第15話 アキラとシェリル
アキラはアルファと雑談しながらシズカの店から宿への帰り道を進んでいた。その途中、アルファから話題を変えるぐらいの軽い態度で教えられる。
『アキラ。また尾行されているわ』
『またか』
先日襲われたばかりなこともあり、アキラはげんなりした内心を露骨に顔に出した。だがその表情が
『いや待て、まさか、こんな場所で襲うつもりか?』
都市の治安はその場所の治安維持に努めている組織の力に大きく依存する。防壁の内側は当然として、外側も大抵は民間警備会社が区域の警備を請け負っており、治安を乱す各種要因に対して主に武力で対処している。
比較的スラム街に近い位置にある宿の方向へ進んでいるとはいえ、この辺りはまだそれなりに治安の良い場所だ。そのような場所で先日のような騒ぎを起こすのは、その治安維持で利益を得ている者達を敵に回す行為だ。安全は東部において極めて高い商品価値を持つ。当然、その価値を落とす存在に対する制裁は相応に厳しいものになる。
争いごとを起こすにも時と場所というものがある。スラム街で強盗騒ぎを起こすのとは訳が違う。尾行を即襲撃に結び付けるアキラの思考は大分偏っており、先日の襲撃がその偏りを更に大きくしていたが、それでもここで自分を金目当てに襲う馬鹿はいないだろうとアキラに考えさせるほど、普通は有り得ないことだった。
アキラが警戒と困惑の両方を強めていると、再びアルファの補足が入る。
『アキラを襲おうとしている様子はないから大丈夫よ。相手は武装もしていないしね。跡をつけてはいるけれど、これは尾行が目的というより、アキラに話しかけるのを
アキラが振り返ってその人物を探す。アルファのサポートにより拡張視界に該当の人物が強調表示されたのですぐに見付かった。そこには急に振り返った相手が自分をしっかりと見ていることに挙動不審な態度を見せている少女が立っていた。シェリルだ。
アキラはそのシェリルの様子から、確かに危険は無さそうだと判断して警戒を緩めると、相手を放置するのも、走って
一方シェリルは自分に近付いてくるアキラを見て緊張を高めていた。今すぐ逃げ出しかねない自分を理性で必死に押さえ付けている。
(……落ち着きなさい! 私から話しかける手間が省けた! そう考えるの! 今更後には引けないでしょう!?)
シベア達はハンター崩れとはいえ、小規模の徒党を率いるだけの実力は持っていた。そのシベア達を一人であっさり殺した人物が近付いてきている。しかもその人物は敵に囲まれている状況で
もし、相手が自分のことを以前の襲撃者達だと知っており、あの時に殺し損ねたから見掛け次第殺そうと思っていれば、交渉の余地無く殺されても不思議は無い。殺しを
アキラが自分を知らないこと、
アキラがシェリルの
「俺に何か用か?」
シェリルの緊張が更に高まる。相手との距離が縮まった
「は、はな、話が……」
「話? 何の話だ?」
アキラは
だがその前にアルファが口を挟む。
『アキラ。一応伝えておくわ、彼女は前にアキラを襲った連中の一人よ。あの時アキラを囲んでいた人間の中に混ざっていたわ。銃撃戦が始まったらすぐに逃げ出していたけれどね』
『そうなのか? そんなやつが俺に何の話があるんだ?』
『さあ、そこまではね』
シェリルの動揺振りはアキラの警戒心を大分下げていた。だがアルファの話を聞いたことでそれが元に戻る。加えて曲がり
「俺を殺そうとした連中の一人が、俺に何の話があるんだ?」
その言葉でシェリルの頭は真っ白になった。脳が現状の認識を拒否し、視界が大きく
恐怖と緊張から来る吐き気に襲われる。だが胃には何も入っていない。吐けるものは胃液ぐらいだ。そしてそれ以上に、シェリルは、今、それどころではなかった。
一方アキラはそのシェリルの様子に、完全に毒気を抜かれていた。相手は完全に
