただろう? それだけだって」


 ユミナがカツヤの様子を確認する。後付けの言い訳ではあるが、カツヤはうそを吐いていない。そして一応悪いとも思っている。ユミナはカツヤとの長い付き合いの経験からそれを読み取った。


 ユミナは少し迷ったが、カツヤの提案に乗ることにした。今日ユミナ達がカツヤを連れ出したのはカツヤを元気づける為だ。だからユミナはある程度我慢するつもりだ。


(……まあ良いか。同僚以外の人と話せば、カツヤの気も紛れるかもしれないしね)


 ユミナがシェリルの様子をうかがいながら尋ねる。


「立ち話も何だし、良かったらどこかで少し話さない? 私達もちょっと休憩しようと思っていたの」


 シェリルが少し意外そうな表情を浮かべる。


よろしいんですか? 私はお邪魔になるかと」


「良いのよ。誘ったのはこっちだしね」


 シェリルが思案する。誘いを断るのは簡単だ。エリオという不安要素も抱えている。シェリルの素性を怪しまれないためにも、この場の接触は控えるべきかもしれない。


 しかし断れば貴重な情報を得る機会を捨てることになる。カツヤ達から有益な情報を得ることができれば、今後の遺物売却計画の成功率を上げることができるかもしれない。


 そして前回手に入れた情報をアキラは喜んでくれたのだ。シェリルはそれで結論を出した。


 シェリルが上品に微笑ほほえんで答える。


「では御一緒いたします」


 シェリルの返事を聞いて、カツヤがうれしそうに笑った。




 カツヤ達はビル内の喫茶店に入ることになった。シェリルがこの後の手続きの為にビルから離れられないからだ。


 カツヤ達はいている席を見つけてそこに座る。エリオだけは席に着かずに、シェリルの側に控えて黙って立っている。


 昼食の時間が近いこともあり、カツヤ達はいろいろ料理を注文した。ただしシェリルはコーヒーだけで注文を済ませた。


 シェリルの護衛であるエリオは別にして、1人だけ食事を頼んでいないシェリルを見て、カツヤが軽い気持ちで尋ねる。


「シェリルは何か頼まなくても良いのか? 本当にコーヒーだけ?」


「はい。お気になさらずに」


 シェリルは微笑ほほえんで答えたが、カツヤはその表情に僅かな揺らぎを感じて下手な勘繰りを始める。


「……手頃な値段の割には結構美味うまい店だからここにしたけど、シェリルには合わなかったか?」


 シェリルの服は明らかに高級品だ。旧世界製の衣服を彼女専用に仕立て直した服は、そこらの既製品とは格の違う雰囲気を漂わせていた。


 買えば幾らになるのか。カツヤには想像もできない。その服を着て生活する人間の生活水準を想像して、シェリルには不釣合いな程度の低い店に誘ってしまったかと、カツヤは少し不安になった。


 シェリルは軽く首を横に振って、少し照れたような仕草で返事をする。


「いえ、そのようなことは。……その、私の注文に関しては、料理の内容が不服などということではなく、……その、私の体型の改善を優先させた結果でして……」


 シェリルの発言内容の意図を読み取れず、カツヤが不思議そうに首をかしげる。


「体型? シェリルの?」


 ユミナとアイリの叱責がカツヤに飛ぶ。


「カツヤ。少し黙って」


「カツヤはもう少し考えて話すべき」


 カツヤはユミナとアイリの非難の視線を浴びて少し遅れて事態を把握した。少し慌てながら釈明のようなものを口にする。


「いや、俺には太っているようには見えないし、多少ふくよかな方が健康にも良いとおも……」


「カツヤ。良いからまずは黙って」


「カツヤは本当にもう少し考えて話すべき」


 ユミナとアイリのより強い口調での叱責がカツヤに飛んだ。カツヤは情勢の悪化を察知して更なる情勢の悪化を防ぐべく口を閉ざした。


 ユミナが苦笑いを浮かべながらシェリルに謝る。


「ごめんね。今更かもしれないけど、カツヤはこういうやつなの。言い訳だけど、これでも悪気があるわけじゃないのよ。ただちょっと一言多いというか……、いえ、やっぱり駄目ね。もう前回の反省の効果が落ち始めてるのかしら?」


