第6話 誰の記憶

「ふー…」


 息を吐くと、仄かに空気が白く染まる。

 すっかり秋が深まり、ますます寒さが増してきた。今となっては、紅葉をしてない緑を見つける方が難しい。


 何もない空を見上げて、ふと視線を道路に戻す。道路は歩きの通行人よりも、自転車の方が多い。ここらのような田舎では、自転車がないと生活できないのだ。


「篠乃木さん?」


「…はい?」


 横から高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)が名前を呼ぶ。


「何かボーッとしていましたけど」


「いえ、何もないですよ」


 僕の顔を覗きこんでくる。不意に顔を近づけてきたので、反射的に目をそらしてしまう。


 本当にやめて欲しい。綺麗すぎる顔は一種の暴力なのだ。


「端から見ればデートに見えそうですね」


 突然、そんな事を言ってくる。確かに外見は同じくらいで、二人一緒に歩いているとそんな風に見られるかもしれない。


 ただし、人間であればだ。


「むしろ、端から見れば独り言がうるさい変人に見られていると思いますよ」

「確かにそうですね」


 そう言って、クスクスと笑う。本当に、他の人には見えない彼女は、確かにそこに存在するのだ。


「ところで…」


「……はい?」


「今、どこに向かっているんですか?」


「あー、私もよく分からないのですよ」


「え…?」


 高良玉垂命が頭をかく。


「先日、欲を連呼する妖怪が喫茶店に来たでしょう?」


「ええ」


「あの妖怪、私達に呪いをかけていったみたい」


「え…?」


「そう言うわけだから、あの妖怪を探しているんです」


「…なるほど」


 妖怪に呪いをかけられるのは初めてのことだ。まあ、、これだけ妖怪に関わりやすい体質を持っていながら、今まで危害を加えられなかったのは驚きなのだけど。


「それにしても何故?」


 とりあえず、疑問を口にする。


「それは、おそらくだけど、篠乃木さんに興味を持ったから」


「やはり、"見える"からですよね?」


 彼女は深くうなずく。


「ええ、けれど私から見ても興味深いですよ?」


「……?」


「呪いと聞いて、最初に"どんな呪いなのか"ではなく、理由を聞いているから」


「確かに…」


 言われてみればそうだ。普段の僕であれば、真っ先にどんな呪いなのか聞いたはずだ。


 どうにも妖怪がらみの事柄には、俯瞰してみてしまいようだ。まるで、呪いをかけられているのが、僕ではないような感覚。


「えーと、どんな呪いですか?」


「これも確実ではないのだけど、記憶の削除、もしくは改変だと思います」


「…記憶、消されているんですかね?」


 高良玉垂命は首を捻る。


「記憶の消去や改変はされた側では、なかなか判断できないのですよ。ただ、呪いがかけられているというのは、感じることが出来るのですが」


 少し何かを思い出してみる。

 例えば、昨日の晩御飯は。さばの味噌煮だ。小学校の担任の名前は、田中先生。


 普通に思い出してしまった。拍子抜けというか、なんというか。


「記憶が混乱している感覚はなさそうですけど」


「害がなければ、それで大丈夫なのですけど、とにもかくにも直接本人に確認してみないと」


「そうですね。あ、そう言えば…」


 ふと思い出したことを話そうとして口をつぐむ。


 小さい頃、とても小さい頃。僕は飛べることを知った。色んな所へいってみたいと思った。これは知識欲。


 僕はおなかがすいた。何か食べたいと思った。これは食欲。


 人というものを知った。人は愛というものを持っていた。愛とはなんぞや。

 僕はなんぞや。僕は………。


「……朧気(おぼろげ)」


 気づくと口に出していた。

 これは、誰の記憶?

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