慌てるアキラをアルファが笑って
『あー、大変ね』
『お、俺が悪いのか?』
『さあ? 私は事情を把握しているし、消極的とはいえアキラと殺し合った相手がどうなろうと知ったことではないけれど、周りがどう思うかまでは、ね?』
アルファの言葉通り、
それらに気付いたアキラが、慌てながらもシェリルを何とか落ち着かせようとする。
「あー、なんだ、取り
アキラの努力も
(……何でこんなことに)
アキラは人知れず世を
アキラは何とかシェリルを連れて宿の部屋まで戻ってきた。シェリルを放置して逃げ出すという手段を取らなかったのは、そこまで怖がりながらも自分に持ち掛けようとした話の内容が気になったからだ。
シェリルは自分の手を引くアキラに抵抗しなかった。部屋に着いても
取り
しかし敵ではない少女が
「と、取り
シェリルは僅かに
シェリルの姿が風呂場に消えると、アキラは心労を吐き出すように深く息を吐いた。
『アルファ。何だったんだと思う?』
『いろいろ予想は出来るけれど、彼女に聞いた方が早いわ。取り
『そうだな』
取り
シェリルはぼんやりとしながら湯船に身を任せていた。自身の賭けが第一関門であっさり破綻した時はもう終わったと思ったが、今は少しずつ落ち着いてきた。ゆったりと湯に
(……想定していた賭けには負けたけど、まだ生きている。……運が良いんだか悪いんだか。いえ、幸運と考えましょう。あの醜態のおかげで、問答無用で殺されることは多分無くなったわ。宿に連れ込まれたことも、まあ、そっちは想定の範囲内。気は進まないけど、活用しましょう。……効果があればだけど)
事前に覚悟はしていたはずだった。だが挑んでみればその覚悟は相当甘いものでしかなく、結果としてあの醜態を招いた。
しかし休息を得て思考力を取り戻した脳で思い返せば、あの醜態がアキラの警戒を大幅に薄れさせ、自身の命を
風呂から上がったら当初の頼み事をアキラにしなければならない。その提案が受け入れられるかどうかは未知数だ。今のうちに可能性を上げる努力をしなければならない。
シェリルが水面に映る自分の姿を見る。男達からそれなりに
シェリルは自分の容姿がそれなりに優れたものだと理解している。体を取引材料にした場合、それなりに高い価値が付くとも思っている。
気は進まないが、求められたら差し出さなければならない。着のみ着のままに近い自分が出せるものなどそれぐらいだ。ならば出来る限りその価値を高めておく。利用できるものは利用する。シェリルはそう判断すると、体や髪を丁寧に洗って可能な限り自分を磨き上げた。
シェリルが入浴を終えて部屋に戻ってくる。アキラは解凍した冷凍食品をちょうど食べようとしていた。その時、シェリルの腹が強く鳴り、本人よりも強く空腹を自己主張した。
アキラとシェリルの目が合う。数秒の見詰め合いの後、アキラは食べようとしていた食事を無言でシェリルの方へ寄せた。そして新しい冷凍食品の解凍を始めた。
沈黙の中、冷凍食品の加熱が進んでいく。その間、シェリルは料理に手を付けずに黙って待っていた。
アキラが加熱の終わった料理を持ってシェリルの正面に座り、相手の様子を確認する。そして十分落ち着いていると判断して、まずは
「まあ、食べながら話を……」
再びシェリルの腹が鳴った。どちらにとっても微妙な沈黙が流れる。
「……話は食べ終わってからにするか」
アキラとシェリルはそのまま食事を始めた。
食事を終え、両者の胃袋に会話を邪魔しない程度の食べ物が収まったところで、アキラが気を取り直してシェリルから話を聞こうとする。
「えっと、まずは、俺はアキラだ」
「私はシェリルと言います。シェリルと呼んでください。アキラさん。お風呂と食事をありがとう御座いました。そして、いろいろ申し訳御座いませんでした。御迷惑をお掛けしました」
