第15話 アキラとシェリル

 アキラはアルファと雑談しながらシズカの店から宿への帰り道を進んでいた。その途中、アルファから話題を変えるぐらいの軽い態度で教えられる。


『アキラ。また尾行されているわ』


『またか』


 先日襲われたばかりなこともあり、アキラはげんなりした内心を露骨に顔に出した。だがその表情が怪訝けげんなものに変わっていく。


『いや待て、まさか、こんな場所で襲うつもりか?』


 都市の治安はその場所の治安維持に努めている組織の力に大きく依存する。防壁の内側は当然として、外側も大抵は民間警備会社が区域の警備を請け負っており、治安を乱す各種要因に対して主に武力で対処している。


 比較的スラム街に近い位置にある宿の方向へ進んでいるとはいえ、この辺りはまだそれなりに治安の良い場所だ。そのような場所で先日のような騒ぎを起こすのは、その治安維持で利益を得ている者達を敵に回す行為だ。安全は東部において極めて高い商品価値を持つ。当然、その価値を落とす存在に対する制裁は相応に厳しいものになる。


 争いごとを起こすにも時と場所というものがある。スラム街で強盗騒ぎを起こすのとは訳が違う。尾行を即襲撃に結び付けるアキラの思考は大分偏っており、先日の襲撃がその偏りを更に大きくしていたが、それでもここで自分を金目当てに襲う馬鹿はいないだろうとアキラに考えさせるほど、普通は有り得ないことだった。


 アキラが警戒と困惑の両方を強めていると、再びアルファの補足が入る。


『アキラを襲おうとしている様子はないから大丈夫よ。相手は武装もしていないしね。跡をつけてはいるけれど、これは尾行が目的というより、アキラに話しかけるのを躊躇ちゅうちょし続けているだけのようにも見えるわ。アキラも自分で確認して』


 アキラが振り返ってその人物を探す。アルファのサポートにより拡張視界に該当の人物が強調表示されたのですぐに見付かった。そこには急に振り返った相手が自分をしっかりと見ていることに挙動不審な態度を見せている少女が立っていた。シェリルだ。


 アキラはそのシェリルの様子から、確かに危険は無さそうだと判断して警戒を緩めると、相手を放置するのも、走ってくのもどうかと思い、取りえずシェリルに近付いていく。


 一方シェリルは自分に近付いてくるアキラを見て緊張を高めていた。今すぐ逃げ出しかねない自分を理性で必死に押さえ付けている。


(……落ち着きなさい! 私から話しかける手間が省けた! そう考えるの! 今更後には引けないでしょう!?)


 シベア達はハンター崩れとはいえ、小規模の徒党を率いるだけの実力は持っていた。そのシベア達を一人であっさり殺した人物が近付いてきている。しかもその人物は敵に囲まれている状況で躊躇ちゅうちょなく交戦を選択した思考の持ち主だ。


 もし、相手が自分のことを以前の襲撃者達だと知っており、あの時に殺し損ねたから見掛け次第殺そうと思っていれば、交渉の余地無く殺されても不思議は無い。殺しを躊躇ためらうとは思えない。シェリルは両手を握りしめてその恐怖に耐えていた。


 アキラが自分を知らないこと、あるいは覚えていないこと。それがシェリルの賭けの第一関門だった。


 アキラがシェリルのそばまで来る。シェリルは何とか笑顔を浮かべようとしていたが、その顔は恐怖と緊張で大分ゆがんでいた。


「俺に何か用か?」


 シェリルの緊張が更に高まる。相手との距離が縮まった所為せいで、アキラの装備を間近で見てしまったからだ。先日の惨劇を生み出したAAH突撃銃。安価なものとはいえ、拳銃のような対人用のものとは別物の威力を誇る対モンスター用の銃。自分に向けて使用されれば、下手をすると原型が残るかすら怪しい。思わずあの時の銃撃戦を思い出してしまい、その死体の山に自分を想像で加えてしまい、口調をたどたどしくしてしまう。


「は、はな、話が……」


「話? 何の話だ?」


 アキラは怪訝けげんな顔を浮かべていた。シェリルは動揺が激しく続きを上手うまく話せないでいた。それでも相手の機嫌を損ねないように、荒い呼吸を何とか落ち着かせて頑張って続きを話そうとする。


