45話 立場逆転の朝

「風雅、まだ起きてる?」

「おう」

「せっかくの時間なのに別々の布団なの、なんだかもったいないわね」

「さすがにまだ同じベッドに入る勇気はない……」

「ふふっ、そうね」


 大輔さんが用意してくれた布団に俺は入っている。

 結乃のベッドに頭を向ける形で布団を敷き、薄い毛布をかけている。


 部屋は蒸し暑く、まだまだ熱帯夜が続く。結乃とのキスで体温が上がっていることもあって、余計に苦しい。


「あなた、散歩とかしてるとやっぱり知り合いできるの?」

「できるね。じいさんばあさんが多いな」

「どうして?」

「畑や田んぼに出てるだろ。俺ってそういう人に挨拶するタイプなんだよ。で、中には話し好きな人とかいて、長話につきあったりする。そのうちに仲良くなるんだ」

「……すごいな」

「そうか?」

「誰にでもできることじゃないわ」

「まあ、俺が物好きなだけだからな」

「かっこいいわよね」

「……変人なだけだ」

「照れてるー」

「そんにゃことないね」

「噛んでるじゃない。焦ってる証拠よ」

「くっ……」


 どうして今日はペースが握れないのだろう。


「で、なんでそんな話を?」

「風雅の知り合いに、柴犬飼ってる人はいないかなって」

「柴犬ねえ」

「あたし、知り合い少ないからペットショップの赤ちゃんしか生では見たことないの。大きい柴ちゃんとか触ってみたくて」

「なるほどね。だったら心当たりがある」

「ほんと?」

「たぶん、頼めば会わせてくれると思うよ」

「だったらいいな。さっき、風雅と柴犬の話をして思いついたのよ」

「よっぽど好きなんだな」

「だってかわいいじゃない。癒しよ」


 もしかしたら、友達のいなかった中学時代に、自分を受け止めてくれる相手がほしかったのかもしれない。


 なんとなく、俺はそう思った。


「その柴犬好き、あれに活かせないか」

「あれ?」

「文化祭のクラスの出し物。まだ決まってないよな」

「そうね。喫茶とかお化け屋敷は三年生に先手取られちゃったからもうできないって言ってたわ」

「柴犬写真館とかどう?」

「えっ」

「だってさ、去年の出し物回ったけど、どこのクラスも趣味全開だったぞ。教室を柴犬で埋め尽くしてもいいと思うんだよな」

「一面の柴犬……」

「ありじゃないか?」

「い、いいかも」


 と、思いつきで言ったけどさすがに難しいか。俺たちの一存で出し物は決められないからな。


「ふあぁ」


 あくびが出る。だんだん眠くなってきた。


「風雅、本当に今日はありがとね。すごく嬉しかった」

「俺も貴重な体験をさせてもらったよ。早くよくなるといいな」

「そうね。頑張って治す」

「というか、もう声は戻ってきてるな」

「あ、そうかも。これで寝て起きれば治ってるかな?」


 結乃の声は弾んで聞こえた。それだけ楽しそうに話せれば大丈夫だろう。


「じゃあ風雅、おやすみ」

「おやすみ」


 こうして、初めての泊まりの夜は何事もなく更けていくのだった……。


     †


「うーん、回復した感じ!」


 翌朝。

 まだ日が昇りきっていない頃に結乃の声がした。


「結乃……」

「あ、風雅起きてたのね。おはよう」

「おはよう」

「なんか、元気ない?」

「あのさ……風邪、移ったかも」

「え」

「なんかだるい……」

「えええっ!?」


 結乃がベッドから下りてきて俺の額に手を当てた。柔らかい手だな……。


「確かに熱いかも。待ってて」


 すぐさま、結乃は部屋から出ていった。バタバタ音がして戻ってくる。


「昨日、お父さんが冷却シート買ってきてくれたの。風雅にも分けてあげる」

「すまん」


 結乃が俺の前髪を持ち上げて、シートをピタッと貼ってくれた。


「これでよし。おかゆ、温めたら食べられる?」

「ああ」

「じゃあ、用意してくる」


 また結乃が部屋を出ていった。


 ……逆転しちまったな。


 彼女の看病をしていたはずだったのに、一夜明けたら俺が看病されている。なんだか情けない。


 頭がぼーっとして、時間の流れがよくわからなくなった。

 しばらく待ったと思う。


 結乃が戻ってきた。


「風雅、起きられそう?」

「おう」


 手を貸してもらう前に、自分で起きる。そこまで症状が重いわけじゃない。


「普通のおかゆじゃなくて雑炊にしてみたの。ちょっと時間かかっちゃった」


 茶碗には卵を溶かした雑炊が入っていた。

 彼女が俺のために作ってくれた手料理。今度は弁当じゃなくて、できたてほやほや。


 ……風邪引いてよかった。


 なんて言ったら怒られるかな。


「はい、あーんして」

「ん」

「あーんって言って」

「い、言わなきゃダメか?」

「もちろん」


 すごく楽しそうに結乃が言う。


「あ……あーん」

「風雅、かわいい」

「やっぱりこの流れか……」

「はい、どうぞ」


 スプーンが口の中に入ってくる。卵の食感と、あとから効いてくるネギの風味。幸せの味だった。


 みんな、こんなに素晴らしい女の子の魅力に気づいていなかったんだな。


 つきあってみて、あらためて思う。


 誰もが星崎ばかり見ていた。その友達として、いつも不機嫌そうなんて言われていた結乃。


 でも、彼女はこんなにもかわいらしくて、こんなにも優しいのだ。


「ごめんね。ずっと一緒にいたんだから移るわよね。甘く考えてたわ……」

「いいんだ。結乃の朝ごはん食べられたからむしろプラス」

「も、もうっ」


 結乃は怒りかけたが、すぐに肩をすくめて苦笑した。


「お父さんが起きたら車出してもらうわね。あたしはたぶん、まだ休んでろって言われると思うけど」

「俺の家に来るのはまた今度だな」

「ええ。楽しみにしてるから。はいどうぞ」

「あーん」


 結乃の手作り雑炊をいただきながら、俺は明るくなっていく土曜日の朝の温かさを噛みしめていた。

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