ようこそ、ナーロッパ劇団へ

あじさい

第1部

プロローグ

第1話 何言ってんだ、こいつ?


 この世界はすべてこれ一つの舞台、

 人間は男女を問わずすべてこれ役者にすぎぬ、

 それぞれ舞台に登場してはまた退場していく、

 そしてそのあいだに一人一人がさまざまな役を演じる

 (シェイクスピア『お気に召すまま』、小田島雄志訳)


 * * *


「ようこそ、ナーロッパ劇団へ。改めまして、私は監督の坂ナルオだ」


「こんにちは。主人公の代役を務める者です。よろしくお願いします」


「急な話で申し訳ない。新作の台本を上げて、これから本格的な練習を始めようというときに、主人公役がスランプを発症してね。でも、君が来てくれて助かるよ。苦労をかけるかもしれないが、よろしく頼む」


「こちらこそ、よろしくお願いします!」


「おっ、気合入ってるね」


「噂に名高いナーロッパ劇団で主役を演じられるなんて、若輩者の僕にとってはビッグチャンスですから」


「そうかい、期待してるよ。早速だが、主人公の役名の希望は考えてきてくれたかい? きっとそれがこの劇団での君のあだ名になるから、好きなものを考えてくるようにと言っておいたと思うけど」


「はい。『アキラ』でどうでしょう?」


「ふむ、その名前の理由は、もしかして……?」


「そうです。ナーロッパ劇団には主人公が『ア』から始まる3文字か4文字の名前だとヒットするというジンクスがあると聞いたので、縁起えんぎかついで、僕もそういう名前にしたいと思っています」


「そうか。でも、アキラじゃあまりにも日本人っぽいね」


「ダメですか?」


「うちのお客様は、主人公が日本人っぽい名前を捨ててナーロッパっぽい名前を名乗ることを期待しているんだ。アキラではナーロッパっぽくない」


「すみません、でも、『ア』から始まる名前でちょうどいいのが思いつかなくて。アインとかアルスとか、これまでに何人もいるようですし」


「うーむ……。じゃあ元々の名前がアキラで、異世界での名前は『アレン』にしよう」


「よりにもよって『ゲド戦記』とかぶっちゃってますけど」


「実を言うとね、かぶっても問題ないんだよ。ナーロッパのキャラクターの名前なんて、どうせ公演が終わったら忘れられてしまうんだし」


「そうですか。監督がそうおっしゃるなら、アレンでいいです。となると、本作のタイトルは『チートなアレンの異世界生活 転生した最強魔道士は怖い者知らずの王道人生を征く』ですね。これ……」


「分かりやすくて良いタイトルでしょ?」


「(正直、テーマやドラマ性はおろかセンスの欠片さえ感じない……。)ある意味ではそうかもしれませんね。それで、すみません、頂いた台本は読んだのですが、主人公の人物像がよく分からなくて」


「え、そうかな?」


「日本で『ブラック企業』に勤める『社畜』の主人公が、トラックにねられて死んで、異世界に生まれ変わるって……。

 主人公は自分の勤め先がブラックだと気付いてないんですか? それとも、状況を客観視できているのに、上司のパワハラや同僚たちの負担を気にして、転職できずにいたってことですか? あるいは、本気ではなく自虐ネタとしてそう言っているだけですか?

 というか、そもそも主人公はどういう会社のどういう部署に所属していた人ですか? 友達は多いですか? 恋愛経験はどのくらいあります?」


「あー、そういうのは気にしてなくていいよ。日本で暮らす社会人男性で、これといった個性がなくて、現実の生活に疲れていて、人並みに子供の頃や青春時代を懐かしみがちだってことが何となく伝われば、それでいいんだ」


