43話 彼女のお見舞いに行く

 今日の学校はいつも以上に退屈である。


 結乃がいないのだ。


 風邪を引いて休み。昨日、雨の中を走っていったのだからこうなる予感はあった。


 俺は休み時間、メッセージを送った。


『お見舞い行っていい?』


 返事は午後になって来た。


『いいよ』


 というわけで、俺は結乃の家に行くことになった。


     †


 結乃の家に来るのは夏休み以来だ。

 庭も何も変わっていない。


 現在、夕方の四時半。

 大輔さんはいるだろうか。教師だからまだ帰っていないか。するとまた、あの日のように二人きりになってしまう。


 玄関に鍵がかかっていたので、結乃にメッセージを送る。寝ていたら起こしてしまうことになるわけだが……。


 ガラガラと戸が開いた。

 パジャマ姿の結乃が立っていた。ピンクの、無地のパジャマだ。


「ごめんね、こんな格好で」

「いきなり謝るなって。これ、お見舞いの品」


 俺は途中のコンビニで買ったゼリーと飲むヨーグルトを渡した。結乃が大切そうに受け取って、少し微笑んだ。


 最初から頬が赤かったので、まだ熱は引いていないようだ。


「結乃、具合悪いだろ。寝てていいぞ」

「平気よ。明日には学校行けるから」

「明日は土曜日だぞ」

「よ、要するに明日には回復してるってことっ」

「そうか? どれ」

「~~~ッ」


 結乃の額に触れると、ビクッと反応された。


「まだ熱いじゃないか。無理するな」

「あ、あぅ」

「……どうした?」

「あたし、寝るっ」


 結乃が中に入っていった。


「風雅、そのうちお父さん帰ってくると思うから、それまで待って送ってもらって」

「いや、気にしなくていいぞ。歩いて帰れるし」

「ダメ。お父さんそういうの気にする人だから待ってて」

「じゃあ、上がっても?」

「いいわ。どうぞ」


 俺は結乃について、家に上がった。


 この家は少し変則的な構造になっている。左手の廊下を進むと居間があって、正面に台所、その奥に座敷、右の障子戸を開けると納戸と階段がある。左側は風呂場。つまり居間を経由しないとどこにも行けないのだ。


