「誰にでもできる影から助ける魔王討伐」 槻影

【誰にでもできる異端殲滅官になる方法】


異端殲滅官。それはアズ・グリード教会の有する神の剣。

 人類の安寧を目的とする秩序神の信徒が有する唯一の、『殺すための武力』である。


 闇を討つためならば時に聖典に記載のある教義を破ることすら許された、その神の尖兵には、優れた武力と判断能力、そしていかなる苦境でも折れぬ鋼の意志が必要とされる。

 異端殲滅官の出自は様々だ。名のある傭兵がその経験を買われて引き抜かれる事もあれば、教会の持つもう別種の戦力である聖騎士ホーリー・ナイトの中で優れた者が選ばれる事もある。


 そしてもちろん――教会や争いとは無関係に生きてきたのに、運命に導かれるかのように所属することになる者もいる。


 これは、そんな異端殲滅官の道に足を踏み入れてしまったスピカ・ロイルの一日の記録である。




§





 異端殲滅官の弟子の朝は早い。

 日の出と同時に起きると、まず軽く冷水で禊を行い、速やかに礼拝堂に向かう。

 祈りを捧げるためだ。即座に行動したにもかかわらず、礼拝堂ではグレゴリオが掃除をしていた。


「誓うのです。神の敵、闇の眷属の尽くを殲滅しこの世に平穏を齎す事を。祈りなさい。神は必ず応えてくださる。耳を傾けなさい。神が言っている。敵を――殺せ、とッ!」


 一心不乱に祈る。信仰が力となる。それは、師匠であり、異端殲滅教会アウト・クルセイドにおいて第三位の地位にあるグレゴリオの教えだ。


 スピカはもともと教会に保護された孤児だ。当然、故郷の街――ピュリフでも僧侶プリーストの姿を沢山見てきたが、グレゴリオ程、勤勉に礼拝を行う僧侶を見たことがない。

 目的が力を得るためというのが少し常識から外れている気もするが、闇の眷属を尽く打ち砕いてきたグレゴリオがそういうのだからその言葉は正しいのだろう。


 スピカの目的は強くなる事だ。強くなり、聖勇者の、そしてアレス達の役に立つ。


 その想いをおずおずと吐露したスピカに、グレゴリオは穏やかな笑みを浮かべて言った。


「素晴らしい意志です、シスター・スピカ。聖勇者との旅は過酷だが神の導きがある。素晴らしい経験になるでしょう」


 その眼差しからは一度勇者を殺しかけた事は窺えない。覚えていないはずがないのだが、すでに終わったこととして決着がついているのだろう。

 殺されかけた藤堂やそれを助けるために戦ったアレスからすればとんでもない話だろうが、グレゴリオがそういう男であることは短い付き合いの中でも十分以上にわかっている。


「…………神の導きとは、具体的になんなのでしょうか? 師匠」


 思わず尋ねるスピカに、まるで出来のいい生徒を褒めるように拍手すると、グレゴリオが笑顔で言った。


「立ちはだかる敵は間違いなく神の敵だ、ということです。全て殺せばいいというのは……とても楽ですよ」





§





 礼拝が終わると、続いて食事の時間になる。僧侶というと清貧を尊ぶ印象だが、スピカの前に広げられた食事は豪勢だった。

 肉に卵に野菜に魚。料理自体はありふれたものだが、量が並外れている。教会で保護されていた頃ならば間違いなく一週間はかけて食べる量だ。


 広々としたテーブルを埋め尽くす皿の数に目を白黒させるスピカに、グレゴリオが言う。


「残さず食べてください。シスタースピカ、貴方は身体が小さすぎる。それでは闇の眷属相手に優位を取れません」


「こんなに……食べられません」


 そもそも、下手をしたらスピカの身体よりも多い。もしかしたらあのいつもお腹が減っているようだったグレシャならば食べ切れるかもしれないが、とても無理だ。

 

 その言葉に、グレゴリオは我が意を得たりとばかりに高らかに言った。


「普通ならばそうでしょう。だが――補助神法バフで胃を強化すればよろしい! これから神敵を討つ上で食事は必要です。僧侶の中には祈るだけなのだから体力などいらないなどという者もいますが、言語道断だ。シスタースピカ、闇の眷属は祈りで退散しますが――闇の眷属相手に祈る時は……拳を握るのですよ」


 真面目な顔でめちゃくちゃな事を言い始めるグレゴリオに瞠目する。。

 言葉はちゃんと自分の知っているものなのに、何をいっているのか理解できない。しばらく沈黙していたが、スピカは恐る恐る言った。


「しかし、師匠。その……師匠は……補助神法バフを使えないのでは?」


「悲しきことかな、その通りです、シスタースピカ」


 一切悪びれることもなく、指摘を叱る事もなく、師匠は言った。


「ですが、これは画期的な訓練だ! 栄養補給を出来る上に、神聖術ホーリー・プレイまで深めることができる! シスタースピカ、この鍛錬は何を隠そう――我が友、アレスが考案したものなのですッ!」


 …………アレスさん、何やってるんですか。


 現実逃避をするスピカに、グレゴリオは恍惚とした表情で言った。



「僕は――とても羨ましいッ! 神敵を殺すことだけを誓った僕は補助神法を使えませんから――さぁ、シスタースピカ。貴女ならば間違いなく出来るはずです。やりなさい」




§




「信仰は過酷な戦いの中でこそ磨かれる。傭兵も同様らしいですが、実戦に勝る訓練はない」



 必死に覚えたばかりの神聖術を使いお腹に食べ物を詰め込むと、休む間もなく地下墳墓にやってくる。



 まだ日は高いが、墳墓はどこか静粛で不気味な空気に包まれていた。


 地上部は荒れ果て、スピカとグレゴリオを除いて生者の姿はない。

 宝を掘り尽くされた地下墳墓は傭兵にとって不人気の場所だ。数も多く、上位個体が生まれる事もあり、そして高級な素材も取れないアンデッドは実入りのいい敵ではない。


 アンデッドには幾つか種類がある。一番多いのは死者の怨念や人々の死に対する恐怖が形になったものだ。

 死体が動き出したものと比べ、この手のアンデッドには際限がない。一度倒したとしても時間さえあれば再び発生してしまう。


 ふとグレゴリオが問いかけてくる。


「墳墓のアンデッドの大半は夜半に発生します。日中のアンデッドは基本的に夜よりも力がない。これがどういう意味だかわかりますか? シスタースピカ」


 え……?