シェリルは
「アキラで良いよ。お互い子供だしな。……それで、話って何だ?」
アキラが少し表情を真面目なものに変えた。シェリルも覚悟を決めて真剣な表情で答える。
「単刀直入に言います。実はアキラに私達のボスをやってほしいんです」
予想外の内容にアキラが表情を思わず
スラム街の住人はその過酷な生活を乗り越える
スラム街でも数は力だ。徒党の運営が
その大規模な徒党のボスがスラム街の住人ではない場合もある。
ハンターやハンター崩れが徒党を率いていることも珍しくない。荒野でモンスターを狩る武力はスラム街でも有用だ。徒党にハンター経験者が加わっていると知られるだけでも、構成員の安全に役立つ。買取所などの
ハンターがスラム街の徒党に関わる理由は様々だ。荒野での成り上がりを諦めて、そちらでの成り上がりに切り替えた。
シェリルはアキラに徒党のボスになる利益を説明した上で、更に今ならシベアの代わりにボスの座に就けると教えた。シベア達は統率力などではなく武力、
だがアキラは気乗りしない態度を見せる。
「話は分かったけど、いろいろと面倒そうだし、興味は無いな。悪いけど、自分のことで手一杯なんだ。他を当たってくれ」
「ま、待って!」
話を打ち切ろうとするアキラに、シェリルは慌てて思わず声を出した。だが続けて言うべき言葉が見付からない。本人に乗り気が無いのは明らかだ。先ほどの説明より興味を引かせる内容も思い付かない。興味の無い話を無駄に引き延ばし続けても、引き延ばした分だけ相手の機嫌を損ねるだけだ。
今、アキラの機嫌を損ねるのは非常に
それを恐れたシェリルは、相手への御機嫌取りも兼ねて、出来れば出したくなかった交換条件を自分から口に出す。
「……この話を受けてくれるなら、今からでも私を好きにしてもらって構いません」
アキラが視線をシェリルの体に、胸や脚や腕などに移していく。
シェリルにはそれが自分の体を値踏みしているように見えた。正直良い気分はしないが、一応殺される覚悟ぐらいはしていたのだ。十分許容範囲の出来事だ。興味を持たれる自分の容姿に感謝したいぐらいだ。シェリルはそう考えて、そう自分に言い聞かせていた。
値踏みを終えたアキラが視線をシェリルの目に戻した。そしてやはり気乗りしない様子で答える。
「好きにしろと言われてもな。強そうには見えないし、こう言っちゃ悪いが、
シェリルは僅かな間だけ
アルファが苦笑しながら補足を入れる。
『アキラ。シェリルはそういう意味で言ったのではないと思うわ』
『じゃあ、どういう意味なんだ?』
『それはあれよ。多分性的な意味での話よ』
『……ああ、そういうことか。なら余計要らない』
『いいの? 彼女は結構
『2度繰り返せば重要性は伝わる。3度も繰り返すな。その手の要員は何だかんだと理由を付けて服を脱ごうとする全裸押しの人物だけで十分間に合ってる』
アルファが不敵に調子に乗っているような笑顔をアキラに向ける。
『つまり、ハニートラップ防止に精を出した私の努力が実った訳ね』
アキラは余計なことを言ってしまったという態度を見せた。そしてそれをすぐにごまかそうとする。
『ああそうだな。あとは、相手の弱みに付け込んでそういうことをするのは何か嫌なんだよ』
『十分相互利益を確保していると思うけれど。アキラは子供なのに意外とロマンチストなのね。いえ、子供だから、かしら?』
アルファは
『アキラ。話を戻すけれど、シェリルに手を出すかどうかは別にして、助けてあげたら?』
『何でだ?』
『この前アキラが言っていたでしょう? 日頃の行いで運が良くなるかもしれないって。アキラは遺跡でも都市でもお構いなしに人にもモンスターにも襲われて、今もこんな状況になっているわ。やっぱり私と出会ったことで幸運を使い切ったのよ。だから、不幸にもスラム街で生活している