「そんじゃ、座らせてもらうな」

「う、うん」


 俺は大輔さんと話した時と同じ場所に座った。どうするかな。携帯をいじって時間をつぶすか。


「ごめんね、もう少し待ってね」

「おう」


 結乃は階段の方へ動いたが、ふらついて壁にもたれかかった。俺はすかさず立ち上がって肩を支える。


「無理させちまったな。悪かった」

「……ねえ、部屋まで支えてもらってもいい?」

「えっ」

「ダメ?」

「ぜ、全然オッケー。任せろ」


 いいのか? 思わぬ形で結乃の部屋に入ることになりそうだ。


 納戸に出て、狭くて急な階段を上がる。俺が前に立って、結乃を引いて上げる形になった。


 二階はまっすぐな廊下が延びており、左に二部屋、右に一部屋あった。二階に三部屋しかないのは我が家と同じか。


「その、一番奥」

「わかった」


 俺は結乃の手を引いて奥の部屋まで行った。結乃がドアを押し開ける。


 畳部屋だった。

 木のベッドがあり、星柄の薄い毛布が乗っている。

 勉強机には参考書が重なっていて、本棚にはミステリー系と思われる小説がぎっしり詰まっていた。


 何よりも目を引いたのは柴犬のぬいぐるみだった。ベッドの脇にもあるし、机にも本棚の上にもある。大きいものから小さいものまで、幅広く揃っていた。


 以前、趣味は柴犬のぬいぐるみ集めだと言っていた。本当に大好きらしい。


「は、恥ずかしいわね」


 結乃が胸の前で手を合わせている。


「彼氏に部屋を見られるの、なんだかそわそわしちゃう」

「いい部屋だな。片づいてるし柴犬愛がすごい」

「いつか本物を飼いたいけど、二人とも家にいない時間が長いから難しくて」

「衝動をぬいぐるみで抑えているのか」

「まあね」


 結乃は布団に入った。


「謝ってばっかりだけど、今日は本当に何もできないから……」

「それはかまわないんだが、冷却シートみたいなのないのか? 熱あるんだし貼った方がいいぞ」

「うち、そういうの置いてないの。しばらく風邪なんて引かなかったから……」

「うーん、そうか。でもせめて汗は拭いた方がいいんじゃないか。タオル冷やしてくるよ。使えるのある?」

「えっ、悪いわよ……」

「いいじゃん。彼女の面倒見られるの、なかなかない機会だし」


 俺が笑いかけると、結乃は毛布を引っ張りあげて口を隠した。


「たぶん、居間のタンスの一番下にあると思う」

「わかった」


 すぐさま下に戻り、言われた場所を探す。真っ白なタオルが見つかった。


 台所へ行ってみると、半分なくなったおかゆの鍋が置いてあった。大輔さんが作ったんだろうか。


 タオルを水で冷やす。冷たい水が出るまでに時間がかかったが、なんとか水道が頑張ってくれた。


 再び結乃の部屋に入る。


「嫌じゃなければ、俺が汗を拭く」

「お願い……」


 小さな声で言われる。かなり消耗しているようだ。


 俺は結乃の前髪をそっと上げた。濡れタオルを当てると、「んっ」と結乃が反応する。その声がやけに色っぽくて、俺はドキッとしてしまった。


 額の汗を拭き取ると、頬にもタオルを当てた。


 こんな夏のさなかに熱を出したのだ。気持ち悪いだろう。


「風雅、首の辺りもお願いしていい?」

「お、おう」


 ……これは彼女を看病しているだけだ。


 自分に言い聞かせ、首筋にタオルを当てた。「んぅ」と結乃の声が漏れる。……わざとじゃないよな?


 結乃の顔と肩に挟まれて、俺の手はすさまじい熱を帯びている。首の汗をとって、ようやく一息ついた。


「ありがとね、風雅……」

「落ち着いたか?」

「うん。あとね、さっきのヨーグルト、いま飲んでいい?」

「寝たままで?」


 こくっと結乃がうなずく。


「寝た状態で飲むのはよくないぞ」

「右下になるから」


 そういう問題なのか?


 ともかく結乃が望むならやるだけだ。

 飲むヨーグルトにストローをさす。


「ほれ」

「ん、ありがと」


 結乃が右向きになった。


 ストローを差し出すと、ちゅーと音を立てて結乃が飲み始める。


 自然と、結乃の唇に目が行ってしまう。いかんいかんと下にずらすと、パジャマの首元から鎖骨が覗いている。


 俺は右を向いて本棚の小説を見るしかなかった。


「ぷはっ」

「飲めたか?」

「おいしかった。風雅がくれたものだから倍のおいしさね」

「熱に浮かされてないか? 恥ずかしいこと平気で言ってるぞ」

「恥ずかしくないもん」


 本当かな。怪しい。


「ねえ風雅」

「今度はなんだ?」


「今夜、泊まっていかない?」


「はあっ!?」

「風雅に面倒見てもらうの、楽しくなってきちゃった」

「い、いやいやいや、彼氏と一晩ってのはけっこうやばいことで……」


「それは娘を襲うつもりがあるということか?」


「うわあ!?」


 振り返ったら、いつの間にかスーツ姿の大輔さんが部屋の入り口にいた。


「食事は私が作るから、よかったら泊まっていってくれ。久しぶりの風邪で結乃も少し参っている。君がついていてくれたら心強いはずだ」

「風雅、ダメ?」

「う、ぐ……」


 彼女とその父親に頼まれて、ノーと言えるか?


 無理です。


「わかりました。今日は泊まらせてもらいます」

「ふっ、その返事を待っていた」

「またバトルマンガみたいな台詞を……」

「何か言ったかね?」

「いいえ何も」

「私はこれから夕食を作る。君は結乃を見てやってくれ」

「わかりました」


 大輔さんが階段を降りていった。


「風雅、今回だけだから許してね」

「まあ俺もけっこうこの雰囲気楽しんでるところあるからな。今夜はよろしく」

「なんかいやらしい挨拶ね」

「そ、そんなつもりなかったぞ!?」

「ふふっ、冗談よ」

「びっくりした……」

「いつかは、元気な時でもこういうことしたいって思ってた。今日はその時のための予行演習ってことで」

「わかった。つきあってやるよ」

「お願いね」


 こうして、俺は結乃の家に泊まることになったのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る