 だがその前にアルファが口を挟む。


『アキラ。一応伝えておくわ、彼女は前にアキラを襲った連中の一人よ。あの時アキラを囲んでいた人間の中に混ざっていたわ。銃撃戦が始まったらすぐに逃げ出していたけれどね』


『そうなのか? そんなやつが俺に何の話があるんだ?』


『さあ、そこまではね』


 シェリルの動揺振りはアキラの警戒心を大分下げていた。だがアルファの話を聞いたことでそれが元に戻る。加えて曲がりなりにも襲撃者達の関係者となれば敵意と不快感が先に出る。それらがアキラの表情と口調に表れる。


「俺を殺そうとした連中の一人が、俺に何の話があるんだ?」


 その言葉でシェリルの頭は真っ白になった。脳が現状の認識を拒否し、視界が大きくゆがみ始める。その場に崩れ落ちないのが不思議なぐらいに、全身が震え始める。心を恐怖が満たし始め、この後のアキラの行動を想像させる。銃を抜き、自分の喉元まで銃口を突っ込み、躊躇ちゅうちょなく引き金を引く。自分の頭が吹っ飛び、肉片が辺りに散らばる。その想像が脳裏を過ぎり、シェリルの震えが更にひどくなった。


 恐怖と緊張から来る吐き気に襲われる。だが胃には何も入っていない。吐けるものは胃液ぐらいだ。そしてそれ以上に、シェリルは、今、それどころではなかった。


 一方アキラはそのシェリルの様子に、完全に毒気を抜かれていた。相手は完全におびえており、涙腺が決壊し、鼻水が垂れていた。表情は死刑執行手前の囚人のもので、とても何かを話せる状態ではない。その余りの様子にアキラの顔から敵意や不快感が抜け、代わりに困惑が強く表れる。


 慌てるアキラをアルファが笑ってはやし立てる。


『あー、大変ね』


『お、俺が悪いのか?』


『さあ? 私は事情を把握しているし、消極的とはいえアキラと殺し合った相手がどうなろうと知ったことではないけれど、周りがどう思うかまでは、ね?』


 アルファの言葉通り、傍目はためにはどう考えてもアキラがシェリルを脅しているようにしか見えない。事情を知らない正義感あふれる人物がこの場にいれば、すぐさまシェリルを救おうと奮闘しかねない光景だ。周辺の治安維持を担当する警備員が変な誤解を起こせば、アキラに降りかかる面倒事も跳ね上がる。


 それらに気付いたアキラが、慌てながらもシェリルを何とか落ち着かせようとする。


「あー、なんだ、取りえず落ち着いてくれ。俺はそっちをどうこうする気はない。そっちだってそうだろう? 落ち着いて話をしようじゃないか。何か話があるんだろう? ほら、深呼吸して、落ち着こうじゃないか」


 アキラの努力もむなしく、シェリルは声も無く泣き続けている。


(……何でこんなことに)


 アキラは人知れず世をのろった。




 アキラは何とかシェリルを連れて宿の部屋まで戻ってきた。シェリルを放置して逃げ出すという手段を取らなかったのは、そこまで怖がりながらも自分に持ち掛けようとした話の内容が気になったからだ。


 シェリルは自分の手を引くアキラに抵抗しなかった。部屋に着いてもおびえと動揺が強く残っている状態だが、それでも僅かに落ち着きを取り戻しており、その跡はくっきり残っているものの、涙は止まっていた。


 取りえず、アキラは今のところシェリルを敵とは思っていない。敵と認識していれば、もっと落ち着いて冷淡に無慈悲に対応している。シェリルが恐怖にゆがんだ表情で泣いて命乞いをしようとも、躊躇ちゅうちょなく撃ち殺している。


 しかし敵ではない少女がひどおびえた様子で自分のそばにいて、それも自分への恐怖で震えている状況は、アキラの対人能力を大幅に超えていた。その所為せいであたふたとしながら、取りえず状況の改善を祈ってシェリルに提案する。


「と、取りえず、風呂にでも入ったらどうだ? 落ち着くと思うぞ?」


 シェリルは僅かにうなずいて風呂場に向かっていった。少し混乱気味のアキラが出した提案は、いろいろと邪推も可能な内容だったが、シェリルにはそれに気付く余裕もなく、気付いたとしても抵抗する気力はなかった。