アキラが微妙な顔を浮かべる。確かにその手のことを口にした記憶はある。エレナ達を助けた時に、正確にはエレナ達を襲った男達を皆殺しにした時に、明らかに気乗りしていないアルファへの言い訳として適当に言ったことは覚えている。
まだあの時のことを根に持っているのだろうか。またあんなことをさせないように、遠回しに
同時に、非常に運が悪いとあからさまに指摘されたことで、戸惑いも覚えていた。身に覚えがあるからだ。しかしだからといって、じゃあ助けよう、と思うほどではなかった。
『……いや、でも、だからって俺がシェリルの面倒を見るっていうのは……、この前みたいにちょっとその時だけ助けたのとは訳が違うだろう? あの時のアルファは
『あの時はアキラの命が掛かっていたから反対しただけよ。それに別にシェリルを命懸けで助けろとも、1から10まで世話をしろとも、責任を持って一生面倒を見ろとも言っていないわ。少し手伝うだけ、ちょっと助けるだけ、軽い幸運をあげるだけ。その程度の話よ。仮にシェリルが降って湧いた幸運に溺れて破滅しても、それはシェリルの責任よ。アキラが気にすることはないわ。逆にその幸運を足掛かりにして大成したら、恩返しを期待しても良いかもね。邪魔になれば縁を切れば良いだけ。それだけの、軽い話よ』
自覚すらしていない懸念事項への回答を聞いたアキラが表情を僅かに変える。無意識に
そうすると、たかがそれだけのことで自分の運が良くなるかもしれないという、願望とも願掛けとも呼べる期待がアキラの中で相対的に大きくなった。
「……運か」
アキラは感慨深く
アルファと念話で話しているアキラの姿は、
自分の体を取引材料にしても駄目。追加の説得材料も思い付かない。泣いて
(……運?)
アキラがコインを指で
「表か裏か選んでくれ」
シェリルが驚いた表情でアキラを見る。アキラは黙ってシェリルを見ている。
コインの表裏を当てれば自分の頼みを聞くということだろうか。そんなことで決められてしまうことを嘆くべきか。一度は断られたことが運で覆るかもしれないことを喜ぶべきか。シェリルには分からなかった。
表か裏か
「……表」
シェリルは選び、答えた。
アキラがシェリルには見えないようにコインを確認する。シェリルの表情に再度緊張が走る。アキラはそのままコインを握って懐に
「条件付きで協力する。俺は徒党のボスにはならない。でもシェリルにある程度は協力する。それで後はシェリルが頑張って何とかしてくれ。つまり、徒党のボスはシェリルがやってくれ。他のやつを徒党のボスにするのはシェリルの勝手だけど、俺は飽く
シェリルに断るという選択肢はない。喜んでアキラに頭を下げる。
「分かりました。お願いします。ありがとう御座います」
これで自分はアキラという後ろ盾を得た。しかし同時に、徒党のボスにならざるを得なくなった。これは良いことだったのだろうか。アキラはコインの結果を自分に教えず、正解か不正解かも話していない。シェリルは何となく不安に思い、アキラにおずおずと尋ねる。
「あ、あの……」
「何を聞いても構わないけど、俺が、聞くな、と言ったことに関しては二度と聞くな」
「は、はい」
アキラが
「で、何だ?」
「その、表……だったんですよね?」
アキラが早速先ほどの言葉で答える。
「聞くな」
「……はい」
シェリルの心に何かがこびりつく。私は賭けに勝ったのだろうか。それとも負けたのだろうか。シェリルには分からなかった。
そしてコインの表裏を知っているアキラでも、賭けの結果は分からない。結果が出るのは未来だ。今ではない。
アルファの話は全て上辺だけのものだ。善行で運気が良くなるなど
殺しに
全てはアルファ自身の目的の
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます