五章 鋼の聖女の小さな祈り

第79話

 エルグランド。

 大陸に広く布教されている聖道教会とは別の、真に聖なる教示を持つ神聖なる街。

 厳格な戒律と深い信仰心によって屈強な精神が鍛えられ、魔族が長い歳月をかけて侵攻しているが、神の代弁者でもある教皇ベセウスによってエルグランドの大地は守られている。

 

 という説明を通行管理者という人物から受けたのちに、俺達は街へ入ることを許される。

 魔族との戦時中ゆえか、非常に厳しい検査を受けたが、さしたる問題は発生しなかった。

 パーシヴァルという、他の街で権力を持つ者の紹介状があったからか、ゴールド級冒険者という階級が少しは役に立ったのか。恐らくは前者だろう。

 問題を強いて上げれば、ありがたいお話の最中にビャクヤが寝そうになっていたことぐらいか。

 

 ただ巨大な城壁の様な門をくぐった後は、俺達の想像はあっさりと裏切られた。

 美しい街並みを進んだ先、大聖堂前の広場に差し掛かった時。

 荷馬車の後ろに座っていたアリアが思わずといった様子で耳を塞いだ。


「この熱気と歓声、頭がおかしくなりそうだわ。 信仰深い厳格な街って前評判はどこにいったのよ」


 憎々しげにアリアが見つめる先。

 そこには喉が裂けんばかりに、大聖堂へと叫ぶ信者達の姿があった。

 それも一人ではない。広場を埋め尽くすほどの人々が同じように声を上げている。


「別に厳しいから静かって訳でもないだろ。 ただ、少しイメージと違うのは確かだな」


「イメージと違う? ずいぶんと遠慮した言い方じゃない。 私は言わせてもらうけど、この空気は異常よ」


 確かに、ひとりひとりの声は歓声や応援の声なのだろう。

 しかし強すぎる意思が乗った言葉が集まると、まるで怒号の様に聞こえるのだから不思議だ。

 そしてその集まった信者たちの様子を見て、当初抱いていたもう一つのイメージも安易に崩れ去る。


「魔族との戦いで疲弊してると思ってたが、そんな気配は全くないな」


「それもこれも、アレのお陰でしょ」


 アリアの視線が、大聖堂の入り口付近へと向けられる。

 そこには重装備の兵隊に囲まれた一人の男がいた。

 蒼と白の衣に身を包み、巨大なエンブレムを背に観衆の声に答えている。

 

 エルグランドという街の根源を支える、教皇ベセウス。その人だ。

 信仰を重要視するエルグランドにおいて教皇という称号がどれほどの力を持つかは、想像に難くない。

 この歓声が全て彼に注がれるという事実を見ても、それは如実に見て取れた。


「教皇ベセウス。 エルグランドの最高権力者らしいが、こんな時まで物騒な兵隊を連れて歩くなんてな」


 一年と少し前。

 魔王復活の知らせと同時に、魔族は人間の領土への侵攻を開始した。

 掲げた大義は、過去の戦争で不当に奪われた領土と尊厳を取り返すため、というものだ。


 一方的な通告の後、魔族は様々な地域へと侵攻を開始し、人間側は苦戦を強いられている。

 しかし例外もあった。それがエルグランドである。

 ただの信仰深い辺境の街がなぜ強靭な魔族の軍勢を退けることができたのか。

 疑問と疑念に包まれていたが、エルグランドは沈黙を続け、そしていつしか人々の関心は薄れていった。


 だがこの街に入って、状況はすぐに理解できた。

 神の代弁者という大層な称号を持った教皇ベセウスが見出したという、聖女の存在だ。

 鋼の聖女と呼ばれる存在が魔族を打ち払い、街を守っているのだという。

 

 聖女と教皇に守られた街。

 そこに住まう人々は魔族は悪で自分達は正義。そう確信しているのだろう。

 だが人々の敵意は徐々に魔族やそれに類する異種族へ向かっている様子だ。

  