「細かい設定はないってことですか?」


「ないね。いや、あえて作ってない。うちのお客様にとっては、色々と曖昧な方が感情移入しやすくなって良いみたいだからね」


「でも、主人公の人物像が曖昧あいまいでは、評論家レビュワーから批判されるんじゃ……?」


「大丈夫、チケットさえ売れればこっちの勝ちだから。それに、批判されればそのぶん注目されて、興味本位のお客様が増えるから。

 ナーロッパ劇団は元々、事前にきっちり決めるより、アドリブを大切にしているんだ。君にはなるべく素に近い状態で、場面それぞれに合うと思う演技をしてほしい。

 あ、恋人や配偶者がいないことは確定してるから、そのつもりで。それから、気取ったビジネス用語や業界用語は、何かムカつくから、なるべく使わないように」


「そうですか……」


「そう肩を落とすなよ。『何としても出発することが必要である。どこへ行くかを考えるのは、まず出発してからのことである』ってね」


「誰の言葉ですか?」


「アランの『幸福論』だ。他はすっかり忘れたが、このフレーズだけは覚えてる。ともかく、まずは実際に舞台装置を使いながら、他の役者たちと演技してみようか」


「そんなことできるんですか?」


「みんなそのつもりで準備してるよ。君としても、一度リハをやってみてからの方が、話の流れとか劇団の空気感とかが分かるし、私や他の役者たちとも話をしやすいだろう」


「ありがとうございます。早速やりましょう」


「主人公の役作りの他にも、気になることがあったら遠慮なく言ってくれ。それじゃ、用意、アクション!」


 * * *


「アキラ。アキラ、目を覚ましなさい」


「はっ、ここは?」


「ここは世界と異世界、実宇宙と虚宇宙、存在と非存在を統べる神々の世界、『神界しんかい』です。そして、わたくしは、あなた方が女神と呼ぶ存在です」


「(……何言ってんだ、こいつ?)」


「通常、神は人間によって感覚される存在ではありませんし、そうあるべきでもありません。ですが、今のわたくしはあなたと話をするため、便宜的にあなたにも認識できる形態をとっています」


「……えーっと、それは比喩ひゆとかジョークではなく? あなたはご自身が女神だと? そうおっしゃるわけですか?」


「ドン引きしながら敬語を使って距離を取るんじゃありません。わたくしはカルト宗教の教祖ではありません。正真正銘、本物の女神です。言っておきますが、ここを信じてもらわないと話が前に進みませんよ」


「言われてみれば、こんなに心地よく軽やかな空間が現世うつしよのものとは思えませんし、あなたも古代ギリシャを連想させる白い衣装をまとって、全身がくまなく光り輝いていますね。ただの電波な人ではなさそうです。でも、女神様がどうなさったのですか?」


「あなたはわたくしたち神々のミスで、居眠り運転のトラックにねられて命を落としました。ですから、これから異世界転生をさせてあげます」


「僕が死んだ? え? 何かの用事でちょっと呼ばれただけじゃないんですか? というか、僕が死んだなら、今こうして女神様と話していられるわけないですよね?」


「あなたは魂だけの存在となって神界ここに来たのです」


「仮に僕が死んだとして、肉体を失った僕は『僕』と言えるのでしょうか?」


「はい?」


「肉体がなくなって魂だけになったということは、僕はあらゆる即物的な欲望から解放されて、純粋に理性だけの存在になったということです。それは果たして、生前の『僕』と同じ存在なのでしょうか。……いや、待ってください。純粋な理性はどれも同じ形態をとるはずです。同一の形態をとり、しかも物理的な制約を受けないなら、あらゆる魂は同一の存在ということに……。僕は『僕』というひとりindividualから、全宇宙の理性に統合されて――? これが宇宙生命コスモゾーン、人類の補完、ラグナレクの接続……?」


「よく分かりませんが、あなたは今もあなたのままです」


「僕は『僕』のまま……? そもそも、《僕が『僕』である》とはどういうことなんでしょうか?」


「哲学的な問いは終わりがないんだから、答えが出なくても強く生きなさい。あなたの場合はすでに死んでいますが、それはわたくしたちのミスです。ですから、異世界転生させてあげます」


「さっき『居眠り運転のトラックに撥ねられて』って言いましたよね? ということは、ミスしたのは神様たちじゃなくトラック運転手なのでは?」


「むやみにトラック運転手のイメージを下げる発言はおやめなさい。彼が働きすぎだったのも含めて、わたくしたちのミスなのです。とにかく、あなたにはこれから異世界転生してもらいます。さあ、希望条件を言いなさい」


「あの、生き返らせてもらうわけには……?」


「いきません。言うまでもなく、死者を蘇らせるのはルール違反です」


「一時的に、ちょっとだけなら……?」


「ダメです」


「では、せめて家族と友達と会社の人たちに、一言だけでも挨拶あいさつさせてもらえませんか?」


「未練がましい人ですね。大抵の主人公は現代日本の生活に疲れ切っていて、異世界に生まれ変わると聞いただけで大喜びしますよ」


「たしかに仕事も人間関係も、つらいこと、ムカつくこと、嫌になることが多いですけど、心の準備をする暇もなく急に『あなたは死にました』と言われて、『あ、そうですか』と死んでいけるほど、僕は出来た人間じゃないです。