 シェリルの姿が風呂場に消えると、アキラは心労を吐き出すように深く息を吐いた。


『アルファ。何だったんだと思う?』


『いろいろ予想は出来るけれど、彼女に聞いた方が早いわ。取りえず、今日の訓練は中止ね。彼女がお風呂から出たらゆっくり話を聞きましょうか』


『そうだな』


 取りえず自分も平静さを取り戻そう。アキラはそう考えて落ち着きながらシェリルを待つことにした。




 シェリルはぼんやりとしながら湯船に身を任せていた。自身の賭けが第一関門であっさり破綻した時はもう終わったと思ったが、今は少しずつ落ち着いてきた。ゆったりと湯にかっていると、疲労とともに恐怖や緊張、焦りといった余計なものが溶け出ていく。久しぶりの入浴はシェリルの精神安定に大きく寄与していた。


(……想定していた賭けには負けたけど、まだ生きている。……運が良いんだか悪いんだか。いえ、幸運と考えましょう。あの醜態のおかげで、問答無用で殺されることは多分無くなったわ。宿に連れ込まれたことも、まあ、そっちは想定の範囲内。気は進まないけど、活用しましょう。……効果があればだけど)


 事前に覚悟はしていたはずだった。だが挑んでみればその覚悟は相当甘いものでしかなく、結果としてあの醜態を招いた。


 しかし休息を得て思考力を取り戻した脳で思い返せば、あの醜態がアキラの警戒を大幅に薄れさせ、自身の命をつないだのだと理解できる。下手な演技では逆効果だっただろうとも。それを含めて幸運だったとも。


 風呂から上がったら当初の頼み事をアキラにしなければならない。その提案が受け入れられるかどうかは未知数だ。今のうちに可能性を上げる努力をしなければならない。


 シェリルが水面に映る自分の姿を見る。男達からそれなりに贔屓ひいきにされる容姿の少女が映っている。えて欠点を挙げるならば胸部の肉付きが少々悪いぐらいだ。


 シェリルは自分の容姿がそれなりに優れたものだと理解している。体を取引材料にした場合、それなりに高い価値が付くとも思っている。もっとも自分に風呂を勧めた時のアキラからは、その手のことを期待している様子は余り感じられなかった。だが気が変わる可能性は十分にあると思っている。


 気は進まないが、求められたら差し出さなければならない。着のみ着のままに近い自分が出せるものなどそれぐらいだ。ならば出来る限りその価値を高めておく。利用できるものは利用する。シェリルはそう判断すると、体や髪を丁寧に洗って可能な限り自分を磨き上げた。




 シェリルが入浴を終えて部屋に戻ってくる。アキラは解凍した冷凍食品をちょうど食べようとしていた。その時、シェリルの腹が強く鳴り、本人よりも強く空腹を自己主張した。


 アキラとシェリルの目が合う。数秒の見詰め合いの後、アキラは食べようとしていた食事を無言でシェリルの方へ寄せた。そして新しい冷凍食品の解凍を始めた。


 沈黙の中、冷凍食品の加熱が進んでいく。その間、シェリルは料理に手を付けずに黙って待っていた。


 アキラが加熱の終わった料理を持ってシェリルの正面に座り、相手の様子を確認する。そして十分落ち着いていると判断して、まずは安堵あんどした。これなら話も出来るだろう。そう考えて口を開く。


「まあ、食べながら話を……」


 再びシェリルの腹が鳴った。どちらにとっても微妙な沈黙が流れる。


「……話は食べ終わってからにするか」


 アキラとシェリルはそのまま食事を始めた。


 食事を終え、両者の胃袋に会話を邪魔しない程度の食べ物が収まったところで、アキラが気を取り直してシェリルから話を聞こうとする。


「えっと、まずは、俺はアキラだ」


「私はシェリルと言います。シェリルと呼んでください。アキラさん。お風呂と食事をありがとう御座いました。そして、いろいろ申し訳御座いませんでした。御迷惑をお掛けしました」


