第54話 それぞれの選択

 ヤジマはレイナ達を見るアキラの表情から、アキラとレイナ達が仲間ではないことを見抜いた。レイナ達の表情から、彼女達がアキラの味方ではなく状況を全く理解していないことも見抜いた。


 これは利用できる。そう判断したヤジマは、すぐにレイナ達を利用して有利な状況に持ち込むことに決めた。


 アキラが銃口をヤジマから外した時、ヤジマは内心歓喜していた。少なくとも即死手前の状況からは抜け出せたからだ。後は情報収集妨害煙幕ジャミングスモークの効果が薄れて仲間と連絡が取れるようになったら、仲間に指示を出して救出させるだけだ。


 後は時間さえ稼げば良い。そう判断して演技をしていると、更に都合の良いことに、ろくに警戒もせずに自分に近付いてくる人物まで現れた。ヤジマは自分の悪運に感謝した。


 ヤジマに喉をつかまれたレイナが苦しげな声で話す。


「な、何の真似まねよ!?」


 ヤジマがわらいながら話す。明確にレイナを馬鹿にしている。


「何の真似まねって……、え? 説明がいるか? それはちょっとどうかと思うぞ? 俺としてはすごい分かりやすい状況だと思うんだが、念のため、万が一、そっちの2人も正しく状況を理解していないことを考慮して、端的に説明しようじゃないか。君を人質にとって、2人を脅しているんだ」


 ヤジマは笑みを消してアキラとシオリを見る。


「動けば彼女を殺す」


 静かだが、明確な殺意を込めた声だった。


 アキラとシオリはその場から動かずにヤジマを見ている。アキラは険しい表情でヤジマを警戒している。シオリは明確な殺意をヤジマに向けている。シオリの表情は辛うじて平静らしきものを保たせているが、内心の激情が両目に濃縮されており、ヤジマを貫く殺意の視線が目視できそうな程だ。


 その場に立ち続けるアキラとシオリを見て、ヤジマが静かに話す。


「……結構。状況を正しく理解できているようで何よりだ」


 ヤジマがアキラとシオリを警戒しながらレイナに話す。


「さて、理解力の乏しい君のために、念のために言っておく。俺の握力なら君の首を握り潰すぐらいは簡単だ。だから余計なことはするな。馬鹿なこともするな。確かに俺には右腕がないし、さっきまで床に転がっていた。もしかして不意を突けば逃げ出せるかもしれない。そう君が勘違いするのは仕方がない。しかしそれは誤りだ。俺は油断なんかしない。君にすきかれるほど無能ではない。もし、君には俺が油断しているように見えたのなら、それは希望的観測であり、妄想だ。君は俺の言葉なんか信じられないかもしれない。しかし、君を助けようとしている人物が大人しく俺の言うことに従っている。その事実から導き出される答えを、しっかり理解してほしい」


 場に沈黙が流れる。レイナが暴れたりしないことを確認して、アキラとシオリが動かないことを確認して、ヤジマが話を続ける。


「……結構。では武器を捨ててもらおうか」


 シオリが手に持っていた銃を捨てる。そしてホルスターの銃など、身につけている武器を床に落とし続ける。全ての武器を床に捨てた後、ゆっくりと後ろに下がった。


 シオリはヤジマの僅かな油断も見逃さないように敵を凝視し続けている。そして自分が武器を捨てたのにもかかわらず、ヤジマの表情が僅かに険しくなったことに気が付いた。


 ヤジマの視線はアキラに向けられている。シオリは怪訝けげんに思いながらアキラの方を見た。


 アキラは銃を捨てていなかった。警戒しながらそのままヤジマを見続けていた。


「……アキラ様。申し訳御座いませんが、銃を」


 シオリは銃を捨てるようにアキラに促した。だがアキラは黙ってヤジマを見続けている。


「……アキラ様!?」


「聞こえてる」


 アキラはそう返事をした。アキラは銃を捨てようとしない。


 ヤジマが表情を更に険しくする。レイナの首をつかむヤジマの左手に力が込められる。レイナが苦悶くもんの声を上げて、その声を聞いたシオリの表情を悲痛にゆがませた。


 ヤジマが静かな声で話す。


「要求は正しく伝わっているはずだが、交渉は決裂か? 彼女が死んでも良いと?」


「その要求はどこまで続く? お前の仲間がここに来て、俺達を殺すまでか?」


「何を勘違いしているか知らないが、俺に仲間はいない。お前が武器を捨てさえすれば、俺はゆっくり奥に消える。十分距離を取ったら彼女も解放する。約束しよう。ああ、確かに彼女を解放する条件を説明していなかったな。こちらの不手際だ。謝罪しよう。納得してもらえたかな?」