 ユミナのカツヤへ向ける視線が強くなる。カツヤが観念したかのようにすまなそうに謝る。


「悪かった。……シェリルもごめんな」


 シェリルがカツヤ達に相手への好感を強く表した笑顔を向ける。


「気にしないでください。誤解を招くような私の態度にも責任は有ります。折角せっかくの機会です。お互い気にせずに楽しく話しましょう」


 シェリルの笑顔を見たカツヤとユミナが照れ笑いを浮かべる。ユミナが気を切り替えるように、照れを誤魔化ごまかすように少し大げさな態度で話す。


「分かったわ。はい。この話はおしまい」


 その後すぐに簡単な料理と飲み物が運ばれてくる。カツヤ達はそのまま食事を取りながら談笑を始めた。


 シェリルは注文したコーヒーを口に含みながら、何とか取り繕えたことを安堵あんどしていた。


(……動揺が顔に出ていたようね。誤魔化ごまかせて良かったわ。それにしても、やっぱり住む世界の違いを感じさせるわね。この価格の料理がカツヤ達には手頃な値段か。どれだけ稼げばそういう金銭感覚になるのかしら)


 シェリルが注文したコーヒーの値段は、1杯1500オーラムだ。シェリル達のようなスラム街の住人の金銭感覚からすれば、あり得ない価格設定である。しかもこれはこの喫茶店のメニューに記載されている価格の下限だ。流石さすがに水だけ飲んで帰るわけにもいかず、シェリルはかなりの葛藤の末に注文を済ませたのだ。


 小柄なシェリルの小さな手で隠せるほどの小さなコーヒーカップには、容量の7割ほどまでコーヒーががれている。これを飲むために1500オーラムも支払ったのだ。シェリルはいろいろ納得のいかない何かを感じながら、無料の砂糖とミルクを大量にカップに入れてかき混ぜた。


 人によってはコーヒーへの冒涜ぼうとくとすら思える量の砂糖とミルクを加えられて非常に甘くなった液体をシェリルが口に含む。甘みが舌に伝わり表情を和らげる。思考をえ渡らせるために、脳が糖分を欲しているのかもしれない。


 シェリルは気兼ねなく砂糖を味わえるほど裕福ではない。折角せっかく1500オーラムも払ったのだ。元を取るとでも言わんばかりに非常に甘いコーヒーを味わっていた。


 カツヤとユミナは、コーヒーに大量の砂糖を入れるシェリルを見て、そしてそれを口に含み機嫌を良くするシェリルを見て、驚くとともに納得した。今の飲み方がシェリルの普通ならば、確かに体型改善のための努力は必要かもしれない。


 シェリルが自分をじっと見ているカツヤとユミナに気付く。


「……あの、何か?」


 ユミナが恐る恐る尋ねる。


「あー、その、甘くないの?」


 シェリルが不思議そうにしながら答える。


「甘いですよ?」


「いや、そうじゃなくて、……ごめん。何でもないわ」


 甘過ぎはしないのか。その問いの答えは尋ねるまでもない。ユミナは質問を取り下げた。


 シェリルは不思議そうにしながら視線をユミナからカツヤの方に移す。カツヤが少し慌てながら話す。


「えっと、シェリルは甘いものが好きなのか?」


「はい。大好きです」


 シェリルはうそ偽りなく笑って答えた。見れるような笑顔だが、なぜかカツヤは気圧けおされた。恐らくそれはコーヒーに大量に投入された砂糖の所為であり、そしてそれを何の苦もなく口に運ぶ微笑ほほえみすら浮かべるシェリルの姿を見たからだろう。


「そ、そうか。そうだよな。俺の同僚のハンターには女性も多いんだけど、やっぱり皆甘いものが好きなんだよ。ハンター稼業は動き回ることが多いし、体内のエネルギーを消費して傷や体力の回復効率を上げる回復薬とかもあるんだ。だからカロリーとか気にせずに好きなだけ食べられるって、物すごい量を食べるやつがいて……」


 シェリルの味覚等の話題に触れないようにしながら話題を別なものに変えていく。自分の表情が引きつっていないことを願いながら、カツヤは無心で話し続けていた。ユミナとアイリもカツヤを止める気はない。


 見なかったことにしよう。自分達の舌まで移ってきそうな甘さを忘れるために、カツヤ達はシェリルの持つカップから視線をらした。

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