 その言葉に、スピカは苦しいお腹を押さえながら目を瞬かせた。

 グレゴリオ・レギンズは苛烈だ。アレスもそう言っていたし、実際にその戦闘の光景も僧侶のイメージから掛け離れていた。


 実際にこれまでスピカに与えられた教えからもその事はよくわかる。そんなある意味スパルタなグレゴリオがアンデッドの弱る朝にここにつれてきた理由……?

 腰に帯びたアレスから貰った聖銀の短剣に触れる。スピカは不安げな表情で答えた。


「えっと……最初は弱いアンデッドを倒して、慣れるってことですか?」


「その通りです、素晴らしい! シスタースピカ」


 どうやら正解だったらしい。ほっと胸をなでおろす。

 しかし続けざまに出された言葉に、スピカは呆然とした。


「この時間帯に来ることで、弱いアンデッドと戦える。戦っている間に夜になり、より強力なアンデッドが現れる! 段階を経て信仰を深めるのにうってつけの鍛錬なのです!」


「……!?」


「僕は以前まで、弟子は最初から夜半に墳墓に向かわせていました。しかし、このアレス考案の画期的システムに変えてから、死者が大幅に減ったのですッ! 楽な試練になったことで才能のない有象無象が生き延びてしまいますが、弱くとも信仰を共にしていることには違いない。死ぬよりは死なない方がいいッ! そうは思いませんか? シスタースピカ!」


「え……は、はい! そうですね!」


 思わず頷く。嬉しそうにグレゴリオが頭を撫でてくる。

 スピカの基準で言うのならばこれもこれでおかしいと思うのだが、確かに夜半に叩き込まれるよりはマシだ。



「では早速信仰を深めにいきましょうッ! シスタースピカ! 本来ならば拳で語り合って欲しいところですが、貴女にはアレスから貰った武器がある。それを使えばよろしい」


「あの……私、戦い方が、わからないのですがッ!」


 覚悟を決め、いつもより心持ち大声で抗議するスピカに、グレゴリオは爽やかに笑った。


「それは……貴女の信仰が教えてくれます」


 己の言葉を微塵も疑っていないその眼差しに、スピカは悟った。

 駄目だ……これは。自分でなんとかせねば死んでしまう。


 生きて帰ったら絶対に戦い方を覚えよう。スピカは決意すると、さっさと駆け出し墳墓に入ってしまったグレゴリオに続くのだった。



§





 過酷な戦いだった。アンデッドの数も多かったが、何よりも終わりが見えないのが辛かった。

 墳墓に入る前の自分が何が出来て何が出来なかったのか、もはやそれすら記憶の彼方だ。

 スピカのことを一切慮る事なくどんどん深層に向かうグレゴリオに必死についていくには、これまでの人生で培った全てを忘れただ信仰に身を委ねばならなかった。

 ただがむしゃらについていくこと何時間経ったか。ふとグレゴリオが立ち止まる。


「ふむ……そろそろアンデッドが弱くなってきました。一度戻りましょう」


「ぜえ、ぜえ、ぜえ……へ、え?」


「もう夜明けです。敵はこれからどんどん弱化していきます。これでは――試練にならない。それに、補助神法でブーストを掛けたとしても、少しは休まねば背が伸びませんからね」


 もう、そんなに経っていたのか。思い出したかのように全身に疲労がのしかかる。いつの間にか、法衣は汗でぐっしょり濡れていた。


 朝食しか食べていないが、疲労のせいか全く空腹を感じなかった。朝に死ぬほど食べさせられた意味をようやく理解する。

 地面に座り込みたいが、座り込んだら立てなくなるだろう。必死に呼吸を落ち着けるスピカを見て、師匠は変わらぬ笑顔で言った。


「外に戻ったら少し寝ましょう。そうですね……一時間くらいで十分でしょう」


「!? 無理です!」


 思わず大声で反論する。身体がこれまで感じたことのない疲労に痙攣している。今倒れたら間違いなく半日は起きないだろうし、一時間の睡眠では精神も肉体も休まらない。

 これまでにない勢いで食って掛かるスピカに殲滅鬼はニコニコと言った。


「大丈夫、神聖術で身体と精神を癒やせば一時間の睡眠でも問題ありません。その分の時間を鍛錬に充てる事で加速度的に強くなれます。これは――あのアレス・クラウンが考えた画期的なシステムです」


 駄目だ。目が輝いている。


 …………私、別に異端殲滅官クルセイダーになりたいわけじゃないんだけど。


 ふとそんな言葉が頭をよぎったが、今更言えない。スピカは『異端殲滅官クルセイダー……ちょっと格好いいな』とか思っていた過去の自分を殴りたくなった。


 しかしこの師匠、神聖術ホーリー・プレイの力なしで汗一つかかずスピカと同じ事をやっているのだが、一体どういう仕組みなのだろうか……?

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