「お前、遺物を盗む気だろ?」


 アキラがそう言うと、僅かにヤジマが反応を示した。アキラが話を続ける。


「動揺したな? お前が俺を殺そうとした時、適当に誤魔化ごまかそうとする素振りを一切見せなかった。即座に躊躇ちゅうちょなく殺しに来た。つまり俺に顔を見られた時点で、俺を殺さないと不味まずいってことだ。義体者なんだ。顔なんて後で好きに変えられる。それにもかかわらず、この地下街で俺に、俺が報告する本部に、つまり都市側の職員にそこまで隠したいことなんてそれぐらいだ。多分この辺りに遺物が隠してあるんだろ?」


 アキラの言っていることは正しかった。ヤジマ達は複数の場所に旧世界の遺物を隠しており、この周辺にも隠し場所があるのだ。他の隠し場所の遺物は既に仲間が運搬を始めている。ヤジマの仲間がここに隠した遺物を運び出すまで、周囲を警戒するのがヤジマの役割だった。


 アキラが話を続ける。


「顔を見たやつは全員殺す気だろ? 今の顔がバレれば、都市の職員にすぐに身元が割れるからな。都市を敵に回すんだ。確実に賞金首になる。それを防ぐために、俺達を絶対に殺さないと不味まずい。そうだろ?」


 黙ってそこまで聞いていたヤジマが、聞き分けのない者を諭すように話す。


「いろいろ勘違いをしているようだな。お前の穴だらけの推理を山ほど添削しても良いんだが、俺が何を言っても信じないんだろうな」


「時間稼ぎは後どの程度必要だ? 仲間の戦力はどの程度だ? その余裕から考えて、かなり高いんだろう? 俺達をあっさり殺せるぐらいには」


「お前のれ言に付き合うとして、お前が武器を捨てないと彼女が死ぬことに違いはないぞ?」


「お前が彼女を殺せば、その後でお前も間違いなく殺される。それにもかかわらずその余裕、相当な戦力だな」


 アキラとヤジマが真剣な表情で相手の目を見る。僅かな沈黙の後、ヤジマが冷徹な声で話す。


「最後だ。武器を捨てろ」


「嫌だ」


 アキラはそう言い切った。顔面蒼白そうはくのシオリを余所よそ目に、アキラとヤジマが視線をぶつけ合う。


 ヤジマがめ息を吐く。


(……本気かよ。計画はバレてるし、殺す気なのもバレてるし、どうするべきか。ケインとネリアがいつここに来るかは分からないし、この状況だとあいつは俺の仲間が来た瞬間に俺を殺しかねない。義体のダメージもひどい。撃たれたら頑張って避ける自信はないな)


 ヤジマが少しあきれたような表情で話す。


「こんな美少女が人質になっているって言うのに、冷たいやつだな。お前に正義の心はないのか?」


「その美少女を人質にするやつに言われたくはないな」


「俺は良いんだよ。俺は悪人だからな。気兼ねなく悪いことができる。悪人の特権だね。正義の味方じゃこうはいかない。まあ、仕方がない。お前にこの人質は効果がなさそうだし、効果がありそうな別の人に頼もう」