 シェリルはかしこまって頭を下げた。それに対し、アキラが良くも悪くも特に気にした様子を見せずに答える。


「アキラで良いよ。お互い子供だしな。……それで、話って何だ?」


 アキラが少し表情を真面目なものに変えた。シェリルも覚悟を決めて真剣な表情で答える。


「単刀直入に言います。実はアキラに私達のボスをやってほしいんです」


 予想外の内容にアキラが表情を思わず怪訝けげんなものに変える。その様子にシェリルは緊張を高めながらも詳細な説明を続けた。


 スラム街の住人はその過酷な生活を乗り越えるために徒党を結成することが多い。安全な寝床の確保、定期的な食料の取得、金策での協力などを組織的に行える利点は、集団行動で発生する欠点を基本的に上回る。たとえ下っ端になろうとも、集団として相互に利用し合える時点で、本当に独りで活動する過酷さと比べれば大抵はましになる。


 スラム街でも数は力だ。徒党の運営が上手うまくいけば、その力による庇護ひごと利益を求めて加入希望者も増えていく。そのまま勢力を拡大して周辺の治安に影響力を持つほどになると、その中心人物達はかなり快適な生活を送ることも可能になる。その快適さを求めて更に人が集まり、大規模な徒党に発展することもある。


 その大規模な徒党のボスがスラム街の住人ではない場合もある。所謂いわゆる裏稼業の者。治安の良い場所では営業できない商売に手を染めている者。いろいろ訳ありの者。大抵は大金と強力な武力も保持しているため、必然的に徒党の規模も大きくなる。


 ハンターやハンター崩れが徒党を率いていることも珍しくない。荒野でモンスターを狩る武力はスラム街でも有用だ。徒党にハンター経験者が加わっていると知られるだけでも、構成員の安全に役立つ。買取所などの馴染なじみの店に伝を持つ者ならば、スラム街や近場の荒野で集めた屑鉄くずてつや拾い物などの売却でも、所詮はスラム街の住人だと足下を見られる恐れが減る。それらの利点のおかげで、人格等を含めて多少問題があったとしても、徒党内での高い地位を容認される場合が多い。


 ハンターがスラム街の徒党に関わる理由は様々だ。荒野での成り上がりを諦めて、そちらでの成り上がりに切り替えた。あるいは自身が荒野で成り上がるために、死んでもかまわない人手の調達先が欲しい。ちょっとした隠れ家や倉庫代わりの場所を確保したい。大規模な組織構築の足掛かりにしたい。その他、様々な多様な理由と利益のために、少なくない数のハンターがスラム街の徒党に関わっていた。


 シェリルはアキラに徒党のボスになる利益を説明した上で、更に今ならシベアの代わりにボスの座に就けると教えた。シベア達は統率力などではなく武力、あるいは暴力を背景にして徒党をまとめていた。そのシベア達を容易たやすく殺したアキラなら新しいボスになるのは簡単で、襲撃の報復も兼ねてシベアの徒党を奪ったという名目も建つ。問題は無く、利益も多い。そう熱心に説明した。


 だがアキラは気乗りしない態度を見せる。


「話は分かったけど、いろいろと面倒そうだし、興味は無いな。悪いけど、自分のことで手一杯なんだ。他を当たってくれ」


「ま、待って!」


 話を打ち切ろうとするアキラに、シェリルは慌てて思わず声を出した。だが続けて言うべき言葉が見付からない。本人に乗り気が無いのは明らかだ。先ほどの説明より興味を引かせる内容も思い付かない。興味の無い話を無駄に引き延ばし続けても、引き延ばした分だけ相手の機嫌を損ねるだけだ。


 今、アキラの機嫌を損ねるのは非常に不味まずい。自分は既に襲撃者側の人間だと露見しており、取りえず生かされている状態だ。そこで機嫌を著しく損ねてしまえば、その後の判断が、面倒だから見逃す、から、面倒だから殺す、に切り替わっても不思議はない。


 それを恐れたシェリルは、相手への御機嫌取りも兼ねて、出来れば出したくなかった交換条件を自分から口に出す。


「……この話を受けてくれるなら、今からでも私を好きにしてもらって構いません」


 アキラが視線をシェリルの体に、胸や脚や腕などに移していく。


 シェリルにはそれが自分の体を値踏みしているように見えた。正直良い気分はしないが、一応殺される覚悟ぐらいはしていたのだ。十分許容範囲の出来事だ。興味を持たれる自分の容姿に感謝したいぐらいだ。シェリルはそう考えて、そう自分に言い聞かせていた。