 せめて前もって分かっていれば、両親に温泉旅行をプレゼントしたり、会社でお世話になった先輩にお礼を言ったり、高校の友達と飲みに行ったりできたでしょうし、本棚に突っ込んだままの司馬遼太郎を読んだり、お気に入りのジブリ映画をもう一度見たりすることだって……」


「お気の毒ですが、こればっかりは諦めてください。あなたが異世界転生するのは既定路線です」


「そうですか……、にしても、異世界って……。世渡り下手な僕が、上手くやっていけるでしょうか?」


「わたくしたちがあなたに与える才能ギフトは、異世界でやっていくための餞別せんべつでもあります。聞くだけは聞きますから、望む能力を何でも言ってみてください」


「図々しいかもしれませんが、能力を授かるより、困ったときに女神様にご助言を頂ける方が……」


「悩みを聞くくらいはしますが、助言はできません。神は人間界に干渉してはいけないというルールがあります」


「干渉できないはずの神様が、どうしてミスで人を殺せるんですか?」


「時にはそういうこともあります。どんな世界にも、理不尽や矛盾はあるものです。あまり深く考えないことも必要です」


「神様がそれを言います?」


「神託を受ける以外には、どんな能力をご所望ですか?」


「『コミュニケーション能力』とか『マネジメント能力』でもいいですか?」


「ダメです。異世界転生と言えば剣と魔法の世界なのですから、チートにしか見えないけれどほどほどに波乱万丈な人生が送れそうな魔法の能力にしておきなさい」


「能力を与える立場でずるチートとか言わない方がいいですよ、あなたが女神であることの正統性が疑われますから。僕はもう疑ってますけど」


「とにかく、さっさと能力を指定なさい」


「そもそも異世界の魔法ってどういうもので、何が可能で何が不可能なのか、どんな魔法にどんな長所と短所があるのか僕は知らないので、どんな魔法を希望するかと言われても……」


「ナーロッパで『魔法』と言えばだいたい相場は決まっているんですが、一から説明していると長くなりますね。分かりました、こちらで適当に見繕みつくろいます。そういうパターンもよくありますから」


「あの、そのナーロッパって、僕がいた世界で言えばどの時代のどこに近いですか?」


「中世のヨーロッパです」


「いや、『中世のヨーロッパ』だけじゃ全然イメージできませんよ。西ローマ帝国が崩壊した頃のイタリアに近いのか、百年戦争の頃のフランスに近いのか、大航海時代に入った頃のスペインに近いのかでは、ずいぶん違うじゃないですか」


「あなたはまだ知らないのですね。

 石弓と鉄砲はないけれど剣と魔法はある。

 義務教育はないけれどみんな読み書きができる。

 アルファベットはないけれどドイツ風の名前が一般化している。

 民族や職業による差別はないけれど貴族制度と男尊女卑には誰も疑問を持たない。

 上下水道はないけれど水洗トイレとお風呂はある。

 ナーロッパは大体そんな感じの世界なんです」


「それはまた……。どういう経緯でそうなったんですか?」


「経緯は必要ないんです、イメージがあれば。言うなれば、ゲーム的な雰囲気をお手軽に楽しめる世界であり、それ以上でもそれ以下でもありません。ガチの西洋ファンタジーが見たければ、アースシーかナルニア国にでも行けばよいのです」


「何でそんなにかたくななんですか。裏設定があるならそう言えばいいし、話を面白くするためにゆるさが必要なら大らかに構えてりゃいいじゃないですか」


「話は終わりです。それでは、さっさと異世界にお行きなさい」


「え、急に? 転生先についてもっと具体的な説明はないんですか?」


「物語の序盤に説明ばかりしているとお客様が飽きてしまうから、説明不足なくらいでちょうどいいんです。何ならこれでも説明しすぎているくらいです」


「せめて現地の挨拶あいさつくらい教えてくれても……」


「ナーロッパでは万国共通で日本語が通じます。仮に通じなくても例のこんにゃくみたいな魔法がありますから、あなたが言葉の壁に苦労することはありません。概念や慣用句の違いで戸惑うことも一切ないです」


「その魔法は永続ですか? 月額はおいくらですか?」


「うるさい。行けば分かります。ナーロッパに行くからには、細かいことを考えてはいけません」


「細かくないです、ごく当たり前の――」


「ナーロッパ基準では細かいんです。異世界転生それ自体が無茶なんだから、深く考えたら負けです」


「そういうもんですか」


「そういうもんです。今度こそ、行ってらっしゃい。あなたの異世界転生に幸あれ」


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