 ヤジマはそう言ってシオリの方を見る。


「彼女を殺されたくなかったら、彼を殺せ」


 ヤジマがそう言った瞬間、アキラはヤジマとシオリの両方を警戒する体勢をとる。その動きにヤジマが反応し、ヤジマはレイナを押さえつけたまま僅かに後方に下がった。


 アキラが持つCWH対物突撃銃の銃口は下を向いたままだ。その銃口がヤジマに向けられた場合、ヤジマは更に過激な反応を見せただろう。


 シオリは愕然がくぜんとしながらアキラとレイナの顔を交互に見る。シオリは極度の困惑と混乱、途方もない迷いの中にいた。


 アキラは銃を捨てないことを選んだ。次はシオリが選択しなければならない。まるで希望を見いだせない選択を。


 アキラがシオリの様子を見ながらアルファに尋ねる。


『……アルファはどう思う?』


 アルファがあっさりと答える。


『アキラに襲いかかってくると思うわ』


『その理由は?』


『その方が人質が長生きするから。彼女が要求に従わず、人質の意味がないなら人質は殺される。相手が最終的に皆殺しにする気でも、人質が生きていれば、殺される前なら助けられるかもしれない。あの様子ならその機会を自分から捨てるとは思えないわ』


『理由も含めて同意見だ。くそっ。説明が面倒めんどうだとか思わずに、すぐに殺しておくべきだった』


『悔やんでも仕方ないわ。やれるだけのことはやりましょう。最悪皆殺しにするわ。良いわね?』


『了解だ』


 アキラは覚悟を決めた。


 シオリは覚悟を決めきれないでいた。シオリがヤジマに襲いかかれば、恐らくレイナは殺されるだろう。シオリがアキラを殺したとしても、レイナが助かる保証はない。恐らくアキラの推理は正しく、ヤジマが最終的に全員殺す気なのは間違いない。


 動こうとしないシオリを見て、ヤジマが苛立いらだちの演技をしながら話す。


「……何だ、結局人質の意味はないのか。それなら仕方がない。こいつは殺そう。俺も殺されるだろうが、俺のかたきは仲間が取ってくれるさ」


 ヤジマの発言はただの脅しだ。ヤジマに死ぬ気はない。それはシオリにも分かった。しかし、シオリがこのまま立ち尽くせばそれは脅しではなくなるのだ。


 悲痛なシオリの姿を見てレイナが声を上げようとする。しかしそれはヤジマがレイナの首をより強く締め上げることで阻止された。


 ヤジマがレイナに殺意を込めて話す。


「お前は黙ってろ」


 ヤジマにはレイナが何を言おうとしたかは分からないが、助けを求める言葉であっても、自己犠牲の言葉であっても、ヤジマにとっては余計なものでしかない。


 レイナが見苦しく助けを求めれば、2人はレイナを見殺しにするかもしれない。レイナが自分に構わず攻撃しろなどと言えば、2人はその通りにするかもしれない。ヤジマは自身のゆがんだ思考からそう判断した。


 レイナの更なる苦悶くもんの声、苦痛の表情が、シオリを動かした。


 シオリは素早く身をかがめながら床に捨てた銃を拾い、銃口をアキラに向けて引き金を引く。動きを察知していたアキラが素早く近くの瓦礫がれきに身を隠す。無数の銃弾はアキラに当たることなく、地下街の床と壁と瓦礫がれきに着弾した。


 戦闘が始まった。




 アキラがCWH対物突撃銃でシオリを銃撃する。シオリは十分に厚い瓦礫がれきを遮蔽物にしてCWH対物突撃銃の専用弾を防ぎ、アキラが射撃する瞬間を熟練の経験と洞察力、ごく僅かなアキラの動作から見切って弾丸を回避する。


 シオリが盾にする瓦礫がれきの選択を誤れば、CWH対物突撃銃の専用弾が瓦礫がれきを貫通してシオリに致命傷を与えるだろう。シオリがアキラの射撃の瞬間の見切りを誤れば、専用弾がシオリの身体を粉砕して肉片に変える。戦車を撃破可能な弾丸を並の防御力で防ぐことは不可能だ。


 単純な火力はアキラがシオリを圧倒していた。しかしアキラはシオリに擦り傷すら付けることができない。無傷かき肉かの極端な状態を強いる火力を、シオリは驚異的な反射と鍛え上げた実力で回避し続けていた。


 シオリはアキラを銃撃して牽制けんせいしつつ、距離を取ろうとするアキラに接近する。


 シオリがアキラを殺したとしても事態が改善するわけではない。シオリもそれは理解している。ヤジマがアキラとシオリが潰し合うことを期待していることなど考えるまでもないことだ。