 値踏みを終えたアキラが視線をシェリルの目に戻した。そしてやはり気乗りしない様子で答える。


「好きにしろと言われてもな。強そうには見えないし、こう言っちゃ悪いが、おとりにしても捨て駒にしても、連れていくだけ邪魔だ。そりゃ、そっちとしては命懸けで荒野に出るんだから交換条件になると思っているんだろうけど……」


 シェリルは僅かな間だけ怪訝けげんな顔をした後、話の食い違いとその理由を理解して軽く絶句する。アキラは自分の体に女としての価値を全く見いだしていない。先ほどの値踏みのような視線は、体付きなどから体力や戦闘経験の有無を見定めようとしていただけであり、その上で役に立たないと判断されただけ。それを理解し、アキラのその予想外の反応に驚いていた。


 アルファが苦笑しながら補足を入れる。


『アキラ。シェリルはそういう意味で言ったのではないと思うわ』


『じゃあ、どういう意味なんだ?』


『それはあれよ。多分性的な意味での話よ』


『……ああ、そういうことか。なら余計要らない』


 ようやく意味を理解した後もアキラの判断が変わらないことに、アルファが少し意外そうな表情を浮かべる。


『いいの? 彼女は結構可愛かわいいし、将来美人になると思うわ。私ほどではないけれど。私ほどではないけれど。私ほどではないけれど』


『2度繰り返せば重要性は伝わる。3度も繰り返すな。その手の要員は何だかんだと理由を付けて服を脱ごうとする全裸押しの人物だけで十分間に合ってる』


 アルファが不敵に調子に乗っているような笑顔をアキラに向ける。


『つまり、ハニートラップ防止に精を出した私の努力が実った訳ね』


 アキラは余計なことを言ってしまったという態度を見せた。そしてそれをすぐにごまかそうとする。


『ああそうだな。あとは、相手の弱みに付け込んでそういうことをするのは何か嫌なんだよ』


『十分相互利益を確保していると思うけれど。アキラは子供なのに意外とロマンチストなのね。いえ、子供だから、かしら?』


 アルファは揶揄からかうように微笑ほほえんでいる。そして少しへそを曲げたアキラに、表情を普段のものに戻してから提案する。


『アキラ。話を戻すけれど、シェリルに手を出すかどうかは別にして、助けてあげたら?』


『何でだ?』


『この前アキラが言っていたでしょう? 日頃の行いで運が良くなるかもしれないって。アキラは遺跡でも都市でもお構いなしに人にもモンスターにも襲われて、今もこんな状況になっているわ。やっぱり私と出会ったことで幸運を使い切ったのよ。だから、不幸にもスラム街で生活している可憐かれんな美少女を助けて、そういう善行を積んで、幸運を回復しておいたら? ちょうど良い機会でしょう?』


 アキラが微妙な顔を浮かべる。確かにその手のことを口にした記憶はある。エレナ達を助けた時に、正確にはエレナ達を襲った男達を皆殺しにした時に、明らかに気乗りしていないアルファへの言い訳として適当に言ったことは覚えている。


 まだあの時のことを根に持っているのだろうか。またあんなことをさせないように、遠回しにくぎを刺しているのだろうか。アキラはそう思って表情を少し固くした。


 同時に、非常に運が悪いとあからさまに指摘されたことで、戸惑いも覚えていた。身に覚えがあるからだ。しかしだからといって、じゃあ助けよう、と思うほどではなかった。


『……いや、でも、だからって俺がシェリルの面倒を見るっていうのは……、この前みたいにちょっとその時だけ助けたのとは訳が違うだろう? あの時のアルファはむしろそういうことに反対していなかったか?』


『あの時はアキラの命が掛かっていたから反対しただけよ。それに別にシェリルを命懸けで助けろとも、1から10まで世話をしろとも、責任を持って一生面倒を見ろとも言っていないわ。少し手伝うだけ、ちょっと助けるだけ、軽い幸運をあげるだけ。その程度の話よ。仮にシェリルが降って湧いた幸運に溺れて破滅しても、それはシェリルの責任よ。アキラが気にすることはないわ。逆にその幸運を足掛かりにして大成したら、恩返しを期待しても良いかもね。邪魔になれば縁を切れば良いだけ。それだけの、軽い話よ』


 自覚すらしていない懸念事項への回答を聞いたアキラが表情を僅かに変える。無意識にすごく面倒で大変なことだと判断していたものが、取るに足らないささやかで簡単なものに変わる。アキラの中でシェリルを手伝うことの意味と大きさが、良くも悪くも大幅に下がる。