「姿を変える魔道具が無かったら、本当に危なかったかもしれないな」


「我輩はこの空気は好きだぞ。 まるで戦が控える前夜のようだからな」


 物騒な言い方だが、鬼の性質を考えれば無理もない。多分。

 ただ今のビャクヤを見て鬼だと見抜ける者はいないだろう。

 ちらりと隣に視線を向ける。

 するとそこには、深黒の髪の美しい少女が座っていた。

 言うまでもなく、ビャクヤである。


 ただ頭の武骨な角も消えており、見た限りでは今のビャクヤが異種族だとは誰も思わないはずだ。

 角が消え、髪色が変わっただけでまるで別人のようだった。

  

「その魔道具、本当に役に立ったわね。 あのギルドマスター、なかなかやるじゃない」


「万が一を考えて、と手紙には書いてあったが、さすがは元プラチナ級冒険者だな」 


「髪の色が変わるとなると、我輩は妙な感じだが」


 困惑した様子のビャクヤが、自分の髪を撫でながら首をかしげる。

 激しい行動をとると魔法が解けるため戦闘中などは使えないが、街中で使うには十分だ。


 異種族への悪意が高まっている中でビャクヤがそのままの姿で出歩けばどうなるか。

 考えるだけでも胸に黒い物が去来する。

 実際にはすぐにでも街を出たいとも思わなくはない。

 だがここに来た理由を考えれば、すぐに立ち去る事はできない。


「ビャクヤ、ヨミはなんて言ってるんだ? このエルグランドに使徒がいる、ってのはわかってるんだろ?」


「この地域に間違いなく使徒がいるのは間違いない。 だが我輩の体内に魔素が入ってから、使徒の場所が曖昧にしかわからぬのだ」


「それは良い情報ね。 この広大なエルグランド全域を探せば、その中の一人が黄昏の使徒なのだから、簡単な話じゃない」


「文句を言う暇があるなら探し出す方法を考えろ、アリア。 ビャクヤ、ヨミに聞いてくれるか? 使徒と目の前で会話したり、近くにいたら察知できるのかを」


「……相手が目の前にいれば、なんとかなるはずだ」


 ビャクヤは、断言はしなかった。

 使徒を見分ける力は、今や確実ではないのだ。 

 魔素の侵食を受けたという事が、どれほど重大なことだったのかを今さらながらに思い知る。

 つまるところ、有明の使徒の有する最高の武器が潰されたということだ。


 使徒との戦いだけではなく、それ以前に見つけ出すまでが高い障害となっていた。

 とはいえ、難しいからという理由で投げ出せる問題でもない。

 使徒がいるのであれば、確実に魔素の被害も出てくるだろう。

 それを阻止するためにも、早急に情報を集めて使徒を見つけ出す必要がある。


「判別できる可能性があるなら、少なくとも全く手がない訳じゃない。 地道に情報を集めながら――」


「もし、そこのお方。 冒険者ファルクス様で、いらっしゃいますか?」


 荷馬車の陰から、そんな声が飛んできた。

 馬車を停止させ、視線を向ければ、白い衣に身を包んだ女性が佇んでいた。

 女性のそれは、この街では比較的見かける衣服で、特別珍しい格好ではない。

 だがその胸に輝くエンブレムは、大聖堂に掲げられた物と同じ。

 つまり彼女が一般人ではなく神職者であることを示している。


「貴女は?」


 問い掛けながらも、魔力を手に集める。

 背後ではビャクヤが薙刀を手に取る音が聞こえた。 

 しかし女性は一切、動じることなく自分の素性を明かした。

 

「私は聖女様の遣いでございます。 聖女様は貴方方と話がしたいと仰っています。 どうか、ご同行をお願いできますでしょうか?」


 幸先が良いのか悪いのか。 

 どちらにせよ、微かな手がかりは得られそうだった。

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