 しかしアキラと戦わなければレイナは殺されるのだ。自身の忠義と状況への絶望からシオリは半ば狂いかけているのを自覚しつつ、無謀手前の突進でアキラとの距離を詰めようとする。


 アキラが急速に距離を狭めてくるシオリに銃撃を続ける。連射性の劣るCWH対物突撃銃の次弾発射までに掛かる時間で、シオリはアキラとの距離を急速に詰める。シオリの視界にCWH対物突撃銃の弾倉を交換しようとするアキラの姿が映る。


 シオリはアキラから火力を奪う千載一遇の好機を見逃さずに急接近する。アキラが弾倉の交換を終えて銃口をシオリの眼前に向ける。銃声が響いたのはシオリがCWH対物突撃銃を蹴り飛ばした後だった。見当違いの場所に飛んでいった専用弾が地下街の天井に直撃した。


 アキラから武器を奪ったことで、シオリが一瞬だけほんの僅かな緩みを見せた。アキラがそのすきに乗じてシオリの銃を蹴り飛ばした。2人の銃が2人から離れた床に転がった。


 アキラもシオリもはじき飛ばされた銃を拾いには行かずにそのまま接近戦を選択した。2人とも生身で強化服を着用している。そして頭部に防具はない。強化服の身体能力で頭部に一撃でも食らえば即死だ。互いの手足が相手に致命の一撃を食らわせようと空気を裂いて飛びかかっていく。


 2人の戦いは銃撃戦から格闘戦へ移行した。相手との距離が変わろうと、武器が銃から手足に変わろうと、致命の一撃を奪い合う殺し合いに違いは全くなかった。




 涙でゆがむレイナの視界には、殺し合うアキラとシオリの姿がぼやけて映っている。レイナが人質に取られた所為で始まった戦闘であり、レイナが死ねば終わる戦闘だ。レイナは今のところ生存中だ。


 様々な感情がレイナの心をき乱している。生殺与奪を握られている恐怖。迂闊うかつな行動を取った後悔。自分を助けるために戦っているシオリと、それに巻き込まれたアキラへの罪悪感。そして、何もできないでいる自分への無力感。レイナの心はぐちゃぐちゃだった。


 何かをしなければならないという焦燥感と、ヤジマへの憎悪が他の感情を押しのけた瞬間、レイナは渾身こんしんの力でヤジマに肘打ちを入れた。


 レイナも強化服を着用している。常人を超える身体能力でヤジマにたたき込まれた一撃は、ヤジマの体勢を少し崩しただけで終わった。ヤジマの左手の握力が緩むことはなく、しっかりとレイナの首をつかんだままだ。


 ヤジマは表情を変えずにレイナの首を掴んでいる鋼の手の出力を上げる。再び首を強く締められたレイナが苦悶くもんの声を上げた。


 ヤジマがレイナを締め上げながら話す。


「俺にすきがあるように見えたのか? それとも殺してくれという催促か? どちらにしても無駄だぞ? 俺の義体はその程度じゃダメージを受けないし、人質のお前をこの状態で殺したりもしない。お前は生身のようだし、舌をんで死ぬか? その時はお前が生きているようにしっかり装うよ。そのために、お前に声を出させないようにしているんだ。なに、すぐにはバレないさ」


 ヤジマはそう言ってレイナを小馬鹿にするように笑った。無駄な抵抗を嘲笑あざわらう声がレイナの耳に届いた。レイナのささやかな抵抗は、その意思とともにそれで終わってしまった。


 意思をなくした瞳でレイナは涙を流し続けた。


 ヤジマが抵抗の意思をなくしたレイナを小馬鹿にしながら考える。


(あんなれ言を聞いただけでやる気をなくすのか。ぬるい。実にぬるい。お前が死ぬ気で暴れれば俺のすきを生み出せるかもしれないし、お前が死んだことを伝える方法も幾らでもあるだろうが。まあ、こんな馬鹿が態々わざわざ人質になりに来てくれたんだ。あのガキに殺されかけた時に俺の悪運も尽きたかと思ったが、この調子ならまだまだ大丈夫そうだな)


 ヤジマはレイナを盾にしながらアキラとシオリの戦闘を観察している。


(……しかし、あいつら随分強いな。どっちも照明の交換作業を指示されるような実力じゃねえぞ? どうなってるんだ?)