 そうすると、たかがそれだけのことで自分の運が良くなるかもしれないという、願望とも願掛けとも呼べる期待がアキラの中で相対的に大きくなった。


「……運か」


 アキラは感慨深くつぶやいた。幸運にしろ不運にしろ、アキラにとってかなり意味のある言葉だ。


 アルファと念話で話しているアキラの姿は、傍目はためからは黙ったまま表情をあれこれ変えている不審者だ。しかしシェリルにはそれを不審に思う余裕はなかった。


 自分の体を取引材料にしても駄目。追加の説得材料も思い付かない。泣いてすがっても恐らく意味はない。正直手詰まりだ。それでも、土下座して慈悲を請うぐらいはやってみるべきか。シェリルがそう悩み始めた時、アキラのつぶやきが聞こえた。


(……運?)


 つぶやきの意味から現状の突破口を探ろうとしたが、その意味は分からない。焦りと戸惑いの中にいるシェリルの前で、アキラが1枚のコインを取り出した。ハンター稼業で初めてもらった報酬、3枚の100オーラム硬貨、その1枚だ。


 アキラがコインを指ではじいた。コインは何回転もしながら宙に上がった後、そのまま落下していく。思わずコインを目で追っていたシェリルの前で、コインはアキラの両手に挟まれた。


「表か裏か選んでくれ」


 シェリルが驚いた表情でアキラを見る。アキラは黙ってシェリルを見ている。


 コインの表裏を当てれば自分の頼みを聞くということだろうか。そんなことで決められてしまうことを嘆くべきか。一度は断られたことが運で覆るかもしれないことを喜ぶべきか。シェリルには分からなかった。


 表か裏かしばらく悩んでいたが、考えて分かるものではない。祈りながら決断する。


「……表」


 シェリルは選び、答えた。


 アキラがシェリルには見えないようにコインを確認する。シェリルの表情に再度緊張が走る。アキラはそのままコインを握って懐に仕舞しまった。


「条件付きで協力する。俺は徒党のボスにはならない。でもシェリルにある程度は協力する。それで後はシェリルが頑張って何とかしてくれ。つまり、徒党のボスはシェリルがやってくれ。他のやつを徒党のボスにするのはシェリルの勝手だけど、俺は飽くまでもシェリル個人に協力する。ボスが替わったからって、そいつに協力したりはしない。この条件で良いなら、受ける。どうする?」


 シェリルに断るという選択肢はない。喜んでアキラに頭を下げる。


「分かりました。お願いします。ありがとう御座います」


 これで自分はアキラという後ろ盾を得た。しかし同時に、徒党のボスにならざるを得なくなった。これは良いことだったのだろうか。アキラはコインの結果を自分に教えず、正解か不正解かも話していない。シェリルは何となく不安に思い、アキラにおずおずと尋ねる。


「あ、あの……」


「何を聞いても構わないけど、俺が、聞くな、と言ったことに関しては二度と聞くな」


「は、はい」


 アキラがくぎを刺したのは、虚空を見て表情を変える自分の姿を見たシェリルが、正気や麻薬の使用を疑っていろいろ尋ねるのを防ぐためだ。シェリルもアキラの事情に深く関わって機嫌を損ねるつもりなどない。しっかりとうなずいた。


「で、何だ?」


「その、表……だったんですよね?」


 アキラが早速先ほどの言葉で答える。


「聞くな」


「……はい」


 シェリルの心に何かがこびりつく。私は賭けに勝ったのだろうか。それとも負けたのだろうか。シェリルには分からなかった。


 そしてコインの表裏を知っているアキラでも、賭けの結果は分からない。結果が出るのは未来だ。今ではない。




 アルファの話は全て上辺だけのものだ。善行で運気が良くなるなど欠片かけらも思っていない。全て口実だ。そして、シェリルを助ける口実でもない。


 殺しに躊躇ちゅうちょは無く、だがその基準は不明確。そのアキラの行動原理をより良く知るために、その機会をシェリルに提供してもらうために、アキラと関わる機会を増やしただけだ。襲撃者達の一味という適度に見殺しに出来るであろう人物を、アキラがどこまで助けようとするか。観察にはちょうど良い対象だった。


 全てはアルファ自身の目的のために。それだけだった。

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