 CWH対物突撃銃を手放す前のアキラは、すきがあればヤジマを狙おうとしていた。アキラはヤジマをレイナごと殺しかねない。シオリはその判断からアキラを牽制けんせいしてそれを阻止し続けていた。そのおかげでヤジマはまだ生きている。


 アキラとシオリの実力は拮抗きっこうしていた。少なくともヤジマにはそう見えた。アキラとシオリが協力してヤジマを襲えば、ヤジマの勝率は非現実的な数値まで下がるだろう。そしてその数値は2人が潰し合うほどに少しずつ上がっていくのだ。


(疲弊しろ。消耗しろ。そのまま潰し合ってろ。女の方、それが限界か? もっと頑張れ。あのガキさえ死ねば後はこっちのものなんだ。お前が勝てば、せめてもの褒美に楽に殺してやるからよ)


 ヤジマは自分の身を保障する役立たずをしっかりつかんでわらっていた。




 シオリが泣き叫ぶ子供のような悲痛な表情を浮かべながら鋭い攻撃をアキラに放ち続ける。アキラが必死の形相でシオリの猛攻を必死で防ぎ、かわし、反撃する。


 どちらの攻撃も生身の箇所にまともに食らえば致命傷は免れない。頭部に直撃すれば激痛では済まない。破裂して内容物をき散らすことになる。


 アキラはシオリの強さに驚愕きょうがくしていた。実はアキラは格闘戦に移行した時点ですぐに勝てると思っていたのだ。


 アキラはアルファと格闘戦の訓練もしている。訓練とはいえ、仮想的なものとはいえ、アルファはアキラに圧倒的な強さを見せつけていた。アルファがアキラの強化服を操作することでアキラに似たような動きを強いれば、アキラの負担が多少上がろうとも楽に勝てる。アキラはそう考えていた。


 しかしそのアキラの予想は覆された。シオリはアルファが操作するアキラの動きに食い下がっていた。むしろアキラが少し押されていた。


『こ、こんなに強かったのか! アルファ! 本当に大丈夫なのか!?』


『大丈夫よ。アキラはそのまま歯を食いしばっていなさい』


『頼むから俺の四肢がもげる前に何とかしてくれよ! すごい痛いんだ! とっくにもげているって言われたら信じそうだ!』


 アルファが強化服を操作してアキラの実力を超える動きをアキラに強いるほどに、アキラの身体への負担は高くなる。アキラとシオリの格闘技術の差は歴然だ。その圧倒的な差を埋めるためにアルファはアキラへの負担を限界まで高めていた。


 アルファが微笑ほほえみながら答える。


『大丈夫よ。多分』


『多分って何だ!?』


 微笑ほほえみながら不安なことを話すアルファを見て、アキラが表情をゆがめて聞き返した。


 高速で連続攻撃を繰り出すシオリに対抗するため、アキラも高速で回避行動を取り続け、体勢を変えて反撃を放っている。そのためアキラの視界は一瞬で目紛しいほどに変化し続けている。床と壁と天井の区別も付かないほどにだ。


 それでもアキラがアルファの微笑ほほえみを認識できるのは、アルファの姿がアキラの視界の定位置にい続けているからだ。アキラの視界の天地が逆になろうとも、一瞬で回転しようとも、アキラが思わず目をつぶってしまっても、アキラは余裕の微笑ほほえみを浮かべているアルファの姿を見ることができるのだ。


 第三者が今のアルファの姿を視認できれば、アルファが直立した状態で空中を飛び交っているという奇妙な光景を見ることができただろう。


 回避行動で大きく身を反らしているアキラに、アルファが空中で真横に立ちながら答える。


『恐らく彼女は薬で一時的に能力を上昇させているわ。その薬の効果がいつまで続くのかは、私には分からない。その分が多分よ。彼女が動作から戦闘を短時間で終わらせようとする意図が見えるわ。アキラの銃撃をあそこまでに見事に回避する反応速度、回避行動から、効果の継続時間よりも能力上昇に重点を置いた薬を服用していると考えられるわ。その時間が終わりさえすれば私達の勝ちよ。だから、大丈夫よ。多分』


 アキラが体勢を立て直しながら聞き返す。


『薬は俺も使ってるよな!? 戦う前に飲んだ回復薬だ! 今も効果が出ているやつだ! あの回復薬の治療効果のおかげで俺の手足がもげずに済んでるんだろ! 俺の回復薬の効果が切れる前に、相手の薬の効果が切れるのか!? 大丈夫なのか!?』


 アキラが事前に服用した回復薬のおかげで、アキラの全身を襲う負荷は即座に治療されている。そのおかげでアキラの手足はもげずに済んでいる。当然ながらその効き目は永続ではない。


『大丈夫よ。多分ね』


『だから多分って何だ!?』


『私も相手が服用した薬の量を知っているわけではないわ。だから多分としか言えないわ。大丈夫よ。アキラは戦闘に集中しなさい。泣き言を言っても状況が好転なんかしないわよ?』


 アキラはアルファの微笑ほほえみを見て不安をき消した。アキラの今までの経験ではアルファが微笑ほほえんでいる時は大丈夫だったからだ。


 アルファは微笑ほほえんでいる。アルファが険しい表情や悲痛な表情を浮かべてもアキラの行動に良い影響を与えない限り、アルファは微笑ほほえんでいる。状況をより良くする手段に成り得るのならば、アキラが即死する寸前でもアルファは微笑ほほえんでいるだろう。より良い結果のためにアルファは最善を尽くしていた。




 シオリはアルファの推察通りに加速剤を服用していた。たとえ強化服によって身体能力が向上しても、その身体能力に見合うほど高速、精密に動くには、着用者の意識をその動作に追いつかせる必要があるからだ。シオリが見せた弾丸回避も、加速剤による時間感覚濃縮状態がなければ到底不可能だ。


 そしてその状態のシオリですら、今のアキラとの交戦は苦しいものだった。アキラには多くの隙があるように見える。しかしシオリがそのすきを突いて攻撃しようとしても、躱され、防がれ、反撃される。アキラの甘い一撃は、それがシオリに当たる前に急に鋭さを増して、回避困難な一撃に変貌する。もうシオリには、アキラが見せるすきは全て誘いにしか見えなかった。


 格闘戦に移行した時、シオリもまた自分の優勢を疑っていなかった。基本的にハンターの戦闘技術とはモンスターと戦うためのものだ。遠距離にいるモンスターを銃撃して近付かれる前に倒す。あるいは遺跡の中などで、銃で武装した状態で近接戦闘を行う。それがハンターに備わっている戦闘能力だ。つまり普通のハンターは対人特化の格闘技術など然程さほど鍛えないのだ。


 シオリは違う。シオリはハンター登録をしただけでハンターではない。シオリはレイナの付き人であり護衛だ。シオリはレイナのハンター稼業に付き合っているだけなのだ。そしてシオリは護衛として対人戦闘の訓練をしっかり受けていた。その訓練には武装できない状況での危機に対処するための格闘技術も含まれていた。


 そのためシオリはアキラとの格闘戦に移行した時、状況の変化のために、その時間稼ぎのために、必死に戦っている振りをして手加減しようと考えていたのだ。


 しかしその手加減は不要となった。シオリが手を抜けば逆に殺されるほどにアキラが強かったからだ。アキラは明確に訓練された動きでシオリを殺しに掛かっていた。


(……ここまで強いとは! 私の目利きによる実力の把握と、実際の実力にここまで差が生じたのは初めてです! 彼との交戦中にお嬢様を救出するすきを見いだす予定でしたが、そのすきを探す余裕すらありません! 加速剤の効果時間が切れたら、真面まともに戦うことすらできなくなるでしょう! ……お、お嬢様、私ではお嬢様を助けられないかもしれません。……どうすれば、どうすれば!?)


 悲観がシオリの心を侵食し続けている。忠義が絶望に屈し始めている。どうしようもなくなるまで、シオリは悲痛な表情であがき続けている。その終わりは近かった。

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